神宿る神奈備の山・稲荷山(稲荷大社)を歩く
鶉うずら鳴く 古ふりにし郷さとゆ 思へども 何なにそも妹いもに 逢ふ縁も無き 万葉集巻4−775相聞 大伴家持
京都屈指のパワースポット!神宿る神奈備の山・お稲荷さんの朱の迷宮を歩く
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京都屈指のパワースポット!神宿る神奈備山・・・伏見稲荷大社(稲荷山 お山めぐり) ☆地図 |
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稲荷山は、「東山三十六峰」の最南端に位置する霊峰(海抜239.3m)で、古くから三ケ峰と称されてきたように三つの峰が西から東へと段々に高く連なり、これを山麓から仰ぐと、まさしく降臨の地にふさわしい山容をそなえています。欽明天皇が即位(531年又は539年)される前の事について「日本書紀」では次のように書かれています。稲荷大神のご鎮座は秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))によって和銅4年(711年)2月初午の日に、なったと伝えられており秦大津父と伊呂巨(具)との200年足らずの脈絡についてはほとんど不明です。太秦の秦氏族は、記録上では大宝元年(701年)、桂川畔にそびえる松尾山に松尾神を奉鎮、深草の秦氏族は、和銅4年(711年)、稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして御神威赫々たる大神があたかも鼎立する結果となりました。一千年前に清少納言も足を運んだと伝えます。・・・また、稲荷山には奉納鳥居が、約一万本ほどある他、お塚や神祠も多々とあり、これらを巡拝して周ります。伏見稲荷大社奥宮から更に奥の稲荷山(標高233m)には、様々な神様が祀られたお塚・神祠があり、これらを周ることを、お山めぐり、お山をするとも言います。お山めぐりは、一周約4kmで、所用約2時間です。お山めぐりの起点となる四ツ辻からは、京都市内の絶景も俯瞰できます。お山の参道に延々と朱色の鳥居のトンネルが続いています。鳥居のトンネル道は、神様の世界に続いており、鳥居は、お山に神様が居続けていただくための結界にもなっているとも言われ、元来、稲荷山自体が信仰の対象で、神が宿る神奈備山です。近年は、伏見稲荷大社のお山が京の都でも屈指の霊性の高いエリア、パワースポットとして老若男女、外国人にも人気が高い山です。 |
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桂川に架かる久我橋 | 桂川 | サイクリングロードと鴨川 |
草津湊(桂川・鴨川合流地辺り) | 淀、男山、天王山方面 | 下鳥羽にある善照山と号する浄土宗・恵光院 |
酒蔵 | 風呂屋はないけど・・風呂屋町(^▽^;) | 大手筋商店街 |
大光寺 | ||
元、青山伯耆(ほうき)守の屋敷があったので伯耆町という所にある藤澤山(ふじさわざん)と号する浄土宗黒谷派の中本山。文応元年(1260年)、法然上人より8世の寛海上人が、建立した浄土宗の寺で桃山町本多上野(旧堀内村江戸町)にあったのを寛政年中に現在の伯耆町に移したと伝える。境内の薬師堂は明治時代末期、華頂宮の旧御殿を下賜されたと伝える桃山様式の建物で安置する薬師如来は、元、奈良三笠山の薬師寺より移した「手接の薬師」という尊像で耳の病気や安産祈願の信仰がある。日限地蔵や庚申堂、四面石仏(室町期)を有します。 |
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本尊・阿弥陀如来を安置する大光寺の本堂 |
町内の地蔵盆の設営@華頂宮の旧御殿を下賜されたと伝える桃山様式の大光寺薬師堂 |
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地蔵盆 | ||
京都では、8月23・24日が地蔵盆の縁日です。地蔵尊前に飾り台を設け花や餅などの供物をそなえ、数珠まわしなどを行う。地蔵菩薩は子供の守り神として信仰される子供のまつりで、お菓子を食べながらゲームなど遊びに興じ、福引きなどが行われる。近年、地蔵盆は子供の減少によって盛り上がりを欠き、地蔵盆も大人たちの参加できるような親睦会に様変わりしてきました。 |
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日限地蔵尊は「日を限って祈願すると願いが叶えられる」というありがたい地蔵菩薩です。 |
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大手筋商店街 | 伏見の錦市場と称された納屋町商店街 | |
竜馬通り商店街 | 見たまま・・・喫茶店(^▽^;) | 見たまま・・竜馬館(^▽^;) |
坂本龍馬と寺田屋 ☆地図 | ||
伏見の船宿・寺田屋は薩摩藩の定宿でした。文久2年(1862年)討幕急進派が寺田屋に集まって、決起を企てた「寺田屋騒動」は有名です。又、坂本龍馬の定宿で、お龍さんとの恋宿としても知られています。慶応2年(1866年)1月21日、龍馬の仲立ちで薩摩藩・西郷隆盛と長州藩・桂小五郎との会談が実現し薩長同盟が締結された。1月24日、坂本龍馬は寺田屋において伏見奉行所の捕吏に襲撃されますが、たまたま入浴中のお龍が気づき裸同然の姿で二階へ急を知らせ、龍馬は短銃を発射してかろうじて逃走しました。お龍は、急ぎ帯刀町(納屋町)〜風呂屋町〜御駕町を走り抜け下板橋を渡り伏見薩摩藩邸へ龍馬の危機を知らせた。その後、濠川沿いの材木小屋に逃げ隠れていた龍馬を下板橋の薩摩藩邸留守居役・大山彦八の差し向けた藩舟に救助された。龍馬の傷は静脈まで傷つく深手で翌日まで出血が止まらなかったと龍馬の手紙にも記されています。龍馬とお龍は1月29日まで伏見薩摩藩邸に滞在し、約1ヶ月後に西郷隆盛らと共に薩摩藩の蒸気船・三邦丸で鹿児島へ向かい、傷の治療を兼ねて霧島温泉に向かった。これが、後に日本で最初の新婚旅行だと言われます。 |
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坂本龍馬、お龍ゆかりの幕末維新のステージ・・・旅籠・寺田屋 | ||
明治天皇皇后恩賜記念之碑 | 坂本龍馬の碑 | 坂本龍馬と薩摩九烈士碑 |
繁殖した水草、藻など川底を洗っています。 | 伏見と言えば・・・酒蔵と柳、そして青空が似合う!\(●⌒∇⌒●)/ | |
長建寺 ☆地図 | ||
真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年(1698年)、時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊弁才天は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は、"伏見の弁天祭"と言われています。境内には伏見七名水の閼伽(あか)水が湧き出ています。 |
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水枯れしている宇治派流ヽ( ̄ー ̄*)ノ | 島の弁天さんと親しまれる長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神) | |
かつて三十石船に時を告げた梵鐘 | 境内 | 伏見名水の一・閼伽水 |
建部政宇奉納した弁天型灯籠 | 高浜虚子の中書島歌碑 | 中書島駅前通り |
レトロだろっ?銭湯たぜっ!(*゜▽゜)/ | 京阪・中書島駅 | 伏見は幕末と名酒のまち・・名水もねっ!(^_-) |
京阪3000系特急『コンフォート サルーン』 | 中之島行き1500系準急 | 出町柳行き2200系普通車 |
お稲荷さんの社殿のようなデザインの伏見稲荷駅 | 京都一周トレイル・東山1番の表示板 | |
一編成だけ運行している旧3000系特急は現8000系(8030番台)特急ですが来年、引退だとか・・ | 伏見稲荷大社付近名所案内図 | |
かつて市電・稲荷線の稲荷駅(琵琶湖疎水に架かる橋駅)があった所と線路跡 | 市電の軌道に使われていた敷石の石畳 | |
京都一周トレイル案内図 | 稲荷山付近図 | JR奈良線・221系みやこ路快速 |
伏見稲荷大社へ・・・ | 店の建築意匠が・・えぇ感じや〜(*^-^*) | ワオッ!スズメではなくウズラなりよ!(@_@;) |
伏見稲荷大社神幸道(裏参道) | 伏見街道 | 稲荷大社に一番近い駅のJR奈良線・稲荷駅 |
伏見稲荷大社 ☆地図 | ||
京都市における最古社の一で伝承によると、和銅4年(711年)2月の創建と伝えます。「山城風土記」の逸文によれば、秦の中家(なかつけ:本家)の遠祖・秦伊侶具(はたのいろぐ)は奢福のあまり、餅を的に矢を討った時、餅は一羽の白鳥と化して山の頂に飛び去った。その白鳥が留まった所に稲がなったのでイナリという名になりました。これ以来、秦氏の家運が傾くに至り、子孫は、この事を懺悔し社の木を家に植えて祀ったところ再び冨栄えるに至ったと伝えます。稲荷大社背後に聳える稲荷山は、東山三十六峰の最南端に位置し、神奈備型と言われる円錐形の優美な霊峰として親しまれています。海抜:232mで山頂に一ノ峰(上之社)、二ノ峰(中之社)、三ノ峰(下之社)の三つの峠(峰)からなり神の降臨地として崇められています。古代人は神は白鳥と化して人間に飛び来り、人間は、これを祀る事によって幸福を得ると信じました。これを神話化したのが先記した伝承話ですが、稲荷社を創祀した古代豪族の秦氏との関係を説いたものてす。稲荷は伊奈利とも記し、イナリとは、イネナリ(稲生、稲成、飯成)の約言で祭神が農耕神である事を端的に表しています。神像が稲を荷っているところから稲荷という字が用いられたが、一にミケツノ神、ウガノミタマノ神とも言われるのは、時代の推移によって神の観念の変化を表したもので正しくは、稲荷神です。一説にイナリのイは、イカシ、イカヅチなどのイカの意をもつ接頭語で、ナリは雷の鳴りと読む事で、むしろイナリ神は雷神であるとも言われます。古代人にとって雷神は稲作にあたって水を給与する神として最も崇敬したので稲荷社は当地にあった先住民が雷神を祀って農耕神とし奉斎したのが起こりとされ、後に秦氏の来住によって氏神と崇められるに至ったと伝えます。平安遷都以来、当社は稲荷神の中央的神格になり真言宗と結びつき農民の咒術(じゅじゅつ)宗教的要請と相俟って信仰を広めました。延喜の制には、名神大社に列し四度の官幣並びに祈雨祭の幣に与かり二十二社に班せられ、神階は正一位の極位を賜るなど上下貴賤の信仰を集めました。特に他の多くの神社が一部の特権階級と結びついて勢力を振るい、それと栄枯盛衰を共にしたのに比して今なお、昔と変わりなく多くの人々から信仰を得ているのは、単に商売繁盛、招福除災の神としてのみならず、まったく庶民の神社として広く親しまれてきたからです。 |
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伏見稲荷大社表参道 | 一の鳥居 | 稲束を咥える眷属のおきつねさん |
神権の交代を物語る龍頭太伝説(『稲荷大明神縁起』) | ||
伏見は渡来系の秦氏によって開拓された地域で、稲を中核にすえた農耕にとって水利は欠かせない条件でした。稲荷山から流れ出た水が大きな川に注ぐこの地域は、確かに稲作に適している。また東山三十六峰南端の稲荷山の峰々は神が宿る神奈備山に相応しい姿形をしています。昔の人は稲荷山を神格化し、神霊が宿る山と信仰して不思議はない。稲荷山の神は水を支配する神でその姿は大蛇(龍神)であったと思われるが、それを立証できる確かな伝承は残っていない。しかし、遥か後世の『稲荷大明神縁起』の類に語られている「荷田龍頭太」の伝説が残っている。荷田龍頭太という者が稲荷山の麓に長年にわたり住んでいて、昼は田を耕し、夜は山に入って薪を求める仕事をしていた。その顔は龍のごとくで頭の上に光放つものがあり夜でも昼のように明るかった。この龍頭太が稲荷神で、その子孫が秦氏と並ぶ有力な神職家の荷田氏であると伝える。ここに描かれている稲荷山の神は龍の頭をした翁の姿をしており、その姿には稲荷の古層に農耕、林業双方に関わる龍神信仰があったことが刻まれている。夜でも昼のように照らす「光」とは仏の眉間にあって光輝く白毫(びゃくごう)であったかもしれない。この話に続いて伝説は、さらに示唆に富んだ話を語る。弘法大師が稲荷山で修行していた時に、山の神と名乗る翁(龍頭太)が現れ、この山を大師に譲り、自分はその鎮守になろう・・と言ったので大師は翁の面を作って神社の竈殿(かまどでん)に安置したと伝える。古来、稲荷神が仏教に従属していく様が描かれている。・・残念ながら、竈殿(かまどでん)に祀りこめられた翁の面はいつの頃からか失われたと伝える。 『京都魔界案内』より |
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いつもは、子供に早く大きくなれと言っているのに・・面白いものです、この街に来ると、いやゆっくり大きくなればいいんだ!と思い始めている。親子で旅する京都はまた格別です! | ||
楼門(重要文化財:桃山期) | ||
天正17年(1589年)、豊臣秀吉の造営とされています。秀吉の母・大政所の病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加すると記した「大病平癒の願文」が伝来し神社の楼門規模としては最も大きいものに属します。昭和49年(1974年)12月14日に解体修理されました。 |
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秀吉が造営した楼門(重文:桃山期) | おきつねさんは稲荷神の神使い(神の眷族:けんぞく) | |
お稲荷さんと言えば・・・お稲荷さんにお狐さんは不可欠 | ||
多くの人は、お稲荷さんと言えばお狐さんを思い浮かべませんか?周知の如く伏見稲荷大社にはたくさんの狐像があります。しかし、狐はあくまで稲荷神の「神使い」、「眷属:けんぞく」に過ぎません。稲荷大社は狐の霊を祀っている神社だと思っている人は、案外と多いのです。実際、誤解の末に狐の霊を祀り上げたという伝承をもつ稲荷社もたくさん存在しています。稲荷神と狐の関係がいつから始まったかは、定かではありませんがおそらく、中世(平安時代)頃ではないでしょうか?その頃から稲荷神社に参篭すれば夢に狐が現れて託宣を授けてくれたという類の伝承が多々と語られるようになりました。ただ注意しておきたいのは、稲荷信仰に結び付けられる以前から、狐は神秘的な能力を持った特別な動物とみなす信仰があり、人に化けたり人に乗り移ったりすると考えられていた事である。その段階で稲と狐の特別な関係があったのではないかと推測する研究者も多々といます。そんな関係を物語る伝承の一つが、昔、一匹の狐が中国から稲穂を一本盗んで日本にもたらしたと言う「狐の稲盗み」の昔話である。この昔話の狐は、日本に稲を伝えたという点では好ましい狐である。ギリシャ神話の天界から火を盗み出して人間界に伝えたプロメテウスに匹敵します。だが、稲を盗み出したという点に着目すれば泥棒狐という事になり、古来、狐にはそうした二重性が絶えず付きまとってきた。近代になって関東、中部、山陰地方などに顕著にみられた「狐持」の家筋に関する伝承などは、その典型的な例である。その種の家が金持ちなのは狐を用いて他家から富を盗み取ったからだと考えられていた。稲荷信仰はこうした狐信仰を取り組む事によって飛躍的に発展するが同時にその暗い面も抱え込む事になった。 『京都魔界案内』より |
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狛犬でなく巻物(稲倉の鍵)や宝玉を咥えた一対のキツネの宝玉は、五穀豊穣、商売繁盛の宝物、巻物は、願主の名を神に届けるためという・・ | ||
伏見稲荷大社表参道 | 荷田春満(かだのあずままろ)旧宅 | 東丸神社 |
本殿(重要文化財:室町期) | ||
応仁2年(1468年)、応仁の乱により、境内の殿舎堂塔の全てが焼亡し、やがて仮殿の復興があったようですが、その後諸国へ勧進が行われ明応8年(1499年)に再建されました。社殿建築としては大型に属し、装飾、特に「懸魚」の金覆輪や「垂木鼻」の飾金具、前拝に付けられた「蟇股:かえるまた」等の意匠に安土桃山時代の気風、豪放にして優華な趣があります。 |
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本殿 | 稲荷と言えば・・朱の鳥居!(^-^)v | 命婦社(みょうぶしゃ:白狐社) |
唯一、白狐を祀っている命婦社(白狐社) | ・・・ | 「義経千本桜」の舞台・千本鳥居 |
稲荷信仰と千本鳥居(奉納鳥居) |
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秦氏の先祖が稲や粟を栽培しあまりに富み栄えた奢福のあまり、餅を的に矢を討った時、餅は一羽の白鳥と化して山の頂に飛び去り、とある峰に舞い降りた所に稲が生えた。そこに社を建て、餅を的に弓矢で射った事を反省し、社の木を自宅に持ち帰り庭に植えた。この木が生きているうちは繁栄するが、枯れると家が傾くという。(「山城国風土記逸文」に見える伝説) 白鳥が舞い降りて稲が生えた所(稲荷山)に社が建てられ発展したのが現在の伏見稲荷大社であると伝える。稲荷大社は商売繁盛の神として知られるが、この伝承が物語るように元々は農耕の神、とりわけ「稲」を祀る神社でした。おそらく秦氏が稲を早い時期から栽培していたので稲荷大社を名乗ったと思われている。伝承の意味深いところは稲の霊をしっかり祀れば長者になれるが、疎かにすれば没落するという点にある。家の盛哀は稲霊の祭祀の善し悪しによることになる。ならば一生懸命で「稲の神」を祭祀しようとする。実際、そうして「いなり」信仰が盛んになっていった。やがて、密教などの影響を受けて農業神の枠を超えて、人々は一時であれ権力や財産を手に入れて栄華を極めたいという願いも叶えてくれる霊験をも求め、稲荷神信仰の内容も過激になっていった。限られた富を奪い合う競争社会において、最も頼りにされたのが稲荷信仰と言われ近世の商人たちに絶大な支持を得たのもこの点にあると思われ、本殿背後から延々と続く参道の千本鳥居を始め稲荷山中の鳥居もそんな人々が祈りを込めて奉納したと思われる・・・。 『京都魔界案内』より |
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稲荷山は朱の迷宮?!マイナスイオンいっぱいのグリーンシャワーだけでなく・・オレンジシャワーもいっぱいのパワースポット!☆⌒(*^∇゜)v | ||
奥社奉拝所(命婦社) | ||
本殿の東方、千本鳥居を抜けたお山への上り口、通称「命婦谷」にあり一に「奥の院」の名で知られます。奥の院奉拝所は、お山を遥拝する所で稲荷山三ケ峰は、この社殿の背後に位置します。参道は左右二本あって、両側に鳥居が林立し、あたかもトンネルの有様で「千本鳥居」と称され稲荷大社の名勝となっています。 |
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奥社奉拝所(命婦社) | 稲荷大神(御神石) | 後醍醐天皇「ぬば玉の歌碑」 |
おもかる石、奇妙大明神とも言われる膝松さん(根上りの松) | ||
おもかる石・・・灯篭の前で願い事の成就可否を念じて石灯篭の空輪(頭)を持ち上げ、その時に感じる重さが、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い、重ければ叶い難しとする一種の神占石です。膝松さん(根上りの松)・・・枯れた松の根で左右二股になっていて、この木股をくぐると神経痛、腰痛、肩コリなどが治ると言われ奇妙大明神とも言います。 |
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神占石「おもかる石」 | 石の大きさがわかるでしょ・・軽くはない?!(..;) | 稲荷山案内図 |
オレンジシャワー(*゜▽゜)/ | 膝松さん(根上りの松) | 参道から外れて竹の下道へ |
伏見神宝神社 | ||
神社の由緒によれば、稲荷神社が山上に創祀された頃よりの奉拝所であったと云う。 天正17年(1589年)に里宮が造営されるとともに寂れたようであり、昭和の中期に再建された。天照大御神を主祭として稲荷大神を配祠、神宝神社と称されるのは十種の神宝を奉安しているからと伝え、創祀 は平安期にさかのぼり、かつては稲荷山上に祀られていた。仁和年間(885〜89)宇多天皇は、大神宝使を発遣するなど、皇室の信仰も篤かったが、政変などにより中世以降は廃れていった。1957年(昭和32)に再建される。社名の「神宝」は奉安の十種の神宝(興津鏡、辺津鏡 、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼)をいい、物部氏の祖神、饒速日尊が天上よりもたらしたとされる。 |
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・・・ | 神寶神社 | |
狛犬ならぬ巳を表すという地龍と天龍像(右) | かぐや姫、帝(みかど)の愛染碑 | |
かぐや姫に求婚する五人の貴公子の一人?大伴家持卿碑 | ここにも神占石「おもかる石」 | 占い方の説明書き |
お願い事を記して奉納した叶え雛!(^-^)v | 竹の下道 | 命婦社(奥の院奉拝所) |
参道に戻りました・・・ | 再び、参道から外れます・・・(^^ゞ | お塚(神蹟) |
参道を外れるとあまり知られていない社や神蹟があります。・・・おかげ塚は、三々九度の手拍子で拝します。 | ||
グリーンシャワーがいっぱいや〜o(*^▽^*)o | 参道を外れても鳥居やお塚に遭遇する。 | 参道の鳥居 |
参道に戻り鳥居のトンネルを歩きます。・・・幻想的な雰囲気や〜 | 間もなく熊鷹社です。 | |
熊鷹社のお塚(神蹟) | 手水 ※飲用不可 | 熊鷹社 |
幻想的な世界を醸し出す妖幻な蝋燭炎@熊鷹社 | 新池(谺ケ池:こだまがいけ) | 鳥居のトンネル |
三つ辻(三叉路) | 参道沿いにあるおやすみ処(茶店) | |
オレンジシャワーを浴びながらテクテク・・ | おやすみ処(茶店) | 瓢箪のお塚(大松社) |
・・・ | 三つ願い事が叶うという三徳社 | 市内の絶景が垣間見える・・ |
・・・ | よければご参考までに?!(@_@;) | 市内の絶景が垣間見える・・ |
四つ辻の大きな露岩は超パワーストーン?! | 市内の絶景(四つ辻:四叉路) | 俳優・N.Kさんの実家、にしむら亭 |
グリーンシャワーが爽やかで涼しくて・・・とっても気持ちいい〜(*^-^*) | 荒神峰(田中社神蹟) | |
荒神峰は稲荷山十二境図詩に、「孤巒返景色」と表され四辻で見えなかった大阪〜京都市内〜市内以北の絶景まで俯瞰できます!(^-^)v | ||
大阪のピル群、伊丹を離発着するジェットも見える! | 絶景を拝しながら、いただきマンモス?!(^^♪ | これは、オヤツに入りません?!(^^ゞ爆 |
神が宿る神奈備山・稲荷山 ☆地図 | ||
東山三十六峰の最南端に位置する霊峰(海抜233m)で、古くから三ケ峰と呼ばれてきたように三つの峰が西から東へと段々に高く連なり、これを山麓から仰ぐと、まさしく降臨の地にふさわしい山容をそなえている。今日の全国にあまねく稲荷信仰は、実はこの神体山信仰に始まっています。 |
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権太夫大神と崇められる荒神峰(田中社神蹟) | 四つ辻 | お山するの始まり始まり〜o(*^▽^*)o |
お塚(神蹟) | ||
平安時代の人々は、2月初午の日に稲荷山へお詣りすれば福がいただけると毎年足を運びました。中世になると稲荷山の峰々が下ノ塚・中ノ塚・上ノ塚などと呼ばれ、明治になると七神蹟地が確定され、その親塚が建立されました。これを契機にその周辺に個々人の信仰によって表わされた神名を刻んだ「お塚」が奉納されるようになりました。これは、個々人が、ご神徳に因んだ神名やそれぞれの家で祀っている“何某稲荷大神”の神名を、石に刻んで、それを稲荷山で祀りたいとする信仰心(お塚信仰)の表れです。今日その数は数万をかぞえます。 |
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白菊大神を祀る三ノ峰(下之社神蹟) | 三ノ峰お塚(下之社神蹟) | |
伏見稲荷大社の祭神 | ||
稲荷大社の祭神は、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)、四之大神(しのおおかみ)の五柱神で、これらの神々を総称して稲荷大神(いなりのおおかみ)、正一位五社稲荷大明神とも呼びます。この稲荷大神の御分霊(わけみたま)=神霊(おみたま)を授かり、守護神として祀ることを稲荷勧請といいます。白菊大神を祀る三ノ峰(下之社神蹟)、青木大神を祀る二ノ峰(中之社神蹟)、末広大神を祀る一ノ峰(上之社神蹟)三社の祭神は、それぞれ上社:オオミヤノメ大神、中社:サタヒコ大神、下社:ウカノミタマ大神ですが、各社頭に掲げられている幟や礼拝所の幔幕には末広大神、青木大神、白菊大神と記されています。これらの大神の由縁および三社の祭神との関係は不明で、これらの神蹟お塚の周りには、○○大神と刻んだ小型のお塚が取りまき、朱色の小型鳥居とおきつねさんの置物が奉納されています。稲荷大社が直接かかわっているのは七神蹟(上・中・下の三社、田中社、荷田社、御剱社、御膳谷遙拝所)だけで、他は信者が私的に築いた講社で、その由来などもわかりません。 |
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今年の干支・龍の手水 | 猛暑日のお山めぐりで、少々お疲れのご様子( ´ー`)y-~~ | 鳥居パワーのオレンジシャワー |
可愛いおきつねの神使い(神の眷族) | 間ノ峰(荷田社神蹟) | 珍しい鳥居形態・奴祢鳥居(ぬねとりい) |
コケコッコ〜!一羽でもニワトリさん?!(≧▽≦)ぷっ | 間ノ峰お塚(荷田社神蹟) | ・・・ |
青木大神を祀る二ノ峰(中之社神蹟) | お塚(中之社神蹟) | |
宝玉を咥えるおきつねさん | 鳥居のトンネルはオレンジシャワー | お山の鳥居総額の計算しました?!(^^ゞ |
稲荷山案内地図 | 解説 | 稲荷山山頂に鎮座している一ノ峰(上之社神蹟) |
末広大神を祀る一ノ峰(上之社神蹟) | 一ノ峰お塚(上之社神蹟) | ここからは下り坂!(*´ο`*)=3ホッ |
清少納言が「枕草子」に大変に苦しい思いをしたと記した200段の石段 ( ̄▽ ̄;)!! | 春繁社 | |
御釼社(長者社)へ | 雲の上に乗った?刀の手水 | 御釼社(長者社) |
謡曲「小鍛治」の舞台とされる御釼社(長者社)と社殿の裏上に鎮座する大きな釼石(長者社神蹟) | ||
おせき社、薬力社(薬力の滝) | ||
おせき社・・・風邪、咳にご利益があると言われ葉書にしたためた祈願文が山積みになっています。セキは関所を意味し山頂の一の峰と山科に通じる山道の分岐点にある所から「お関稲荷」と言われたのが関を風邪、咳に附会した信仰になりました。薬力社(薬力の滝)・・・薬の世話にならずに健康に生活をできる事(無病息災)を祈願する社で薬力の滝は稲荷山で一番奥の行場でここからの流は、清明滝の下流で御膳谷からの流と合流し清滝となり、白滝からの流を合流し御壺滝、五社滝となり最後に東福寺通天橋の下を流れる三の橋川となります。 |
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・・・ | おせき社 | |
今も生き続ける狐使い | ||
各地で民族調査をしていると狐使いとか稲荷行者などの言葉を耳にする。狐の霊を操って占いをしたり病人、悪霊祈祷などをする祈祷師の事で立身栄達、商売繁盛に霊験あらたかと言われていた。そうした宗教者たちが修行を積んだり、使役する狐の霊を授かる聖地が伏見稲荷でした。高知県の山奥で占い上手で評判の祈祷師に出会った。いわゆる狐使いで彼の説明によると、その狐は隣村の祈祷師が所持していたものを譲り受けたという。狐の由来として、その祈祷師が伏見稲荷の奥で修行を積み、十二匹の子狐を入手して戻った。そして、水を張った桶の中に閉じ込め最後まで生き残った狐の霊を祀ったところ霊が色々な事を教えてくれるようになったという。また、愛知県一宮市某所にクダ狐を操る占い師がいた。そのクダは伏見から受け取ってきたものであった。御神体と称して所持していたものは、奉書でくるんだ指の大きさくらいの竹管で中央が仕切られて、それぞれに雄と雌の狐が飼われていた。・・このような奇怪な伝承が伝わっているのには、神仏分離によって仏教色が一掃されたがそれ以前の神仏習合時代に稲荷山には真言宗=東寺系の愛染寺という寺があり、この寺を拠点に行者たちが山内の行場で修行を積み、稲荷神から眷属(けんぞく)の狐を操る霊力を授かろうとした。そんな行者たちが崇拝したのが荼吉尼天(ダキニ天)という密教の神で神像は狐の背に乗った姿で描かれていた。今でも稲荷山の麓や山中を巡り歩くとそうした神仏習合時代の名残を留める新旧様々な宗教団体の聖地、修行場、すなわち、お塚やお滝場に出会うのです。 By『京都魔界案内』より |
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薬力の滝社(お滝行場) | 結構な水量が落ちてきます・・・この流れが東福寺通天橋の下を流れる三の橋川の源流 | |
汗をぬぐいます・・(*´ο`*)=3ホッ | ゲロゲ〜ロ?!(@_@;) | 薬力社 |
稲荷山経塚 | ||
明治44年(1911年)、7月に春日峠で発見された経塚。土砂採掘中に発見され、礫(れき)で覆った扁平(へんぺい)石使用の小石室状遺構中に東西に並列して2個の陶製外筒がみいだされた。外筒の一つには、経軸、鍍金銀(ときんぎん)製平形合子(ごうす、砂金入り)、銀塊、延金(のべかね)、玉類、古銭などが収められた銀製経筒が入っていた。その周囲からは簪(かんざし)、提子(ひさげ)、和鏡、湖州(こしゅう)鏡、白磁平形合子などが検出された。経塚は、仏教経典や宋経を経筒に収め埋納する一種のタイムカプセル。後に供養、来世利益を目的とするようになった。稲荷山経塚は法華八巻、その他100点にも及ぶ貴重な埋蔵で学会を賑わせた。養和2年(1182年)、後法性寺殿と呼ばれた九条兼実が姉の皇嘉門院聖子の菩提を弔う為と考えられている。(稲荷山経塚 朱十号:稲荷大社編 稲荷経塚) |
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おやすみ処(茶店) | 美味しそう・・(^^♪ | 稲荷山経塚発掘址碑 |
可愛い稲荷神の眷族のきつねさん | 稲荷山経塚が発掘された春日峠、京都市内がちょっぴり見えたかな・・・ | |
御膳谷奉拝所 | ||
御前谷とも記され、稲荷山三ヶ峰の北背後にあたり、往古はここに神饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があって三ヶ峰に、神供をした所と伝えられています。 |
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御膳谷奉拝所 | こま札 | |
神石 | 御膳谷のお塚(神蹟) | 石だけでなく木にもパワーを感じる?!o(*^▽^*)o |
おキツネさんに限らず・・な、な、なんとお馬さんもあります(@_@;)・・かつての奉拝所だったという奥村大神 | ||
お塚(神蹟) | おやすみ処(茶店) | お山詣で人気のある狐の手水(眼力社) |
眼病快癒や目先が利くことに霊験がある眼力社 | 大杉社 | |
お山を終えて、四つ辻に戻ってきました・・・ | ・・・ | ・・・ |
おやすみ処(茶店) | 雷が鳴ってきた〜ヾ(≧▽≦)ノ | 竹の鳥居 |
福かえる・・・かわいい狛カエルさんでしょ!(*^-^*) | なんとなく・・中国風でしょ(^▽^;) | |
雷鳴と稲光で観音様が光ました!(@_@;) | 珍しい天が開いた開運鳥居 | |
ドラゴンボール?心霊写真かっ??(^^ゞ爆 | 安産を祈願するお産場稲荷 | 燃え残った短いロウソクを持ち帰るとお産が楽だとか |
社殿のない大八嶋社 | ||
元々、山上の田中社神蹟(荒神峰)にあったものを、中世にここへ移したと伝えます。社殿が無く大八嶋大神石碑があるだけです。 | ||
灌漑池だった八嶋池、対岸にお田植えの神田 | 社殿がない大八嶋社 | 境内 |
神官専用の神事用手水井 | ご存知でした?拝殿の吊灯篭に星座・かに座 | しし座 |
いて座 | おうし座 | ふたご座 |
うお座・・拝殿の周りには全ての星座がある。 | 本殿 | あおによしじゃないけど・・ええ感じや〜(*^-^*) |
参道に架かる祓川橋 | 雷鳴と共に雨が降ってきた〜ヾ(≧▽≦)ノ | 伏見稲荷大社神幸道(裏参道) |
伏見稲荷大社神幸道(裏参道) | おみくじ、キツネ煎餅ゲット!o(*^▽^*)o | |
京阪・伏見稲荷駅 | 京阪3000系特急『コンフォート サルーン』 | 京阪8000系特急『エレガン都 エクスプレス』 |
淀屋橋行き2200系普通車に乗車・・・涼しくて快適や〜(*´ο`*)=3ホッ(*´ο`*)=3ホッ | 中書島駅下車 | |
中書島駅前通り |
【ゆ】の暖簾がええ感じや〜(*^-^*) |
宇治川派流 |
Tourist
2012.0 |
伏見稲荷大社のTVCM【そうだ 京都行こう。】・・・えぇ感じや〜ヾ(≧▽≦)ノ |
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【そうだ 京都行こう。 2012年・夏 伏見稲荷大社】 |
【そうだ 京都行こう。1994年・伏見稲荷大社、天龍寺】 |