新春恒例!伏見五福めぐり(2013年:巳年)

 

新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)  (万葉集)大伴家持

 

長建寺(商売繁盛)大黒寺(出世・開運)藤森神社(勝運・学問)御香宮神社(開運・厄除)乃木神社(学門・勝運)

大開運!!!伏見五福(五利益)めぐり

伏見には古来、庶民に深く信仰されている神社が散在しています。元旦〜15日まで、その代表的な五社寺の初詣を兼ねて参拝する『伏見五福めぐり』が行われます。※満願にすると先着2,000名に可愛い干支の土鈴(どれい)が頂けます! ☆⌒(*^∇゜)v 長建寺(商売繁盛) 藤森神社(勝運・学問) 大黒寺(出世・開運) 乃木神社(学門・勝運) 御香宮神社(開運・厄除)の五社寺で各朱印料300円(色紙授与の場合は1,000円) めぐる順番は自由で歩くと2〜3時間で周れると思います。ちなみに、伏見七福神めぐりは別名を『洛南七福神めぐり』とも称され、大正時代には隆盛を極めましたが、残念ながら昭和32年(1957年)頃に廃絶し、法性寺(毘沙門天)も廃寺となったと伝えます

クリスマスイヴの伏見百景・酒蔵と高瀬川 黄檗新生市場
市場内にある洋菓子店のシュークリームやケーキは美味ですよ〜!\(●⌒∇⌒●)/ 桂川右岸堤防
・・・ ・・・ 羽束師橋
桂川右岸堤防から眺める西山の夕暮れ
日暮れの嵐山サイクリングロードは寒風強し! とある家庭のX'masイルミ 風呂屋町商店街
西岸寺(油懸地蔵尊) ☆地図

昔、大山崎から一人の油商人が油桶をになって西岸寺の門前にさしかかった時に転んでしまい、油桶がひっくりかえり、油はほとんど流れ出てしまいました。大切な油を失った商人が、これも災難とあきらめ、気をとりなおして、桶の底にわずかに残っていた油を地蔵尊にかけて帰りました。その後、商人の商売が繁盛し大金持ちになったという事です。地蔵尊は「油懸地蔵尊」と呼ばれ、この辺りの地名の由来になっています。この地蔵尊は、この鎌倉期に作られたものです。

2013年巳年が明けました!(*^-^*) 伏見五福めぐりへ・・油掛地蔵尊(西岸寺) こま札
松尾芭蕉の句碑 伏見五福めぐりとは無関係ですが・・・油掛地蔵尊(西岸寺)
本堂 酒蔵 坂本龍馬、お龍ゆかりの寺田屋
坂本龍馬、お龍愛の旅立ち像・・・日本の夜明けは近いぜよっ?!ワイルドだぜっ?!(≧▽≦)ぷっ 青空に映える酒蔵
伏見五福の一・長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神) ☆地図

真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年〔1698年〕時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊弁才天は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は「伏見の弁天祭」と言われます

えぇなぁ〜(*^-^*) 五福めぐりの一・島の弁天さんと親しまれる長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神)
伏見五福めぐりのポスター かつて三十石船に時を告げていた鐘楼 伏見名水・閼伽水(あかすい)
弁天型灯篭(伏見奉行・建部内匠頭奉納) 参拝しました!(#^.^#) 春まで十石舟の巡航はおやすみ
伏見らしい町並みの酒蔵を走り抜けていきます・・・
かって伏見七福神の一だった金札宮(恵比寿/商売繁盛の神) ☆地図

縁起には「伏見久米の里の白菊の翁という老人が、毎年秋になると白菊に水をやり育てていました。ある年、干ばつが続き稲が枯れかかった時、翁が白菊の露を注ぐと、そこから清水が湧き出た。」と伝えます。この翁が天太玉命(あめのふとだま:白菊明神)で天平勝宝2年〔750年〕に創立し清和天皇の御代、橘良基によって阿波国〔徳島県〕より勧請したと云われ社格は、旧村社で伏見における最古の神社の1つで祭神は、天太玉命です。清和天皇が、金札に白菊大明神と記し社内に奉納された事から金札宮と号するに至ったと伝えます

伏見総合庁舎 かつて存在した伏見七福神の一・金札宮(恵比寿/商売繁盛の神)
伏見区民の木にも指定されている天然記念物・クロガネモチ 新しくできたエビス像
こま札 参拝します・・(*^-^*) お神酒をかけつぎ三献?!(^^ゞ温まりますぅ〜
宝恵籠 本殿 大黒寺(大黒天/開運・出世の神)
伏見五福の一・大黒寺(大黒天/開運・出世の神) ☆地図

創建は不明ですが真如法親王の開基による名刹で当初は円通山長福寺と号しました。江戸時代の元和元年(1615年)、薩摩藩主・島津義弘が伏見奉行・山口駿河守に懇請し薩摩藩の祈祷所となりました。本尊は五穀豊穣の神で出世開運を授けると云われる大変にありがたい大黒天です。寺田屋事件の薩摩九烈士、家老・平田靭負(ゆきえ)の墓所があります。

こま札 本堂・・正月だけ秘仏・大黒天を御開帳
おさすり大黒天 伏見名水「金運清水 平田靱負(ゆきえ)顕彰碑と伏見義民遺髪塔
薩摩藩家老・平田靱負(ゆきえ)の墓(宝暦治水事件)

宝暦3年(1753年)、徳川幕府は琉球との貿易によって財力を得ていた薩摩藩を警戒して、毎年氾濫による被害が多発していた木曽三川の分流工事を薩摩藩に命じた。工事費用は薩摩藩が全額負担、大工などの専門職人を一切雇ってはならないとした露骨な弾圧政策に薩摩藩は幕府への反発を極め、このまま潰されるくらいなら一戦交えようという過激な意見まで噴出した。しかし、平田が「民に尽くすもまた武士の本分」と説破して工事を引き受けることとなり、平田は総奉行となる。40万両にも上る工事費用を捻出するため大坂の豪商から借金を重ね、幕府へも再三に専門職人の雇用許可を要請するも許可は下りず、工事のやり直しを命じられる事がしばしばあった。工事に派遣された薩摩藩士達の過労や伝染病などによる死亡が相次ぎ、また幕府に抗議して切腹する薩摩藩士も続出した(監視役の徳川家からも、薩摩藩に同情して抗議の切腹を行う武士が二名いたほど)。この件に関して、平田は幕府との摩擦を回避するため、切腹した藩士たちを事故死として処理している。薩摩藩は最終的に病死33名、自殺者52名という多大な殉職者を出している。分流工事は着工より1年3ヶ月ほどでようやく完成したが、平田は藩への多大な負担の責任を取り自害、享年50才。遺体は山城国伏見の大黒寺に葬られ、遺髪は鹿児島城下の妙国寺に埋葬された。

朱印くださいな〜 (#^.^#)/ 薩摩藩家老・平田靱負(ゆきえ)の墓所 西郷隆盛筆の墓碑(右手前)と薩摩九烈士の墓
京阪・丹波橋駅 近鉄・丹波橋駅 大和街道(国道24号線)
伏見五福の一・藤森神社(勝運・学問の神) ☆地図

神社の創建は平安遷都以前に遡り、神功皇后が三韓征伐より凱旋後、この地に纛旗(とうき)と兵器を埋納した事が起こりと伝わります。早良(さわら)親王は天応元年(781年)、蒙古追討にあたり当社に詣で戦勝祈願されたと伝わり、係る伝承などから祭神は神功皇后を初め、武内宿禰(すくね)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、別雷(わけいかづち)神、日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇、仁徳天皇、天武天皇、舎人親王、井上内親王、早良(さわら)親王、伊予親王と12柱に及ぶ神々を奉祀しています。祭神の中には怨霊と恐れられた井上内親王、早良親王、伊予親王などの名もあり駈馬、相撲、騎射、猿楽などは御霊会において怨霊を鎮める行事だと伝わります。藤森神社としての社名は室町時代以後で、「真幡寸神社」、「藤尾社」、「塚本社」など諸社を合祀して藤森神社とされました

伏見街道 五福めぐりの一・藤森神社(勝運の神)
伏見義民・焼塩屋権兵衛碑 初詣の人出が凄い!(@_@。 力石とも呼ばれるかへし石
こま札 本殿 藤森七福神
伏見名水・不二水 朱印くださいな〜 (#^.^#) 大和街道(国道24号線)南下中・・・
JR奈良線を走る古参・103系普通車と競争?!!(^^)! あっさり敗北や〜(≧▽≦)ぷっ 御香宮(開運、安産、厄除けの神)へ
伏見五福の一・御香宮(開運・安産・厄除けの神) ☆地図

縁起には諸説があり社伝によれば貞観4年(862年)9月9日、境内に清泉が湧き出し水が芳しく四方に香り病者がこの水を服用すれば病気がたちどころに癒ゆるといわれ、これに因んで御香宮と称し地名も石井郡(紀伊郡)と称したと伝えています。又、御香宮は、旧伏見町の産土神(うぶずながみ)として古来から最も信仰されている洛南屈指の大社です。筑前国糟屋郡(福岡市香椎(かしい)町)にある香椎宮(祭神・神功皇后・仲哀天皇)を勧進し御香椎の椎を略し御香宮となったという説が、あります。"延喜式に記す御諸(みもろ)神社"であると言う説もあります。御諸(みもろ)とは、森と同義で神の鎮座する森をいい神の降臨する山や森を神格化したものを御諸(みもろ)神社と言います。豊臣秀吉は、征韓の役に際し肥前長光(重要文化財)の名刀を戦勝祈願時に奉納し今も社宝とされています。伏見城築城に際し深草大亀谷に移され城惶神(伏見城の鬼門除けの守護神)とし社領300石を寄進されました。その後、慶長10年(1605年)に徳川家康によって現在地に移され、徳川御三家(尾張・紀伊・水戸藩)藩祖と2代将軍・秀忠の娘(千姫)らが伏見で誕生し、御香宮を産土神(うぶずながみ)として社領も豊臣秀吉同様の深草地方など300石が、与えられました。豊臣秀吉、徳川家康を始めとし特に徳川御三家藩祖らが特別の崇敬を払った洛南最大社です。

五福めぐりの一・御香宮(開運、安産、厄除けの神) 初詣の参拝者の列が凄い!(@_@。
伏見城の車寄せとも伝える拝殿 初詣で賑わう本殿
伏見区民の木に指定されている天然記念物・雌雄のソテツ 朱印くださいな〜 (#^.^#)
「名水百選」に選ばれた石井(いわい:御香水) 北野・八坂と京都三大絵馬堂の一とも言われる絵馬堂 金網に覆われた左甚五郎作と伝える社頭猿曳図
神鑒(かん)静井(石井)と御香水碑 伏見城石垣 金札宮創建伝承に出てくる白菊石
道導石と竹田街道にあった車石 解説 芭蕉、去来の歌碑
明治天皇桃山御陵(伏見城本丸跡)、昭憲皇太后桃山東陵(伏見城名護屋丸跡) ☆地図

桃山丘陵の頂に明治天皇陵、昭憲皇太后陵がある。伏見桃山陵は、明治天皇が生前からこの土地(指月丘陵)を大変に気に入られていたとの事で御陵地となりました。明治天皇陵は、伏見城本丸跡を陵墓としたとされ、少し離れて名護屋丸跡には昭憲皇太后御陵があります。明治天皇陵前(四の丸跡)には230段もある石段があり眺望絶景のポイントです。

桃山天満宮 JR奈良線(桃山駅) 桃山御陵参道
マイナスイオンシャワー\(●⌒∇⌒●)/ この辺りから出土した伏見城石垣
・・・ 明治天皇桃山御陵(伏見城本丸跡)
明治天皇桃山御陵(伏見城本丸跡) 230段の石段と御陵階段上(伏見城四の丸跡)からの眺め
天皇陛下・皇后様が年末に参拝されました!!(^^)! 正月に限り奥まで入れます!・・・この辺りは伏見城本丸跡
明治天皇桃山御陵・・・天皇陵の奥に伏見城天守閣があった。
えぇ感じや〜(*^-^*) 乃木神社へ・・・ ・・・
伏見五福の一・乃木神社(勝運・勉学の神) ☆地図

陸軍大将だった乃木希典(まれすけ)と妻・静子を祀る神社です。日清戦争では歩兵第一旅団長として参加。日露戦争では第3軍司令官として旅順攻撃をし多くの犠牲者を出し作戦に対する非難が生じたが明治天皇の信任厚く明治40年に学習院院長に任命され明治天皇の大喪には静子婦人とともに殉死。境内に、ロシアのステッセル将軍から贈られたという愛馬「璞号(あらたまごう)」と「寿号」の銅像があり、希典の生家や旅順の第3軍司令部舎も復原されています

・・・ 伏見五福めぐりの一・乃木神社(勝運、勉学の神)
朱印くださいな〜 (#^.^#)五福の朱印が満願になり巳さんの土鈴も頂きました〜!!!☆⌒(*^∇゜)v お神酒をかけつぎ三献!?(^^ゞどんだけ〜
乃木の名水・勝水 乃木神社(勝運、勉学の神)・・参拝しました!(^-^)v
公開されている神苑?をめぐります・・・ 可愛らしい和み地蔵さま 大黒さんとエビスさん!☆⌒(*^∇゜)v
山城えびす神社 こま札
幸せになりたいので触り鯛?!(≧▽≦)ぷっ 長府乃木旧邸・・・乃木希典が少年時代に住んでいた長州の家が移築されている。
解説 NHK・坂の上の雲でも登場した中国の柳樹房から移築された日露戦争の日本軍第三軍司令部
穏やかで健やかな年になりますように・・五福神を参拝したので帰還モード 夕陽が美しい!\(●⌒∇⌒●)/
間もなく221系に取って代わられて姿を消す?ウグイスこと古参・103系普通車@JR奈良線・桃山駅 御香宮通過・・・
おけいはん急行が通過・・・

大手筋

風呂屋はないけど風呂屋町?!(≧▽≦)ぷっ

Tourist 2013.01.01(M)

 

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