西山三山めぐり
知らざりき かしらの雪の それながら 此山里に 古り果てんと 後一条入道(実経)
長岡天満宮〜楊谷寺(ようこくじ:柳谷観音寺)〜長法寺七ツ塚〜粟生光明寺〜善峯寺〜杉谷(東海自然歩道)〜金蔵寺四等三角点
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杉谷、出灰(いずりは) ☆地図 |
杉谷・・・一に椙(すぎ)谷とも記し、金蔵寺から善峯寺に至る小塩山の山中に位置する小さな山村です。延暦11年(792年)、桓武天皇は遊猟に当地を訪ねた事があると伝えます。出灰(いずりは)・・・杉谷より更に山奥のポンポン山西北にあたる山間集落で丹波国(亀岡市樫田町)に接する京都市最西端の右京区大原野出灰町と言います。出灰は、一に譲羽(ゆずるは)とも記し、昔、当地において石灰を作って朝献しました。一休禅師は嘉吉2年(1442年)、当地に一宇の草庵を結んで尸陀(しだ)寺と号した事が「一休年譜」に見えます。寺跡は、谷川を見下ろす集落の台地上にあって自然石を刻んだ寺跡碑が建っています。 |
朝ドラ・カーネーションなど度々撮影のロケに使われる伏見百景・酒蔵 | 大手筋通りを西進 | |
桂川に架かる羽束師橋 | 桂川と西山の稜線 | 桂川・鴨川合流地と比叡山 |
・・・ | 名神高速と新幹線の立体交差@R171馬場 | 向日町操車場 |
223系新快速 | 681系特急・サンダーバード | 683系4000番台特急・しらさぎ |
引退した月光形電車(国鉄583系)急行きたぐに | 6代目新快速・225系 | 223系快速 |
225系新快速 | 貨物列車 | 長岡京市中心部を流れる小畑川 |
西国街道にある一里塚 | 長岡天神アゼリア通り | |
阪急京都線・長岡天神駅 |
長岡天神アゼリア通りを西進 |
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八条ケ池(長岡天満宮) ☆地図 | ||
寛永15年(1638年)、当時の領主・八条宮智仁親王(桂宮)が灌漑用の溜め池を改造成した大池で八条ヶ池を二分する中堤は参道になっています。中堤道両脇に推定樹齢百数十年の霧島ツツジ(市指定天然記念物)が群生し、八条ヶ池の中堤道の真中道に架かる石の太鼓橋は加賀藩・前田公の寄進と伝えます。 |
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友人Kくんの寿司店、帰りに寄る予定?!!(^-^)v |
八條ヶ池(長岡天満宮) |
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八条ヶ池と水上橋 | ||
えぇなぁ〜 (@^▽^@) | 中堤のキリシマツツジは養生中 | |
温故知新のモニュメント | 錦秋庭園 | ・・・ |
長岡天満宮 ☆地図 | ||
一に長岡天神ともいい、菅原道真を祭神とします。社伝によれぱ昌泰4年(901年)、道真が筑紫左遷時に随従の中小路祐房に与えた自画像を安置して祀った事が当社の縁起と伝えます。洛南、特に桂川流域には道真の遺蹟、伝説が多くいずれも道真の遺徳を追慕して後に作られたもので当社もその一つです。中世その沿革を明らかにしないが江戸時代に当地が八条宮(桂宮)智仁親王の領地であった関係から同宮の崇敬を受け延宝4年(1676年)、社殿を改築し霊元天皇の勅額を賜りました。現在の本殿は、昭和16年(1941年)、平安神宮の社殿を移築したものです。 |
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菅公歌碑 | 境内 | こま札 |
以前にめぐった京都十六社めぐり | 書道の上達を願う筆塚 | 本殿 |
梅園の梅の開花はまだまだ状態 | ・・・ | |
楊谷寺(ようこくじ:柳谷観音寺) ☆地図 | ||
立願山(一に柳岩山に作る)楊谷寺と号する西山浄土宗光明寺派の寺です。昔、山中から清泉が湧き出し眼病治癒に応験があり、井水の傍に観音像を祀ったのが当寺の起こりとされます。平安末期の承保年間(1064年〜76年)、水観(一に水願)上人の開創と伝えますが、寺伝によると京都東山清水寺開創の延鎮僧都によって、大同元年(806年)に開山され、僧都はある夜、夢の中に観音菩薩が現れ京都西山へ行けば生身の観音菩薩を仰ぐ事が出来るとのお告げを受けて西山に踏み入りました。柳の生い茂る渓谷の巌上に夢告の観音菩薩(十一面千手千眼観世音菩薩)を発見し僧都は、その場所に堂宇を建て日夜給仕しましたが、清水寺の本尊を刻む為に帰洛したとされます。後世、荒廃していたが、元禄年間に再興したとされ建物は新しいです。毎月の17日の縁日のみ阪急バスが運行され参拝者で賑わいます。庭園は京都府指定名勝、本堂、庫裡、書院、山門は京都府登録文化財に指定されています。 |
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楊谷寺(ようこくじ:柳谷観音寺)へ・・ | ・・・ | 楊谷寺(ようこくじ:柳谷観音寺) |
風神・雷神が奉られる山門(府登録文化財) | 楊谷寺参道 | 風神・雷神が奉られる山門(府登録文化財) |
雪がちらついてきた〜(*_*)寒うぅ〜 | 本堂(京都府登録文化財) | 独鈷水(おこうすい)場 |
弘法大師ゆかりの独鈷水(おこうすい) | ||
開山・延鎮僧都が清水寺に帰られた後、弘法大師が当寺に参詣した時、堂傍のたまり水でサルの親が子猿の目を一生懸命洗っていました。そして17日目に子猿の目がパッチリ開いたところを見て、弘法大師はその不思議な水を眼病に悩む人々の為に霊験あらたかな霊水にしようと、日夜加持祈祷を施し独鈷(古代インドの武器、現在は仏具)で掘り広げられました。そして大師の法力による霊験水「独鈷水(おこうすい)」が湧き出ています。 |
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昔、山中から清泉が湧き出し眼病治癒に応験があり、井水の傍に観音像を祀ったのが当寺の起こりとされます。 | ||
ペットボトルに頂戴しました。m(_ _)m | 弘法大師像、観音像 | ご朱印をいただきます!(^-^)v |
煩悩の数だけ・・(^^ゞ | 阿弥陀堂 | 境内 |
R79(高槻・柳谷線) | 長法寺七ツ塚 | |
粟生光明寺(あおうこうみょうじ) ☆地図 | ||
報国山と号する西山浄土宗の総本山で粟生光明寺と称され法然上人の廟所がある所として最も重んぜられています。法然上人の廟所は初め東山大谷にあったが安貞元年(1227年)、比叡山の僧徒にあばかれようとしたので遺弟らによって遺骸を太秦・来迎院に移し、次いで当地において荼毘に付し遺骨を納めて宗廊を築く時、法然上人の石棺から光明を放ち光明寺と名付けたと伝わります。当地は法然の徒弟・熊谷蓮生房(俗名・次郎直実)が建久年間(1190〜98年)、一宇の草庵をむすび、念仏三昧院と号し浄土往生を広めた所で、後に蓮生の徒弟・幸阿弥陀仏(こうあみだぶつ)に付与され、更に西山証空上人が入寺するに及んで西山派の根本道場となりました。当地は小塩山の支峰・鳥ヶ嶽麓に広大な地を占め、本堂以下多くの建物を有しますが、いずれも江戸時代以降の建造物です。 |
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長法寺七ツ塚解説パネル | ええ感じやな〜(*^-^*)/ | 光明寺 |
解説パネル | 西山案内図 | ・・・ |
高麗門 | 閻魔大王@閻魔堂 | ・・・ |
本堂 | ||
一に御影堂ともいい、法然像を安置し世に「張抜の御影」と称され、上人の生母の消息文を張り合わせて作成されたと伝わります。脇壇に安置する千手観音立像(重文:貞観期)は元、観音堂にあったものと伝え、重厚で顔に一抹の明るさがあり衣文も貞観式の見事なものです。但し、脇手の千手は後補でいずれかの廃寺の遺仏を移した物であろうと言われます。 |
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法然上人像と御影堂(本堂) | 静寂な境内 | |
法然上人石棺 | ||
上人の遺骸を火葬後、空棺をここに移したもので蓋が縄掛突起のある組み合わせ式石棺であるのが注目される。開山廟後方の法然廟碑塔(文化年間建立)、台石もこの付近から発掘された石棺を利用したもので古墳時代の遺物として注目されています。 |
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法然上人石棺 | 童地蔵 (@^▽^@) | 阿弥陀堂 |
茂右ェ門屋敷跡 | ||
保元々年(1156年)、法然上人24歳の時、比叡山黒谷を出て南都(奈良)の学匠歴訪の途上、粟生の里長者の茂右ェ門邸に一夜を借り「われ正しく凡夫の往生の道を開いた暁には、まず御身にその悦びを分かとう」と約定し20年後の承安5年(1175年)春、法然上人43歳の時に粟生の里を再訪し茂右ェ門夫婦に念仏往生の教化の第一声を挙げました。その長者屋敷があった所と伝えます。 |
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・・・ | 法然上人荼毘跡 | 茂右ェ門屋敷跡 |
・・・ | ・・・ | ・・・ |
・・・ | ・・・ | いざ行かん善峯へ!@善峯道 |
お待ちかね?上り坂! ( ̄▽ ̄;)!! 京都縦貫自動車道(沓掛IC〜大山崎JCT)工事中?!!(@_@) | ・・・ | |
十輪寺(じゅうりんじ:業平寺) ☆地図 | ||
天台宗延暦寺派の寺で小塩(おじお)山と号し一に業平(なりひら)寺とも呼ばれます。寺伝によると創建は嘉祥3年(850年)、文徳天皇の染殿(そめどの)皇后(藤原明子:あきらのけいこ)の世継ぎ誕生を祈願し、めでたく皇子を生まれ、後に清和天皇になられた事から文徳天皇勅願所となり後に藤原北家(花山院家)が帰依され一統の菩提寺とされました。創建当時の伽藍は応仁の乱の兵火によって焼失、寛延3年(1750年)の再建で本堂の屋根は鳳輦形(ほうれんがた)という神輿を模った非常に珍しいもので内部天井の彫刻も独特の意匠が施され文化財に指定されています。平安時代の歌人で「伊勢物語」の主人公とされる在原業平(ありわらのなりひら)が晩成に隠棲し塩焼きの風情を楽しんだと伝え当地を小塩というのは、これに因んだ地名とされ境内裏山に業平墓(恋愛、結婚成就の神)、塩釜の跡、門前手前の街道脇に潮汲池があります。これらの伝説により毎年の5月28日、業平を偲んで業平忌が行われ導師の長素絹を纏った住職が三弦を弾きつつ読経し「祈請:きじょう」、「般若心経」などの法曲を披露し献茶、献歌、献句、小唄、山城舞楽などが奉納されます。 |
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在原業平(ありわらのなりひら)ゆかりの潮汲池 | 十輪寺(業平なりひら寺) | |
こま札 | 解説パネル | 案内図 |
・・・ | 以前は俳優・松※弘※? ※方※樹邸 | 金蔵寺、小塩山方面 |
善峯寺々領域(第一の峠ピーク地点) | 合掌 | ・・・ |
水分補給しなくっちゃ!(^▽^;) | 善峯寺案内図 | 石仏 |
延々と続く強烈な坂や・・ヽ( ̄ー ̄*)ノ | 車もヒィーヒィーと上ってきます!(*´ο`*)=3ホッ(*´ο`*)=3ホッ(*´ο`*)=3ホッ | |
・・・ | 自転車で上がってくるなんて?!ヾ(・・ )ォィォィ | 付近案内図 |
西山宮門跡「善峯寺」 ☆地図 | ||
釈迦岳支峰の善峰の中腹にある西山(せいざん)と号する天台宗延暦寺派の寺院で伽藍は険しい山崖に建っていて山麓から仁王門迄の山道の途中に座禅石と称する大石があり源算上人が座禅修法中、一老翁から仏寺の建立を頼まれ地形の険しさに困窮していると野猪の群れが現れ土地を均したので伽藍を建立できたと伝わります。寺伝によると平安中期の長元2年(1029年)、源算上人によって開かれました。源算上人は「往生要集」を著した恵心僧都の高弟で、因幡(鳥取)に生まれ横川(比叡山)の恵心僧都に従い顕密の蘊奥を極め47歳の時、当山に入り小堂を結び、十一面千手観音像を刻み本尊とし仏法を興隆しました。長元7年(1034年)9月、後一条天皇より鎮護国家の勅願所に定められ「善峯寺」の寺号を賜り歴代天皇の崇敬篤く、長久3年(1042年)、後朱雀天皇の時、洛東鷲尾寺の仁弘法師作・十一面千手観世音菩薩像を当山に遷して本尊となし先の十一面千手観音像を脇壇とし白河天皇が諸堂を建立しました。中世には「西山宮」と号する門跡寺院となり、室町時代には後花園天皇が伽藍を改築され僧房52の多きを有する大寺院となりましたが応仁の乱(1467〜77年)の兵火で焼失し現在の諸堂の多くは江戸時代に徳川5代将軍・綱吉の生母である桂昌院によって再建されました。元和7年(1621年)、再建の多宝塔は山内最古のもので「大元帥明王軸(鎌倉時代)」と共に重要文化財に指定されています。京都府指定の文化財としては「善峯寺曼荼羅」二幅があります。日本一の松とも称される樹齢約600年の五葉松は「遊龍の松」と呼ばれ、国の天然記念物に指定されています。西国三十三所観音霊場の第二十番札所、洛西一番札所でもあります。 |
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善峯寺 | 仁王門 | ・・・ |
・・・ | 観音堂(本堂) | ・・・ |
ええ音色です!(^-^)v | ・・・ | 不動明王 |
「遊龍の松(天然記念物)」 見事やなぁ〜(@^▽^@) | ||
遊龍の松(天然記念物)」 | 山内最古の多宝塔(重要文化財:江戸期) | 径堂(絵馬堂) |
えぇなぁ〜(@^▽^@) | 周りの人の幸せを願う幸福地蔵 | |
周りの人の幸せを願う幸福地蔵 | 白山名水 | |
解説 | ありがたく白山名水をペットボトルに頂戴して帰ります・・・※自己責任 | |
釈迦堂 | ||
明治18年(1885年)に建立され本尊・石仏釈迦如来像は、源算上人作で、明治初年まで釈迦岳(標高:631m)に安置されていましたが、信者の崇敬が篤く明治13年(1880年)に当山へ下山されたと伝えます。 |
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えぇなぁ〜(@^▽^@) | 釈迦堂 | |
本尊・釈迦如来石仏は釈迦岳から下山 | えぇなぁ〜(@^▽^@) | ・・・ |
えぇなぁ〜(@^▽^@) | ||
善峯寺(伽藍)俯瞰 | 桂昌院を祀る・・・けいしょう堂 | |
桂昌院さま、お久しぶりでございまする。 | えぇなぁ〜(@^▽^@) | |
奥の院・薬師堂 | えぇなぁ〜(@^▽^@) | |
えぇなぁ〜(@^▽^@) | ||
奥の院・薬師堂 | 蓮華寿院庭 | 慈母観音菩薩像(経塚跡) |
慈鎮和尚塔など | 青蓮院宮御廟 | |
蓮生(左)、証空(中)、観性上人塔(右) | 市内俯瞰(洛西〜伏見〜宇治、山城方面) えぇなぁ〜(@^▽^@) | |
善峯寺(伽藍)俯瞰 | 青蓮の滝 | 稲荷大明神 |
・・・ | 阿弥陀堂 | ごもっとも!φ(..)メモメモ |
経堂(絵馬堂) | 歌碑 | |
山内最古の多宝塔(重要文化財:江戸期) | 日本一と称される「遊龍の松(天然記念物)」 | 桂昌院廟(遺髪塚) |
樹齢600年と伝える五葉松 「遊龍の松(天然記念物)」 見事やなぁ〜(@^▽^@) | ||
第一駐車場 | 杉谷方面 | 釈迦岳登山道分岐 |
西山古道案内図 | 写真で善峯寺の激坂の急勾配が伝わりますか?(>▽<;; | |
ちょっとハーフタイム?!(^^♪ | 東海自然歩道で善峯寺〜杉谷へ・・・激坂続きの九十九折 お〜い?!( ̄▽ ̄;)!! | |
写真では伝えきれない強烈な急勾配とヘアピンカーブの連続や!涙がちょちょ切れるほど嬉しくなります?!ハハハ・゚・(つД`)・゚・泣いとるがな?! | ||
こっ、こっ、こら〜〜?! いつまで上らせよんね?! ( ̄ω ̄;)! | ようやく激坂のピークを越えました!!!(*´ο`*)=3ホッ(*´ο`*)=3ホッ(*´ο`*)=3ホッ | |
杉谷地区に到着〜(*´ο`*)=3ホッ(*´ο`*)=3ホッ(*´ο`*)=3ホッ・・・やれやれ | ||
善峯寺の裏山に位置し標高も高い里山に数軒の集落・・・ポカリが欲しかったけど自販機が撤去されてますがな?!Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン | ||
ポンポン山(左)、金蔵寺方面分岐 | ポンポン山方面 | お待ちかね?快適なダウンヒル〜(*゜▽゜)/ |
・・・ | 残雪とアイスバーンや!(+_+) | 京都府道733号 |
逢坂峠 | 四等三角点・金蔵寺(こんぞうじ:415.26m) | |
四等三角点・金蔵寺(金蔵寺の仏舎利塔跡)からの眺望は西山エリアNO.1ではないかと思われる程の絶景を拝せます!☆⌒(*^∇゜)v | ||
金蔵寺三角点をあとに・・・ | 京都府道733号 | 急勾配のヘアピンカーブの連続や!(@_@;) |
金蔵寺分岐 | ・・・ | ・・・ |
道標石(左:善峯寺、右:金蔵寺) | 柳谷観音寺〜善峯寺〜杉谷集落〜金蔵寺まで自転車で縦走した西山の稜線 | |
一文橋(いちもんばし) ☆地図 | ||
京と摂津(西宮)をむすぶ西国街道に架かるこの橋は、室町時代頃に造られた有料の橋でした。大雨の度に小畑川が氾濫し橋が流され、架け替え費用の負担金としてを通行人から銭一文を取り始めたのが、橋名の由来と伝えます。 |
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一文橋 | イケメンオーナーのKくん?(^▽^;) 茶月長岡天神店で寿司を買って帰ります!(^^♪ | |
私の旧友Oくんの同僚で東京へ出向いた時、寮に泊めてもらって酒宴を開いたり楽しいひと時を共有したK.Kくん。落ち着いたら、ゆっくり酒でも飲もうや・・お疲れさんm(__)m | ||
Tourist 2013.01.28(M) |