新春伏見五福めぐり(2015年:未年)

 

新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)  (万葉集)大伴家持

 

長建寺(商売繁盛)大黒寺(出世・開運)藤森神社(勝運・学問)御香宮神社(開運・厄除)乃木神社(学門・勝運)

大開運!!!伏見五福(五利益)めぐり

伏見には古来、庶民に深く信仰されている神社が散在しています。元旦〜15日まで、その代表的な五社寺の初詣を兼ねて参拝する『伏見五福めぐり』が行われます。※満願にすると先着2,000名に可愛い干支の土鈴(どれい)が頂けます! ☆⌒(*^∇゜)v 長建寺(商売繁盛) 藤森神社(勝運・学問) 大黒寺(出世・開運) 乃木神社(学門・勝運) 御香宮神社(開運・厄除)の五社寺で各朱印料300円(色紙授与の場合は1,000円) めぐる順番は自由で歩くと2〜3時間で周れると思います。ちなみに、伏見七福神めぐりは別名を『洛南七福神めぐり』とも称され、大正時代には隆盛を極めましたが、残念ながら昭和32年(1957年)頃に廃絶し、法性寺(毘沙門天)も廃寺となったと伝えます

西岸寺(油懸地蔵尊) ☆地図

昔、大山崎から一人の油商人が油桶をになって西岸寺の門前にさしかかった時に転んでしまい、油桶がひっくりかえり、油はほとんど流れ出てしまいました。大切な油を失った商人が、これも災難とあきらめ、気をとりなおして、桶の底にわずかに残っていた油を地蔵尊にかけて帰りました。その後、商人の商売が繁盛し大金持ちになったという事です。地蔵尊は「油懸地蔵尊」と呼ばれ、この辺りの地名の由来になっています。この地蔵尊は、この鎌倉期に作られたものです。

新年恒例の伏見五福めぐりへ・・・ 伏見五福めぐりとは無関係の番外ですが・・・油掛地蔵尊(西岸寺)、松尾芭蕉の句碑
油掛地蔵尊 長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神)へ・・・
伏見五福の一・長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神) ☆地図

真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年〔1698年〕時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊弁才天は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は「伏見の弁天祭」と言われます

穏やかな天気(*゜▽゜)/ 長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神)
島の弁天さんと親しまれる長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神)
お次は大黒寺(大黒天/開運・出世の神)へ・・・
かって伏見七福神の一だった金札宮(恵比寿/商売繁盛の神) ☆地図

縁起には「伏見久米の里の白菊の翁という老人が、毎年秋になると白菊に水をやり育てていました。ある年、干ばつが続き稲が枯れかかった時、翁が白菊の露を注ぐと、そこから清水が湧き出た。」と伝えます。この翁が天太玉命(あめのふとだま:白菊明神)で天平勝宝2年〔750年〕に創立し清和天皇の御代、橘良基によって阿波国〔徳島県〕より勧請したと云われ社格は、旧村社で伏見における最古の神社の1つで祭神は、天太玉命です。清和天皇が、金札に白菊大明神と記し社内に奉納された事から金札宮と号するに至ったと伝えます

伏見らしい町並みの酒蔵を走り抜けていきます・・・ 金札宮(恵比寿/商売繁盛の神)
かつて存在した伏見七福神の一・金札宮(恵比寿/商売繁盛の神)
えびす神には鯛・・・しあわせになり鯛?!(^^♪ 宝恵籠 お神酒をかけつぎ三献?!(^^ゞ温まりますぅ〜
伏見五福の一・大黒寺(大黒天/開運・出世の神) ☆地図

創建は不明ですが真如法親王の開基による名刹で当初は円通山長福寺と号しました。江戸時代の元和元年(1615年)、薩摩藩主・島津義弘が伏見奉行・山口駿河守に懇請し薩摩藩の祈祷所となりました。本尊は五穀豊穣の神で出世開運を授けると云われる大変にありがたい大黒天です。寺田屋事件の薩摩九烈士、家老・平田靭負(ゆきえ)の墓所があります。

境内には天然記念物の立派なクロガネモチの大木もあります。・・・金札宮をあとに 大黒寺(大黒天/開運・出世の神)
こま札 伏見名水「金運清水」・・・ペットボトルにも頂戴いたしました!(*゜▽゜)/
寺田屋騒動と薩摩九烈士の墓

文久2年(1862年)3月16日、薩摩藩々主・島津久光は率兵(1000名)して自らが上洛し4月10日、大阪藩邸に入った。これを機に尊攘派の志士らは檄(げき)をとばして同士、250人程が参集し王政復古の魁(さきがけ)にしようと画策した。「関白・九条尚忠と所司代・酒井忠義を襲撃し、相国寺獅子王院に幽閉されている前青蓮院宮尊融法親王を救出し、宮を奉じて参内する。そして、久光に滞京の詔(みことのり)を賜り、三百諸侯に激し、その上京を促す。その上で集議によって、国是を決し、もし幕府が朝命を拒む時は、違勅の罪を責めて立ちどころに誅伐を加える。」という激しい内容でした。しかし、島津久光は公武合体論を唱えた為、薩摩藩急進派と久留米水天宮神官・真木和泉守率いる諸藩有志は京都進撃を目指した。4月23日(午後五時)、寺田屋に有馬新七、柴山愛次郎ら急進派の誠忠組21名、客将という事で真木和泉守ら10名、田中河内介ら5名の36名が集結しました。中には、大山厳、三島直庸、西郷隆盛の弟・西郷慎吾(従道)らもいました。久光の君命を受けた薩摩鎮撫使の奈良原喜八郎、道島五郎兵衛、江夏(こうか)仲左衛門、森岡善助ら4名が、竹田街道から大山格之助、鈴木勇衛門、鈴木昌之助(勇衛門の息子)、山口金之助、上床源助ら5名が伏見街道から、9名が二手に分かれ寺田屋に向かった。寺田屋にどちらか先に到着した方が取り鎮める手はずで、この9名の内6名が誠忠組の同志であった事は島津久光の心遣いであった。しかし、鎮撫使側に上意討ちの許可が出ていた為、藩邸への同行を拒否した有馬新七らと折衝が付かず遂に斬り合いとなりました。鎮撫使側1名が討死し多数の負傷者を出し、誠忠組側も6名が討死、2名の重症者(後日、君命に背いた罪で切腹)を出し、この知らせを聞いた伏見の呉服屋・井筒屋伊兵衛(現・斎藤酒造)と手代数名が寺田屋に駆けつけ、 遺骸を丁寧に白木綿で包み大黒寺に埋葬した。更に4月27日、1名が自刀(切腹)し、これを加え9名の死者を出しました。後、墓は「薩摩九烈士」として祀られ西郷隆盛の筆による墓碑が一緒に並んで建立されています。西郷隆盛は泣きながら九烈士達の為に、墓碑を書いたと伝えます。

平田靱負(ゆきえ)顕彰碑と伏見義民遺髪塔 西郷隆盛筆の墓碑(右手前)と薩摩九烈士の墓 薩摩藩家老・平田靱負(ゆきえ)の墓所
薩摩藩家老・平田靱負(ゆきえ)の墓(宝暦治水事件)

宝暦3年(1753年)、徳川幕府は琉球との貿易によって財力を得ていた薩摩藩を警戒して、毎年氾濫による被害が多発していた木曽三川の分流工事を薩摩藩に命じた。工事費用は薩摩藩が全額負担、大工などの専門職人を一切雇ってはならないとした露骨な弾圧政策に薩摩藩は幕府への反発を極め、このまま潰されるくらいなら一戦交えようという過激な意見まで噴出した。しかし、平田が「民に尽くすもまた武士の本分」と説破して工事を引き受けることとなり、平田は総奉行となる。40万両にも上る工事費用を捻出するため大坂の豪商から借金を重ね、幕府へも再三に専門職人の雇用許可を要請するも許可は下りず、工事のやり直しを命じられる事がしばしばあった。工事に派遣された薩摩藩士達の過労や伝染病などによる死亡が相次ぎ、また幕府に抗議して切腹する薩摩藩士も続出した(監視役の徳川家からも、薩摩藩に同情して抗議の切腹を行う武士が二名いたほど)。この件に関して、平田は幕府との摩擦を回避するため、切腹した藩士たちを事故死として処理している。薩摩藩は最終的に病死33名、自殺者52名という多大な殉職者を出している。分流工事は着工より1年3ヶ月ほどでようやく完成したが、平田は藩への多大な負担の責任を取り自害、享年50才。遺体は山城国伏見の大黒寺に葬られ、遺髪は鹿児島城下の妙国寺に埋葬された。

(*´ο`*)=3ホッ(*´ο`*)=3ホッ(*´ο`*)=3ホッ。。。お次は藤森神社(勝運の神)
今の時期だけ秘仏・大黒天を御開帳 京阪電車・丹波橋駅 大和街道(国道24号線)
伏見五福の一・藤森神社(勝運・学問の神) ☆地図

神社の創建は平安遷都以前に遡り、神功皇后が三韓征伐より凱旋後、この地に纛旗(とうき)と兵器を埋納した事が起こりと伝わります。早良(さわら)親王は天応元年(781年)、蒙古追討にあたり当社に詣で戦勝祈願されたと伝わり、係る伝承などから祭神は神功皇后を初め、武内宿禰(すくね)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、別雷(わけいかづち)神、日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇、仁徳天皇、天武天皇、舎人親王、井上内親王、早良(さわら)親王、伊予親王と12柱に及ぶ神々を奉祀しています。祭神の中には怨霊と恐れられた井上内親王、早良親王、伊予親王などの名もあり駈馬、相撲、騎射、猿楽などは御霊会において怨霊を鎮める行事だと伝わります。藤森神社としての社名は室町時代以後で、「真幡寸神社」、「藤尾社」、「塚本社」など諸社を合祀して藤森神社とされました

大和街道(国道24号線) 藤森神社(勝運の神)
伏見義民の焼塩屋権兵衛顕彰碑 今年も参拝者が長蛇の列や〜(@_@;)
朱印くださいな〜 (#^.^#) 今年も快走してくれるキララくん!(*゜▽゜)/
伏見五福の一・御香宮(開運・安産・厄除けの神) ☆地図

縁起には諸説があり社伝によれば貞観4年(862年)9月9日、境内に清泉が湧き出し水が芳しく四方に香り病者がこの水を服用すれば病気がたちどころに癒ゆるといわれ、これに因んで御香宮と称し地名も石井郡(紀伊郡)と称したと伝えています。又、御香宮は、旧伏見町の産土神(うぶずながみ)として古来から最も信仰されている洛南屈指の大社です。筑前国糟屋郡(福岡市香椎(かしい)町)にある香椎宮(祭神・神功皇后・仲哀天皇)を勧進し御香椎の椎を略し御香宮となったという説が、あります。"延喜式に記す御諸(みもろ)神社"であると言う説もあります。御諸(みもろ)とは、森と同義で神の鎮座する森をいい神の降臨する山や森を神格化したものを御諸(みもろ)神社と言います。豊臣秀吉は、征韓の役に際し肥前長光(重要文化財)の名刀を戦勝祈願時に奉納し今も社宝とされています。伏見城築城に際し深草大亀谷に移され城惶神(伏見城の鬼門除けの守護神)とし社領300石を寄進されました。その後、慶長10年(1605年)に徳川家康によって現在地に移され、徳川御三家(尾張・紀伊・水戸藩)藩祖と2代将軍・秀忠の娘(千姫)らが伏見で誕生し、御香宮を産土神(うぶずながみ)として社領も豊臣秀吉同様の深草地方など300石が、与えられました。豊臣秀吉、徳川家康を始めとし特に徳川御三家藩祖らが特別の崇敬を払った洛南最大社です。

なんとなく・・・(*´ο`*)=3ホッ 大和街道(国道24号線)を南下中・・・ 御香宮(開運、安産、厄除けの神)
伏見戦石碑 ここも参拝者が長蛇の列や〜(@_@;) 温まります〜(*´ο`*)=3ホッ
天然記念物・ソテツ 参拝者で賑わう境内
三木宮司に朱印を頂きました!(^-^)v 「名水百選」に選ばれた石井(いわい:御香水) 神鑒(かん)静井(石井)と御香水碑
天然記念物・ソテツと本殿 次は乃木神社(勝運、勉学の神)へ・・・ 桃山御陵参道
・・・ 豊臣秀吉が最後に築城した伏見城石 ・・・
明治天皇桃山御陵(伏見城本丸跡)、昭憲皇太后桃山東陵(伏見城名護屋丸跡) ☆地図

桃山丘陵の頂に明治天皇陵、昭憲皇太后陵がある。伏見桃山陵は、明治天皇が生前からこの土地(指月丘陵)を大変に気に入られていたとの事で御陵地となりました。明治天皇陵は、伏見城本丸跡を陵墓としたとされ、少し離れて名護屋丸跡には昭憲皇太后御陵があります。明治天皇陵前(四の丸跡)には230段もある石段があり眺望絶景のポイントです。

明治天皇桃山御陵(伏見城本丸跡)・・・正月に限り奥まで入れます!・・・この辺りは伏見城本丸跡(*゜▽゜)/
しかと参拝させて頂きました。(^-^)v ・・・ 穏やかな陽気やな〜(*´ο`*)=3ホッ
昭憲皇太后御陵
次は乃木神社(勝運、勉学の神)へ・・・ 学生時代、トレーニングした230段の石段(@_@;)
伏見五福の一・乃木神社(勝運・勉学の神) ☆地図

陸軍大将だった乃木希典(まれすけ)と妻・静子を祀る神社です。日清戦争では歩兵第一旅団長として参加。日露戦争では第3軍司令官として旅順攻撃をし多くの犠牲者を出し作戦に対する非難が生じたが明治天皇の信任厚く明治40年に学習院院長に任命され明治天皇の大喪には静子婦人とともに殉死。境内に、ロシアのステッセル将軍から贈られたという愛馬「璞号(あらたまごう)」と「寿号」の銅像があり、希典の生家や旅順の第3軍司令部舎も復原されています

・・・ 次は乃木神社(勝運、勉学の神)へ・・・
参拝者で賑わっています・・・ 乃木希典(まれすけ)胸像 女性がたくさん屯してますが・・・(^▽^;)
お神酒でした〜(^∀^ヾへへ ・・・ 狛獅子ならぬライオン石造(>▽<;;
正月らしい見事な葉牡丹 朱印くださいな〜 (#^.^#)
朱印くださいな〜 (#^.^#) べっぴんさんが注いでくれました〜\(●⌒∇⌒●)/ 伏見は女酒やからね?!(≧▽≦)ぷっ
しかと参拝も済ませました。(^-^)v 山城えびす神社
未年は穏やかで健やかな年になりますように・・・五福神を参拝したので帰還します。(^-^)v 御香宮通過・・・
御香宮通過・・・ ・・・
ななんと・・・帰宅して1時間後に再度外出したら・・・さっきまでの穏やかな天気が、一転して突然激しい吹雪に!(@_@;)おろろっ
あっという間に辺りが銀世界や〜(@_@;)
京都市内が62年ぶりに20cmもの積雪を記録・・・家の前も積雪してました。。。
さらに吹雪の中を私用で羽束師〜淀へ・・・(>▽<;; おろろっ  
積雪で少し電車も遅れているようです・・・
特急も少しスピードダウンで通過していきます・・・
遅れてきた普通車に乗車しました。(*´ο`*)=3ホッ 伏見桃山駅で安全確認のため電車はしぱらく停車することに。。。(>▽<;;
穏やかな天気の元旦だったのに夕方から一転して雪が夜半も降り続き京都市内は62年ぶりという20cmの積雪。。。(>▽<;;

Tourist 2015.01.01(THU)

 

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