Pちゃんズの新春伏見五福めぐり(2014年:午年)

 

新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)  (万葉集)大伴家持

 

長建寺(商売繁盛)大黒寺(出世・開運)藤森神社(勝運・学問)御香宮神社(開運・厄除)乃木神社(学門・勝運)

大開運!!!伏見五福(五利益)めぐり

伏見には古来、庶民に深く信仰されている神社が散在しています。元旦〜15日まで、その代表的な五社寺の初詣を兼ねて参拝する『伏見五福めぐり』が行われます。※満願にすると先着2,000名に可愛い干支の土鈴(どれい)が頂けます! ☆⌒(*^∇゜)v 長建寺(商売繁盛) 藤森神社(勝運・学問) 大黒寺(出世・開運) 乃木神社(学門・勝運) 御香宮神社(開運・厄除)の五社寺で各朱印料300円(色紙授与の場合は1,000円) めぐる順番は自由で歩くと2〜3時間で周れると思います。ちなみに、伏見七福神めぐりは別名を『洛南七福神めぐり』とも称され、大正時代には隆盛を極めましたが、残念ながら昭和32年(1957年)頃に廃絶し、法性寺(毘沙門天)も廃寺となったと伝えます

2014年正月の祝い膳(御節&御屠蘇) (^^♪ Pちゃんズは健在してますよ〜@小声?(^-^)v 新年恒例の伏見五福めぐりへ・・・
西岸寺(油懸地蔵尊) ☆地図

昔、大山崎から一人の油商人が油桶をになって西岸寺の門前にさしかかった時に転んでしまい、油桶がひっくりかえり、油はほとんど流れ出てしまいました。大切な油を失った商人が、これも災難とあきらめ、気をとりなおして、桶の底にわずかに残っていた油を地蔵尊にかけて帰りました。その後、商人の商売が繁盛し大金持ちになったという事です。地蔵尊は「油懸地蔵尊」と呼ばれ、この辺りの地名の由来になっています。この地蔵尊は、この鎌倉期に作られたものです。

伏見五福めぐりとは無関係の番外ですが・・・油掛地蔵尊(西岸寺)
油掛地蔵尊 松尾芭蕉の句碑 こま札
本堂 伏見五福めぐりの一・長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神)へ・・・
伏見五福の一・長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神) ☆地図

真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年〔1698年〕時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊弁才天は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は「伏見の弁天祭」と言われます

Pちゃん一段と速くなってます〜(^▽^; 島の弁天さんと親しまれる長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神)
伏見名水・閼伽水(あかすい) 参拝しました (#^.^#) 朱印色紙くださいな〜(\1,000:当寺の朱印付)
伏見五福めぐりポスター 次は大黒寺(大黒天/開運・出世の神)へ・・・
春まで十石舟はおやすみ 伏見らしい町並みの酒蔵を走り抜けていきます・・・
・・・ ・・・ ・・・
かって伏見七福神の一だった金札宮(恵比寿/商売繁盛の神) ☆地図

縁起には「伏見久米の里の白菊の翁という老人が、毎年秋になると白菊に水をやり育てていました。ある年、干ばつが続き稲が枯れかかった時、翁が白菊の露を注ぐと、そこから清水が湧き出た。」と伝えます。この翁が天太玉命(あめのふとだま:白菊明神)で天平勝宝2年〔750年〕に創立し清和天皇の御代、橘良基によって阿波国〔徳島県〕より勧請したと云われ社格は、旧村社で伏見における最古の神社の1つで祭神は、天太玉命です。清和天皇が、金札に白菊大明神と記し社内に奉納された事から金札宮と号するに至ったと伝えます

伏見総合庁舎 かつて存在した伏見七福神の一・金札宮(恵比寿/商売繁盛の神)
手水 天然記念物「クロガネモチ/伏見区民の木」 宝恵籠
えびす神には鯛・・・しあわせになり鯛?!(^^♪ 参拝します・・(*^-^*)
お神酒をかけつぎ三献?!(^^ゞ温まりますぅ〜 番外ですが、朱印をいただきました。(^-^)v 金札宮をあとに・・・
伏見五福の一・大黒寺(大黒天/開運・出世の神) ☆地図

創建は不明ですが真如法親王の開基による名刹で当初は円通山長福寺と号しました。江戸時代の元和元年(1615年)、薩摩藩主・島津義弘が伏見奉行・山口駿河守に懇請し薩摩藩の祈祷所となりました。本尊は五穀豊穣の神で出世開運を授けると云われる大変にありがたい大黒天です。寺田屋事件の薩摩九烈士、家老・平田靭負(ゆきえ)の墓所があります。

大黒寺(大黒天/開運・出世の神) 水瓶占い?さすがに紙幣はないです?!(^▽^;)爆
伏見名水「金運清水」・・・ペットボトルにも頂戴いたしました!(*゜▽゜)/ 平田靱負(ゆきえ)顕彰碑と伏見義民遺髪塔
神妙に?祈願中・・・ 今の時期だけ秘仏・大黒天を御開帳
寺田屋騒動と薩摩九烈士の墓

文久2年(1862年)3月16日、薩摩藩々主・島津久光は率兵(1000名)して自らが上洛し4月10日、大阪藩邸に入った。これを機に尊攘派の志士らは檄(げき)をとばして同士、250人程が参集し王政復古の魁(さきがけ)にしようと画策した。「関白・九条尚忠と所司代・酒井忠義を襲撃し、相国寺獅子王院に幽閉されている前青蓮院宮尊融法親王を救出し、宮を奉じて参内する。そして、久光に滞京の詔(みことのり)を賜り、三百諸侯に激し、その上京を促す。その上で集議によって、国是を決し、もし幕府が朝命を拒む時は、違勅の罪を責めて立ちどころに誅伐を加える。」という激しい内容でした。しかし、島津久光は公武合体論を唱えた為、薩摩藩急進派と久留米水天宮神官・真木和泉守率いる諸藩有志は京都進撃を目指した。4月23日(午後五時)、寺田屋に有馬新七、柴山愛次郎ら急進派の誠忠組21名、客将という事で真木和泉守ら10名、田中河内介ら5名の36名が集結しました。中には、大山厳、三島直庸、西郷隆盛の弟・西郷慎吾(従道)らもいました。久光の君命を受けた薩摩鎮撫使の奈良原喜八郎、道島五郎兵衛、江夏(こうか)仲左衛門、森岡善助ら4名が、竹田街道から大山格之助、鈴木勇衛門、鈴木昌之助(勇衛門の息子)、山口金之助、上床源助ら5名が伏見街道から、9名が二手に分かれ寺田屋に向かった。寺田屋にどちらか先に到着した方が取り鎮める手はずで、この9名の内6名が誠忠組の同志であった事は島津久光の心遣いであった。しかし、鎮撫使側に上意討ちの許可が出ていた為、藩邸への同行を拒否した有馬新七らと折衝が付かず遂に斬り合いとなりました。鎮撫使側1名が討死し多数の負傷者を出し、誠忠組側も6名が討死、2名の重症者(後日、君命に背いた罪で切腹)を出し、この知らせを聞いた伏見の呉服屋・井筒屋伊兵衛(現・斎藤酒造)と手代数名が寺田屋に駆けつけ、 遺骸を丁寧に白木綿で包み大黒寺に埋葬した。更に4月27日、1名が自刀(切腹)し、これを加え9名の死者を出しました。後、墓は「薩摩九烈士」として祀られ西郷隆盛の筆による墓碑が一緒に並んで建立されています。西郷隆盛は泣きながら九烈士達の為に、墓碑を書いたと伝えます。

父娘共でもっと賢くなりますように・・(^▽^;) 西郷隆盛筆の墓碑(右手前)と薩摩九烈士の墓 薩摩藩家老・平田靱負(ゆきえ)の墓所
薩摩藩家老・平田靱負(ゆきえ)の墓(宝暦治水事件)

宝暦3年(1753年)、徳川幕府は琉球との貿易によって財力を得ていた薩摩藩を警戒して、毎年氾濫による被害が多発していた木曽三川の分流工事を薩摩藩に命じた。工事費用は薩摩藩が全額負担、大工などの専門職人を一切雇ってはならないとした露骨な弾圧政策に薩摩藩は幕府への反発を極め、このまま潰されるくらいなら一戦交えようという過激な意見まで噴出した。しかし、平田が「民に尽くすもまた武士の本分」と説破して工事を引き受けることとなり、平田は総奉行となる。40万両にも上る工事費用を捻出するため大坂の豪商から借金を重ね、幕府へも再三に専門職人の雇用許可を要請するも許可は下りず、工事のやり直しを命じられる事がしばしばあった。工事に派遣された薩摩藩士達の過労や伝染病などによる死亡が相次ぎ、また幕府に抗議して切腹する薩摩藩士も続出した(監視役の徳川家からも、薩摩藩に同情して抗議の切腹を行う武士が二名いたほど)。この件に関して、平田は幕府との摩擦を回避するため、切腹した藩士たちを事故死として処理している。薩摩藩は最終的に病死33名、自殺者52名という多大な殉職者を出している。分流工事は着工より1年3ヶ月ほどでようやく完成したが、平田は藩への多大な負担の責任を取り自害、享年50才。遺体は山城国伏見の大黒寺に葬られ、遺髪は鹿児島城下の妙国寺に埋葬された。

朱印くださいな〜 (#^.^#)/ 次は藤森神社(勝運の神)
京阪・丹波橋駅 近鉄・丹波橋駅 大和街道(国道24号線)
伏見五福の一・藤森神社(勝運・学問の神) ☆地図

神社の創建は平安遷都以前に遡り、神功皇后が三韓征伐より凱旋後、この地に纛旗(とうき)と兵器を埋納した事が起こりと伝わります。早良(さわら)親王は天応元年(781年)、蒙古追討にあたり当社に詣で戦勝祈願されたと伝わり、係る伝承などから祭神は神功皇后を初め、武内宿禰(すくね)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、別雷(わけいかづち)神、日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇、仁徳天皇、天武天皇、舎人親王、井上内親王、早良(さわら)親王、伊予親王と12柱に及ぶ神々を奉祀しています。祭神の中には怨霊と恐れられた井上内親王、早良親王、伊予親王などの名もあり駈馬、相撲、騎射、猿楽などは御霊会において怨霊を鎮める行事だと伝わります。藤森神社としての社名は室町時代以後で、「真幡寸神社」、「藤尾社」、「塚本社」など諸社を合祀して藤森神社とされました

大和街道(国道24号線) 伏見街道 藤森神社(勝運の神)
藤森神社(勝運の神) 駆け馬神事が行われる馬場 参拝者が長蛇の列や〜(@_@;)
力石とも呼ばれるかへし石 朱印くださいな〜 (#^.^#)
・・・ Pちゃんズ機動戦士チャリダム(^▽^;) 次は御香宮(開運、安産、厄除けの神)
伏見街道南下中・・・ ・・・
JR奈良線に沿って大和街道(国道24号線)を南下・・・
伏見五福の一・御香宮(開運・安産・厄除けの神) ☆地図

縁起には諸説があり社伝によれば貞観4年(862年)9月9日、境内に清泉が湧き出し水が芳しく四方に香り病者がこの水を服用すれば病気がたちどころに癒ゆるといわれ、これに因んで御香宮と称し地名も石井郡(紀伊郡)と称したと伝えています。又、御香宮は、旧伏見町の産土神(うぶずながみ)として古来から最も信仰されている洛南屈指の大社です。筑前国糟屋郡(福岡市香椎(かしい)町)にある香椎宮(祭神・神功皇后・仲哀天皇)を勧進し御香椎の椎を略し御香宮となったという説が、あります。"延喜式に記す御諸(みもろ)神社"であると言う説もあります。御諸(みもろ)とは、森と同義で神の鎮座する森をいい神の降臨する山や森を神格化したものを御諸(みもろ)神社と言います。豊臣秀吉は、征韓の役に際し肥前長光(重要文化財)の名刀を戦勝祈願時に奉納し今も社宝とされています。伏見城築城に際し深草大亀谷に移され城惶神(伏見城の鬼門除けの守護神)とし社領300石を寄進されました。その後、慶長10年(1605年)に徳川家康によって現在地に移され、徳川御三家(尾張・紀伊・水戸藩)藩祖と2代将軍・秀忠の娘(千姫)らが伏見で誕生し、御香宮を産土神(うぶずながみ)として社領も豊臣秀吉同様の深草地方など300石が、与えられました。豊臣秀吉、徳川家康を始めとし特に徳川御三家藩祖らが特別の崇敬を払った洛南最大社です。

・・・ 御香宮(開運、安産、厄除けの神)
参拝者で混雑している境内 伏見戦石碑 伏見城の車寄せとも伝える拝殿
初詣で賑わう本殿 「名水百選」に選ばれた石井(いわい:御香水)
朱印くださいな〜 (#^.^#) 神鑒(かん)静井(石井)と御香水碑 竹田街道にあった車石
金札宮創建伝承に出てくる白菊石 桃山天満宮 芭蕉、去来の歌碑
もっと賢くなりますように?・・(*≧m≦)ぷっ=3 次は乃木神社(勝運、勉学の神)へ・・・
伏見五福の一・乃木神社(勝運・勉学の神) ☆地図

陸軍大将だった乃木希典(まれすけ)と妻・静子を祀る神社です。日清戦争では歩兵第一旅団長として参加。日露戦争では第3軍司令官として旅順攻撃をし多くの犠牲者を出し作戦に対する非難が生じたが明治天皇の信任厚く明治40年に学習院院長に任命され明治天皇の大喪には静子婦人とともに殉死。境内に、ロシアのステッセル将軍から贈られたという愛馬「璞号(あらたまごう)」と「寿号」の銅像があり、希典の生家や旅順の第3軍司令部舎も復原されています

JR奈良線(桃山駅) 桃山御陵参道 乃木神社(勝運、勉学の神)
乃木神社(勝運、勉学の神) 焚き火はありがたい!(*゜▽゜)/
朱印くださいな〜 (#^.^#) 乃木希典(まれすけ)胸像 境内
本殿へ・・・ 寒い時は・・お神酒にかぎります〜?!(^^ゞ 乃木の名水・勝水
午年にピッタリな狛馬さん?! 五福めぐりの朱印が満願になりました!可愛い馬の土鈴も頂きました〜!!!☆⌒(*^∇゜)v
山城えびす神社
幸せになり鯛ので触り鯛?!(≧▽≦)ぷっ 本殿 乃木希典少年の長府(山口県)の旧宅
乃木希典が少年時代に住んでいた長州の家が移築されている。 日露戦争時の日本軍第三軍司令部
日露戦争時の日本軍第三軍司令部 記念館入口に祀られている祖霊神 乃木希典自画像
乃木希典と静子夫人 ダルマさん48?(^▽^;) 蒼海に眠る若人の碑と吾妻の主錨
えぇなぁ〜(*^-^*) 穏やかで健やかな年になりますように・・五福神を参拝したので帰還・・・
夕焼け空が美しい〜(*゜▽゜)/ ・・・
御香宮通過・・・ 大鳥居のある大手筋通り くださいな〜 早速のご利益!?(*≧m≦)ぷっ=3 
ドーナツとホットコーヒーで(*´ο`*)=3ホッとたいむ〜?! (^^♪

無事に五福を巡拝しました〜!(^-^)v

Tourist 2014.01.01(Wed)

 

関連サイト

新春恒例!伏見五福めぐり(2013年:巳年)

新春恒例!伏見五福めぐり(2013年:巳年)

Pちゃんズの伏見五福めぐり(2012年) Pちゃんズの伏見五福めぐり(2012年)
Pちゃんズの伏見五福めぐり(2010年)

Pちゃんズの伏見五福めぐり(2010年)

Pちゃんズの伏見五福めぐり(2009年) Pちゃんズの伏見五福めぐり(2009年)
Pちゃんズの伏見五福めぐり(2008年) Pちゃんズの伏見五福めぐり(2008年) Pちゃんズの伏見五福めぐり(2007年)

Pちゃんズの伏見五福めぐり(2007年)

東福寺、泉涌寺山内七福神めぐり

東福寺、泉涌寺山内七福神めぐり

京・六地蔵チャリチャリめぐり

京・六地蔵チャリチャリめぐり

伏見七福神めぐり(廃絶)、伏見五福めぐり散策

伏見七福神めぐり(廃絶)、伏見五福めぐり散策

呉竹の里散策その1

呉竹の里散策その1

呉竹の里散策その2

呉竹の里散策その2

呉竹の里散策その3

呉竹の里散策その3

稲荷神道散策

稲荷神道散策

伏見の山水散策

伏見の山水散策

竹の下道散策

竹の下道散策

うずらの里、竹の葉山散策

うずらの里、竹の葉山散策

お山巡り

稲荷山(ご利益)散策

伏見稲荷界隈 

伏見稲荷界隈

 

Pちゃんズの古都珍道中記 Pちゃんズの古都珍道中記

 

「伏水物語」2014年伏見探訪コラム 「伏水物語」2014年伏見探訪コラム

 

inserted by FC2 system