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妙心寺北門 |
千本ゑんま堂(引接寺) |
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本堂(閻魔堂) |
閻魔法王の湯飲み茶碗「萬倍碗」 |
閻魔法王 |
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先祖の精霊を迎える為に水塔婆を流す池 |
紫式部供養塔 |
風情ある船岡温泉 |
『源氏物語』の作者・紫式部(むらさきしきぶ)墓所、冥界の番人で六地蔵ゆかりの小野篁(おののたかむら)卿墓 |
★紫式部・・・平安時代中期の女性作家、歌人。『源氏物語』の作者で中古三十六歌仙の一人。『小倉百人一首』に「めぐりあひて
見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし
夜半の月かな」で入選しています。藤原為時を父として,天延元年(973)頃に生まれた。祖父、父共に歌人、詩人だった事から彼女も幼少の時から学芸に親しみ、その類まれな才能は早くから認められていた。寛弘3年(1006)、一条天皇の中宮彰子に仕え、呼び名を父の官名にちなんで式部と称して、高貴な人に仕え講義する役職で漢文学を教える傍ら、『源氏物語』を執筆し、寛弘6年頃に完成させた。★小野篁・・・遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、父は小野岑守。孫に三蹟の一人小野道風がいます。若年の頃、父に従って陸奥国へ赴き、弓馬をよくしたが、嵯峨天皇の言葉に触れて発奮し大学へ進学、官途に就きました。巡察弾正、弾正忠、弾正少弼などを歴任、法理に明るく『令義解』の編纂にも深く関与しました。承和元年(834年)、遣唐副使に任ぜられるが、承和5年(838年)に正使・藤原常嗣との諍いから、病気と称して職務を拒否し朝廷を批判する詩を作した為、嵯峨上皇の怒りに触れて隠岐に流されました。1年半後に許されて帰京した後に従三位参議に至りました。伝説では、篁は夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王の元で裁判の補佐をしていたという。この井戸は、京都東山の六道珍皇寺にあり、また珍皇寺の閻魔堂には、篁作と言われる閻魔大王と篁の木像が並んで安置されています。 |
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紫式部墓所、小野篁卿墓所 |
紫式部墓所(左)、小野篁卿墓 |
冥界の番人で六地蔵ゆかりの小野篁卿墓 |
京都六地蔵めぐりの一・上善寺(鞍馬口地蔵) |
貞観5年(863年)、慈覚大師円仁によって現地名の千本今出川の地に天台密教の道場として建立されたそうです。一時は衰微しましたが、文明年間(1469〜1487年)に春谷盛信上人が天台念仏道場として中興開基し、後土御門、御柏原の両天皇が当寺で授戒されてから隆盛しました。その後、後柏原天皇が当山に行幸され、勅願所不断道場の宣旨ならびに山号である千松山の勅額を賜りました。文禄3年(1594年)、第十二世・善照上人の時に現在地の寺町鞍馬口へ移り、第十三世の肝誉上人になって浄土宗知恩院末に転じました。江戸時代の正徳2年(1712年)に、松平越前守が当山を菩提寺と定めて不断念仏を再興したと伝えます。 |
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紫式部顕彰碑 |
参議小野公塋域(えいいき)碑 |
京都六地蔵巡りの一・上善寺 |
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大日如来石仏(鎌倉期) |
境内 |
石仏群 |
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地蔵堂(鞍馬口地蔵) |
京都六地蔵の一・鞍馬口地蔵 |
暑いときは、これに限るっす!(^^♪ |
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都富士と称される霊峰・比叡山 |
出雲路橋 |
加茂川と大文字山 |
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五山の送り火・大文字山 |
蹴上インクライン |
煉瓦積みが捻れているので「ねじりまんぼ」 |
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義経大日如来(疎水公園) |
インクライン |
第1琵琶湖疎水の第3トンネル西口 |
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大日如来(蹴上口) |
四ノ宮地蔵堂(徳林庵)へ。。。(; ̄ー ̄川 |
延命地蔵大菩薩(蹴上地蔵) |
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峠のピークを越えて快適なDH!☆⌒(*^∇゜)v |
明治天皇御遺蹟碑(奴茶屋跡) |
旧東海道標 |
京都六地蔵巡りの一・徳林庵(四ノ宮地蔵) |
徳林庵は柳谷山(りゅうこくざん)と号する臨済宗南禅寺派の寺で門前の地蔵堂は四ノ宮地蔵と言われ京都六地蔵巡りの一として知られます。人康親王(さねやすしんのう)の菩提を弔う為に雲英正怡(うんえいしょうい)禅師が建立し天文年間、兵火にかかり現地に移転したと伝えます。親王は琵琶を弾く事に優れ後世、親王を琵琶の始祖と仰ぎ江戸時代には検校位を有する盲人が全国から集まり親王の霊を慰めたと伝えます。 |
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京都六地蔵巡りの一・四ノ宮地蔵堂(徳林庵) |
飛脚や馬の為に掘られた井戸は現役 |
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四体石仏(鎌倉期) |
かわいい六地蔵(わらべ地蔵尊) |
人康親王供養塔(蝉丸塔:吉野期) |
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京都六地蔵巡りの一四ノ宮地蔵堂(徳林庵) |
京都六地蔵の一・四ノ宮地蔵尊 |
外環状線を大善寺(六地蔵)へ |
京都六地蔵巡りの一・大善寺(六地蔵) |
地蔵堂に安置されている地蔵菩薩立像は平安時代の始め、小野篁(おののたかむら)が一度息絶えて冥土へ行き、そこで生身の地蔵尊を拝して蘇った後に一本の桜の木から刻んだ六体の地蔵の一つです。当初、ここに六体の地蔵尊が祀られていたのですが、後白河上皇の勅命により平清盛が西光法師に命じ、都に通じる主要街道の入り口に残りの五体を分祀した事から、これらの地蔵を巡拝する「六地蔵巡り」の風習が生まれたと伝えます。 |
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パセオダイゴロー通過・・・ |
山科川 |
大善寺(伏見六地蔵) |
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今日も快走してくれたキララくん(^-^)v |
本堂 |
地蔵堂(左)、観音堂 |
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京都六地蔵の一・地蔵菩薩立像@地蔵堂 |
桃山御陵を走り抜けます。。。(; ̄ー ̄川 |
乃木神社 |
乃木神社(勝運・勉学の神) |
陸軍大将だった乃木希典(まれすけ)と妻・静子を祀る神社です。日清戦争では歩兵第一旅団長として参加。日露戦争では第3軍司令官として旅順攻撃をし多くの犠牲者を出し作戦に対する非難が生じたが明治天皇の信任厚く明治40年に学習院院長に任命され明治天皇の大喪には静子婦人とともに殉死。境内に、ロシアのステッセル将軍から贈られたという愛馬「璞号(あらたまごう)」と「寿号」の銅像があり、希典の生家や旅順の第3軍司令部舎も復元されています。 |
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乃木神社 |
装甲巡洋艦「吾妻」主錨、海軍犠牲者慰霊碑 |
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日露戦争での日本軍第三軍司令部 |
乃木希典が少年時代に住んでいた家 |
ライオンさん(*^-^*) |
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清々しい境内 |
本殿 |
伏見名水・勝水 |
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JR奈良線・桃山駅踏切 |
御香宮 |
大鳥居@大手筋 |
Tourist
2009.08.24(M)
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