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嵐山羅漢石造 |
嵐山モアイ像?(^▽^;) |
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えぇなぁ〜
(*^▽^*) |
小倉百人一首の殿堂・時雨殿 |
源氏物語ゆかりの大堰の邸候補地 |
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解説 |
川風が涼しくて心地よか〜\(●⌒∇⌒●)/ |
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岸辺から屋形舟やボートを何時間でもボ〜と眺めていられそう(^^ゞ |
嵐山亀山地区案内図 |
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ハーフタイム!ヾ(・・
)欧米か?! |
亀山公園へ |
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鮮やかな緑のカエデが眩しい! |
日中両国友好に尽された京都にゆかりの深い、周恩来総理詩碑 |
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角倉了以(すみのくらりょうい)像 |
津崎村岡局の銅像 |
解説 |
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後嵯峨・亀山・後伏見天皇火葬塚 |
山頂展望台へ・・・野ザルに注意!(^▽^;) |
嵐峡俯瞰・・・トロッコ列車が走っていきました・・ |
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嵐峡俯瞰 |
大悲閣(だいひかく:千光寺) |
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嵯峨野と言えば竹林・・吹き抜ける風が爽やかで心地よい! |
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トロッコ・嵐山駅 |
小倉池 |
常寂光寺 |
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落柿舎 |
土佐四天王像 |
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陸援隊・中岡慎太郎 |
海援隊・坂本龍馬 |
土佐勤皇党・武市半平太(瑞山) |
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天誅組・吉村虎太郎 |
野宮神社 |
世界文化遺産・天龍寺 |
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平家物語ゆかりの琴きき橋跡碑と渡月橋 |
渡月橋を渡ります・・・ |
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阪急電車・嵐山駅 |
松尾大社 |
いつも愛宕山の写真を撮る場所(^^ゞ |
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阪急電車・京都線 |
桂川と愛宕山@桂大橋 |
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嵐山サイクリングロード |
JR京都線、新幹線の鉄橋 |
間もなく久世橋 |
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名神高速道路 |
※久我橋東詰めを左折(東へ:鴨川) |
京阪国道(R1号線) |
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京阪国道(R1号線) |
宇治川大橋 |
宇治川 |
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野鳥の楽園、ツバメのねぐらとして有名 |
巨椋池干拓田 |
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久御山町・一口(いもあらい)へ・・・かつて広大な巨椋池が広がっていた干拓田 |
巨椋池の動植物を鎮魂する「大池神社」 |
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巨椋池碑 |
洪水浸水線と伝える大池漁業記念碑 |
「京都の自然200選」に選定されている前川堤 |
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かつて巨椋池の漁業網元(庄屋)だった山田家の長屋門 |
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弥陀次郎(みだじろう)伝説を今に伝える浄土宗知恩院派紫金山・安養寺 |
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観音寺 |
建長2年(1250年)に開基されたと伝え、重厚な山門に菊花の御紋章を配する皇室の帰依も深い天台宗の寺院でしたが、現在は浄土宗に改宗され落ち着いた雰囲気を持つ寺院です。観音寺には、『昔々、長四郎という信心深い人の夢に観音菩薩が現れ「私は、池の中に沈んでいる。諸人を救済しなければならないから早く引き上げよ」とのお告げがあり、翌朝蓮池に舟を出し、瑞雲たなびく所に網を打ち、十一面千手観音像を引き上げ観音寺に祀った』と、寺名に相応しい伝承がある。 |
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観音寺 |
こま札 |
境内 |
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本堂 |
久御山町役場 |
旧木津川右岸堤防跡 |
荒見神社 |
当地は「和名抄」には見えないが、古くは田井郷有見ノ里と言った。有見は荒見の転訛で荒水を言ったと考えられるのは、巨椋池に近く、しばしば水害を被った事から水神を祀ったのが当社の起こりであるが、中世以降に水神と関係のない祭神(武甕槌命:たけみかづちのみこと)、他に四柱を祀っているのは、信仰の推移によるものと考えられている。「延喜式」に記す久世郡荒見神社とあるのは当社と言われるが、一説に城陽市富野荘の荒見神社とも言われ明らかにしない。 |
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旧木津川右岸堤防跡 |
久御山町田井の氏神・荒見神社 |
竹久夢二と円福寺 |
弘仁15年(天長元年:824年)、弘法大師が創建した真言宗の寺院でしたが、元和10年(寛永元年:1624年)の大洪水で流失した後、寛永2年(1625年)に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院として再建されました。円福寺は、竹久夢二が庫裏をアトリエとして絵筆を奮ったことで知られる。大正ロマンを代表する画家で詩人でもある竹久夢二は一時期、久御山町に住んだことがあり、それ以前にも京都市清水の借家に二男・不二彦と移り住まいした。宇治の平等院へも、しばしば訪れており、そこで後に久御山町田井の円福寺住職となる釜屋了貫と家族交友があった。夢二が43才の時、不二彦を伴って当寺に滞在したのは、昭和3年(1928年)5月〜9月頃までの間で寺で奮ったが生活は困窮したと伝える。当寺に滞在中に書き残した現存作品は、衝立(ついたて)、掛け軸、短冊、色紙、扇など十点ほどですが、他に行方不明になった作品があったと伝える。 |
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竹久夢二旧跡・円福寺・・・夢二は、当寺の庫裏をアトリエにして絵を描いた。 |
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本堂 |
スカイツリー?!(^▽^;)(KBS久御山ラジオ送信所) |
のどかな水田の風情 |
流れ橋(上津屋橋) |
木津川に掛かる日本最長級の木造橋で正しくは上津屋(こうづや)橋と言います。木津川の増水時に渡板まで水が浸かると渡板が流されますが、渡板がワイヤーで繋がれている為、水位が下がればワイヤーを引張って修復出来る橋構造になっている事から流れ橋と呼ばれています。時代劇の撮影にも利用されている橋でTV、映画で見た事があるかと思います。昭和28年(1953年)3月に架橋されて以来、昨年の平成21年(2009年)10月までに通算17回も被災(流失)し、今回の復旧工事では橋板を20数枚ごとに1ブロックで流れるユニット工法を新しく採用した。6月16日に開通した。※流れ橋は、演歌(木津の流れ橋、歌・藤田まこと)でも唄われ、詩人・井上俊夫も流れ橋のロマンを詠んでいます。橋手前の流れ橋碑は、そんな由縁から藤田まこと氏によって寄贈されています。 |
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久御山町からの流れ橋全景 |
昨年10月に被災(流失)してから8ヶ月・・6月16日に開通!
(*^-^*) |
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えぇなぁ〜
(*^▽^*) |
一部の橋脚はコンクリート製 |
思わず立ち止まって合掌する野辺の石地蔵 |
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第二京阪側道へ・・・ |
新木津川大橋 |
流れ橋遠望 |
石田(いわた)神社 |
岩田村の産土神で神社は東岩田、西岩田、上津屋(こうづや)の三ヶ所に分祀されています。石田君(いわたぎみ)の始祖・五十日足彦命(垂仁帝皇子)を祀る石田氏の氏神です。石田氏に関しては不詳ですが当社が延喜の制に大社に列せられ月次・新書に預かっている事から有力な氏族であったと推察されます。上津屋の石田神社境内には吉野時代作の十三重石塔が一基あります。岩田地区では綿で布を織り毎年の正月に厄除けを祈願して石田神社に奉納し、拝殿の鈴に結わえ妊婦が5か月目になると、その鈴に結わえた布を分けてもらい安産を願ってお腹に巻きました。これが岩田帯の発祥だと伝える。 |
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四季彩館 |
石田(いわた)神社 |
こま札 |
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十三重石塔(吉野期) |
社殿 |
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木漏れ日と風が心地いい〜(*^-^*) |
アジサイ |
府道
京都・八幡・木津自転車道線案内図 |
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流れ橋の石碑(木津・泉大橋まで約20km/嵐山まで約25km) |
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流れ橋と茶畑 |
今日は渡れませんでしたが6月16日に開通予定 |
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藤田まこと氏が寄贈した流れ橋碑 |
流れ橋とユニット工法の説明図 |
木津の川面から見た流れ橋 |
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橋板を20数枚ごとに金具やワイヤーで固定して1ブロックごとに流れるユニット工法 |
八幡市側からの流れ橋全景 |
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サイクリングロード嵐山方面 |
サイクリングロード木津方面 |
流れ橋をあとに・・・ |
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第2京阪国道・新木津川大橋 |
国道1号線・木津川大橋 |
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天王山の緑が美しい |
京阪電車・木津川鉄橋 |
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おけいはん特急の写真を撮りたいので・・時間潰し(^^ゞ |
御幸橋 |
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男山と八幡の町並み |
男山ケーブルが上っていきます・・ |
木津川に架かる御幸橋 |
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木津川と桜の名所・背割堤 |
宇治川(澱川)に架かる御幸橋 |
宇治川(澱川) |
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宇治川に架かる御幸橋 |
サイクリングロードは橋を渡って左折(西へ) |
府道
京都・八幡・木津自転車道線案内図 |
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白線通り堤防右下へ・・・ |
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この先で堤防左下に下ります・・ |
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※サイクリングロードの表示通りに堤防下へ下りて道なりに進み前方の宮前橋下を通過。堤防道をまっすぐ進むと交差点に出ます。 |
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戊辰役東軍戦死者埋骨地(愛宕茶屋跡) |
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間もなく羽束師橋 |
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草津の湊、魚市場跡碑 |
嵐山迄、この先約13km続くサイクリングロード |
無事帰還!暑かったぁ〜(; ̄ー ̄A |