平安浪漫チャリチャリ散策

 

しめやかに 時雨の過ぐる 音聴こゆ 嵯峨はもさびし 君とゆけ   吉井 勇

 

城南宮〜嵐山温泉「駅の足湯」〜野宮神社〜19th CENTURY HALL(19世紀ホール)〜清涼寺〜愛宕念仏寺〜松尾大社

 

嵐山、嵯峨野・・・平家物語の世界(ステージ)

平安の王朝文化が花開いた嵐山、嵯峨野一帯は天皇、公家達が華やかに舞った悲恋の舞台でもありました。

平家一門の総大将・平清盛に翻弄された美しい白拍子の名手姉妹・祇王、祇女の悲恋、平重盛に仕えた平家の侍・斉藤時頼(滝口入道)と

建礼門院の侍女・横笛の悲恋、平家物語を彩る高倉天皇と小督局(こごうのつぼね)の悲恋など大堰川、渡月橋畔の嵐山一帯が舞台です。

日本を代表する京都の四季を艶やかに映す雅のステージに激しくも悲しくも燃えた平安ロマンをPちゃんズ第二弾としてチャリチャリと訪ねました。

今回の嵐山・嵯峨野行きでPちゃんの新車、MTB・ラッキーUが本格的にデビューしました。(^-^)v

フロント1枚×バック6枚の6段変速のシフトチェンジでラッキー号よりも快適なはずですが、一番軽いギアシフトでクルクルビュ〜っとなっ?!(^▽^;)爆

シフトチェンジを説明してもクルクルビュ〜っと・・が、お気に入りのご様子?!(^▽^;)爆・・まっ、無事に新車デビューができれば良しですが?!(^^ゞ

チャリチャリで出立するとです・・・Pちゃんズ!(^_^)

城南宮

PちゃんのMTB@新車のチャリチャリ(ラッキーU号)

菜の花が咲く桂川堤防をクルクルペダリングでビュ〜っと疾走中?!(^▽^;)

久世橋手前を堤防下へクルクルチャリチャリ

向い風(北風)が強かとです!(>_<)

新幹線が鉄橋を通過しとるとです・・・

ちと休憩中!(;^_^A(後方、JR桂川鉄橋)

桜がチラッと咲いとるとです。

桂大橋手前を堤防下へチャリチャリo(*^▽^*)o

向い風が、とても強かとです!(@_@)

前方を阪急電車が通過中・・・

西大橋をクルクル渡ります。

畑の真ん中をチャリチャリと走り抜けます。

愛宕山、松尾橋が見えてきました!

「きたがはら人道橋」を渡り右(桂川)へチャリチャリ

去年は見事な桜のトンネルでしたが今年は蕾み状態!(>_<) 残念〜

チラッ、ホラッと咲いている桜(松尾橋手前)

愛宕山が随分と大きく見えます!

Pちゃん、ゴ〜〜〜ル!!!頑張ったとです!(^_^)V

「中の島橋」を渡ると嵐山公園とです。

渡月橋

しだれ桜もチラホラ程度・・・(_ _;)

渡月橋をチャリチャリと渡ります。

嵐電(京福電車)嵐山駅

嵐山温泉「駅の足湯

スグ傍を電車が通過!・・・サスガ!!「駅の足湯」

ホヨッ・・・ホッコ〜リ (*^。^*)

ホワッ・・・ハンナ〜リ(^▽^;)。。。足だけを浸けるから足湯とです・・・アシカラズ?!(;^^ゞ

Pちゃんズのキララ号とラッキー2U号o(*^▽^*)o

野宮神社

伊勢神宮に仕える伊勢斎宮(さいぐう/いせのいつきのみや)が身を清める為に建立された神社で皇大神宮の奉仕に赴く前に長からぬ間、篭られた斎(いつき)の跡と伝え天照大神を祀る旧村社で縁結びの社です。伊勢斎宮は崇神天皇の御代、皇女・豊鋤入姫命(とよすきひめのみこと)に勅して天照大神を大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀られ垂仁天皇の御代に倭姫命(やまとのみこと)が天照大神を奉じて諸国を巡り遂に伊勢の五十鈴川の畔に皇大神宮を営み仕えたのが起こりとされ歴代天皇は斎宮を置かれ後醍醐天皇の皇女・祥子内親王まで続いたが中世の兵乱によって根絶しました。斎宮は天皇即位の時、未婚の皇女、女王から選ばれ一に斎王と言います。今の野宮神社は何時の野宮か明らかではないが簡素な黒木の丸太組の鳥居、小柴垣は往時の野宮を偲ばせています。源氏物語の舞台にもなり恋の清算に訪れた源氏を忘れえぬ六条御息所の煩悶が描かれています。

天竜寺

嵯峨野竹林道

源氏物語所縁の野宮神社

本殿

苔庭

嵯峨野竹林道を快調にクルクルチャリチャリしとるとです・・・!(^o^)/

電車が通過中・・・

19th CENTURY HALL(19世紀ホール)

トロッコ嵯峨駅の隣に19世紀の文化と癒しのアート館「19th CENTURY HALL:19世紀ホール」があります。19世紀は科学技術、芸術の分野で飛躍的な発展を遂げた世紀です。その象徴である「蒸気機関車」、楽器の王様「ベーゼンドピアノ」、親日家で印象派の巨匠「クロードモネ」を一同に介しています。館内はピアノ演奏(自動演奏)で優雅な雰囲気を演出しています。

抹茶ソフトはマイウ〜!ガソリン補給中!!(JR嵯峨嵐山駅)

19th CENTURY HALL(19世紀ホール)

蒸気機関車(D51)

館内に展示されている19世紀の象徴とされる蒸気機関車(左からC56-98、若鷹号、D51-603、C58-48)

蒸気機関車(C56-98)

蒸気機関車(D51-603)

蒸気機関車(C58-48)

デカ〜蒸気機関車(C58)の動輪

蒸気機関車(若鷹号)

ベーゼンドルファーグランドピアノ(自動演奏)

モネは近代文明の象徴たる蒸気機関車に強く魅せられ蒸気機関車、駅舎をモチーフにした作品を多く残しています。

1860年〜80年代にかけてフランスで起こった芸術運動で自然の変化を正確に捉えようと華麗な画面を創作したのが印象主義です。印象派を代表するクロードモネはゴッホ、ドガ、ミレー同様に浮世絵に影響を受け日本をこよなく愛したと伝わります。

「庭の睡蓮」、「藤の木」、「太鼓橋」、「インテリア」は日本調で描かれています。

1999年8月、パリで開催された「国際博物館会議」で認められ価値の高い文化財、美術品の再生、復元の新技術として世界的評価を得た「デジタルアーカイブ対応新画像フォーマット」によってモネの作品を再現して展示されています。

清涼寺

清涼寺は五台山清涼寺と号し嵯峨野でも有数の古刹で源氏物語の光源氏のモデルとされる平安貴族の源融(みなもとのとおる)所縁の寺です。本尊の三国伝来の釈迦仏は有名で嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)として、人々に崇拝されています。左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘(棲霞観:せいかかん)源融没後、寺に改め棲霞寺(せいかじ)と号し天慶8年(945年)、源融と血縁深い式部卿宮重明親王が亡室の為に新堂を建立し金色等身の釈迦如来一体を安置し42年後の永延元年(987年)、南都東大寺の僧・「念(ちょうねん)は宋より帰朝後、請来した釈迦如来像と摺本一切径を当寺に安置しました。「念は愛宕山を中国の五台山に擬えてその麓に大清涼字寺を建立しようと考えましたが長和5年(1016年)「念没後、弟子の盛算は師の遺志を継ぎ棲霞寺内に一宇を営み釈迦像を安置し五台山清涼寺と号し都下万民の信仰を集め隆盛し軒を貸した棲霞寺は衰徴し今は境内の阿弥陀堂に名を留めるに過ぎません。本尊の釈迦如来立像(国宝:宋)は、体内に五色の絹で作った五臓六腑(ごぞうろっぷ)とお経を持ち、生身(いきみ)のお釈迦様と称されています。近年、大阪城発掘時に見つかった豊臣秀頼の首塚が本堂横に祀られています。

国歌「君が代」にも登場する「さざれ石」

ウッホホ〜イ!ランチタイム〜とです!!(^o^)/ マイウ〜

清涼寺(嵯峨釈迦堂)

多宝塔

源融(みなもとのとおる)公供養塔

嵯峨天皇、檀林皇后塔(右)

「念(ちょうねん)上人供養塔(墓所)

豊臣秀頼公首塚と大坂の陣戦没者供養碑(左)

薬師堂(生の六道:小野篁遺蹟)

隠元筆「栴壇瑞像」の大額(本堂)

棲霞寺(せいかじ)阿弥陀堂

経蔵

釈迦多宝塔石仏

宝篋院(ほうきょういん)

夏の夜、千灯供養で有名な化野(あだしの)念仏寺

一の鳥居(奥嵯峨・鳥居本)・・・改修中!(>_<)

坂道をガンバってクルクルしたとです!(;^_^A

嵯峨野めぐりの始発点を示す石碑(愛宕念仏寺)

愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら)

醍醐天皇の延喜年間、千観阿闍梨の開創する等覚山愛宕院と号する天台宗延暦寺派の古刹で当初は奈良時代以前、東山の地に七堂伽藍を備える御願寺として建立されました。平安時代初期に洪水で堂宇が流失しましたが、醍醐天皇の命で六波羅蜜寺の近くに再興され、大正11年(1922年)に現在地に移されました。鎌倉時代に造られた本堂(重要文化財)周辺の境内には、参詣者の手で彫られた表情豊かな1200体もの羅漢石像が並び建築、仏像に見るべきものを有します。

愛宕(おたぎ)念仏寺

参道

シャガの群生と千二百羅漢石像

一体々、仕草や表情が個性的な千二百羅漢石像・・・特に右端の一体が個性的とです?!(≧▽≦)ぷっ

鐘楼(三宝の鐘:三鐘)鐘があるから鐘を撞く?!(;^_ ^A

ふれあい観音堂

ふれあい観音

本堂(重要文化財:鎌倉期)

多宝塔と伝教大師像

先代の西村公朝住職が彫られた釈迦像

虚空蔵菩薩像

圧巻される千二百羅漢石像・・・ピンクの石仏一体が動いていますがな?!(爆)

表情豊かでユーモラスに喜怒哀楽を表す千二百羅漢石像

心が和むとです・・・千二百羅漢石像

地蔵堂

千二百羅漢石像に囲まれた境内

シャガと千二百羅漢石像

愛宕街道をチャリチャリ(左:清滝街道)

一の鳥居(奥嵯峨・鳥居本)

鳥居本駅への階段(愛宕鉄道遺構)

町並み保存館・・・休館とです!(>_<)残念〜

愛宕鉄道の橋梁跡

まゆ人形の「まゆ村」

いつも歓待して頂く「まゆオネーさんズ」・・・どもども

松尾大社

大山咋神(おおやまくいのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと/中津島姫命(なかつしまひめのみこと))を祭神とする旧棺幣大社で京都最古の神社の一です。文武天皇の大宝元年(701年)、秦忌寸都里(はたのいみきとり)が松尾山大杉谷の磐座(いわくら)の神霊を勧請し社殿を造営しその女・知満留女(ちまるめ)を斎女として奉仕させたのが当社の起源で代々秦氏が奉祀しました。平安遷都後、賀茂社と供に王城鎮護神となり賀茂の厳霊、松尾の猛霊と東西並び称されました。大山咋神(おおやまくいのかみ)は上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の父神とされ賀茂社とは姻戚関係にあり延喜の制には名神大社となり二十二社の制には第四に班し中世を通して上七社の一に列せられる有数の大社です。寛弘元年(1004年)、一条天皇の行幸以来歴代の行幸、行啓すこぶる多く中世以降は酒造の神として崇敬が篤く氏子地域は京都市の1/3にも及びます。

嵐山(渡月橋)

松尾大社

楼門

で亀さん

拝殿

本殿

御神水「亀の水」

大杉谷の崖下から湧出する清泉でこの水を醸造の時に加えれば酒が腐敗しないと伝わり古来醸造家が汲んで持ち帰る慣わしがあり当社の信仰はこの井泉によるものです。亀の井とは松尾神の神使いが亀である事に因りますが神の井に通じます。清泉は飲料水として古代住民にとって神の水で水を求めて聚落が営まれ当社を始め松尾に座す水の神であったのが大山咋神(おおやまくいのかみ)を信奉する信者によって斉い込められ本来の神格が失われたと考えられています

亀の水井

御神水の「亀の水」

月読神社

月読(つきよみ)神社

天月神命(あめのつきのかみ)を祭神とする松尾大社の境外摂社ですが延喜式内社に記されている葛野坐月読(かどのにいますよみ)神社で京都有数の古社です。日本書紀には顕宗天皇3年(487年)、 阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が任那(みまな)から帰朝の時、月の神から託宣を受けた旨を天皇に奏上したので朝廷は葛野郡歌荒樔田(うたのあらすだ/桂川左岸の有栖川)の地を与え社が創建されたが度々水害を被むるので平安初期の斎衡3年(856年)3月に現地に移されました。かって天月神命(あめのつきのかみ)は長崎県壱岐郡に鎮座したとされ天月神命を壱岐氏が移し祀ったとされ壱岐氏は壱岐、対馬を本貫とし諸国を繁行し山城国では月読、松尾両社の禰宜(ねぎ)となり子孫代々、亀卜(きぼく)に長じ卜部(うらべ)として神祇官に仕えました。古来、痘瘡の神として朝野の崇敬篤く延喜の制では名神大社となり4度の官幣に預かり葛野郡中、第一位に位し木嶋神と並んでその古さを誇っています。本殿右奥にある玉垣内の月延石は安産石ともいわれ社伝によると神功皇后が新羅征伐時にこの石で腹を撫でて心身の安泰を得られた故に安産祈願の信仰があります。月読社の傍にあるから月の辺(べ)石で月延べ石に転じ係る伝説が生じたとされます

拝殿

本殿

御神石の「月延石」

特急(阪急電車)が通過中・・・

シフトチェンジできたかな?ちょっと休憩!(;^_^A

新幹線高架をチャリチャリと通過したとです!

Pちゃん、快調にクルクルチャリチャリ!(^_^)v

久世橋が見えてきたとです!

Pちゃん、伏見に向かってクルクルチャリチャリと疾走中!

伏見に入りました!名神高速道路が見えます!!

さすが!MTB!!坂道を一気にチャリチャリ!!!

久我橋が見えてきたとです!

次回はシフトチェンジしようね?!(^^ゞ爆

Tourist  2005.04.04(M)

 

   

関連サイト

山紫水明散策「松尾〜奥嵯峨散策」

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清涼寺・奥嵯峨野・小倉山(亀山公園など)編

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