霊峰・愛宕山参り
お伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕山へは月参り (古歌)
嵐山サイクリングロード〜嵐山・嵯峨野〜清滝〜愛宕山
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★ 愛宕山の七不思議(諸説あり) ☆地図 |
古来、愛宕山は不浄を許さぬ火の神の聖域で神山、霊峰であると伝える。 |
洛西の霊峰・愛宕山(924m)と洛東の霊峰・比叡山(848.1m)の伝説 |
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遠いむかし、愛宕山と比叡山はお互いに自分の方が背が高いと喧嘩ばかりしていました。ある日、とうとう比叡山が愛宕山の頭をポカリと叩きました。すると愛宕山の頭にたんこぶができました。怒った愛宕山は、今度は比叡山の頭をポカリ!比叡山はこぶができずに頭が凹んでしまい、その日から愛宕山の方が高くなりました。(>▽<;; たしかに愛宕山山頂にはコブがあり比叡山山頂は凹んでいます。(^▽^;) |
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遠く雲に浮かぶ霊峰・愛宕山 | 草津の湊(桂川・鴨川合流地)遠くに比叡山 | 前方に久我橋@桂川右岸堤防 |
嵐山サイクリングロード | ||
「嵐山サイクリングロード」は、桂川「渡月橋」右岸(嵐山公園)〜木津川「泉大橋」左岸間の全線45kmにも及ぶ<自転車と歩行者の専用道>で「京都・八幡・木津自転車道線」です。道中は舗装整備された道で走りやすく、四季折々の自然を満喫しながらファミリーでも安心して自転車散策を楽しめます。途中、鴨川から桂川へコースが変わる京川橋〜久我橋界隈、堤外人道橋(天神川)、堤外人道橋(天神川)、西大橋(R9号線:五条通り)、きたがはら人道橋辺りが少し迷うかもしれませんが白線などコースをよく見て判断していただければ大丈夫だと思います。 |
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※迷いやすい難所?! 久我橋を渡って桂川左岸の嵐山サイクリングロードへ | 嵐山サイクリングロード | |
久世橋の下へ・・・ | 嵐山まで9km・・・寄り道なしで約20分ほど | 学生時代よく試合をした吉祥院球場 |
東海道新幹線 | JR京都線(東海道本線)桂川橋梁 | 堤外人道橋(天神川)を渡ります・・・ |
桂大橋の下へ・・・ | 愛宕山がはっきり見えてきました・・・ | 阪急電車京都線・桂川橋梁 |
西大橋(R9号線:五条通り)を桂川右岸へ渡ります・・・愛宕山が見えます!(*゜▽゜)/ウイッス! | ||
橋を渡ってすぐに堤防下へ折り返します・・ | のどかな田畑など耕作地の中を走り抜けます。。。(*´ο`*)=3ホッ | |
用水を正確に分水する円形分水(円筒分水) | きたがはら人道橋を渡り桂川右岸へ・・・ | ・・・ |
・・・ | 前方に松尾橋 | 松尾大社の一の大鳥居 |
阪急電車・嵐山線 | 食料などを調達!(^-^)v | ・・・ |
・・・ | サイクリングロードの嵐山起点(終点) | 京都市最高の霊峰・愛宕山(924m) |
春は桜が満開!\(●⌒∇⌒●)/ | 中の島橋を渡ると嵐山公園 | 渡月橋と亀山、小倉山〜愛宕山 |
腹が減っては戦ができぬでござる?!(^^♪ハトくんにサンドウイッチ&おにぎりも食われた〜?!(^▽^;) | 嵐山公園にモニュメントがあります・・・ | |
何やろ?ボーリングのピンみたいやけど・・ | 立派な生け花も!!たしか未生流だったかと(^^ゞ | 月が渡るの如く・・渡月橋を渡ります・・ |
天龍寺通過・・ | 嵯峨野竹林道 | |
源氏物語ゆかりの野宮神社 | 見上げれば・・・えぇなぁ〜(*^▽^*) | |
嵯峨野と言えば・・嵯峨野竹林道のトンネル・・・Deep Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?! | ||
竹林の合間から見えるトロッコ嵐山駅 | 小倉池 | 紅葉の名所・常寂光寺 |
いずれここまで歩くであろう京都一周トレイル・西山コース-13 | 俳人・松尾芭蕉の高弟・向井去来の落柿舎 | |
落柿舎 | 2012年冬、そうだ京都行こう。二尊院 | えぇなぁ〜(*^▽^*) |
嵐山界隈とは違った風情がある愛宕街道(町並み保全地区) | ||
侘びな風情の愛宕街道(町並み保全地区) | 愛宕街道・一の鳥居(奥嵯峨・鳥居本) | |
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら) ☆地図 | ||
醍醐天皇の延喜年間、千観阿闍梨の開創する等覚山愛宕院と号する天台宗延暦寺派の古刹で七堂伽藍を備える護願寺として建立されました。平安時代初期の洪水で堂宇が流失しましたが、醍醐天皇の勅命で六波羅蜜寺の近くに再興され、大正時代に現在地に移されました。鎌倉時代に造られた本堂(重要文化財:鎌倉期)周辺の境内には、参詣者の手で彫られた表情豊かな1200体もの羅漢石像が並んでいます。 |
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茅葺屋根が、えぇ感じやぁ〜(*^-^*) | 愛宕(おたぎ)念仏寺 | 落語『愛宕山』にも出てくる試峠(こころみとうげ) |
清滝隧道(トンネル)@清滝街道(愛宕鉄道跡) | レイのものが出ると言われる※※スポットで有名な清滝隧道(トンネル)・・・出たか火の玉?(^^ゞ | |
清滝 ☆地図 | ||
昔は愛宕詣での宿場町でしたが今は紅葉の勝地として有名です。清滝川は桟敷ヶ嶽の山中より発し中川、高雄を経て愛宕山の東麓を流れ保津川に注ぎ込みます。長さ20km、その間山谷幽遠、潤水曲折し川中には奇岩石などが多く奇観を呈する清流です。高雄〜清滝に至る間を錦雲峡と称し清滝〜保津川へ至る間を金鈴峡と称します。春秋の花時はむろんハイキングコースとして親しまれています。 |
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愛宕鉄道「清滝駅」跡(京都バス・清滝停留所) | 清滝の里山俯瞰 | 京都一周トレイル・北山-94 |
愛宕山 ☆地図 |
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京都市の西北、丹波、山城国に聳える峻嶺で標高924m、常に白雲をたなびかせ雄偉で特徴ある山容は東の比叡山と共に人々の親しむ山です。一に阿当護、阿多古、愛太子に作り山頂に鎮座する愛宕神社に因んでこの名があります。愛宕神は軻遇突智(かぐつち)神とされこの神は降臨に際し母伊弉冊(いざなみ)神を焼き給うたので一に仇子(あたこ)、熱子(あつこ)とも言い火を掌る神として崇められています。これに因み火除け、火伏せの神として人々の信仰を得ました。中世山岳仏教が盛んとなるにつれ仏徒は当山に目をつけ唐の五台山に模して山中五峰に五寺(朝日峰白雲寺、大鷲峰月輪寺、高雄山神護寺、竜上山日輪寺、鎌倉山伝法寺)を設け、その本他仏は勝軍地蔵なりと称し軻遇突智神をその垂跡(すいじゃく)とし愛宕大権現と称した。修験者も当山を修験道七高山の一とし天狗太郎坊栄術を配祀するなど常に神道家や僧徒の競望する所でしたが明治3年(1870年)、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって勝軍地蔵を手放し月輪寺以外全ての仏寺を廃して愛宕神社と改め軻遇突智神を主神とする本来の姿に戻りました。俗に「伊勢には七度、熊野へ三度、愛宕さんには月参り」と言われ全国に分祀されるもの800余社の多きに及ぶ。 |
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京都一周トレイル・北山-94 | 山頂は愛宕山登山口にある二の鳥居から40丁 | 早速の激坂がお出迎え?!(^▽^;)なはは |
深夜未明に登山参拝する千日詣 | ||
京の台所によく『阿多古祀符 火廻要慎 あたごきふ ひのようじん』の札が貼られている。都人は、この祀符受けに愛宕山へ登山参拝する。一度参拝すると千回詣でたご利益があるという千日詣では毎年の7月31日深夜〜8月1日未明にかけて行われる。鳥居本の一の鳥居から50丁という約6kmの道のりをかつて人々は松明を灯して山道を登った。火の神の元に詣でるのに松明の灯りは確かな道標となる。真夜中の零時に通夜祭が行われ参拝者は愛宕の神木である樒(しきみ)と祀符を求め火災除けの祈願をするのである。 |
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愛宕山鋼索線が並行していた・・・ | 愛宕山鋼索鉄道(ケーブル)遺構橋梁(No.1) | 延々きつい坂やし上を見ると嫌になる?!(>_<) |
霊が彷徨うと伝える魔界?愛宕山 | ||
京の都の乾(いぬい:西北)の方角に位置する愛宕山は鬼門の対角線上にあたる要注意地帯である。山麓には、葬送地・化野(あだしの)が広がっていたことから愛宕山は死者の霊が宿る魔界とも伝える。『宇治拾遺物語』に「清徳聖奇特の事」という話がある。・・母を亡くした清徳聖が母の遺骸を愛宕山へ運び四方に大石を設え、上に棺を乗せて三年間不眠不休で千手陀羅尼を唱え続けた。ようやくに聖の思いが通じ母が成仏したお告げを受けたので聖は母の遺骨を埋葬し卒塔婆を立てて愛宕山を下山し都に戻った。しかし、三年間も愛宕山中に篭っていたので聖には多くの死霊が取り憑いていたいう。死者が向かう西方の山として洛中の人々から畏れられている愛宕山。そう言えば一条戻り橋で渡辺綱に腕を斬り落とされた鬼も飛び去った先は愛宕山であった・・・と伝える。 |
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表参道で唯一水が湧き出すお助け水 | 一丁ごとにお地蔵様が見守っています! | 嵯峨小学校清滝文教場跡 |
嵯峨小学校清滝文教場跡 | 解説 | 何度来ても延々ときつい坂やんか〜(; ̄ー ̄A |
火燧権現跡(ひうちごんげんあと)・・・藤原頼長が権現に祀られた天狗の像に釘を打ち、近衛天皇を呪殺したのか? | ||
愛宕山表参拝道五十丁を清滝から登っていくと程なく火燧権現跡(ひうちごんげんあと)を示す石碑に至る。愛宕社は遥か上なので気づかずに通り過ぎてしまいがちな石碑である。しかし、この場所こそが、かつての愛宕信仰の需要拠点『清滝四所権現』があった処である。いつの頃に何者によってこの場所に権現社が建立されたか定かではないが、おそらく鉢を飛ばす術(飛鉢法)を得た『清滝の聖』のような山岳修行者たちによって建てられたのだろう。この権現社は平安時代の末期、すでに天狗信仰の拠点にもなっていたらしい。保元の乱の首謀者の一人である藤原頼長の日記『台記』に奇妙な話が記されている。久寿2年(1155年)、近衛天皇の崩御後、頼長の友人がやってきて頼長に奇妙な噂を話した。鳥羽上皇が頼長と彼の父・忠実(ただざね)を恨んでいるというのだ。わけを聞くと上皇が雇った巫女に亡くなった近衛天皇の霊が乗り移り「数年前に誰かが愛宕の天狗の像に呪い釘を打ったので私が死んだ。」と口走った。使者を派遣して調べさせたところ、その通りであった。鳥羽上皇らは犯人を頼長と思っているというのである。誠に恐ろしい話で頼長自身は身に覚えのない冤罪だと否定しているが呪詛(じゅそ)は呪われたと思う側の一方的な判断に依拠しているので少なくとも対立関係にあった鳥羽上皇側にとっては頼長による呪詛は事実となる。どうして愛宕が呪詛の場なのかは、『古事談』に見える先と同内容の話にその場所を『清滝四所権現』としているからである。この権現に天狗の像が祀られ、ここに密かに呪詛を頼みに来るという時代があったのである。 |
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火燧権現跡(ひうちごんげんあと)には火雷神、母秘屋理乃命などの神石祠(一本杉茶店前) | 解説 | |
・・・ | ケーブル愛宕駅の二階でも営業していた一文字屋跡 | 解説 |
お地蔵さんに合掌・・・ | 写真やと全然きつくない様な 上り坂やな・・・ははは。。。( ;∀;)泣いとるがな?! | |
二十三丁石とお地蔵さまっ!(*^-^*) |
上を見ないで歩くのがベストやんか〜(; ̄ー ̄A | おぉ〜休憩場所やっ!(*´ο`*)=3ホッ |
二十五丁石とお地蔵さまっ!(*^-^*) |
表参道の丁石の解説 | 中間地点の二十五丁目茶屋跡 |
解説 | なかや跡解説 | さっ、上を見ずに登りましょ!(; ̄ー ̄A |
二十六丁石 | 延々と続く激坂(; ̄ー ̄A | 二十八丁石 |
丁石そばのお地蔵さん | ・・・ | ようお登り!(*゜▽゜)/ 三十丁休憩所 |
愛宕山は宇宙山・・・天と地は愛宕山で結ばれている?! | ||
愛宕山参拝道の途中に神木としての扱いを受けている朽ちた大杉の幹が残る大杉社がある。かつて、天狗たちが集まったという伝承のある大杉である。天まで届くほどの大杉の巨木の枝々に天狗たちが留まって参拝者たちを見下ろしているという誠にミステリアスな光景が浮かぶ。宗教学や文化人類学に欠かせない概念に「宇宙軸」、「世界軸」というものがある。多くの民族、文化の神話や儀礼に表現されているもので宇宙(世界)の中心には、頂きは天まで伸び、根は地の底まで至る大きな樹や山などが聳え立っているとする思想である。その典型の一つが須弥山(しゅみせん:妙高山)である。この思想が日本に持ち込まれて多くの霊山に当てはめられた。新潟の妙高山はそのものズバリの山名を冠した霊山であるが、京都の愛宕山もそうした象徴的な意味を託された霊山であったらしい。愛宕権現縁起の一つ『白雲寺縁起』によると役行者と雲遍上人(白山開祖・泰澄)の二人が愛宕山に入って清滝に至ると枝は天に拡がり幹は地中深くまで張っていた大杉があり、そこに太郎坊天狗が率いる天狗の大群が現れて愛宕山を領有する大魔王となって人々を救済すると約束したと伝える。また愛宕山山頂にある愛宕社の本殿が建っている所にも大杉が立っていた。というのも本殿の乾(北西)角の床下に巨木の杉の根っこが残っているからである。この大杉も明らかに天と地を結ぶ「宇宙樹」であり、愛宕山は『宇宙山』であった。山の精霊にして雷(火)の象徴でもあった愛宕山の天狗たちは、この「宇宙杉」を伝って人間界に示現していた。 |
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三十丁休憩所 | ・・・ | 大杉社 |
大杉社の前の展望が開けてました・・・\(●⌒∇⌒●)/やっほ〜 | ||
幻想的やな〜 | ・・・ | ワオッ!土砂崩れで道が崩落してます!(@_@;) |
土砂崩れで樹木も根こそぎ崩落したので視界が広がっていました!\(●⌒∇⌒●)/ | 三十二丁石 | |
三十六丁石 | 雨がパラパラ・・・(>_<) | 市内俯瞰 |
ガスっていて残念! オマケに雨が降り出してきました。。。(>_<) 愛宕山に登ると春先は雪に難儀して撤退して今度は雨かい!・゚・(つД`)・゚・ | ||
カワラケ投げの解説 | まだまだ激坂は続くのです・・(; ̄ー ̄川 | 間もなく水尾の別れ(分岐/合流) |
四十三丁石 | ハナ売り場は樒などの販売所 | 解説 |
写真で伝えきれないのがとても残念?!一段と勾配がきつくなるガンバリ坂・・・上を見ると下山したくなる?(^▽^;)爆 | ||
・・・ | 黒門(楼門) | 解説 |
ほんまに上を見たらきついわ・・・(; ̄ー ̄川 | 今日は1時間30分程で到着!(*´ο`*)=3ホッ | 40丁歩破!お疲れさ〜ん!(; ̄ー ̄A |
愛宕神社 ☆地図 | ||
愛宕山朝日峰上に鎮座する旧府社では比叡山、比良山などと京都七高山の一とされます。山頂に愛宕神社が祀られたのは天応元年(781年)と伝わります。愛宕神の軻遇突智(かぐつち)神は、母伊弉冊(いざなみ)神を焼き給うたので一に仇子(あたこ)、熱子(あつこ)とも言われ、火を司る神として崇められています。愛宕神社の火伏の効験は火之軻遇突智(かぐつち)の信仰に基づき後に修験と結びついて天狗(修験者)の利益とされました。愛宕山には太郎坊を筆頭に火乱坊、三密坊、光林坊、天南坊、普賢坊、歓喜坊、東金坊の八天狗が止宿しており、中でも太郎坊は日本を代表する大天狗とされます。 |
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立派な石灯籠 | 雨が本降りでガスってきました・・・(>_<) | 黒門跡基礎石 |
黒門跡基礎石 | 愛宕灯籠が並ぶ参道 | 参拝者休憩所 |
貸切やけど火が消えて寒い!(>_<) | 比叡山が叩いてできたと伝えるコブに鎮座する愛宕神社参道の石段 | |
愛宕山を登ってきて最後に結構な石段登りのデザート付・・(>_<) 比叡山も愛宕山を叩いて余計なコブを作ってくれたもんや?!(^▽^;)爆 | ||
比叡山・延暦寺に戦いを挑んだ天狗たちとは・・・ | ||
天狗たちは比叡山天台宗の僧達によって自分たちが広めようとする仏法を破滅する邪念な者たちとしての「魔」として創造されたらしい。というのも『今昔物語』や『拾遺往生伝』などに見られる天狗伝承の多くが天台系の僧が絡んでいるように描かれているから。典型的な話が、是害坊(房:ぜかいぼう)である。中国から渡ってきた是害坊と名乗る天狗が延暦寺座主・慈恵大師などの比叡山高僧を亡き者にしようと攻撃するが逆に撃退されてしまう話である。この是害坊がワラジを脱いだ先が愛宕山の天狗たちのところである。この説話の初期のテキストでは愛宕山の天狗を日羅坊と表現しているが、時代が下ったテキストには太郎坊となっている。この変化は愛宕山の天狗を太郎坊と称する事が広く浸透している結果である。興味深いのは、天台系の僧達の間で語られた太郎坊の来歴伝承である。空海の高弟・真済という智徳優れた僧がいた。愛宕・高雄の山々で修行を積み、文徳天皇の庇護を受けて異例の昇進を遂げたが、惟高親王と惟仁親王(後の清和天皇)の皇位争いの際に独鈷で脳を砕いて呪詛したという恵亮の権力に前に敗北してしまった。真済はその後、この恨みを晴らすために天狗=怨霊となって天皇家を脅かし続けたと伝える。真済天狗が生前に修行を積んだ愛宕山に住み着いて太郎坊天狗になったとも伝えるのである。この伝承は天台系と勢力を争う真言系の僧が愛宕山の天狗とされ、天狗とは比叡山を脅かすものの象徴でもあった。 |
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御神石(大天狗・太郎坊化身石) | まだ石段が続くのですよ。。。(; ̄ー ̄A | 愛宕神社に到着!(*´ο`*)=3ホッ |
閉まってますがな!(>_<) | 本殿(愛宕山々頂:924m)・・誰一人いない!!(>_<) | 参拝しました!(^-^)v |
社務所へ護符を頂きに参ります・・・しかし、石段もなかなかやな〜(; ̄ー ̄A 雨が本降りになってきたのでスリップに注意して降ります。。。 | ||
最後にこの石段登りは辛いの〜(>_<) | 社務所で頼まれた護符も頂いたので雨の中を下山開始!また最後の下山者とです。。。( ;∀;) | |
愛宕山へ来ると毎回何かが起こる?!今回は山頂辺りで本降りの雨に遭遇・・小一時間雨宿りしたら4時過ぎになって、また最後の下山者や(>_<) | ||
愛宕鉄道、愛宕山ケーブル、愛宕ロッジホテル遺構 | ||
昭和4年(1929年)、嵐電(京福電鉄)・嵐山駅〜嵯峨西駅〜釈迦堂駅〜鳥居本駅〜清滝駅を結ぶ、愛宕鉄道(3,4km)として開通しました。現在、鉄道線路跡は清滝街道として府道になっています。遺構は殆ど現存していませんが「清滝トンネル」は現存している愛宕鉄道遺構です。昭和4年(1929年)7月25日、愛宕山ケーブルが開通し清滝川駅〜愛宕駅の2kmを結び、当時としては日本一の長さと技術水準を誇ったケーブルでした。トンネルと橋梁が6ヶ所ずつあり、車両はスイスのギーセライベルン社製の2両だったと伝わります。当時、愛宕山々頂付近にスキー場もあり、ケーブル愛宕駅にはロッジホテルがありました。昭和19年(1944年)2月、軍への鉄材供出の為?に鉄道と共に廃線となりました。愛宕駅から愛宕神社まで上りもきつく距離もあるため、愛宕駅〜愛宕神社をロープウェイで結ぶ計画もあったが、実現しませんでした。 ★コラムをご覧頂き、ケーブル線跡に興味を持たれて探訪しようと思われた方は、懐中電灯など準備万全での自己責任でお願いします。m(__)m ※現在立ち入り禁止のロープが張られています。 |
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バンガロー跡?炊事場跡?? | 日暮れも気になるけど、久しぶりに廃墟と化したケーブル「愛宕駅」に立ち寄りました。 | |
当時はスキー客や観光客、愛宕社参拝者などで賑わいましたが、廃線から約70年・・風化が進みもはや、いつ崩れてもおかしくない廃墟 | ||
ケーブル巻上げ動力室から見たケーブルのプラットホーム・・70年前までたくさんの客を乗せてケーブルカーがこのホームを発着していました! | ||
西院の河原?(^▽^;) | さぁ比叡山に続いて日暮れとの競争や!(^^ゞ爆 | 市内俯瞰 |
下界の風景が幻想的や〜(*^▽^*) | 随分と崩落したものです・・・(◎◎;) | お陰で視界が開けました!(*゜▽゜)/ |
時には山上から雲を眼下に眺めるのも『のんちゃん雲に乗る』って感じで・・・えぇもんや〜(*^▽^*) | ||
大杉社通過・・・ | 雨上がりでぬかるんでるのでスリップ要注意! | 夜の帳と競走?!(^▽^;) |
さすがに暗くなったのでライト点灯! | お助け水を汲んで帰ります!(^-^)v | 約50分で下山したけど、下界は真っ暗や!(>_<) |
レイのものが出たか?!(^^ゞなんてね | キララくんお待たせ!(*゜▽゜)/ | レイのものが出ると言われる※霊スポット?! |
清滝隧道(トンネル)を通過中・・・ | 嵐山、渡月橋がライトアップされている!走り撮りなもので・・・`s(・'・;) | |
夜陰に浮かび上がるライトアップされている渡月橋と嵐山\(●⌒∇⌒●)/ | えぇ感じや〜o(*^▽^*)o | |
昼間に見た嵐山公園のオブジェは、光のモニュメントやったんや!綺麗や〜(*゜▽゜)/ | ||
ライトアップされている嵐山をあとに・・・さっ、伏見へ急ごう!(*゜▽゜)/ | 伏見にある京セラ本社ビルのX'masイルミ | |
去年は震災や電力不足を懸念してX'masイルミは中止されたけど、2年ぶりの復活!\(●⌒∇⌒●)/ | ||
「積雪の光の森」をテーマに、白、ブルー、緑やオレンジのイルミネーションを約18万7000個のランプ(省電力タイプのLEDなど)が、幻想的な世界を演出しています。 | ||
12/15〜25日は、同社ビルの東西壁面に、室内照明を活かした巨大なX'masツリーが登場。夜空に浮かび上がるX'masツリーと、幻想的な樹木の光を楽しめます☆⌒(*^∇゜)v | ||
〜12/31(巨大X'masツリーのみ〜25日)点灯時間は、17:30頃〜23:00頃まで(12月31日のみ21:00頃迄) | 一押しのたこ焼きのイルミ?(^▽^;)爆 | |
Tourist 2012.12.17(M) |
※管理人から! 愛宕山は京都市最高峰(924m)の火伏せ神で知られる霊山で登山道を滅多に迷う事はないと思いますが、いずれのルートも急峻で厳しい。
特に日暮れが早い冬季の登山は午後から登られる方は少なく登山される方は、雪対策、寒さ対策、軽食、ライトなど万全の用意をして登山してください。
関連サイト |
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愛宕山のパワースポット・空也瀧、ひぐらしの瀧探訪 | |||
嵐山・嵯峨野〜高雄三尾名残の紅葉チャリてち探訪 | |||
嵐山、嵯峨野、愛宕山ケーブル遺構探訪 | 愛宕山ミステリー散策(リベンジ編) | ||
愛宕山ミステリー散策 | 積雪の愛宕山詣 | ||
愛宕山散策「空也滝・月輪(つきのわ)寺編」 | 愛宕山散策「愛宕神社散策」 | ||
山紫水明散策「松尾〜奥嵯峨野散策」 | 山紫水明散策「奥嵯峨野〜小倉山散策」 | ||
嵯峨野路散策「嵐山編」 | 嵯峨野路散策「嵯峨野編」 |