愛宕山散策

 

愛宕山散策「空也滝・月輪(つきのわ)寺編」

 

きよ滝や 波にちりこむ 青松葉   芭蕉

 

城南宮〜サイクリングロード〜奥嵯峨野〜清滝〜愛宕山・空也滝〜月輪(つきのわ)寺〜愛宕神社

 

清滝

昔は愛宕詣での宿場町でしたが今は紅葉の勝地として有名です。清滝川は桟敷ヶ嶽の山中より発し中川、高雄を経て愛宕山の東麓を流れ保津川に注ぎ込みます。長さ20km、その間山谷幽遠、潤水曲折し川中には奇岩石などが多く奇観を呈する清流です。高雄〜清滝に至る間を錦雲峡と称し清滝〜保津川へ至る間を金鈴峡と称します。春秋の花時はむろんハイキングコースとして親しまれています。

渡月橋と愛宕山

光源氏のモデルと伝える源融(みなもとのとおる)公供養塔(清涼寺)

多宝塔(清涼寺)

本堂(清涼寺)

曼荼羅山(まんだらやま/万灯籠山)

空也滝への山道

空也上人修行の地と伝える空也滝は京都のパワースポットしても紹介されている・・

空也滝

親鸞の涙(時雨桜/写真:月輪寺提供)

 

一の鳥居(城南宮)

神輿倉

前日の城南祭で灯された松明

城南宮

愛宕山の雄偉な山容

渡月橋

小督(こごう)塚と琴聴橋

小督局(こごうのつぼね)は権中納言成範の女とも藤原信西の女とも伝え平清盛の女・建礼門院に仕え宮廷一の美女で琴の名手とされます。高倉天皇の寵愛を受けますが、以前には藤原隆房(清盛の五女の夫)の寵愛を受けた為に清盛が激怒しそれを伝え聞いた小督は帝にまで害が及ぶ事を案じて秘かに宮中を去り嵯峨野に隠棲しますが帝から命を受けた北面の武士・源仲国は小督を捜し求めて渡月橋の畔に来た時、かすかに聞こえる琴の音で彼女を探し出したと平家物語は伝えます。こうして帝の元に戻りやがて女子が生まれますが、中宮徳子より先に帝の子供を生んだ事で更に清盛の怒りを招き23歳で無理矢理に出家させられました。高倉帝が亡くなった後は清閑寺で菩提を弔い、没後に高倉陵の傍らに葬られたと伝えます。近くに琴聴橋跡があります。

愛宕山を望む

大堰川と嵐山

琴聴橋跡

清涼寺

嵯峨野でも有数の古刹で五台山と号する浄土宗知恩院派の寺。俗に嵯峨釈迦堂と称し源氏物語の光源氏のモデルとされる左大臣・源融(みなもとのとおる)の山荘・棲霞観(せいかかん)があった所で源融の没後、寺に改め棲霞寺と号した。天慶8年(945年)、源融と血縁の式部卿宮重明親王は亡室の為に新堂を建立し金色等身の釈迦如来一体を安置し永延元年(987年)南都東大寺の僧「念(ちょうねん)が宋より帰朝し請来した釈迦如来像と摺り本一切経を安置し愛宕山を宋の五大山に擬え大清涼寺を建立しようとしたが果たせず長和5年(1016年)に示寂し「念の弟子・盛算は先師の意志を継ぎ棲霞寺内に一宇を営み釈迦像を安置し五大山清涼寺と号しました。本尊の釈迦仏は、体内に五色の絹で作った五臓六腑(ごぞうろっぷ)とお経を持ち、生身(いきみ)のお釈迦様と称されています。近年大阪城発掘時に見つかった豊臣秀頼の首塚が本堂横に祀られています。

小督塚

天龍寺

仁王門(清涼寺)

光源氏のモデル・源融(みなもとのとおる)公塔

嵯峨天皇、檀林皇后塔(右)

「念(ちょうねん)上人供養塔(墓所)

秀頼公首塚(右)と大坂の陣戦没者供養碑(左)

宝篋印塔(源昇公墓碑)

本堂

多宝塔

宝篋院(ほうきょういん)

曼荼羅山(清滝街道/愛宕鉄道線路跡)

愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら)

醍醐天皇の延喜年間、千観阿闍梨の開創した等覚山愛宕院と号する天台宗延暦寺派の古刹で七堂伽藍を備える護願寺として建立されました。平安時代初期の洪水で堂宇が流失しましたが、醍醐天皇の勅命で六波羅蜜寺の近くに再興され、大正時代に現在地に移されました。鎌倉時代に造られた本堂(重要文化財:鎌倉期)周辺の境内には、参詣者の手で彫られた表情豊かな1200体もの羅漢石像が並んでいます。

侘びな奥嵯峨野の鳥居本

一の鳥居(鳥居本)

愛宕(おたぎ)念仏寺

清滝トンネル(愛宕鉄道遺構)

清滝のバス停(愛宕鉄道清滝駅跡)

猿渡橋

清滝川

二の鳥居

愛宕山ケーブル遺構(橋)

空也滝、月輪寺への山道

へびちゃん、コンニチハ!ゲゲッ!!!まむし?!(@_@;)

渓流

空也滝へ

愛宕山にこんな沢があったとは?!(@_@)

石仏

空也滝

滝壺は常に水を含んだ冷風が吹きまくり盛夏と言えども暑さを知らずです。空也上人修行の地とされ付近には行者の道場があります。この滝の上流に寒蝉(ひぐらし/日暮)滝がありますが道が崩れて行く事ができないそうです。

石鳥居(八大龍王)

鳥居(空也滝)

見事な空也滝

神石碑

鳥居

役小角(えんのおづぬ)、前鬼、後鬼石像

空也滝

八大龍王碑

嵯峨権現不動明王と眷属の石像

蛇谷白玉石碑

月輪寺山道分枝地点へ戻ります。

月輪寺への山道・・・キツイ勾配です!(@_@)

身助(みだすけ)地蔵

昔、愛宕詣での女性が此処で急に心筋梗塞で倒れ込んだ時に水が涌き出し、そのお陰で助かり、それ以降「身助地蔵」として祀られています。

山間からの景色

身助地蔵

キツイ勾配の山道が続きます。(@_@)

月輪(つきのわ)寺

愛宕山支峰の大鷲峰の山腹にあり鎌倉山と号する天台宗延暦寺派の寺で、寺伝によると天応元年(781年)慶俊僧都の開基と伝えます。その時より発掘する古鏡背面に「人天満月輪」の文字が刻まれていたので寺名になりました。後に空也上人、法然上人が登山参禅し月輪関白・藤原兼実も当地の幽邃を愛し度々来寺したと伝える。本堂には本尊・千手観音立像(重文・貞観期)、阿弥陀坐像(重文・藤原期)、空也上人立像(重文・藤原期)、法然、親鸞上人坐像などを安置します。八歳竜女、善哉童子立像(重文・藤原期)、十一面観音立像(重文・藤原期)、聖観音立像(重文・藤原期)は京都国立博物館に寄託されています。現在は庵住(尼僧)さんの父が宮大工であったので修復が出来たそうですが檀家がなく維持管理が大変な中、貴重な寺を辛うじて護っています。空也上人が此処で念仏修行で悟りを開いたとする霊地で竜女水を当寺に残し涌き出ていますが1月〜3月頃まで凍りつくので大変そうです。愛宕権現堂の前にある石楠花(しゃくなげ/天然記念物)は明智光秀が植えたもので本能寺で織田信長を攻め自刃させた「本能寺の変」の少し前には当寺でおみくじをしたとも伝える。

市内の絶景

時雨桜と本堂

時雨(しぐれ)桜

親鸞上人が承元流罪時に月輪関白・藤原兼実との別離を惜しんで手植えした桜と伝え別離の悲しみを憂い、親鸞の心が桜を通し葉末から涙を流すとも言われ毎年5月頃に雨も降らないのに雫を流します。

時雨桜と祖師堂

法然上人像

竜女水

竜女水(竜奇水)

一に竜奇水とも言い境内の崖下から湧出する清泉を言います。空也上人座禅の時、清滝川の竜神の示現によりこの水を得たとされ愛宕山々中で水が湧出するのは此処だけです。庵住(尼僧)さんの話しでは当寺の生活水で1月〜3月頃迄、井水が凍てる為に水が使えず風呂にも入れず行水をするそうです。

明智光秀の手植と云う石楠花(天然記念物)と愛宕権現堂

市内の絶景(月輪寺)

物資等を搬送するリフトケーブル(月輪寺私設)

Tourist  2004.10.18(M)

 

関連サイト

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