徒然なるままに・・・ぶらぶら散策

 

平成16年(2004年)・長月(ながづき:9月)

ぶらぶら散策も、徒然なるままにアップする気ままなコラムPart2です。

伏見を取り囲む三方の山々

京都府は北半分が丹波国、南半分が山城国から成り、山城国の中央部で最も低地に位置するのが伏見です。太古の時代、大阪湾が伏見辺り迄侵入し桃山丘陵も浅い海底だった事は丘陵などから発見されるハイ貝の化石などにより実証されています。

愛宕山

比叡山

醍醐山々系

桃山と桃山城(後は醍醐山々系)

天王山

男山

伏見三方の山々

伏見は山城盆地周辺から流出する土砂などが堆積し昭和18年(1941年)、干拓完了迄中央に残ったのが巨椋池でした。

三方を山に囲まれ一方(南)だけが開いた地形から京都(伏見)の気候は盆地特有の大陸型で夏は蒸し暑く、冬は底冷えの極寒です。

しかし、ただ一ヶ所、桃山丘陵の南側だけは日当りが良くオゾン分子も多く快適で古来、貴族の別荘地となりました。

今回、平地から伏見の四方を眺めながらの〜びりとチャリブラブラしました。三方の山並みと大河・・・確かに盆地形態です。

 

草津の湊

下鳥羽は、古くは草津と言い、木津、今津とも言われ船で西国に向かう人達の乗船地でした。延喜元年〔901年〕、太宰府へ流された菅原道真、保元元年(1156年)、讃岐国へ流された崇徳上皇、治承4年(1180年)、厳島神社へ行幸の高倉天皇、建永2年(1207年)、法然上人が讃岐国へ流された時も当地より乗船したと伝わります。又、瀬戸内海の鮮魚などが陸揚げされ都に運ばれた水路、陸路交通の中継地として重要だった河川港でした。

高瀬川と酒蔵 草津の湊(桂川、鴨川合流地点)

比叡山

愛宕山 醍醐山々系 桃山

妙覚山・誕生寺(みょうがくさん・たんじょうじ)

誕生寺は久我家(道元の父・久我通親:みちちか)の旧跡と伝えられ、大正8年(1919年)、47世日置黙仙(ひおきもくせん)禅師によって曹洞宗の祖・道元禅師誕生地といわれる久我(こが:くが)に越前小松荘にあった妙覚寺の本堂を移築した為、安置されている道元御尊像、50世玄透(げんとう)即中禅師木造も妙覚寺のままです。昭和63年(1988年)11月、本堂や庫裡などが、完成し伽藍の整備もされました。道元禅師が幼少で出家した比叡山延暦寺、深草・欣浄寺、円山公園内の道元荼毘所なども所縁の聖地です。

男山

天王山

誕生寺

曹洞宗開祖・道元(どうげん)禅師

父は村上天皇〔村上源氏〕筋で内大臣久我通親(こがみちちか)、母は藤原基房(ふじわらもとふさ)の娘・伊子(いし)とされ道元禅師は正治2年(1200年)1月2日に生まれ幼名を「文殊丸」と呼ばれたほど頭脳明晰でしたが、わすか13歳で比叡山延暦寺に出向き、翌年に出家しました。幼くして両親と死別し世の無常を感じた為と伝わります。下山後、建仁寺の栄西に禅を学び貞応2年(1223年)、修学の為に渡宋し帰国後、深草や宇治において教化に務め嘉禎2年(1236年)、深草に興聖寺(現宇治の興聖寺は再興)を開き、晩年の寛元2年(1244年)、曹洞宗を開基し永平寺の開祖となりました。建長5年(1253年)8月、西洞院高辻の俗弟子・覚念の邸で54歳で没した鎌倉期の偉僧です。不自由のない恵まれた環境に生まれながら幼少で出家し名声、権力体制を遠避けた道元禅師は私的に大好きな僧の1人です。もう1人は親鸞上人です。道元禅師が誕生寺(久我家所縁)、親鸞上人が誕生院(日野家所縁)と偶然にも出生境遇も極似し伏見に所縁の偉僧です。

宝篋印塔:ほうきょういんとう 道元禅師産湯の井戸 道元禅師幼少像

菊水若水

伏見七名水の一つで平安京の南鬼門を守る方除けの神社として建てられた城南宮の手水舎にあります。菊水若水は若狭の国からの地下水脈で菊水若水井を経て、奈良・東大寺のニ月堂でお水取りに使われる若狭井に達するお香水だと伝わります。江戸時代半ばの随筆に、城南宮の菊水若水(延命水・若水ともいう)を飲むとあらゆる病が治り、そのご利益を授かるために訪れる参拝者は絶えないと記されています。病気平癒の霊験あらたかでお百度を踏んで、水を持ち帰り病人に授ける習慣もありました。

慈母観音像 本堂

屋根を工事中の手水舎(菊水若水)

城南宮

城南宮の由緒は、上古の時代、神功皇后は出陣に当たり、軍船の御旗に八千矛神を招き寄せて戦勝を祈願され、戦が終わると御旗は宮中で大切に保管されていました。桓武天皇が平安京に都を定めた時、御旗を城南の当地に御神体として納め、八千矛神(やちほこのかみ=大国主命:おおくにぬしのみこと)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后:じんぐうこうごう)の三柱、伊勢、石清水神社など七社が合祀され、都の南を擁護する神として祀られた。御旗の日月星の紋章が城南宮の三光の神紋の由来だと伝えます。

鳥居 拝殿 本殿

Tourist 2004.9.06(M) 

 

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