深草・稲荷山・東福寺を歩く・・・

 

われもまた 落ち葉のうえに 寝ころびて 羅漢の群に 入りぬべきかな 吉井 勇

 

西岸寺(油懸地蔵尊)石峰寺〜稲荷山(稲荷大社)〜月輪南陵、九条陵〜東福寺

 

西岸寺(油懸地蔵尊)

昔、大山崎から一人の油商人が油桶をになって西岸寺の門前にさしかかった時に転んでしまい、油桶がひっくりかえり、油はほとんど流れ出てしまいました。大切な油を失った商人が、これも災難とあきらめ、気をとりなおして、桶の底にわずかに残っていた油を地蔵尊にかけて帰りました。その後、商人の商売が繁盛し大金持ちになったという事です。地蔵尊は「油懸地蔵尊」と呼ばれ、この辺りの地名の由来になっています。この地蔵尊は、この鎌倉期に作られたものです。幕末、坂本龍馬が伏見奉行所の幕吏に襲撃された折、寺田屋から逃走し当寺に隠れ潜んだという伝承がある。

電気鉄道発祥の地碑 西岸寺(油懸地蔵尊) こま札
芭蕉句碑 境内 油懸地蔵尊
雨に濡れる竜馬通り 黄桜カッパカントリー
♪カッパッパ〜♪小島 功のカッパのイラスト・ お酒の資料館 伏見名水・伏水
坂本龍馬ゆかりの旅籠「寺田屋」 宇治川派流
長建寺

真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年〔1698年〕時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊弁才天は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は「伏見の弁天祭」と言われます

酒蔵 十石舟@弁天橋乗船場 島の弁天さん・長建寺
境内 伏見名水・閼伽水 弁財天を祀る本堂
・・・ 建部政宇奉納した弁天型灯籠 中書島の歌碑
解説パネル えぇなぁ〜 (*^▽^*)
かつて三十石船に時を告げていた鐘楼 えぇなぁ〜 (*^▽^*)
京阪・中書島駅 5ドアの5000系に乗ります・・
深草駅で下車 琵琶湖疏水 えぇなぁ〜 (*^▽^*)
石峰寺

石峰寺は百丈山と号し黄檗宗の寺院で、薬師如来を本尊とします。平安中期の武将・源満仲が摂津多田郷に建立した石峰寺が起源と伝わります。正徳3年(1713年)、黄檗宗・万福寺の六世・千呆(せんかい)によって建立された禅道場です。江戸中期、創建時は諸堂も有する大寺院でしたが、大正15年(1915年)、昭和54年(1979年)に失火、現在は本堂、竜宮造りの赤門などを残すのみです。現在の本堂は昭和60年(1985年)の再建です。本堂背後の山中には多くの石仏が並び、釈迦の誕生〜涅槃(ねはん)に至るまでの一代を表現し諸菩薩、羅漢を一山に安置しています。長年の風雨を得て丸み、苔寂びて風化に伴う表情や姿態に一段と趣きを深めています。これらは、江戸中期の画家・伊藤若沖(じゃくちゅう)が石峰寺の七代住職・蜜山(みつざん)の協力を得て下絵を描き、6〜7年余の歳月をかけて石工に彫作させたと伝えます

石峰寺 ・・・ こま札
赤門(竜宮造り) えぇなぁ〜(*^▽^*)
切支丹地蔵 赤門(竜宮造り) 伊藤若沖墓所
一に南天寺とも言われる石峰寺・・・紅葉もえぇなぁ〜 (@^▽^@)
赤門(竜宮造り) 卒塔婆石塔 釈迦誕生
伊藤若沖が下絵を描き作らせたと伝える石仏群(五百羅漢)
十八羅漢 説法(釈迦・文殊・普賢) 托鉢修行
托鉢修行
・・・ 諸羅漢坐禅窟 説法(釈迦・文殊・普賢)
・・・ 賽(さい)の河原 石仏(羅漢)
耒迎諸菩薩 ナニカ? (;^◇^ゞ 石仏(羅漢)
Beautiful!!!(・_・)ヾ(^o^;) 欧米かっ?!
薬師如来像を祀る本堂 ・・・ 赤門から伏見俯瞰
六体地蔵石仏 歯痛治癒のご利益がある、ぬりこべ地蔵 深草ウォーキング案内図

伏見稲荷大社

京都市における最古社の一で伝承によると、和銅4年(711年)2月の創建と伝えます。「山城風土記」の逸文によれば、秦の中家(なかつけ:本家)の遠祖・秦伊侶具(はたのいろぐ)は奢福のあまり、餅を的に矢を討った時、餅は一羽の白鳥と化して山の頂に飛び去った。その白鳥が留まった所に稲がなったのでイナリという名になりました。以来、秦氏の家運が傾くに至り、子孫は、この事を懺悔し社の木を家に植えて祀ったところ再び冨栄えるに至ったと伝えます。稲荷大社背後に聳える稲荷山は、東山三十六峰の最南端に位置し、神奈備型と言われる円錐形の優美な霊峰として親しまれています。海抜:232mで山頂に一ノ峰(上之社)、二ノ峰(中之社)、三ノ峰(下之社)の三つの峠(峰)からなり神の降臨地として崇められています。古代人は神は白鳥と化して人間に飛び来り、人間は、これを祀る事によって幸福を得ると信じました。これを神話化したのが先記した伝承話ですが、稲荷社を創祀した古代豪族の秦氏との関係を説いたものてす。稲荷は伊奈利とも記し、イナリとは、イネナリ(稲生、稲成、飯成)の約言で祭神が農耕神である事を端的に表しています。神像が稲を荷っているところから稲荷という字が用いられたが、一にミケツノ神、ウガノミタマノ神とも言われるのは、時代の推移によって神の観念の変化を表したもので正しくは、稲荷神です。一説にイナリのイは、イカシ、イカヅチなどのイカの意をもつ接頭語で、ナリは雷の鳴りと読む事で、むしろイナリ神は雷神であるとも言われます。古代人にとって雷神は稲作にあたって水を給与する神として最も崇敬したので稲荷社は当地にあった先住民が雷神を祀って農耕神とし奉斎したのが起こりとされ、後に秦氏の来住によって氏神と崇められるに至ったと伝えます。平安遷都以来、当社は稲荷神の中央的神格になり真言宗と結びつき農民の咒術(じゅじゅつ)宗教的要請と相俟って信仰を広めました。延喜の制には、名神大社に列し四度の官幣並びに祈雨祭の幣に与かり二十二社に班せられ、神階は正一位の極位を賜るなど上下貴賤の信仰を集めました。特に他の多くの神社が一部の特権階級と結びついて勢力を振るい、それと栄枯盛衰を共にしたのに比して今なお、昔と変わりなく多くの人々から信仰を得ているのは、単に商売繁盛、招福除災の神としてのみならず、まったく庶民の神社として広く親しまれてきたからです。

伏見稲荷大社 こま札 勉学向上、受験合格・・東丸神社
・・・ チュッチュッ狐さん(^▽^;) 千本鳥居
朱の世界へ・・・ 朽ちてしまった膝松さん(根上りの松)
・・・ 参道を外れるとあまり知られていない社や神蹟に遭遇します・・・おかげ塚
・・・ ・・・ 毎年、お世話になっている竹屋さんと熊鷹社
幻想的な世界を醸し出しています・・・O(-人-)O ・・・ 三つ辻
・・・ 霞んでます!(>_<) ・・・
・・・ 霞んでます!(>_<) 四つ辻の大きな露岩
四つ辻の大きな露岩 ズ〜ム 俳優、N・Kさんの実家
大きな招き猫がいる店内(=^・^=) 冷やしあめで一服ing・・・
京都一周トレイル全線マップゲット!(^-^)v えぇなぁ〜(*^▽^*) 東福寺へ
京都一周トレイル二番表示パネル ・・・ 御幸奉拝所
御幸奉拝所 横山大観画伯の筆塚 ・・・

皇嘉門院陵(月輪南陵:つきのわのみなみのみささぎ)

皇嘉門院は藤原忠道の娘で名は聖子(せいし)、十歳で崇徳天皇の中宮になりました。崇徳天皇が藤原頼道と結んだ保元の乱に敗れ讃岐に配流されると出家しました。稲荷山経塚は聖子の兄・九条兼実が妹の為に建立したと伝わります。

御陵(月輪南陵、九条陵)参道 皇嘉門院陵(月輪南陵)
長州藩兵の墓所

仲恭天皇陵(九条陵)の上にあるのが慶應4年(1868年)1月3日、戊辰戦争の開戦となった鳥羽伏見の戦いで戦死した長州藩兵の墓所で毎年1月4日、退耕庵により供養が執り行われています。墓所敷地内には鳥羽伏見戦百周年記念式典で故・佐藤栄作総理大臣が植樹された樹木や慰霊碑があります。

長州藩兵の墓所(鳥羽伏見の戦い)

仲恭天皇陵(九条陵:くじょうのみささぎ)

順徳天皇の皇子で懐成親王という皇太子でした。順徳天皇は父・後鳥羽上皇と共に倒幕計画を進め、承久3年(1221年)4月20日、懐成親王に譲位し5月に挙兵しました。承久の乱といい、敗れた順徳上皇らは配流され、4歳の新天皇は即位式もなく承久3年(1221年)7月9日、鎌倉幕府に退位させられ九条殿に移されました。世に九条廃帝と言われています。明治22年(1889年)、御陵地が定まり仲恭天皇とおくり名されました。在位70余日という歴代最短の天皇でした。

鳥羽伏見戦百周年記念植樹 仲恭天皇陵(九条陵)
御陵(月輪南陵、九条陵)参道からの眺め・・京都タワーが見えている。 東福寺
・・・ 三門
仏殿(本堂) 閉門時間間近はガードマンだらけ(@_@) ・・・
えぇなぁ〜(*^▽^*)
えぇなぁ〜(*^▽^*)
東福寺駅 中書島駅 ・・・
昭和チックな銭湯 龍馬ゆかりの寺田屋 竜馬通り
パッサージュ納屋町 大手筋

風呂屋町

Tourist  2010.11.22(M)

 

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