ちょっと伏見ウォーキング

 

我が衣きぬに ふしみの桃の しずくせよ 松尾芭蕉

 

古城山

文禄3年(1594年)8月、豊臣秀吉が、伏見城に入城して以来、伏見は城下町として現代に至っています。桃山町泰長老一帯を称し指月(桃山)丘陵が、宇治川に至って断絶し前方に巨椋池を望み月を観賞するのに絶景地であったので指月と称されました。栄仁親王(よしひとしんのう:後崇光太上天皇)が、大光明寺内に建てられた指月庵によるという説、この地から眺める月が、宇治川の州に浮かんで3つ4つとなるので四(指)月ともいう説、空の月、川の月、池の月、杯の月など一度に4つの月を見る事が、できるから指月という諸説が、あります。慶長6年(1602年)、徳川家康によって伏見学校(円光寺)が、この指月の丘(月橋禅院の後丘北東辺り)に創設されました。約400年以上も前から、伏見は、王朝(貴族)、桃山(武家)、儒学(仏教)、町衆(商人)文化の混在が成されています。

金札宮(恵比寿/商売繁盛の神)

縁起には「伏見久米の里の白菊の翁という老人が、毎年秋になると白菊に水をやり育てていました。ある年、干ばつが続き稲が枯れかかった時、翁が白菊の露を注ぐと、そこから清水が湧き出た。」と伝えます。この翁が天太玉命(あめのふとだま:白菊明神)で天平勝宝2年〔750年〕に創立し清和天皇の御代、橘良基によって阿波国〔徳島県〕より勧請したと云われ社格は、旧村社で伏見における最古の神社の1つで祭神は、天太玉命です。清和天皇が、金札に白菊大明神と記し社内に奉納された事から金札宮と号するに至ったと伝える。かって伏見七福神の一・恵比寿でした。

金札宮(恵比寿/商売繁盛の神) 天然記念物「クロガネモチ/伏見区民の木」
こま札 拝殿 本殿
大黒寺(大黒天/開運・出世の神)

創建は不明ですが真如法親王の開基による名刹で当初は円通山長福寺と号しました。江戸時代の元和元年(1615年)、薩摩藩主・島津義弘が伏見奉行・山口駿河守に懇請し薩摩藩の祈祷所となりました。本尊は五穀豊穣の神で出世開運を授けると云われる大変にありがたい大黒天です。寺田屋事件の薩摩九烈士、家老・平田靭負(ゆきえ)の墓所があります。伏見五福の一・大黒天です。

恵比寿さまっ(●⌒∇⌒●) 大黒寺(大黒天/開運・出世の神) こま札
おさすり大黒さん 伏見名水「金運清水 平田靱負顕彰碑と伏見義民遺髪塔
本堂 西郷隆盛筆の墓碑(右手前)と薩摩九烈士の墓 薩摩藩家老・平田靱負(ゆきえ)の墓所
チョウセンアサガオ・・可憐だけど毒がある。 松林院 寺田屋お登勢の墓
龍馬が薩摩藩舟で濠川を遡り藩邸へ匿われた 寺田屋で伏見奉行所の幕吏に襲われて手傷を負った龍馬が匿われた薩摩藩伏見藩邸跡
薩摩島津伏見屋敷跡碑 酒蔵のある風情は伏見らしい・・・
西岸寺(油懸地蔵尊)

昔、大山崎から一人の油商人が油桶をになって西岸寺の門前にさしかかった時に転んでしまい、油桶がひっくりかえり、油はほとんど流れ出てしまいました。大切な油を失った商人が、これも災難とあきらめ、気をとりなおして、桶の底にわずかに残っていた油を地蔵尊にかけて帰りました。その後、商人の商売が繁盛し大金持ちになったという事です。地蔵尊は「油懸地蔵尊」と呼ばれ、この辺りの地名の由来になっています。この地蔵尊は、この鎌倉期に作られたものです。

えぇなぁ〜(*^▽^*) 電気鉄道発祥地の石碑 西岸寺(油懸地蔵尊)
こま札 油掛地蔵尊
松尾芭蕉の句碑 本堂 伏見口の戦い激戦地碑
解説 寺田屋浜(竹田街道・京橋)
坂本龍馬ゆかりの旅籠「寺田屋」 御大典記念埋立工事竣工記念碑 酒蔵と十石舟
柳と酒蔵と三十石船 島の弁天さん・長建寺
こま札 境内 かつて三十石船に時を告げていた鐘楼
伏見名水「閼伽水:あかすい」

かえる石

弁財天を祀る本堂
建部政宇奉納した弁天型灯籠 江戸時代より伝えられている「宝貝」と呼ばれる絵銭のお守り(弁財天)
宇治川派流と十石舟 聖徳太子ゆかりの呉竹地蔵尊(柿木腹帯地蔵尊)
宇治川の水運の無事を願った願船寺 新撰組が布陣した京町通り 激戦を伝える京料理屋の格子窓に残る弾痕
伏見奉行所跡 伏見工兵第十六大隊跡 常盤御前就捕処碑
伏見奉行所跡 伏見奉行所跡碑 維新戦碑
観音寺 弘法大師像 境内
宝篋印塔 石仏群 観音堂
鳥羽・伏見の戦いと御香宮

御香宮は、伏見九郷(旧伏見町)の産土神(うぶずながみ)として古来から最も信仰されている洛南屈指の大社です。縁起には、諸説がありますが、筑前国糟屋郡(福岡市香椎(かしい)町)にある香椎宮(祭神・神功皇后・仲哀天皇)を勧進し御香椎の椎を略し御香宮となったという説が、真説だと言われています。鳥羽伏見の戦いでは、薩摩軍が陣取りました。同神社には最初に幕府軍が陣取っていましたが、勤皇思想の三木(そうぎ)宮司が退去させ、仕方なく幕府軍はすぐ南側の伏見奉行所に入りました。御香宮と伏見奉行所の攻防戦は伏見戦のなかでも最も激戦となりました。3日早朝、薩摩、長州、土佐の各藩兵が御香宮に入り大砲四門を設置、薩摩軍は伏見奉行所が見下ろせる龍運寺にも大砲を据えた。幕府軍は伏見奉行所で軍議を開き、表門は会津藩兵、南北門は伝習兵、新撰組を京町筋に配備する布陣などが決められました。夕刻、鳥羽方面の砲声が合図となり御香宮より大砲が打ち掛けられ、砲撃戦が繰り広げられました。

水戸藩々祖・徳川頼房寄進の表門(伏見城大手門) 中国二十四孝の故事に因んだ蟇股 伏見義民事跡
解説 ・・・ 加賀前田家邸内に祀られていた桃山天満宮
本殿 芭蕉・去来句碑 伏見城の石垣群
伏見城の石垣群 竹田街道に敷かれていた車石 解説パネル
白菊石 伏見の戦跡碑 拝殿
日本名水百選の一「御香水」 本殿 神鑒(かん)静井(石井)と御香水碑
JR奈良線・桃山駅 明治天皇御陵参道 ・・・
伏見城の石垣群 石に残るくさび跡(矢穴痕)
石に残る矢穴痕 薩摩・島津の家紋?が記された石 ・・・
明治天皇桃山御陵(伏見城本丸跡)

桃山丘陵の頂に明治天皇陵、昭憲皇太后陵がある。伏見桃山陵は、明治天皇が生前からこの土地(指月丘陵)を大変に気に入られていたとの事で御陵地となりました。明治天皇陵は、伏見城本丸跡を陵墓としたとされ、少し離れて名護屋丸跡には昭憲皇太后御陵があります。明治天皇陵前(四の丸跡)には230段もある石段があり眺望絶景のポイントです。

明治天皇桃山御陵(伏見城本丸跡) 230段の大階段
明治天皇陵前(伏見城四の丸跡)からの眺望は絶景やんか〜\(●⌒∇⌒●)/
明治天皇桃山御陵(伏見城本丸跡)をあとに・・ ・・・ 桓武天皇柏原陵参道(月見ヶ丘越え)
桓武天皇柏原陵

南北朝〜室町時代の争乱などで朝廷の陵墓祭祀が衰退し、桓武天皇陵の所在地が不詳になりました。江戸時代後期の陵墓探索(元禄年間の修陵)では伏見区深草鞍ヶ谷町浄蓮華院境内の谷口古墳(6世紀後半)に決定。又、伏見区深草鞍ヶ谷町の山伏塚古墳(6世紀後半)や同区桃山町遠山の黄金塚2号墳(5世紀)などの古墳を推す説、伏見区深草大亀谷古御香町の古御香宮社(大亀谷陵墓参考地)とする説、豊臣秀吉の伏見城築城で完全に破壊されたとする説など、諸説があります。幕末に、谷森善臣(平種松)が紀伊郡堀内村字三人屋敷(伏見区桃山町永井久太郎)を桓武天皇陵と考定、明治政府に継承され現在に至ります。

鎧武者(三成?)の幽霊伝説がある治部池 桓武天皇柏原陵
伏見桃山城

伏見のシンボル的存在の城で昭和34年(1959年)に有志の人々によって建設が着手されました。大天守閣、小天守閣を並べた連結式城郭で鉄筋コンクリート造、大天守閣は姫路城を参考に名古屋城と同規模で小天守閣は彦根城を模して建造され内部外観共に旧伏見城を偲ぶに足るべく城です。当地は旧伏見城の御花畑山荘があった桃山の西北丘陵台地にあり山城盆地を一望できる京洛随一の景勝地でしたが平成15年(2003年)1月31日に閉園され38年間の歴史に幕を下ろしました。天守閣などは運動公園として予定され京都市によって公的保存されています。

伏見桃山城大手門 解説 伏見桃山城公園案内図
桃山城は大天守閣(右)と小天守閣の連結式 乃木神社へ・・・
乃木神社(勝運・勉学の神)

陸軍大将だった乃木希典(まれすけ)と妻・静子を祀る神社です。日清戦争では歩兵第一旅団長として参加。日露戦争では第3軍司令官として旅順攻撃をし多くの犠牲者を出し作戦に対する非難が生じたが明治天皇の信任厚く明治40年に学習院院長に任命され明治天皇の大喪には静子婦人とともに殉死。境内に、ロシアのステッセル将軍から贈られたという愛馬「璞号(あらたまごう)」と「寿号」の銅像があり、希典の生家や旅順の第3軍司令部舎も復原されています。伏見五福の一・勝運・勉学の神。

乃木神社 境内 乃木の名水「勝水」
狛犬ならぬ狛馬と本殿 山城えびす神社

幸せに成りタイ?!o(*^▽^*)oあはっ♪

Tourist  2010.10.25(M)

 

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