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京橋 |
三十石船 |
京阪中書島駅 |
「さきの祭:巡行」 と
「あとの祭:巡行」、「くじ取らず」
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「さきの祭:巡行」と「あとの祭:巡行」・・・昭和40年(1965年)まで、山鉾巡行は17日の「さきの祭:巡行」と24日の「あとの祭:巡行」に分けて行われていました。巡行が分かれていたのは、祇園祭の「御神輿」が17日に八坂神社から御旅所へ(神幸祭)、また、24日に御旅所から八坂神社へ(還幸祭)と渡御され、山鉾巡行は、その渡御の露払い的な役割を担っていたからです。現在、24日に行われる「花傘巡行」は、この「あとの祭:巡行」に代わるものです。「くじ取らず」・・・あらかじめ巡行順序が決まっている山鉾ですが、その他の山鉾も全く自由なくじ引きという訳ではなく、
順番が山を指定するのか、鉾を指定するかは決まっています。あとの祭の巡行列というのは山鉾巡行が、かって、二日に分けて行われていた名残です。因みに、くじ取らずで巡行順序が決まっている山鉾は、一番「長刀鉾:なぎなたほこ」、五番「函谷鉾:かんこほこ」、二十一番「放下鉾:ほうかほこ」、二十二番「岩戸山:いわとやま」、二十三番「船鉾:ふねほこ」、二十四番「北観音山:きたかんのんやま」、二十五番「橋弁慶山:はしべんけい」、三十二番「南観音山:みなみかんのんやま」の8基です。平成18年(2006年)現在、山鉾は32基が巡行しています。
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おけいはん特急で三条京阪へ・・・以外に空いています。。。 |
おぉ〜 いきなり辻回しに遭遇!!!@河原町御池 |
二十四番(くじ取らず)「北観音山(きたかんのんやま)」 |
「あとの祭:巡行」の先頭を行く山で「上り観音山」(のぼりかんのんやま)とも呼ばれます。応仁の乱以後から隣町の南観音山と、1年おきの交代で山を出していたと伝えます。隔年に出るというのは例がなく、この両山だけでした。元来、舁(かき)山でしたが、後に曳き山になりました。楊柳(ようりゅう)観音像、韋駄天(いだてん)立像を安置し鉾ではないので真木の代わりに真松を立てます。松は毎年、鳴滝から2本届けられ、南観音山とのクジで松を選択しています。史料に「左三の枝に尾長鳥あり」とあるが、今は尾が短くなった為に鳩のように見えます。元治の兵火(1864年)で大被害を受け、明治5年(1872年)に復興した時、今まで、あとの祭の一番(くじ取らず)だった橋弁慶山が北観音山に先頭を譲った事により、あとの祭の先陣を切る事になりました。明治12年(1879年)に南観音山が復興し、それ以降は、両観音山の同時巡行が行われています。又、先に北観音山が巡行しますが、新町通へは、必ず南観音山が先に入るのは、帰還する山鉾町会所が北観音山よりも南にある為で細い新町通では追い越せないからです。これは、かって今とは逆回りで三条通〜寺町通〜
四条通へと巡行していた名残です。 |
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この鉾頭は・・・ |
二十四番「北観音山(きたかんのんやま)」 |
辻回しの時、囃子もアップテンポになりまつ・・・ |
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独自の囃子を奏でながら巡行する北観音山 |
東に北観音山@御池通り |
西に手前〜放下鉾、船鉾、岩戸山 |
二十一番(くじ取らず)「放下鉾(ほうかほこ)」 |
鉾名は真木の中程の「天王座」に放下僧(ほうげそう)の像を祀るのに由来します。放下(ほうげ)とは、妄念や物欲を捨てて俗世を解脱する事で、放下僧は街角で芸をしながら仏法を説いた僧の事です。鉾頭は日、月、星の三光が下界を照らす独特な形状(半円)で、その形がお菓子の洲浜に似ている事から別名「すはま鉾」とも呼ばれます。明治中期に胴組、天井、柱、屋根などが大改装され、その後、金具類も整備されました。破風正面の三羽の丹頂鶴(後面は二羽)は、明治の四条円山派の画家・幸野楳嶺の下絵を高浮彫し、大正6年(1917年)に完成したものです。かって、長刀鉾と同様「生稚児」でしたが、昭和4年(1929年)以降、稚児人形に代えられました。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名され、巡行時は生稚児同様、鉾上で稚児舞いができるように作られています。 |
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放下鉾(ほうかほこ)・・・巡航順序は先ですが、鉾町会所の位置関係で岩戸山、船鉾に先を譲り待機中。。。 |
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岩戸山の辻回し@新町御池交差点 |
船鉾 |
北観音山鉾町会所 |
十三番「月鉾(つきほこ)」 |
「古事記」によれば、伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉の国から戻り、禊祓い(みそぎはらい)をされた時、左眼を洗って天照大神、右眼を洗って月読尊(つくよみのみこと)、鼻を洗って素戔鳴尊(すさのおのみこと)を生んだと記されます。月読尊は夜を支配した神ですが、水徳の神でもあり、月鉾は、この故事に由来します。鉾頭に、横40cm、上下24cmの金色の三日月を飾り、真木の中程に天王様を飾った天王台の下に籠製の船が真木を貫いて取り付けられ屋根の上には太陽の象徴である三本足の烏が乗っています。元治元年(1864年)の大火では、幸いにも真木を焼失しただけで様々な古い装飾品が残されています。 |
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月鉾・・・とっても立派な鉾です。鉾頭がビルと変らん高さ!(@_@;)
ど迫力ですがな!!! |
月鉾の辻回し@新町四条 |
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月鉾は鉾町会所の位置関係で辻回しを4回します。。。 |
お〜次は菊水鉾ですがな!(*^_^*) |
十七番「菊水鉾(きくすいほこ)」 |
町内にある金剛能楽堂の菊水井(きくすいい)という井戸に因んで名付けられました。謡曲「菊慈童」から着想された鉾です。魏の文帝の勅使が薬水を訪ねて山に入ったところ、少年に出会いました。聞けば、少年は700年前に、王の枕を誤って跨いだ事が原因で都を追われ、以後、普門品の偈を甘菊の葉に記しておいたところ露が滴り、この水を飲んで不老長生したという。慈童は、この薬水を勅使に献じました。元治元年(1864年)に焼失しましたが、昭和28年(1953年)に88年ぶりに再興され、年々装飾品を充実させています。鉾頭には天向きの金色の透かし彫の十六菊を飾ります。この鉾に限り「菊水」と篆書が掘り出した額が付いています。 |
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菊水鉾も鉾町会所の位置関係で辻回しを4回します。。。 |
鉾頭には天に向いた十六菊が輝きまつ!!! |
二番「郭巨山(かっきょやま)」、十八番「伯牙山(はくがやま)」 |
郭巨山(かっきょやま)・・・別名を釜掘り山(かまほりやま)と言います。山には屋根がないのが普通ですが、この山は日覆障子を乗せています。金地彩色法相華文の板絵として他の山にない古い形式を残しています。名前の由来は、中国の史話にある貧しくて母と子を養えない郭巨が、思い余って子を山に捨てようした時、土中から金の釜が現れ、母に孝養を尽くした話によると伝えます。人形は、鍬を持つ郭巨と紅白の牡丹の花を持つ童子の2体あります。伯牙山(はくがやま)・・・戦後に町会所が無くなった為、綾小路に面した旧家・杉本家の表の間の格子を外し、飾り場(会所)にしています。琴を前に、斧を持った人形は、中国・晋時代の琴の名手・伯牙で怒りの目、紅潮した両頬は、友人鍾子期(しょうしき)の訃報を聞き、悲しみに打ち震えながら、まさに琴を打ち破らんとしている様を表しています。明治になって多くの山が改名させられたが、この山も「琴破(ことわり)山」から改名したとの記録があります。 |
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辻周しを終え鉾町へ帰還して行く菊水鉾 |
二番 郭巨山(かっきょやま)@町会所 |
十八番 伯牙山(はくがやま)@町会所 |
二十二番(くじ取らず)「岩戸山(いわとやま)」 |
元来は舁(かき)山でしたが、室町時代に鉾のように車をつけた曳(ひき)山に改造されました。鉾の様に大きな岩戸山ですが、鉾ではない為、屋根の上に鉾頭の代わりに真松が立てられています。「古事記」、「日本書紀」に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を故事に持つ曳き山です。「天の岩戸」は、素戔鳴尊の乱暴に怒った天照大神が岩戸に隠れられた為、天地は常闇となり、八百万神は安の河原に集まって対策を練り、常世の国の尾鳴鳥を鳴かせ、鏡を鋳造し、500個の勾玉を作り、天香山の榊を立て、天鈿女命が舞った伝承である。屋形内に、伊弉諾尊、天照大神、手力男命の3体の人形が飾られます。
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新町通りの道幅いっぱいに岩戸山が巡行してきます・・・♪コンコンチキチン、コンチキチン。。。♪♪ |
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二階の窓から山鉾の囃子方などに棒を差し出して差し入れをされていまつた。。。 |
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ど迫力満点!!!(@_@;) |
よっ!岩戸山〜!!
(;^◇^ゞ |
十五番「綾傘鉾(あやがさほこ)」 |
徒歩の傘鉾として応仁の乱以前の古い歴史を持つ二つの大きな風流傘と棒振り囃子の行列が特徴です。元治元年(1864年)に焼けて以来、明治10年代に一時復活したが、再び中断し昭和54年(1979年)、ようやく復活し巡行に参加しています。形の上でも変転を繰り返し、江戸時代、なぜか?徒歩から引き鉾に変化、御所車風の屋根に風流傘が乗る古図が残っています。明治の復活で再び徒歩になり、鬼形の踊り手を中心に、棒振り、鉦、太鼓の囃子方が行列しています。因みに棒振り囃子は、鬼形の踊り手を中心に、赤熊(しゃぐま)をかぶった棒振りが鉦(かね)、太鼓、笛に合わせて踊るもので壬生村の人々によって奉納されていたと伝えます。 |
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綾傘鉾(あやがさほこ)@町会所 |
おぉ〜軍船じゃ〜(;^◇^ゞ |
二十三番(くじ取らず)「船鉾(ふねほこ)」 |
「日本書紀」の神功皇后の新羅出船に由来し「出陣の船鉾」の別名があります。屋形内に飾られた神功皇后の人形は、面を着け、頭に天冠を頂き紺金襴の大袖に緋の大口、緋縅の大鎧を付けています。応仁天皇を生んだゆかりから、御神体に晒を巻いて置き、巡行後に安産祈願の御腹帯として授与する習慣があります。現在の船鉾は、宝暦年間に計画され天保年間に完成し船頭に高さ1.3m、両翼端2.7mの「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥を飾ります。 |
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間近を通りすぎるので、ど迫力!新町通りの山鉾巡行は素晴らしい!(*^_^*) |
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大雨の中、無事の巡行を終え鉾町会所に戻ってきた船鉾・・・よっ!船鉾〜!!
皆さんで祝い締めをして後片付けです。。。 |
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船鉾後景 |
船舵も見事な飛龍文(鷁?)の黒漆塗螺鈿細工 |
月鉾@鉾町会所 |
五番(くじ取らず)「函谷鉾(かんこほこ)」 |
正しくは、「かんこくほこ」と言います。中国古代史話、孟嘗君の故事に基づきます。戦国時代、斉の孟嘗君は秦の昭王に招かれ、宰相に重用されました。しかし、讒言によって陥れられて咸陽を脱出して、函谷関まで逃げたが、関門は鶏が鳴かねば開きません。配下が機転を利かせて鶏の鳴き声を真似たところ、あたりの鶏が和して刻を作ったので見事通り抜けたと伝えます。鉾の真木は22mで鉾頭に三角形の白麻を張り、先端には三日月が上向きに取り付けられています。この三日月と山型は山中の闇を表しています。前懸は、旧約聖書の創世記の場面を描いた16世紀の毛綴で、重要文化財に指定されています。 |
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近くから、とてもデジカメのフレームに納まりませんがな!・・・月鉾@鉾町会所 |
函谷鉾(かんこほこ)@鉾町会所 |
九番「鶏鉾(にわとりほこ)」 |
中国古代の「諫鼓(かんこ)」の史話とも、天の岩戸の永世の長鳴鳥の故事に因むともいわれます。「諫鼓」は、暦を制定した伝説の聖天子・尭帝が、宮廷の外に太鼓を据え、政治に不満があれば叩かせ、木を立てて、訴えを書かせました。唐の堯(ぎょう)の時代は天下がよく治まっていたので訴訟用の太鼓(諫鼓)も使われる事がなくなり、太鼓は苔を生じて鶏が巣を作ったという故事に由来します。鉾頭の白を互い違いに巻いた三角枠中の円盤は、鶏卵が諫鼓の中にある事を表していると伝え、真木の中程にある天王座には航海神である住吉明神を祀っています。 |
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函谷鉾(かんこほこ)@鉾町会所 |
鶏鉾(にわとりほこ)@鉾町会所 |
一番(くじ取らず)「長刀鉾(なぎなたほこ)」 |
「くじとらず」で山鉾巡行の毎年必ず先頭を受け持つ鉾です。現在、生稚児が乗る唯一の鉾で他の鉾には稚児の代わりに人形が乗っています。鉾先には、疫病邪悪を払う長刀を付けています。鉾名は、鉾の天辺を飾った三条小鍛冶宗近作の大長刀により、宗近が娘の病気平癒を祈願して八坂神社に奉納したが、鎌倉期にある武人が愛用したが、何かと不思議が起こり、返納したと伝えます。大永2年(1522年)、疫病が流行し、神託で長刀鉾町で飾ったところ、疫病は退散した。創建は、嘉吉元年(1441)説が有力で鉾の真木は20mあります。 |
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鶏鉾(にわとりほこ)@鉾町会所 |
おぉ〜 この鉾頭は・・・ |
なくなった鉾?基!長刀鉾でつ!(>_<) |
八坂神社 |
創建は甚だ古く、諸説多く明らかでないが、斉明天皇2年(656年)2月、我が国に来朝した高麗の調進副・伊利之使王(いりしのおおきみ:八坂氏祖)が朝鮮の牛頭山(ごずやま)に祀る素戔嗚尊(すさのおのみこと)の神霊を移し、子孫代々当社の祀官として奉仕したと伝える事から初め、八坂氏の氏神として創祀されたと思われます。天智天皇の御世、社号を感神(かんじん)院と名付けられ、以来、明治元年(1868年)、八坂神社と改める迄、この社号を用いました。平安初期の貞観年中に僧・円如が播磨国広峰より牛頭天王を勧請し下河原の地に一宇を建てて祇園天神社と号し、朱雀天皇の承平4年(934年)に、傍らに薬師堂を創建し観慶寺と号し、別に祇園寺とも呼んだ為に甚だ紛らわしくなりました。その後、八坂氏が哀徴するに及び中世には、感神院は延暦寺の別院となり、祇園社は日吉の末社となり叡山の僧徒が神輿を奉じて朝廷へ強訴する基地になりました。当社は古来、疫病除けの神として朝野の崇敬篤く、延喜式外社ではあるが、二十二社の内に列せられました。神領は60余ヶ所の多きに及んだが、明治の神仏分離令にあたり寺院を廃し神社のみ残った旧官幣大社です。 |
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一番(くじ取らず)長刀鉾@鉾町会所 |
八坂神社 |
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西楼門(重文:室町期) |
拝殿(神幸祭の渡御を待つ御神輿が鎮座) |
御神輿、右手前は子供神輿(東若御座) |
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御神輿(錦) |
御神輿(三若) |
御神輿(四若)、手前は子供神輿(東若御座) |
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参拝しまつた・・・本殿(重文:江戸期) |
忠盛灯籠 |
忠盛灯籠駒札 |
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ご神水・・・マイウ〜でつた! |
片付け終えた山鉾を搬入?!@山鉾収納庫 |
しだれ桜 |
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円山公園 |
長楽館(喫茶、レディースホテル) |
長楽館駒札 |
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坂本龍馬、中岡慎太郎像 |
祇園四条界隈@八坂神社西楼門 |
お友達の京扇子店でつ。。。(;^◇^ゞ |
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日本最古の劇場と言われる南座 |
出雲の阿国像 |
京阪中書島駅 |
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三十石船@蓬莱橋 |
坂本龍馬ゆかりの旅籠「寺田屋」 |
Tourist
2006.07.17(M)
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