伏見・稲荷線今昔物語

 

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京都市電

京都市電は明治45年6月11日、壬生車庫前〜千本丸太町〜烏丸丸太町〜烏丸塩小路間と四条西洞院〜四条小橋間の計7.7kmの営業を開始した事が始まりです。先の明治28年2月1日に京都電気鉄道株式会社が我が国最初の路面電車の営業を開始していましたが大正7年7月1日、京都市はこれを買収し「わが国初の路面電車」を受け継ぎ順次路線を拡大し大正〜昭和にかけて「市民の足」として活躍しました。最盛時の市電は路線長74km、367両の車両で一日約60万人の人々に利用されました。しかし急速な経済成長に伴う自動車の急増、人工のドーナツ化など路面交通にも都市化の波が押し寄せ、乗客数の激減などで昭和45年4月の伏見・稲荷線の営業廃止を皮切りに逐次廃止され昭和53年9月30日、京都電気鉄道以来83年の歴史を閉じました。

開業当初(明治28年頃)の京電・京都駅前の市中電車停車場

 

日本最初にチンチン電車(七条〜油掛町)が走った街・伏見の今昔

明治28年(1895年)2月1日、日本で初の京都電気鉄道によって電気鉄道(路面電車:七条〜油掛町)として伏見線が開通しました。明治45年(1912年)に市営路線開通後の大正7年(1918年)に京都市が、受け継ぎ昭和53年(1978年)9月末に全線廃止になる迄の約80年間市民の貴重な交通手段として活躍しました・・・日本で最初に路面電車が走った京都・伏見線の今昔を追ってみました。

      

北野天満宮から七条(京都駅)へ向かうチンチン電車・・半纏姿の告知人(先走りの少年)が写っています。

    

明治29年頃、救助網、半纏姿の告知人(先走りの少年)など当時の京電の典型的なスタイル

    

                                     二代目・京都駅前から発着する市電                    伏見・稲荷線の勧進橋・・・勧進橋〜稲荷間の開通は明治37年8月

          

路面電車では日本最初の路線であった伏見線のサヨナラ運転          稲荷線(左)と分かれる勧進橋停留所       京阪本線と平面交差する稲荷線

         
          伏見線・棒鼻停留所付近              昭和30年12月、伏見線の専用軌道 工場の煙突があるのどかな風景
    

    昭和27年頃の伏見線(丹波橋〜肥後町)、壕川鉄橋をいく600型  伏見線、京橋を渡る600型 手前は寺田屋近くの蓬莱橋

京電・チンチン電車〜京都市電・・・日本最初に開業してから約80年間市民の足となって活躍した車両たち

開業当初の京電チンチン電車(木造高床四輪電車)

チンチン電車(N電)として親しまれた狭軌T型

タンクロの愛称で親しまれたダブルデッキのT型

                  

          廃車になった狭軌電車(写真:右)の車台を広げた車台を使った180型(半銅高床四輪電車)              大型輸送車として開発された四輪ボギー車 500A型(半銅低床四輪ボギー車)

                                       

    両開き折戸式ドアが特徴、さらに軽量化された700型(半銅低床四輪中型ボギー車)             戦後の第二次車として製造された中型ボギー車 800型(半銅低床四輪中型ボギー車

                    

 ポールからビューゲル(集電器)に変わった 800型(半銅低床四輪中型ボギー車) 後にZパンタグラフを初採用した900型(半銅低床四輪中型ボギー車)

                                                    

戦前、戦後に活躍した600型を元に1000型と共に改造された1600型(半銅低床四輪小型ボギー車) 京都初のワンマンカー 2000型(半銅低床四輪中型ボギー車)

その他の車両

 

昭和30年(1955年)代の大手筋界隈

街路灯が完成した頃の風呂屋町商店街

納屋町商店街

アーケードがない頃の大手筋商店街

中書島繁栄会

伏見・稲荷線廃線跡(中書島〜京都駅)の今昔・・・

 

江戸時代の伏見街道・中書島(京橋・蓬莱橋界隈)

宇治川派流・蓬莱橋界隈

宇治川派流・京橋の船着場

京橋界隈の船宿の様子

江戸時代の伏見街道・深草の里(深草・稲荷界隈)

伏見街道・藤森辺りの茶店(大津街道分岐点地)

伏見街道・深草の団扇屋〔京都団扇の発祥〕

木挽きに曳かれる高瀬舟〔高瀬川〕

明治時代〜昭和53年頃の伏見と鉄道・・・水運⇒鉄道へ

京阪電車・稲荷新道駅

京阪電車・八幡木津鉄橋

京阪電車・木造車両

明治43年(1910年)開業時、稲荷新道駅(現・伏見稲荷駅)

明治43年(1910年)開業時頃

昭和30年(1955年)頃迄、現役

 

伏見稲荷線今昔(廃線跡)

伏見線は、明治28年2月1日に日本で初の京都電気鉄道(七条〜油掛町)として開通しました。後に京都市が受け継ぎ昭和45年(1970年)3月31日、伏見・稲荷線は廃止されました。19系統が稲荷行き、9系統がが中書島行きでした。昭和53年(1978年)9月30日に全線廃止になる迄市民の交通手段として活躍しました。現役で活躍している頃の市電車両と昭和52年(1977年)頃の廃線後の伏見の街並みを比較しています。

伏見に現存する二両の市電車両1800型

市電の切符

伏見線の油掛停留所

日本初の電気鉄道発祥の地碑(伏見・油掛停留所跡)

明治時代、京都電気鉄道の油掛停留所の南にある京橋から淀川汽船に乗り大阪八軒茶屋へと連絡する文明開化の最先端としてのターミナルでした。大正3年(1914年)、京阪電車と連絡する為に中書島まで延長され同7年(1918年)に市電となりました。

 京都市電最古の車輛(通称N電:北野線)

京都ならではの風景・・・市電と鉾(四条通り)

     

京都駅前

   

京都駅前

   

京都駅前

   

 塩小路高倉

  

高倉跨線橋

  

高倉跨線橋〜京都駅南口(八条口)

  

京都駅南口にある車庫(現・アバンティー、ホテル京阪辺り)・・・昭和53年頃の車庫には軌道が残っていました。

   

九条通り

  

大石橋〜札の辻

  

 札の辻〜十条通り

   

勧進橋

   

勧進橋(さよなら花電車)

    

伏見線から稲荷線へ行く電車(19系統)は左折します。写真は稲荷線へ進入する500型車両です。

    

伏見線から稲荷線へ(勧進橋)

    

東高瀬川(稲荷線)

  

京阪電車との平面交差(稲荷線・稲荷停留所)

    

稲荷線跡公園(稲荷線・稲荷停留所)

    

稲荷線跡公園(稲荷線・稲荷停留所)

    

竹田下川原町

  

 竹田久保町付近

  

 竹田出橋〜久保町付近〕

  

竹田街道(城南宮道)

    

棒鼻〜疎水放水路

  

丹波橋〜濠川

   

当時の伏見線・土橋鉄橋(濠川)・・・線路や鉄橋で遊んでよく叱られました! (;^_^A

    

肥後町

  

大手筋

  

 京橋

弁天祭(島の弁天さん:長建寺)

八臂辧財天を本尊とし人々の信仰を集めています。毎年7月の第四土日曜日に行われる「弁天祭」は,大阪の天神祭りの元になったと伝えます。(洛南三大奇祭の一つ)かっては松明をかざして舟渡御が盛大に行われていましたが、多大な費用などが掛かるので残念ながら現在は行われていません。

 

弁天祭と宇治川派流

   

中書島停留所(京阪中書島駅)

コラムに掲載しています車両写真などは個人的に許可を頂いて使用しているのもありますので、無断転用厳禁とさせて頂きます。

参考資料 市電車両写真  京都市電の廃線跡を探る

保存版 京都の市電

街並み写真(昭和52年(1977年)頃) 北尾嘉宏氏、他

 

関連サイト

市電(伏見・稲荷線)

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稲荷界隈

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大手筋界隈

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