遅咲きで知られる名勝・御室桜を訪ねて仁和寺へ

 

ねぶたさの 春は御室の 花よりぞ 与謝野蕪村

 

城南宮〜広隆寺〜木島神社(蚕ノ社)〜妙心寺〜五智山蓮華寺〜仁和寺〜広沢池〜松尾大社

 

名勝・御室桜

御室桜は遅咲きで知られ、背丈の低い桜で花(鼻)が低いところから、お多福桜とも呼ばれます。近年まで、桜の下が硬い岩盤である為に根を地中深くのばせないので背丈が低くなったと言われましたが、現在の調査で岩盤ではなく粘土質の土壌であることが判明し、土中に酸素や栄養分が少なく、桜が根を伸ばせず背丈が低い要因の一つだと推察されています。

城南宮(方除、鬼門除の神)

城南宮の由緒は、上古の時代、神功皇后は出陣に当たり、軍船の御旗に八千矛神を招き寄せて戦勝を祈願され、戦が終わると御旗は宮中で大切に保管されていました。桓武天皇が平安京に都を定めた時、御旗を城南の当地に御神体として納め、八千矛神(やちほこのかみ=大国主命:おおくにぬしのみこと)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后:じんぐうこうごう)の三柱、伊勢、石清水神社など七社が合祀され、都の南を擁護する神として祀られた。御旗の日月星の紋章が城南宮の三光の神紋の由来とされます

城南宮 黄桜(御衣黄)は、最盛期を過ぎると赤味を増していくとか
二の鳥居 鳥羽・伏見戦勃発地(小枝橋) (*^-^*)
久世橋 新幹線 堤外人道橋(嵐山サイクリングロード:天神川)
天神川堤防道を北上・・・ 阪急電車「西京極駅」 学生時代の思い出の地・・・西京極球場
天神川沿道をチャリチャリ北上・・・ 八重桜
(*^-^*) 八重桜@京都外大 併用軌道の為、道路上にある嵐電天神川駅
嵐電(京福電車)太秦駅 広隆寺付近も併用軌道・・・京都は、路面電車が似合うなぁ〜(*^-^*)

広隆寺

推古天皇(603年)に建立された山城最古の寺で真言宗御室派に属し山号を蜂岡山と称します。蜂岡寺、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があります。帰化人系氏族である秦氏の氏寺で平安京遷都以前から存在し京都最古の寺院です。国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵する事で知られる四天王寺、法隆寺など聖徳太子が建立した日本七大寺の一です。

広隆寺・仁王門 境内
赤堂と称される講堂(重要文化財:藤原期) 上宮王院太子殿(国宝)

 木島神社(蚕の社:かいこのやしろ/木島坐天照御魂神社:このしまにいますあまてるみむすびのかみやしろ)

雙ヶ岡(双ヶ岡:ならびがおか)の南方、太秦(うずまさ)の東の広漠たる肥沃の土地に鎮座する旧郷社で境内は老杉巨木が繁茂し、あたかも木の島の如くに見えるので社名になったとされます。創建はすこぶる古く推古12年(604年)の創建と伝え、渡来人の秦氏(はたし)が養蚕と織物の神を祀ったのがはじまりといわれています。正式には、「木島坐天照御魂神社」ですが、本殿右側の養蚕神社から「蚕の社」(かいこのやしろ)の名で知られています。その名の通り、製糸機織業者の信仰が厚く、町の氏神様として、親しまれています。境内の奥には、神池、元糺の池にある日本唯一とされる珍しい3本柱で三方のどれもが正面で、上からは三角形に見えるという珍しい三つ鳥居(三柱鳥居:みばしらとりい)があります。

木嶋神社(蚕の社:かいこのやしろ) 解説 手水井、方位石盤
拝殿 本殿 三つ鳥居(三柱鳥居)へ・・・
三つ鳥居(三柱鳥居) JR嵯峨野線(山陰本線)花園駅
法金剛院

律宗唐招提寺派の寺で五位山と号します。鳥羽天皇の中宮・待賢門院が兼ねてより仁和寺に護願の御堂を建立したいと願っていましたが大治5年(1130年)、当地にあった旧天安寺(双丘寺)の地に着目し壮麗な伽藍を造営されたのが起こりで初め仁和寺の御堂と称しましたが後に法金剛院と改めました。往時は一町四方の寺地を占め、中央の苑地を挟んで東西に門を開き池の西側に阿弥陀堂、東側に女院御所を設け舟で往来したと伝えます。女院の皇女・上西門院も伽藍を重修し壮麗を極めましたが皇室の哀徴に次第に荒廃し鎌倉時代、円覚上人が復興に務めたが昔日の盛観を見るには至らず近年、境内を修復し面目を一新されています。

花の寺と称される法金剛院 妙心寺(南総門)
妙心寺

臨済宗妙心寺派の大本山で正法山と号します。古の時代、この辺りは公卿邸があり花畑では四季折々に美しい花が咲き乱れ、いつしか花園と呼ばれるようになり康永元年(1342年)、禅宗に帰依した花園上皇が当地に造営した離宮花園殿を関山慧玄(かんざんえげん)を請うじて開山とし禅苑に改めました。上皇は傍らに玉鳳院を建てて塔所としました。足利義満の為に一時中絶の憂き目にあいましたが細川勝元、政元父子の外護を得て復興し戦国末期には大小名の帰依を受け多くの塔頭子院が建立され寺運は隆盛に赴きました。明治以後も臨済九派の随一として栄え今尚、末寺は全国に3500ヶ所寺の多きを有します。現在の伽藍は応仁の乱の罹災後、慶長年間〜江戸時代に再建されたものが多く勅使門(重文:桃山期)、三門(重文:桃山期)、仏殿(重文:江戸期)、法堂(はっとう/重文:江戸期)など威風堂々の七堂伽藍を始め、46もの塔頭が立ち並んでいます。法堂の天井には狩野探幽筆の雲龍画「八方睨みの龍」が描かれ日本最古の銘をもつ黄鐘調(おうじきちょう)の梵鐘(国宝:奈良期)などがあります。

妙心寺境内全景図 放生池と三門 手前から三門、仏殿、法堂
三門(重文:桃山期) 浴室(明智風呂(蒸し風呂)重文:桃山期) 仏殿(重文:江戸期)
経蔵 法堂(はっとう/重文:江戸期) 大方丈
風情ある参道・・・雨が降るとシットリとして落ち着いた風情だろうな・・・
大河ドラマ「功名が辻」で知られる山内一豊と妻・千代が眠る山内家の菩提寺の大通院 妙心寺北門

五智如来石仏群(五智山蓮華寺)

前方に胎蔵界の大日如来を中心とする丈六の五智如来(薬師、室生、大日、阿弥陀、不空成就釈迦)、後方に地蔵菩薩を中心に観世音などの諸像11体が並び伏見深草・石峰寺のそれと共に京都市における石仏群の双璧です。

五智山蓮華寺 五智如来石仏群
境内に咲く八重桜・・・(*^-^*)
参拝しました・・・ 五智不動明王を祀る不動堂(本堂)

仁和寺(にんなじ:世界文化遺産)

真言宗御室派の大本山で第58代・光孝天皇によって、先帝の菩提を弔い、仏法の興隆を図るため「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願された事に始まりその後、宇多天皇が仁和4年(888年)に造営を完成されました。「御願寺」と称する寺院は、皇室の私寺を意味しますが、西山御願寺は完成と共に、先帝から受け継がれた「仁和」の年号をもって寺号と定められ、大内山仁和寺と呼ばれました。応仁元年(1467年)、応仁の乱によって一山ことごとく灰燼しました。徳川幕府三代将軍・家光の御代に再興されました。京都御所の再建とも重なり御所から仁和寺金堂になっている「紫寝殿」、他多数の建造物と再建資金として20数万両を徳川幕府から得て再興されました。明治の大火で本坊、寝殿などが消失しましたが現存するほとんどの伽藍は寛永年間の遺構で明治維新では第30世・純仁法親王が還俗した事で皇族が門跡となる宮門跡になる時代が終わりました。平成6年(1994年)に仁和寺は世界遺産に登録されました。仁王門は、知恩院の「三門」や南禅寺の「山門」と共に、京都三大門と呼ばれ、同時代を代表する建築物として知られますが知恩院や南禅寺の門が禅宗様式(唐様)であるのに対し、仁和寺の仁王門は和様である事に違いがあり寛永14年(1637年)〜正保元年(1644年)にかけて建てられました。

仁王門(重要文化財:江戸期) 仁和寺東門 ・・・
中門〜仁王門の参道 勅使門@旧御室御所御殿(白書院、寝殿) 中門(重要文化財:江戸期)
遅咲きで知られる御室桜(お多福桜)は通年、今の時期が満開の見頃なのに・・・すっかり葉桜でごじゃります!(T▽T)アハハ!泣いとるがな?!
観音堂(重要文化財:江戸期) えぇなぁ〜 (@^▽^@)
名勝・御室桜(お多福桜とも泣き桜とも呼ばれる)
五重塔(重要文化財:江戸期)

金堂(本殿:国宝・桃山期)

金堂は京都御所より下賜されたもので、慶長年間に建立された「紫宸殿」の遺構だけに平安時代の建築様式である「寝殿造」の様式を残し我が国の建築史上重要な建造物として国宝に指定され金堂には本尊の阿弥陀三尊像が安置されています。

金堂(国宝:桃山期) 鐘楼(重要文化財:江戸期
ツツジも綺麗(*^-^*) 御影堂(重要文化財:江戸期)
菅公腰掛石

水掛不動尊の台座石は宇多天皇に右大臣として登用されていた菅原道真が後年無実の罪で九州太宰府に流されるとき、宇多法皇の元に別れの挨拶に参上したところ、法皇は勤行中であったので、この石に腰を掛けて勤行が終わるのを待ったと伝えます。

水掛不動 水掛不動尊と管公腰掛石 (*^-^*)
えぇなぁ〜 (@^▽^@) 経蔵
九所明神(重要文化財:江戸期 えぇなぁ〜 (@^▽^@)
 (@^▽^@) 御室八十八ヶ所・結願の第八十八番札所・大窪寺(本尊・薬師如来)
山吹も綺麗(*^-^*) ツツジ
石楠花(しゃくなげ) いつもなら満開の見頃なのに・・・すっかり葉桜になっていました(>_<)
花丈が低いのでお多福桜とも言われます・・・
えぇなぁ〜 (@^▽^@)
(@^▽^@) 京の桜守・佐野藤右衛門宅のしだれ桜 広沢池と愛宕山
広沢池は周囲約1kmにも及ぶ大池で池周りには桜並木が続きます・・・大好きな風景☆⌒(*^∇゜)v
嵯峨豆腐で有名な森嘉 清涼寺(嵯峨釈迦堂) 渡月橋へ・・・
嵐山の夕暮れ@渡月橋 阪急・嵐山駅
松尾大社

大山咋神(おおやまくいのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと/中津島姫命(なかつしまひめのみこと)を祭神とする旧棺幣大社で京都最古の神社の一です。文武天皇の大宝元年(701年)、秦忌寸都里(はたのいみきとり)が松尾山大杉谷の磐座(いわくら)の神霊を勧請し社殿を造営しその女・知満留女(ちまるめ)を斎女として奉仕させたのが当社の起源で代々秦氏が奉祀しました。平安遷都後、賀茂社と供に王城鎮護神となり賀茂の厳霊、松尾の猛霊と東西並び称されました。大山咋神(おおやまくいのかみ)は上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の父神とされ賀茂社とは姻戚関係にあり延喜の制には名神大社となり二十二社の制には第四に班し中世を通して上七社の一に列せられる有数の大社です。寛弘元年(1004年)、一条天皇の行幸以来歴代の行幸、行啓すこぶる多く中世以降は酒造の神として崇敬が篤く氏子地域は京都市の1/3にも及びます。

松尾大社 二の鳥居 参道
駒札 松尾大社全景図 楼門
御手洗川辺に山吹が咲いています・・・
今が最盛期の山吹・・・えぇなぁ〜 (@^▽^@)
シャガも綺麗(*^-^*) Beautiful!! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
なで亀さん 亀の手水 参拝します・・・
本殿 亀と鯉@神使いの庭 霊亀の滝と瀧御前社(四大神三宮社)
御神水「亀の水」・・・ペットボトル(4L)にありがたく頂戴しました!m(__)m さっ、伏見へ帰ろう(●⌒∇⌒●)
愛宕山 阪急京都線・桂川鉄橋・・・快速特急が疾走していきます・・・
・・・ 悠々と流れる桂川と愛宕山@西大橋 久世橋
ナイトランモードのキララくんも休憩ing (^_-) フジの花も綺麗やんか〜☆⌒(*^∇゜)vルネッサ〜ンス?!欧米かっ?!(・_・)ヾ(^o^;)
菜の花が流れているような天神川 名神高速道路

Tourist.2009.4.20(M)

 

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