五里五里のふるさと花めぐり

 

山背の 久世の鷺坂 神代より 春は萌りつつ 秋は散りけり (万葉集) 柿本人麻呂

 

寺田屋〜世界文化遺産・宇治上神社〜鴻ノ巣山運動公園〜史跡・森山遺蹟〜大蓮寺(甘藷元祖の地)〜城陽・花の小径〜夜叉伝説地

 

城陽市寺田・夜叉婆さん伝説

むかし、寺田に寺田庄司とよぶ人があった。その娘は幾度も結婚したが不幸にも不縁ばかりであったので、ついに尼僧となり観音寺の観音菩薩に仕えて一生を終わった。世人は、この女性を「夜叉」とあだ名をしたという。
夜叉とはインドの鬼神で顔かたちがきわめて悪く、しかも猛悪な神とされ仏教では毘沙門天の拳属とされている。この女性が夜叉神のような醜怪な顔であったかは定かでないが彼女の死後、観音堂の前を嫁入りの行列が通ると崇るといい、そこを避けて通ったと伝える。
夜叉の石塔は、明治13年(1880年)まで寺田の観音寺の東南の隅にあったが、この年、明治天皇が大和畝傍御陵へ参詣されるにあたり、旧奈良街道の整備が行われ、当時無住となっていた観音寺と共に撤去されたと伝える。(中島敏景氏談)

寺田屋

伏見の船宿・寺田屋は薩摩藩の定宿でした。文久2年(1862年)討幕急進派が寺田屋に集まって、決起を企てた「寺田屋騒動」は有名です。又、坂本龍馬の定宿で、お龍さんとの恋宿としても知られています。慶応2年(1866年)1月24日、坂本龍馬は寺田屋において伏見奉行所の捕吏に襲撃されますが、入浴中のお龍が気づき裸で二階へ急を知らせ、龍馬は短銃を発射して逃走しました。お龍は、急ぎ帯刀町(納屋町)〜風呂屋町〜紺屋町〜御駕町を走り抜け下板橋を渡り伏見薩摩藩邸へ龍馬の危機を知らせたと伝える。

大河・龍馬伝に間もなく登場するであろう・・・坂本龍馬、お龍ゆかりの旅籠「寺田屋」
庭内 霊山護国神社の招魂碑の子碑・坂本龍馬の碑 坂本龍馬像、薩摩九烈士(寺田屋騒動)の碑
伏見長州藩邸跡 伏見長州藩邸跡碑 三十石船乗り場でもある寺田屋浜
竹田街道の京橋、伏見口の戦い激戦の地碑 宇治川派流と酒蔵 十石舟弁天橋乗り場
島の弁天さんと親しまれる長建寺 近鉄京都線・澱川鉄橋(有形文化財:昭和期) 平戸樋門と観月橋
宇治川右岸堤防を宇治へ 復活するか?!三十石船 山科川、宇治川合流地
おけいはん(京阪宇治線) 山科川右岸堤防 昔、宇治川(巨椋池)東端に位置した木幡池
隠元禅師上陸の地・隠元橋 「黄檗開山隠元禅師渡岸之地」記念碑(功徳碑) 許波多(こわた)神社(五ヶ荘:ごかしょう)
墓参りへ・・・萬福寺塔頭・宝蔵院
霊苑からの宇治俯瞰 宝蔵院開山塔 亀石くん
萬福寺 [第五十二帖・蜻蛉(かげろう)]之古跡 こま札
定印を結んで座する阿弥陀如来 合掌して座する勢至菩薩 両手で蓮台を捧げて座する観音菩薩
線刻阿弥陀三尊仏解説パネル 源氏物語ミュージアム 新緑が涼しくて緑が眩しい\(●⌒∇⌒●)/
大吉山登山道(左)分岐 [第四十七帖・総角(あげまき)]之古跡
詠み人知らずの歌碑 解説 与謝野晶子「宇治十帖歌碑」
世界文化遺産・宇治上神社

元は下社の宇治神社と一体で平等院の鎮守社ともいわれ明治維新までは、「離宮上社」と呼ばれていました。本殿は平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築です。祭神は応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、兄の仁徳天皇とされています。境内正面の拝殿は鎌倉初期のもので、寝殿造りの様相を伝えています。特に縋破風(すがるはふ)といわれる手法を用いた屋根の美しさは格別です。三棟の内殿を一列に並べて、共通の覆い屋で覆った特殊な形式の建物で、左右の社殿にある蟇股(かえるまた)も建築年代を示すものです。

世界文化遺産・宇治上神社
立砂と拝殿(国宝:鎌倉期) 宇治七名水の一・「桐原水(きりはらすい)」
宇治七名水の一・「桐原水(きりはらすい)」 本殿(国宝:平安期)
宇治神社

地域の産土神(うぶずながみ)であった離宮社は、対岸に平等院が建立されると、その鎮守社としての地位も与えられました。江戸時代迄は宇治神社と宇治上神社は一対でした。この一帯は応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡と考えられ、皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが両神社の縁起と伝わります。応神天皇の離宮とも関わりがあったと思われ、「離宮社」、「離宮八幡」などと称されました。

[第四十八帖・早蕨(さわらび)]之古跡 宇治神社
参道 境内
又振(またふり)社 解説 ・・・
宇治橋 朝霧橋 川面のキラメキ
宇治十帖モニュメントと朝霧橋 朝霧橋を浮島(橘島、塔ノ島)へ 宇治川上流方面
宇治川先陣碑

承久年間、源義経(みなもとのよしつね)と木曽義仲(きそよしなか)の合戦時に源義経旗下・佐々木四郎高綱と梶原源太景季(かげすえ)の二名が宇治川の先陣を争った故事を偲んで昭和6年(1931年)4月、帝国在郷軍人宇治分会が建てたものです。

宇治川下流方面 朱色と山河萌ゆる緑(大吉山、朝日山) 宇治川先陣碑
浮島十三重石塔(重文:鎌倉期)

塔ノ島中央にあり花崗岩製で高さ15m、我が国現存中最大の十三重石塔です。弘安9年(1286年)、奈良西大寺の僧・叡尊(興正菩薩)が宇治橋の架け替えに際して建立したもので上人は橋の流失は乱獲される魚霊の祟りであるとし殺生の罪を戒め網代を捨ててこの地に経巻共に埋め供養塔としたものと伝わります。石塔は宝暦6年(1756年)の大洪水で倒れ、約150年間埋没していたものを明治41年(1908年)に発掘されて再建されました。一説に上から五番目の塔芯を石川五右衛門が盗み出し伏見の藤森神社の手水鉢の台石であると伝える。

浮島(橘島、塔ノ島) 日本最大の浮島十三重石塔(塔ノ島) えぇなぁ〜(*^▽^*)
喜撰橋と日本最大の浮島十三重石塔(塔ノ島) 世界文化遺産・平等院
[第五十四帖・夢浮橋(ゆめのうきはし)]之古跡 紫式部と宇治橋 宇治橋通りへ・・・
宇治代官所跡 宇治橋通り
R307号線・・(;´д`)ゞあちぃ 消防署 峠ピーク(;´д`)ゞ 水分補給!(*´ο`*)=3ホッ
ダウンヒル〜o(*^▽^*)o 宇治市植物公園・・・休園日(≧▼≦;) R24号線(京奈和自動車道)・・(;´д`)ゞあちぃ
ダウンヒル〜o(*^▽^*)o サンガタウン・城陽・・・Jリーグの京都サンガFCの練習場
豊かな自然と歴史街道・・・山背(やましろ)古道

城陽市、井手町、山城町、木津町の一市三町を結ぶ全長約25kmの山背古道は王朝女流文人達が京から大和へ初瀬詣でに歩いた道とも伝わり南山城の山際を通る古道は源氏物語、蜻蛉日記、枕草子、和泉式部日記などに登場する史跡も結んでいます。井手町に入ると杉木立に囲まれた玉津岡神社、地蔵院、ここを永眠の地とした小野小町の墓などがあります。更に南下すると天平時代の左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ)の旧跡があり豊かな自然に独特の文化と風景がある歴史街道です。将来的に山背古道の南端は上人ヶ平遺蹟まで南下、その先は山辺の道となり奈良の天理まで続いて行きます。

鴻ノ巣山運動公園(城陽市総合運動公園) 山背(やましろ)古道解説パネル
カキツバタ?ハナショウブ??アヤメ???(^^ゞ 姉妹都市バンクーバー要塞をイメージしたバングーバー砦
この道も山背古道の一部 浄土宗・常光庵(西光院) その昔、奈良街道を通った松尾芭蕉(左)と柿本人麻呂像
鴻ノ巣山運動公園(城陽市総合運動公園)から友愛の丘・・・山背古道を進みますo(*^▽^*)o
史跡・森山遺蹟

近畿地方でも数少ない縄文、弥生、古墳時代の集落遺蹟です。約4000年前、縄文時代後期の集落で大小複数の竪穴式住居見つかりました。周囲を溝で囲んだ一辺45mの四角い土壇も見つかり、その構造や出土した土器から古墳時代前期(約1600年前)の豪族の居館(住居)跡と推察されています。

・・・ 史跡・森山遺跡
縄文、弥生、古墳時代前期の歴史蹟 解説
大蓮寺・・・甘藷(サツマイモ)元祖の地

故あって琉球鬼界ヶ島に流され享保元年(1716年)に赦免され帰国に際し密に甘藷(サツマイモ)の苗を持ち帰り青木昆陽より十数年も早く寺田の地で栽培に成功したと伝えられる島利兵衛の墓所があり墓石はサツマイモを模っています。この辺りは寺田イモの産地として名をはせました。

山背(やましろ)古道の道標ガイドマーク 山背(やましろ)古道 大蓮寺
本堂新築中?! 甘藷翁利兵衛墓所(甘藷元祖の碑) 解説
豊富な地下水を利用したカラーの栽培 花咲くハナショウブも・・・Beautiful!! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
花の小径(こみち)・・・カキツバタ えぇなぁ〜 (@^▽^@)
カキツバタの他にも美しく咲く撫子(ナデシコ)、カレンジェラ(金盞花の原種)?などの花々 広々としたカキツバタの群生
花の小径(こみち)をゆっくりめぐります・・・えぇなぁ〜 (@^▽^@)
今もご利益があるという「雨乞い地蔵さん」 解説
キララとカキツバタ (@^0^@) R24号線近くにあるカキツバタの群生
えぇなぁ〜 (@^▽^@) 城陽の名産の一・イチヂク畑 田植え間近、田んぼに水が張られています!
淀姫さんの祠(ほこら)
生レ口(うまれぐち)樋門の近くに旧生レ口樋門跡記念碑と共に奈島地域の水難除けとして大切に祀られているのが「淀姫さんの祠」です。
田植えを終えた田んぼ 生レ口(うまれぐち)樋門と旧生レ口樋門跡記念碑、淀姫さんの祠(右)
この木なんの木、気になる木(>▽<;; 城陽市の名木・古木 長谷川河口のエノキ R24号線
長池の駅碑(道標) JR奈良線・みやこ路快速 夜叉の石塔(塚)
城陽市寺田・夜叉婆さん伝説

城陽市発刊の『城陽の民話と暮らし』(城陽町誌にも紹介されている。)に夜叉伝説が紹介されている。七回嫁いで戻ってきたので嫁入り行列は、そこを通ると離縁になるから避けて通ったと伝える。玉池は昔、寺田村の用水池であった。夜叉がここに身投げしたとも伝えられる。池近くにあった観音堂は明治13年(1880年)の明治天皇が大和畝傍御陵へ参詣に伴う道路整備で撤去された。堂の片隅にあったという夜叉の墓(塚)も移転された。寺田の三縁寺にある聖観音菩薩立像は夜叉観音という別名を持ち(寺伝では旧正面寺遺仏と伝える。)火災の際、玉池に投げ込まれたと伝える。民話に伝える夜叉の身投げ話は、池に投げ込まれた観音伝説が反映されたのかもしれない。山城国一揆(1485〜93年)を伝える資料として知られる大乗院寺寺社雑事記(興福寺大乗院門跡の日記)には夜叉塚を記し略地図も見られ夜叉伝説の古さを表している。

夜叉婆さん伝承地の玉池(旧・寺田村用水池) 夜叉婆さんのムクノキ 解説
水度(みと)神社一の鳥居 R24号線(大久保バイパス) ・・・
サンセット・・・走れメロス?!(^^ゞ R24を疾走中・・・ ・・・
日が沈む?! 久御山へ 京滋バイパス側道
久御山JCT(ジャンクション) 第2京阪国道側道をチャリチャリ(; ̄ー ̄A サンセット

Tourist  2010.5.17(M)

 

関連コラム

城南花めぐり 城南花めぐり

五里五里のふるさと・城陽チャリ探訪

五里五里のふるさと・城陽チャリ探訪 五里五里の故里チャリチャリ探訪(城陽市〜井手町) 五里五里の故里チャリチャリ探訪(城陽市〜井手町)
山背古道チャリチャリ散策(城陽市〜井出町編) 山背古道チャリチャリ散策(城陽市〜井出町編) 山背古道チャリチャリ散策(山城町〜木津町編) 山背古道チャリチャリ散策(山城町〜木津町編)
万灯呂山(まんどろやま:大峰山)チャリチャリ散策 万灯呂山(まんどろやま:大峰山)チャリチャリ散策 八幡、男山歴史街道チャリチャリ散策 八幡、男山歴史街道チャリチャリ散策
乙訓、八幡歴史街道散策 乙訓、八幡歴史街道散策

桜花繚乱・・・背割堤、石清水八幡宮散策

桜花繚乱・・・背割堤、石清水八幡宮散策

浄土谷、楊谷寺(柳谷観音)散策

浄土谷、楊谷寺(柳谷観音)散策

丹波街道・善峯寺道散策

丹波街道・善峯寺道散策

金蔵寺道・小塩山(大原山)散策

金蔵寺道・小塩山(大原山)散策

「山陰街道・史跡めぐり」散策

「山陰街道・史跡めぐり」散策

「竹の径・古墳めぐり」散策

「竹の径・古墳めぐり」散策 西国街道「ちょっと長岡京」散策 西国街道「ちょっと長岡京」散策

山城散策

山城散策

流れ橋、八幡散策

流れ橋、八幡散策
西国街道「天下覇道」散策その1 西国街道「天下覇道」散策その1

西国街道「天下覇道」散策その2

西国街道「天下覇道」散策その2

西国街道「長岡京道」散策その1

西国街道「長岡京道」散策その1

西国街道「長岡京道」散策その2

西国街道「長岡京道」散策その2

鳥羽の造り道:楽水編

平安京道「鳥羽の造り道:楽水編」散策

平安京道「鳥羽の造り道:羅生門編」散策

平安京道「鳥羽の造り道:羅生門編」散策

浪漫ちっく華街道

浪漫ちっく華街道

伏見一の名園!!!楽水苑の華繚乱:スライドショー

城南宮の「楽水苑」

雅の杜〜絢爛の山散策

絢爛の華道

鳥羽殿の雅散策

雅の里

花・水・木散策

源氏物語ゆかりの華庭

王朝〔貴族〕文化散策

王朝ロマン

 

戻る 2010年探訪コラム

 

inserted by FC2 system