Pちゃんズの近江紀行「南湖周遊」

 

海士(あま)の屋は 小海老にまじる いとど哉   芭蕉翁

 

琵琶湖烏丸半島・蓮見〜琵琶湖博物館〜琵琶湖クルーズ(草津烏丸半島港〜堅田港)〜出島灯台〜堅田・浮御堂(海門山満月寺)

 

烏丸(からすま)半島

「水生植物公園みずの森」、「琵琶湖博物館」がある滋賀県草津市の烏丸半島の琵琶湖岸は、花ハスとしては日本最大のスケールを誇るハスの群生地です。7月下旬頃〜8月上旬頃の開花時期、11.3ha(甲子園球場の約3倍)もの広さを埋めつくすハスが、一斉に淡いピンク色の花が咲き誇る様は壮観です。琵琶湖との風景のコントラストも美しく、開花シーズンになると多くの蓮見の人達で湖畔が賑わいます。

徳川家康が日本で最初に設置した銀座跡 近鉄でJR京都駅へ@桃山御陵前駅 JR京都駅
新快速電車で草津へ・・・ 鴨川 JR瀬田川鉄橋から北が琵琶湖、南が瀬田川
草津駅@JR琵琶湖線 烏丸半島行きのバス@JR草津駅西口 間もなく烏丸半島でつ・・・
草津夢風車

平成13年(2001年)6月に総事業費3億円をかけて建設された風力発電の為の風車です。この風車は、ドイツ製で高さ95m、定格出力1,500kW、風車の直径は70mで国内最大級です。風速3m/s以上で回転し風速25m/s以上で自動停止するように設計されています。

ビワコオオナマズくんと (^_^)v @道の駅・草津 デカぁ〜〜!!! (◎_◎;) 日本最大級の風車は、風力発電機の「草津夢風車」
ヨシの群生 広大なハス群生地・・・11.3haの湖面一面に広がる花蓮は日本最大スケール
淡いピンク色の美しいハス花が湖面一面に咲き乱れます・・・満開時は過ぎているらしいですが美しい。。。d(o^v^o)b
遠くに近江富士(三上山)・・・水際ばかり歩いてますがな?!(; ̄ー ̄A おぉ〜、太公望!ブルーギルの入れ食い状態!!!
湖岸の広大なハス群生地をテチテチ・・・(^O^; 暑うぅ〜 淡水真珠の養殖イカダ
草津市立水生植物園(休館日)( ノ ̄∇ ̄)ノ 烏丸半島先端付近、遠くに琵琶湖大橋が見えます。。。(〃^0^〃)/
琵琶湖博物館

琵琶湖博物館は自然と人との係わりについて考える所で魅力ある地域への入り口。更に人、物、情報が交流する場であり成長、発展する博物館です。「琵琶湖の生い立ち」、「人と琵琶湖の歴史」、「湖の環境と人びとのくらし」、「淡水の生き物たち」、「ディスカバリールーム:五感を使って楽しく体験学習」、「屋外展示」のテーマ別に展示されています。

琵琶湖博物館 琵琶湖のおいたち@A展示室
「琵琶湖のおいたち」@A展示室(2F)

約2億5千万年前から自然環境の変遷を琵琶湖前史と琵琶湖のおいたちという展開で紹介しています。研究、調査の現場再現や長い大地の歴史を岩石、鉱物、化石の標本なども展示紹介しています。

滋賀の大地のなりたち ヒゲクジラの化石 約250〜180万年前に近江にいたアケボノゾウ
デカぁ〜!(@_@) 黄河象の骨格(レプリカ) ゾウのいる森 地質、植物化石の研究
「人と琵琶湖の歴史」@B展示室(2F)

今日まで続いている琵琶湖と人間の係わりの歴史を湖底遺蹟、湖上交通、漁労の様子、治水、利水への取り組みなどを展示しています。人々のくらしと琵琶湖の結びつきの深まりを紹介しています。

サメの顎骨とジャンケンポン!チョキの勝?!(;^_^A イノシシの骨 人と琵琶湖の歴史@B展示室
古代勢多橋(瀬田の唐橋)は木製で、朝鮮半島の技術で7世紀に作られました。 北国日本海沿岸〜京、大坂へ運ばれた物資
堅田の元、網元の漁師の家を参考に再現された琵琶湖の漁師の家は、特徴といったものはなく、それぞれの地域の農家と似たような作りです。
湖の幸をつかった料理、高価な鮒寿司が・・・私、苦手でつ。。。(^O^; どもども 百石積みの丸子船とハリブネ
大正〜昭和初期の駅舎の待合室 当時、琵琶湖で活躍していた蒸気船
当時、琵琶湖で活躍していた蒸気船 奈良時代の木製井戸枠など
「人々のくらしと環境」@C展示室(2F)

人は自然に働きかけ、自然を利用する事でくらしてきました。その自然は豊かな恵みを与える一方で時には、人のくらしや生命まで脅かす存在でもあります。人と自然の付き合い方に見る様々な工夫や自然の姿を紹介しながら昭和30年代に始まった水利用の変化、それに伴う人々のくらし方と生活の変化、生態系の変化を紹介し環境とは何か?を考え、将来に亘る湖と人間の望ましい関係を探っています。

海遊館発見!!!@琵琶湖集水域の航空写真 我が家発見!!!@琵琶湖集水域の航空写真 人々のくらしと環境@C展示室
わたしたちのくらし40年・・・昭和30年(1955年)〜平成7年(1995年)までの40年間を立体年表形式で展示されています。。。懐かしい〜
平成7年(1995年)頃 カワヤと水利用・・・当時、水道がなく自然水を有効利用しました。
汲み取り式便所 あらよっと!重いですがな〜 (・0☆) コエコエ〜 昭和39年の冨江家
座敷ワラシ?!(≧Σ≦)ぶっ おクドさんと茶の間(カマド) 風呂場
風呂は樽形のムシブロ 昭和39年の冨江家 家庭からの生活排水
トイレからの排水・・・何をツンツン?! ( ノ ̄∇ ̄)ノ 台所、洗面所からの排水 湖の幸をつかった料理(沖島偏)
「淡水の生きものたち」@C展示室(1F)

琵琶湖には、ヨシの生えた岸辺や内湖、水深が70m以上もある深くて広い沖合いなど様々な環境があり、それらの環境に適応した生き物たちが生息しています。その生息環境をできるだけ再現し、そこに住む生き物たちの姿を紹介しています。環境変化によってめっきりと減ってしまった日本古来の希少淡水魚や世界の代表的な湖に住む魚たち、チョウザメなど古代魚と呼ばれる魚たちもいます。

アメリカザリガニ ヒバカリ(蛇)に咬まれるとその日の内に死ぬ??? 竹生島周辺の水中を再現したトンネル水槽
鯉、鮒、大ウナギ、黄色ナマズなどがいます・・・デカぁ〜! (@_@;)
琵琶湖の主さん・・・1m越えのビワコオオマズ アユ ビワマス
ウツセミカジカ デカ〜!ソウギョ、アオウオ、カムルチー
カムルチー(雷魚) 1m越えのソウギョ ブルーギル、ブラックバス
絶滅危惧品種・タナゴ ギーギーと音を出すギギ イワトコナマズ
今は珍しい?イシガメ オオタナゴ、エンツユイ、ケツギョなど洞庭湖の魚
カイヤン、シルバーシャーク、ナギナタナマズなどトンレサップ湖の魚 チョウザメなど大型淡水魚の水槽
キャビア?基!チョウザメ チャーター船(いんたーらーけん2)が入港@草津烏丸半島港
高速船ランシングは全長:22.06m、総トン数:14t、最高速度:29.9ノット(時速約55km) シャトル船のランシングに乗船
草津烏丸半島港を微速前進!!! (〃^0^〃)/ 出航!!! 琵琶湖大橋港へ全速前進!!! o(>w<)〇゛
烏丸半島 比叡山〜比良山系・・・雄大なマザーレーク(母なる湖)・琵琶湖。霞んでますがな! ( ̄ω ̄;)!!
右舷前方2時の方向に敵艦発見?!対艦攻撃?!・・・自衛隊の漕艇訓練でつた。。。( ̄▽ ̄;)!! 琵琶湖大橋が見えまつ・・・
昭和39年(1964年)9月28日に開通した全長約1.4km、最大の高さ約26mの琵琶湖大橋全景(左:大津市今堅田町〜右:守山市今浜町)
間もなく琵琶湖大橋港に着岸するとです・・・琵琶湖を東と西で結ぶ琵琶湖大橋を境に北湖と南湖に分けられます。。。
琵琶湖大橋港 おぉ〜ワングムが、お出迎え? (≧Σ≦)ぶっ 琵琶湖大橋

びわ湖大橋米プラザでランチタイム〜!Pちゃん所望の親子丼セット(左)とカツ丼セット ヽ(゜▽、゜)ノ

琵琶湖大橋
江若(こうじゃく)鉄道

琵琶湖西岸を浜大津駅〜滋賀県高島郡今津町(高島市)の近江今津駅まで51kmを結んでいた京阪系列の鉄道会社でした。大正10年(1921年)、三井寺下駅〜叡山駅間の6kmを開業、昭和6年(1931年)に浜大津駅〜近江今津駅間の51kmが開通しましたが、以北の建設は人口希薄地である為に断念されました。一部の列車は浜大津〜膳所間(2.2km)を国鉄東海道本線貨物支線、京阪石山坂本線と共用区間で乗り入れしました。国鉄、江若鉄道は狭軌、京阪は標準軌の為に三線軌道となっていました。戦後、国鉄払い下げの気動車が中心となって活躍しましたが、自動車の普及などで乗客は減少し経営が悪化、更に昭和44年(1969年)に国鉄湖西線の建設が決定した事で全線が廃止され、江若鉄道用地を国鉄に売却され鉄道事業廃止後は江若交通として湖西線沿線で営業している京阪グループの江若交通(バス会社)として残りました。

僅かに記憶に残る・・・在りし日の江若鉄道 野神神社 勾当内侍(こうとうないし)廟の道標駒札
野神神社、勾当内侍(こうとうないし)墓

勾当内侍は、南北朝時代の武将・新田義貞の妻でとても美しい女性だったと伝えます。駒札によると後醍醐天皇に仕えて勾当内侍となり、後に新田義貞の妻となった藤原経尹(つねただ)の娘です。太平記によると、新田義貞は、足利尊氏と戦って敗れ、越前(福井県)に逃れる途中、勾当内侍を今堅田に残しました。延元3年(1338年)7月2日、内侍は、義貞が藤島の戦いで討ち死にした事を伝え聞き、京都嵯峨野に草庵を構えて義貞の菩提を弔いながら余生を送ったと記されます。ここ今堅田に残る伝承では、今堅田に留まっていた勾当内侍が義貞が討ち死にした事を知伝え聞き、悲しみのあまり琵琶湖琴ケ浜に身投げをしました。内侍を哀れに思った今堅田の村人は、塚を築いて明応6年(1497年)、内侍の150年遺忌の時に塚に社を築き野神神社と呼ばれるようになり野上神事衆が内侍の霊を祀ってきたと伝えます。

武将・新田義貞の妻「勾当内侍(こうとうないし)」を奉ります。 「勾当内砥侍」墓
「勾当内砥侍」墓の駒札 琵琶湖大橋の眺め・・・先ほど乗船したランシングが航行中@出島灯台
出島(でけじま)灯台(大津市有形文化財:明治期)

この辺りは、琵琶湖の最狭部で岩礁も多く船の事故が絶えない湖上航路の難所でした。明治8年(1875年)2月、付近で船が沈没し47名が死亡するという惨事を機に、木造燈台が設けられ、湖上航路の安全に貢献しました。昭和36年(1961年)9月の第二室戸台風で崩壊寸前になりましたが、昭和48年(1973年)に地元の保存運動で復旧されました。灯火は大正7年(1918年)までランプが使用され以降、電灯に切り替えられましたが昭和26年(1951年)に消灯し、平成元年(1989年)に地元有志によって点灯を再開しました。

他に類を見ない木造の出島灯台はレトロチックで風情があります。。。 出島灯台の駒札
出島灯台は高さ:約8mの高床式木造で、街灯にハシゴを立て掛けた独特の風情がある形をしています。。。
湖族が栄えた町・堅田

大津市堅田は琵琶湖の水運、漁業など、湖上の特権を持つ湖族が栄えた町で中世、湖上の交通や漁業の権益を背景に栄華を極めました。堅田漁港は、湖族(堅田衆)の栄華を彷彿させてくれます。古来、湖西は大津〜若狭へ向かう西近江路や若狭街道、敦賀へ向かう敦賀街道や北国街道など陸上交通が整備され、湖上交通による荷物の輸送も行われた為、堅田や大津などは琵琶湖の港湾都市として発展しました。

風情ある湖岸の家屋 堅田漁港は、琵琶湖一、二の大きな漁港
その昔、琵琶湖の水運、漁業など、湖上の漁業権などを掌握していた湖族(堅田衆)の権勢を彷彿させる漁港です。。。
たくさんの漁船が係留され数隻の漁船が出漁して行きます。。。

芭蕉句碑「海士(あま)の屋は 小海老にまじる いとど哉」

浮御堂(海門山満月寺)

近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂は平安時代、一条天皇の長徳年間(995年頃)、比叡山の恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が湖上安全と衆生済度を祈願し、自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで建立したのが浮御堂の始まりと伝える臨済宗大徳寺派の寺で正しくは海門山満月寺と号します。現在の浮御堂は昭和9年(1934年)の室戸台風で倒壊し、昭和12年(1937年)に再建され往時の情緒を残し観音堂には聖観音座像(重文:平安期)が安置され境内には樹齢約500年と伝える老松があります

都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ:竹生島神社) 浮御堂(満月寺)楼門 観音堂(登録文化財)
本坊 芭蕉の句碑が二基@境内 湖上に迫出している浮御堂
鷺(さぎ)橋?を渡って浮御堂へ・・・ 浮御堂から見た境内・・・軒先に風鐸(魔除け:風鈴)が吊るされ湖からの風が涼しか〜\(^o^)/
浮御堂

参拝中・・・

千体仏(阿弥陀仏一千体)

参拝中・・・

千体仏(阿弥陀仏一千体) 虚子の湖中句碑「湖も この辺にして 鳥渡る」、大橋方面
浮御堂からの琵琶湖(南湖)の眺め・・・左から近江富士(三上山)方面〜烏丸半島方面〜浜大津方面。。。やっぱり、霞んでますがな! ( ̄ω ̄;)!
湖族の郷資料館 プラザ〜JR湖西線・堅田駅まで約6kmをテチテチ (;^_^A 遠くに烏丸半島
比叡坂本駅付近走行中・・・ 西大津駅付近走行中・・・ 奈良線@JR京都駅
JR桃山駅@奈良線 御香宮 神事「茅の輪くぐり」の参拝者で賑わう?境内
拝殿

7/31、恒例の神事「茅の輪くぐり」

今年も無事に参拝できまつた・・・(@^▽^@)

Tourist  2006.07.31(M)

 

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