|
|
|
京阪・伏見稲荷駅とです・・・
|
京都市電・稲荷線跡公園(稲荷線・稲荷停留所)
|
楼門(重要文化財:桃山期)
|
天正17年(1589年)、豊臣秀吉の造営とされています。秀吉の母・大政所の病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加すると記した「大病平癒の願文」が伝来し神社の楼門規模としては最も大きいものに属します。昭和49年(1974年)12月14日に解体修理されました。
|
|
|
|
伏見稲荷大社神幸道(裏参道)
|
伏見稲荷大社
|
楼門 |
本殿(重要文化財:室町期) |
応仁2年(1468年)、応仁の乱により、境内の殿舎堂塔の全てが焼亡し、やがて仮殿の復興があったようですが、その後諸国へ勧進が行われ明応8年(1499年)に再建されました。社殿建築としては大型に属し、装飾、特に「懸魚」の金覆輪や「垂木鼻」の飾金具、前拝に付けられた「蟇股」等の意匠に安土桃山時代の気風、豪放にして優華な趣があります。
|
|
|
|
拝殿
|
本殿
|
|
|
|
神楽殿
|
スリップに気をつけてお山巡拝へ行くとです・・・
|
面白い狐像 |
義経千本桜「鳥居前」の舞台は千本鳥居、命婦社(みょうぶしゃ:奥の院奉拝所)
|
義経千本桜「鳥居前」・・・歌舞伎演目で特に人気の高い「義経千本桜」二段の口「鳥居前」の鳥居とは稲荷大社の千本鳥居を指しています。主役は義経ではなく滅び行く平家の武将達を描いています。義経が静に形見として「初音の鼓」を与えた後、静を助ける佐藤忠信が登場しますが実は狐が忠信に変化していました。狐(忠信)は鼓の皮に使われた狐の子である事を明かし親を慕う子の心を思った義経は狐に初音の鼓を与えました。命婦社(みょうぶしゃ:奥の院奉拝所)・・・本殿の東方、千本鳥居を抜けたお山への上り口、通称「命婦谷」にあり一に「奥の院」の名で知られています。この奥の院奉拝所はお山を遥拝する所で、稲荷山三ケ峰は、この社殿の背後に位置しています。参道は左右二本あってその両側には鳥居が林立し、あたかもトンネルの有様で「千本鳥居」と称され稲荷大社の名勝となっています。
|
|
|
|
義経千本桜「鳥居前」舞台の千本鳥居
|
命婦社(奥の院奉拝所)
|
おもかる石、膝松さん(根上りの松)
|
おもかる石・・・灯篭の前で願い事の成就可否を念じて石灯篭の空輪(頭)を持ち上げ、そのときに感じる重さが、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い、重ければ叶い難しとする一種の神占石です。膝松さん(根上りの松)・・・枯れた松の根で左右2股になっていてこの木股をくぐると神経痛、腰痛、肩コリなどが治ると言われ奇妙大明神とも言います。
|
|
|
|
大神石
|
おもかる石
|
膝松さん(根上りの松) |
熊鷹社、新池(谺ケ池:こだまがいけ) |
熊鷹社にある池は新池、谺ケ池(こだまがいけ)との別称があります。行方知れずになった人の居場所を探す時、池に向かって手を打ち、こだまが返ってきた方向に手がかりがつかめると云う言い伝えがあります。 |
|
|
|
熊鷹社
|
新池(谺ケ池:こだまがいけ) |
|
|
|
鳥居が連なる参道
|
三つの願いが叶うとされる三徳社
|
参道からの眺めとです・・・ |
奴祢鳥居(ぬねとりい:間ノ峰(荷田社神蹟) |
|
|
|
三ノ峰(下之社神蹟)
|
間ノ峰(荷田社神蹟) |
|
|
|
二ノ峰(中之社神蹟)
|
一ノ峰(上之社神蹟) |
|
|
|
一ノ峰(上之社神蹟)
|
稲荷山三角点を目指すとです・・・
|
稲荷社境界石 |
|
|
|
時折、雨風も激しくなり小川のようになった山道をスリップに気をつけながら歩くとです・・・
|
石地蔵さま |
|
|
|
途中にある神蹟とです・・・
|
将軍地蔵 |
|
|
|
稲荷山三等三角点(標高:239.3m)に着きました。ここは西野山で山科区になるとです・・・
|
稲荷参道合流地点に戻ったとです・・・ |
200段の石段、御釼社(長者社神蹟) |
二百段の石段・・・清少納言が、枕草子で大変に苦しい思いをしたと書いている急勾配な石段で釼石(長者社神蹟)〜一ノ峰(上之社神蹟)迄を一気に約200段の石段を登りますが、今回は、逆に一気に下ります。御釼社(長者社神蹟)・・・謡曲「小鍛治」の舞台とされ三条小鍛冶宗近が勅命を受け御剣を打つが、その努力精進が神に通じ稲荷明神が狐の化身となって現れ、宗近の相い打ちをつとめ見事な宝剣を完成させるという話で、その時の名剣を鍛えるのに用いたのが、御身体の岩だと伝えられる。力鍛冶、刃物業者の信仰が篤い社です。この社は、狛犬で狐ではありません。一対の狛犬は、石造で文久3年(1863年)とあり山中現存の石造で最古と言われています。別名を長者社と言い加茂玉依姫(かもたまよりひめ)を祭神とします。神殿の後に大きな岩石があり、この岩(釼石)がご神体です。
|
|
|
|
一ノ峰〜御釼社迄の急な200段の石段
|
御釼社(長者社神蹟)
|
釼石(御釼社) |
道標石、おせき社、薬力社(薬力の滝) |
道標石・・・「左、山科の里 大石良雄旧跡(大石神社)」と記されていますが、何かの都合で左右反対に建てられ元に戻されていないようですが上から右と書き直されています。おせき社・・・風邪、咳にご利益があると言われ葉書に認めた祈願文が山積みになっています。セキは関所を意味し山頂の一の峰と山科に通じる山道の分岐点にある所から「お関稲荷」と言われたのが関を風邪、咳に附会した信仰になりました。薬力社(薬力の滝)・・・薬の世話にならずに健康に生活をできる事(無病息災)を祈願する社で薬力の滝は稲荷山で一番奥の行場でここからの流は、清明滝の下流で御膳谷からの流と合流し清滝となり白滝からの流を合流し御壺滝、五社滝となり最後に東福寺通天橋の下を流れる三の橋川となります。
|
|
|
|
おせき社
|
道標石(おせき社)
|
薬力社(薬力の滝) |
|
|
|
傘杉社、清明舎、清滝社への参道
|
御膳谷奉拝所
|
|
|
|
御膳谷奉拝所神蹟
|
狐の手水(眼力社)
|
眼力社 |
|
|
|
四つ辻からの眺め・・・雨風が強くなったりで大変とです・・・
|
田中社神蹟(荒神峰) |
権太夫大神と崇められています。この神蹟の後方にまわると景観が開けます。ここでは四ツ辻で見えなかった京都市内中心部〜以北の絶景を拝む事ができます。
|
|
|
|
田中社神蹟(荒神峰)
|
|
|
|
四ツ辻では見えなかった京都市内中心部〜以北の絶景・・・ちとガスっているとです・・・
|
御幸(みゆき)奉拝所 |
昭和38年(1963年)に開かれた場所で、この神域に当社への崇敬篤かった横山大観画伯の筆塚があり、周りには黒竹が植えられています。この尾根は、古く平安の頃より御幸辺(みゆきべ)と呼ばれ、お山参詣の重要な経路でした。
|
|
|
|
横山大観画伯の筆塚(御幸奉拝所)
|
御幸奉拝所
|
お産婆稲荷 |
お産婆稲荷、大八嶋社 |