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第2京阪国道(高速道工事中) |
宇治川 |
広大な巨椋池干拓田 |
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久御山JCT(ジャンクション) |
佐山遺蹟 |
佐山遺蹟解説パネル |
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佐山尼垣外(さやまあまがいと)遺蹟 |
佐山尼垣外遺蹟解説バネル |
木津川右岸堤防をチャリチャリ・・・ |
枇杷庄天満宮社 |
寛永4年(1627年)に創建されたと伝える旧村社で旧枇杷庄の産土神(うぶずながみ)です。菅原道真(本社・天満宮:すがわらのみちざね)、天児屋根命(末社・春日神社:あめのこやねのみこと)、天水分神(末社・水神宮社:あめのみくまりのかみ)、市杵島姫命(末社・厳島神社:いちきしまひめのみこと)を祭神とします。 |
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流れ橋@木津川右岸(久御山) |
天満宮 |
拝殿 |
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本殿 |
近鉄京都線木津川鉄橋@木津川右岸 |
淀姫さんの祠(ほこら) |
生レ口(うまれぐち)樋門の近くに旧生レ口樋門跡記念碑と共に奈島地域の水難除けとして大切に祀られているのが「淀姫さんの祠」です。 |
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木津川右岸堤防をチャリチャリ・・・ |
旧生レ口樋門跡記念碑、淀姫さんの祠(右) |
ハナショウブ?多分、カキツバタの群生 |
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ハナショウブ、カキツバタ、アヤメの見分けは難しい・・・「いずれがアヤメかカキツバタ?」
カキツバタだと思います。(;^◇^ゞ |
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ビニールハウスで育成されているハナショウブ・・・だと思います。多分?!(;^◇^ゞ |
今もご利益がある「雨乞い地蔵さん」 |
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見事に咲いているカキツバタ?!
(;^◇^ゞ
ハナショウブ、アヤメ、カキツバタはアヤメ科、アヤメ属、漢字で書けば花菖蒲、菖蒲(アヤメ)だとか(>_<) |
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梨間の宿碑 |
酒蔵@城陽酒造 |
十六駅碑 |
宮本水車旧跡 |
水車は、ありませんが宮本水車旧蹟碑が建っています。玉川沿いには日照りが続いても枯れる事のなかった豊富な水を利用して終戦後も、精米や穀物などの製粉に水車が使われていましたが昭和28年(1953年)8月15日、この地方を襲った大水害により水車小屋諸共が跡形もなく流され現在は水車に利用されていた水路と石臼が往時を偲ばせています。 |
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桜と山吹が有名な井出の玉川 |
水車跡は今も清流が流れています・・・宮本水車旧蹟 |
駒岩(左り馬@左り馬ふれあい公園) |
枕草子に記される「井はほりかねの井、玉の井」とは、玉川の事で玉川沿いに駒岩(左り馬)があります。説明碑によると数百トンの花崗岩の下部、奧の方に後ろ足を跳ね上げ躍動する馬が実写実的に半肉彫されています。平安時代後期の保延3年(1137年)5月6日に水神として造立され江戸時代には、女芸(裁縫、茶法、生け花、舞踊など)の上達を祈願する参詣者を多く集めました。元、玉川左岸の山腹にありましたが水害で現在地に移転されました。 |
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左り馬ふれあい公園へチャリチャリ・・・@田村新田道 |
駒岩(左り馬) |
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玉川 |
玉津岡神社、地蔵院参道 |
枝垂桜(天然記念物) |
地蔵院 |
曹洞宗永平寺派の寺で本堂には地蔵立像を安置し文殊堂には天橋立の文殊と同体と伝える文殊像を安置します。境内には正法寺から移された供養塔や十三重石塔(鎌倉期)の残欠があり元、井手町役場の敷石に利用されていたものを当寺に移したとされ残りの笠石は玉津岡神社境内にあったもので石材の年代が合致せず重要文化財とし認可されなかったそうですが学識者の中では笠の反りが見事だと認められています。当寺の枝垂桜は天然記念物に指定され円山公園の先代の枝垂桜と兄弟桜でした。因みに円山公園の先代の枝垂桜は昭和22年(1947年)に枯死し今は二代目です。当寺は井出山ノの中腹にあって境内からは井出町を隔てて木津川、三山木、普賢寺谷、生駒連山を一望できます。 |
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枝垂桜(天然記念物) |
地蔵院 |
十三重石塔の残欠(笠石)、正法寺から移された供養塔 |
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井出町を隔てて木津川、三山木、普賢寺谷および遠くは、生駒連山を一望できる地蔵院境内 |
玉津岡神社 |
橘諸兄(たちばなのもろえ)が一族の氏神として創建したと伝え社伝によると天平3年(731年)、橘諸兄が下照比売(しもてるひめ)を勧請したのが起こりとされ元は玉岡神社とも言ったが明治になって現名に改めました。延喜の式外社ですがこの地方一帯の産土神として崇敬され例祭は10月16日です。境内には末社の一で橘神社があり元、美努王(みねおう:諸兄父)の屋敷南にあったのを移したと伝え橘諸兄を主神とし併せて橘氏の後裔と称する楠正成を配祀します。 |
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境内 |
玉津岡神社 |
拝殿 |
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本殿 |
稲荷社 |
遥拝所 |
小野小町塔(墓) |
平安時代の女流歌人で六歌仙の一とされる小野小町は、晩年を井出で過ごし玉川沿いを散歩したと伝える。「冷泉記」によれば小野小町は69歳で井堤寺において没したとあるに因んで近世、好事家によって玉津岡神社に至る参道傍に一に大妹塚とも言われる小野小町塔が造られました。 |
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地蔵院の十三重塔の残欠(笠石)と一対の供養塔 |
小野小町塔(墓所) |
小野小町塔(墓所)解説碑 |
井堤寺(いでじ)跡 |
天平時代、万葉集の撰者でもあった左大臣・橘諸兄が建立した氏寺で正しくは円堤寺(えんていじ)と記し光明寺と号した七堂伽藍の寺跡で「和歌色葉」(山城名勝誌:巻二十所引)によれば金堂の四面の廻廊の廻りに山吹を植え廊の内側に水を湛え花を咲かせて水面に映して見るように作られたが寺供養の日に思わぬ讒言(ざんげん)によって身まかった為、せっかくの目論見も実現させる事はできなかった・・・と記しています。寺跡から礎石の他、銅銭、海獣葡萄鏡、三色の釉薬をかけた三彩の垂木先瓦片等が出土しました。 |
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井堤寺跡 |
礎石、歌碑 |
井堤寺解説碑 |
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高神社 |
谷川ホタル公園@南谷川 |
木津川右岸〜左岸へ・・・山城大橋 |
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木津川@山城大橋 |
木津川左岸の木津川サイクリングロードを流れ橋へチャリチャリ・・・ |
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近鉄京都線木津川鉄橋@木津川左岸 |
サイクリングロードをチャリチャリ・・・ |
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流れ橋へ到着・・・木津川左岸から右岸へ渡ります・・・テレビや映画の時代劇で馴染みのある木造橋で全長は日本最長級の356.5mです。 |
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流れ橋 |
久御山側へ渡りました・・・@木津川右岸 |
久御山JCT(ジャンクション) |
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たそがれの宇治川@第2京阪国道 京都南大橋(巨椋橋) |
京阪電車 |
Tourist
2006.05.15(M) |