近江紀行「湖族の郷・堅田」

 

(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂  芭蕉翁

 

堅田内湖〜野神神社、勾当内侍(こうとうないし)墓〜琵琶湖大橋〜神田神社〜出島灯台〜堅田漁港〜祥瑞寺〜浮御堂(海門山満月寺)〜伊豆神社

 

湖族が栄えた町・堅田

中世、琵琶湖を支配した湖族の郷は、苦行の末、悟りの境地を得た 一休や再興の炎を燃やした蓮如など、偉人たちの栄光と歴史とロマンに彩られたまち・・・平安時代末期〜江戸初期にかけ、琵琶湖最大の自治都市が築かれた所で堅田千軒や諸浦の親郷とも呼ばれた。その端緒は寛治4年(1090年)下鴨神社の御厨が置かれたことで、湖魚を献上する代わりに琵琶湖の漁業権や通行権などを一手に握り莫大な利益を得た。その時に活躍したのが堅田衆(湖族)と呼ばれる人々。豊かな堅田には、美しい風光に魅せられ、また堅田衆を頼り、源信、一休、蓮如、勾当内侍、新田義貞、芭蕉など各時代のヒーロー、ヒロインが往来した。今も町のそこかしこに激動の時代に夢を馳せた人々の名残をとどめる史跡が息づいている。

洛南最大のショッピングゾーン・大手筋界隈 京阪電車・伏見桃山駅 大正3年の大阪電気軌道(近鉄)大軌デボ1形
近鉄・桃山御陵前駅 JR京都駅 湘南カラーの初代新快・113系が走る湖西線
普通電車・近江今津行きに乗車 鴨川 霊峰・比叡山
湖族の里・堅田

大津市堅田は琵琶湖の水運、漁業など、湖上の特権を持つ湖族が栄えた町で中世、湖上の交通や漁業の権益を背景に栄華を極めました。堅田漁港は、湖族(堅田衆)の栄華を彷彿させてくれます。古来、湖西は大津〜若狭へ向かう西近江路や若狭街道、敦賀へ向かう敦賀街道や北国街道など陸上交通が整備され、湖上交通による荷物の輸送も行われた為、堅田や大津などは琵琶湖の港湾都市として発展しました

JR堅田駅(湖西線) 堅田駅周辺観光案内図
堅田内湖(うちこ)

面積約71000u、流域面積3.1kuを有しています。農業用水の水源利用、洪水流出の調整池としての役割を持っています。淡水真珠の養殖でも知られる。

内湖大橋 内湖大橋からの内湖全容・・・淡水真珠の養殖でも知られる。
琵琶湖タワーの大観覧車「イーゴス108」が見える・・・ ・・・
琵琶湖から内湖へ流れ込む水路・・内湖は灌漑用水だけでなく、かつての巨椋池(おぐらいけ)と同じく洪水の調整池としての役目もある。
野神神社、勾当内侍(こうとうないし)墓

勾当内侍は、南北朝時代の武将・新田義貞の妻でとても美しい女性だったと伝えます。駒札によると後醍醐天皇に仕えて勾当内侍となり、後に新田義貞の妻となった藤原経尹(つねただ)の娘です。太平記によると、新田義貞は、足利尊氏と戦って敗れ、越前(福井県)に逃れる途中、勾当内侍を今堅田に残しました。延元3年(1338年)7月2日、内侍は、義貞が藤島の戦いで討ち死にした事を伝え聞き、京都嵯峨野に草庵を構えて義貞の菩提を弔いながら余生を送ったと記されます。ここ今堅田に残る伝承では、今堅田に留まっていた勾当内侍が義貞が討ち死にした事を知伝え聞き、悲しみのあまり琵琶湖琴ケ浜に身投げをしました。内侍を哀れに思った今堅田の村人は、塚を築いて明応6年(1497年)、内侍の150年遺忌の時に塚に社を築き野神神社と呼ばれるようになり野上神事衆が内侍の霊を祀ってきたと伝えます。

勾当内侍(こうとうないし)廟の道標 こま札 野神神社
境内 武将・新田義貞の妻・勾当内侍(こうとうないし)墓
琵琶湖タワー、大観覧車「イーゴス108」

昭和40年(1965年)、滋賀県道558号線、国道477号線、琵琶湖大橋かせ交差する地点にドライブインとして開業。ドライブインの目玉は展望室が回転しながら昇降する「びわ湖タワー」で、琵琶湖や比良山地を一望できる高さ63.5mのタワーであった。当初はこのタワーとレストランしかなかったが、徐々に拡張されて遊園地となった。駐車料金や入園料は無料であった。平成4年(1992年)、びわ湖タワーに代わる目玉として、世界一の高さ(完成当時)を誇る108mの大観覧車「イーゴス108」が建設された。「イーゴス108」は一般公募で決められた名前で、「イーゴス」は「すごーい」を逆から読んだものである。琵琶湖畔に佇む巨大観覧車は滋賀県有数のランドマークとして親しまれた。遊園地の主役を譲ったびわ湖タワーはパンジージャンプ台に改造されたが、遊園地の名前としてそのまま残されたが平成13年(2001)年8月31日に業績不振で廃業。イーゴス108は閉園後も解体されずに残っており、平成19年(2007年)4月に「平成20年(2008年)春に運転再開」との報道があったが、再開の目処は立っていない。

こま札 武将・新田義貞の妻・勾当内侍を祀る 琵琶湖タワーの大観覧車「イーゴス108」
108mの大輪の花火にも見える。 琵琶湖大橋へ・・・ でっか〜い(@_@;)・・・イーゴスかに?(^^ゞ爆
琵琶湖大橋

滋賀県大津市と守山市を結ぶ鋼製の大橋。琵琶湖大橋有料道路として滋賀県道路公社が管理している。車両が橋を渡る場合には通行料がかかるが、歩行者は無料。料金所(琵琶湖大橋有料道路管理事務所‎)は守山市側に設けられている。琵琶湖の東岸と西岸を行き来する際の所要時間の短縮、観光の促進を目的として昭和39年(1964年)9月28日に開通した。橋の中間部は、船舶の航行に支障をきたさないように水面より最大26m高くしており、最大支間(橋脚の間隔)は140mとしている。琵琶湖大橋を境に北側を北湖、南側を南湖という。

琵琶湖大橋碑 南北2本の琵琶湖大橋で往復予定でしたが、南側の歩道が通行禁止で断念(>_<)
北側(堅田→守山)の歩道をテクテク 琵琶湖大橋米プラザ タイヤの走行音で琵琶湖就航の歌を奏でる♪
マザーレーク・琵琶湖の北湖方面 間もなく最高部 振り返っています・・・
最高部にある展望デッキ 湖国案内図 真下を覗くと湖に吸い込まれそう・・・(*_*;
北湖方面の眺め 遠くに竹生島、手前に沖島が見える\(●⌒∇⌒●)/
堅田方面 守山方面 ママチャリで漕ぎ上がってきたお爺さん(@_@;)
えぇなぁ〜(*^▽^*) 南湖方面・・残念ながら南側(守山→堅田)の大橋歩道は通行止めで渡れません。(>_<)
霊峰・比叡山 堅田へ戻ります・・・ 大観覧車と琵琶湖大橋米プラザ
琵琶湖大橋(左:堅田→守山、右:守山→堅田) 琵琶湖大橋開通記念碑 波打ち際
雄大な琵琶湖の眺め・・・えぇなぁ〜(*^▽^*)
道の駅・琵琶湖大橋米プラザ カツ丼定食(^^♪美味でごじゃります〜
琵琶湖大橋をあとに・・・ 琵琶湖から内湖へ流れる水路 ・・・
伊豆神田神社

創建は平安時代初期、本殿の建立が室町時代初期と伝え、祭神は、彦国葺命須佐之男命(すさのおのみこと)ほかを祀る。優美な姿の本殿は、重要文化財に指定されており、側面や細部の彫刻などに建立当時の特色を表しています。特に、階段の上の真正面に菱(ひし)の格子がきっちりとはめられ繊細な雰囲気があります。

村社・伊豆神田神社 説明碑 境内
出島(でけじま)灯台(大津市有形文化財:明治期)

この辺りは、琵琶湖の最狭部で岩礁も多く船の事故が絶えない湖上航路の難所でした。明治8年(1875年)2月、付近で船が沈没し47名が死亡するという惨事を機に、木造燈台が設けられ、湖上航路の安全に貢献しました。昭和36年(1961年)9月の第二室戸台風で崩壊寸前になりましたが、昭和48年(1973年)に地元の保存運動で復旧されました。灯火は大正7年(1918年)までランプが使用され以降、電灯に切り替えられましたが昭和26年(1951年)に消灯し、平成元年(1989年)に地元有志によって点灯を再開しました

本殿(重要文化財) 大切に祀られる路傍の石仏群 出島灯台
こま札 出島灯台は高さ:約8mの高床式木造で、街灯にハシゴを立て掛けた独特の風情がある形
今も現役 風情ある湖岸の家屋 沖合いを航行する船
琵琶湖大橋方面 近江富士(三上山) 浄土真宗大谷派・泉福寺(勾当内待の菩提寺)
もと天台宗 観応2年(1351年)に真宗に改宗 龍頭の井 境内にある蓮如上人像
・・・ 堅田漁港 芭蕉句碑「海士(あま)の屋は 小海老にまじる いとど哉」
その昔、琵琶湖の水運、漁業など、湖上の漁業権などを掌握していた湖族(堅田衆)の権勢を彷彿させる漁港です。
えぇなぁ〜(*^▽^*) 天然図絵亭庭園がある堅田湖族の頭領の館・居初邸(いそめてい)
絹と明察に描かれた堅田の行を記した三島由紀夫文学碑 堅田港 えぇなぁ〜(*^▽^*)
琵琶湖哀歌の碑

昭和16年(1941年)、琵琶湖で遭難した旧制第四高校(現金沢大学)ボート部員11人の霊を慰めるために歌われるようになった琵琶湖哀歌。堅田からも捜索隊が出たこともあり、港橋のたもとに歌詩を刻んだ碑が建っている。

・・・ 遭難した学生の霊を鎮める琵琶湖哀歌の碑 ・・・
・・・ 芭蕉の俳文を全記した堅田十六夜(いざよい)の弁碑 解説碑

琵琶湖八景の一・浮御堂

一歩の距離の行を記した城山三郎の文学碑

堅田藩陣屋跡

説明パネル 港町にある小さな銭湯・港湯・・・5月に閉店されたようです・・・
頓智で知られる一休修行の寺・祥瑞寺(しょうずいじ)

太平山と号する臨済宗大徳寺派の寺。室町時代の応永年間(1394〜1428年)、京都大徳寺の頓智で知られる一休の師・華叟宗曇(かそうそうどん)が開いた。一休が22歳から十余年に亘り修行に励んだ。当時は祥瑞庵といい、一休も宗純と称していた。一休という道号を与えられたのは25歳、岸辺の小舟で開悟に至ったのは27歳の時。開山堂には師と一休の木造が安置されている。後年、芭蕉も訪れ、句を詠んだ。

祥瑞寺 芭蕉句碑 庫裏
境内はとても手入れがいき届いて美しい
光徳寺

朝陽山と号する浄土真宗大谷派の寺。蓮如上人とのゆかりが深く、真筆の名号・消息等の遺品や伝説が残されている。中でも宗祖の御真影を三井寺から取り戻すために自らの首を差し出したという「堅田源平衛親子」の物語は有名で、源平衛の頭蓋骨が今も安置されている。

白壁が美しい 光徳寺
堅田源平衛父子殉教之像

文明12年(1480年)、山科本願寺が完成したのを機に中興の祖・蓮如上人が三井寺に預けていた浄土真宗開祖・親鸞聖人の御真影を引き取りに出かけたが、人間の生首を交換条件に出されたいそう困惑した。その話を聞いた漁師・源兵衛は自ら進んで首を差し出したと伝える。本堂には源兵衛の頭蓋骨が安置され、境内には「父子殉教之像」が建てられている。

自らの首を差し出したという堅田源平衛親子の『父子殉教之像』 堅田源平衛墓
地元出身者の岡本一平文学碑 長浜の舟板塀のような壁 蕉門十哲・宝井其角の父出生地・其角邸跡
本福寺

南北朝時代(1334〜1392年)に僧・善道によって開山された夕陽山(せきようさん)と号する浄土真宗本願寺派の寺。室町時代の応永元年(1467年)第三世住持・法王の時、寛正の法難を逃れた真宗中興の祖・蓮如が身を寄せ、同寺に本願寺を置き再興の拠点として真宗の布教を行った。江戸時代、十一代住持・明式は俳聖・松尾芭蕉の高弟で千那(せんな)と号したところから、同寺は千那寺とも呼ばれ芭蕉も再三訪れて句を残している。蓮如ゆかりの遺品が数多く所蔵され本堂には貴重な寺宝が展示されている。

本願寺旧址・本福寺 臥龍松のような見事な松 遺址碑
蓮如上人寵愛の木 見事な松と本堂 蓮如上人像
浮御堂(海門山満月寺)

近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂は平安時代、一条天皇の長徳年間(995年頃)、比叡山の恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が湖上安全と衆生済度を祈願し、自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで建立したのが浮御堂の始まりと伝える臨済宗大徳寺派の寺で正しくは海門山満月寺と号します。現在の浮御堂は昭和9年(1934年)の室戸台風で倒壊し、昭和12年(1937年)に再建され往時の情緒を残し観音堂には聖観音座像(重文:平安期)が安置され境内には樹齢約500年と伝える老松があります

蓮如堂 浮御堂(満月寺) 観音堂(登録文化財)
本坊 芭蕉の句碑 芭蕉の句碑
湖上に迫出している浮御堂・・・近江八景『堅田の落雁』でも有名
琵琶湖に突き出た浮御堂からの眺め\(●⌒∇⌒●)/
以外に知られていない高浜虚子の水上句碑 浮御堂内に祀られる千体仏(阿弥陀仏一千体)
伊豆神社

安時代中頃の寛平年間(878〜897年)に延暦寺の僧・尊意が、伊豆の三島神社から伊豆大権現(祭神・大山祇命(おおやまずみのみこと:和多志(渡し)の神)を分祀して創建されました。古くは京都賀茂社の分霊を祀る神田神社と伊豆神社の二社からなっていました。室町時代には堅田大宮とも言われ湖上水運に特権をもっていた堅田全域の総鎮守として信仰を集めていました。

伊豆神社 拝殿 本殿
堅田郷土史がわかる湖族の郷資料館 ヴォーリズが建てた日本基督教団堅田教会(国登録有形文化財)
日本基督教団堅田教会 JR堅田駅前 三代目新快速・117系京都行き・普通電車
車窓からの琵琶湖 JR京都駅
ワッフルくださいな〜(^^♪ 近鉄急行に乗車 桃山御陵前駅

Tourist  2010.08.09(M)

 

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