錦秋の古都・東山々麓

 

神無月 もみじの山に 尋ねきて 秋より外の 秋を見るかな (夫木抄)喜多院入道入品のみこ

 

錦秋の東福寺〜今熊野観音寺〜智積院(ちしゃくいん)〜三十三間堂(蓮華王院)※閉門の為、拝観できず・゚・(つД`)・゚・

撞木町遊郭跡 琵琶湖疏水右岸道を北上・・・

東福寺

臨済宗東福寺派の大本山で慧日山(えにちざん)と号します。6万坪(約20万u)に及ぶ広大な境内には本堂以下、幾多の堂舎が甍を並べています。当寺は平安中期以来、藤原氏の氏寺として藤原忠平が建立した法性寺(ほっしょうじ)に関白・九条道家(藤原道家)が聖一国師を請しで開山とし、鎌倉時代の嘉禎2年(1236年)に創立にかかり、19年後の建長7年(1255年)に竣工した九条家の氏寺で奈良の東大寺と興福寺の一字づつを採って東福寺と名付けました。当初は天台、真言、禅の三宗兼学院でしたが後に臨済禅寺となり、室町時代には禅宗五山の一に数えられる大寺となり塔頭子院37宇に及び壮観さは俗に「東福寺の伽藍面(がらんづら)」と言われました。中世の兵火にしばしば、罹災し大半を焼亡しました。更に明治14年(1881年)12月、方丈からの失火によって惜しくも仏殿、法堂、方丈などを焼失しましたが、三門、東司(とうす)、禅堂は類焼を免れました。明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と失火で荒廃しましたが、現在の仏殿が竣工したのは昭和9年(1934年)で法堂は未だ再建に至っていません。塔頭25、末寺院370ヶ寺を統括します。国宝の三門は応永年間(1394〜1428年)の再建で禅宗寺院三門中では、最古です。

JR奈良線・稲荷駅界隈 伏見稲荷大社神幸道(裏参道) 東福寺・六波羅門
仏殿(本堂)

明治14年(1881年)焼失後、昭和9年(1934年)再建。起工から竣工まで17年を要し復興させた昭和期の木造建築中最大の建物です。入母屋、裳階(もこし)付単層本瓦葺、正面七間・側面五間。三門にならった大仏の組物と角扇垂木。禅宗唐様の桟唐戸、礎盤、鏡天井。裳階の窓は和様の連子窓、破風の妻飾りは法隆寺南大門風と、多様に様式が組み合わされています。

手前から三門、仏殿(本堂) 禅宗三門最古の三門(国宝:室町期) 仏殿(本堂)
通天橋

仏殿(本堂)と開山堂に至る途中、洗玉澗という渓谷に架かる橋廊で数多い列柱が構造的な美しさを表し、中央に舞台を構え、そこから眺める秋の紅葉の美しさは、有名ですが、青葉の頃の爽やかさも格別です。天授6年(1380年)、夢窓国師の高弟・晋明国師が東福寺造営を督した時、開山堂への往還の為に架けた橋廊で、後の慶長2年(1597年)、豊臣秀吉の命により安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)が建造し通天橋の上流に慶長8年(1603年)偃月橋(重文:桃山期)、下流に臥雲橋が架かる桃山時代の遺構。現在の通天橋は、昭和34年(1959年)の台風によって倒壊したものを昭和36年(1961年)に再建したもので渓谷・洗玉澗の風趣に見事に溶け合っています。

名勝・通天橋へ・・・(^_-) えぇなぁ〜(*^-^*)
渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)の錦秋・・・向こうは東福寺三名橋の一・臥雲橋(がうんきょう) えぇなぁ〜(*^-^*)
開山堂(常楽庵/重文:江戸期)、開山堂庭園

開山堂・・・別に常楽庵とも言われ、元の建物は文政2年(1819年)に焼失、文政6年(1823年)、一条忠良によって再建されました。屋上に閣を持つ類例を見ない開山堂で、正面柱間八間、内部は禅式瓦敷(四半敷)、祀堂は床高で開山国師像を安置します。上層伝衣閣は正面三間、内部左右いっぱいに壇を設け、中央に阿弥陀、右に薬師、左に布袋像を祀ります。前方天井は格子天井で、この縁から見る開山堂庭園は、四辺の眺望を借景にして格別です。開山堂庭園・・・普門院の前庭も兼ねた池泉鑑賞式庭園。開山堂への参道を中ほどまで進めば左手に枯山水の庭が開けます。枯山水は約百坪(330u)の平庭式で市松の砂紋をつけ、鶴島、亀島を象った石組を配して蓬莢山水をあらわし、対面の池庭は築山風、池中に亀島をつくり、枯滝を設けられ、禅院式と武家書院式とを調和させた江戸中期の代表的な名園とされています。

開山堂へ・・・ 禅院式と武家書院式とを調和させた江戸中期の代表的な名園とされる開山堂庭園
普門院(重文:江戸期)

寝殿造風の建物で、開山国師常住の方丈と伝えます。内部は三室に仕切られ、その襖絵は花鳥草花、唐人物を主題とし七十四面(重要文化財、桃山〜江戸期)からなる、画流各派の競作が残されています(現在は収蔵庫に収納)。

池泉鑑賞式の開山堂庭園 寝殿造の晋門院(重文:江戸期)
屋上に閣を持つ類例を見ない開山堂(重文:江戸期) えぇなぁ〜 (*^-^*)
愛染堂(重文:室町期)

丹塗りの八角小円堂で、もと万寿寺愛染堂と呼ばれていましたが、昭和9年(1934年)の室戸台風で倒壊、その後現在の地に移されました。唐様を主とした鎌倉末期風の優雅さをもって現存する貴重な遺構です。単層、こけら葺、桟唐戸。内部は瓦敷、鏡天井とし、須弥壇上に宝塔形の厨子を置き、愛染明王を祀ります。

えぇなぁ〜 (*^-^*) 八角小円堂の愛染堂(重文・室町期)
Beautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
Wonderful〜! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
萌え萌えの通天橋 三の橋川・・・臥雲橋 えぇなぁ〜(*^-^*)
えぇなぁ〜 (*^-^*) 洗玉澗に架かる東福寺三名橋の一・通天橋
洗玉澗一帯に繁る楓は俗に通天紅葉と呼ばれ、数は二千本に及んでいます・・・Wonderful〜! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
Beautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! 東福寺をあとに・・・

今熊野観音寺

真言宗泉涌寺派に属し西国三十三ヶ所観音霊場の第十五番札所で創建は定かでありませんが寺伝によれば平安時代、斉衡年間に山本左大臣藤原緒嗣(おつぐ)が伽藍を造営したと伝わります。一説には弘法大師が熊野権現の化身の老翁から一体の観音像を授けられて創立したのが起こりとも伝えます。後白河法皇が新熊野(いまくまの)社を創建された時に当寺を新那智山と称された。本殿背後の墓地には慈円僧正、藤原忠通、長家の墓とされる見事な石造宝塔三基(鎌倉期)があります。

渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)の錦秋 今熊野観音寺 子まもり大師
えぇなぁ〜 境内 本堂
弘法大師の霊水・五智水 Beautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
三重石塔(平安期) 大師堂 えぇなぁ〜(*^-^*)
鐘楼 日本医学の発展に貢献した人を祀る医聖堂 観音寺俯瞰
悲田院(泉涌寺七福神巡第6番 毘沙門天)

智積院(ちしゃくいん)

仏頭山、一乗山五百仏根来(ねごろ)寺と号する真言宗新義智山派の大本山です。阿弥陀ヶ峰山麓に広大な境地を占め、本堂以下幾多もの諸堂を有します。当地は元、豊臣秀吉が長子・棄丸(すてまる:鶴松)の菩提を弔う為に建てた祥雲寺の跡地で、その後一時廃絶していた為、慶長5年(1600年)に智積院玄有が紀州根来(ねごろ)の当院の名を移して再興したと伝えます。大書院の襖絵の桜楓図、松梅図、松草花図(国宝・桃山期)は祥雲寺の遺物でいずれも絢爛目を奪うばかりの彩色を施した桃山時代を代表する障壁画とされます。庭園(名勝・江戸期)は旧祥雲寺の庭園で京洛名園の一に数えられます。東北の傾斜地を巧みに利用し北半を石組本位とし、中央に枯滝を造り南半を池泉とした江戸初期の池泉鑑賞式で利休好みの庭園とも称され国の名勝に指定されています。

洛中俯瞰\(◎o◎)/!@悲田院 智積院総門
智積院総門 智積院境内図 キララくんでつ (^_-)-☆
境内へ・・・ えぇなぁ〜(*^-^*)
宗祖・弘法大師の生誕千二百年の記念事業として昭和50年に建立された智積院の中心的な建物の金堂
本尊・大日如来坐像 駒札 えぇなぁ〜
明王院 駒札 大師堂
寛文7年(1667年)に建立され、真言宗中興の祖、興教大師覚鑁像を安置し運敞僧正筆の「密厳堂」の額が掲げられる密厳堂
手前から鎮守社と密厳堂 求聞持堂 家康に庇護された智積院玄有僧正坐像
錦秋の境内 仏足石
えぇなぁ〜(*^-^*) 鐘楼
燃えるが如く・・・京都タワー 庫裡、本坊 えぇなぁ〜(*^-^*)

三十三間堂(蓮華王院)

天台宗・妙法院派に属します。当地は元、後白河法皇の法性寺殿の旧跡にあたる所で、仏教を篤く信仰した法皇は、長寛2年(1164年)、御所内に仏殿を建立し、千手千眼観音像一千一体と二十八部衆を安置し蓮華王院と称したのが当寺の起こりです。次いで五重塔、不動堂、北斗堂など諸堂甍を列べて洛東に偉観を誇ったが、鎌倉時代の建長元年(1249年)に類焼した。今の建物は、鎌倉中期の文永3年(1266年)に再建されたもので本堂(国宝:鎌倉期)は三十五間七間、単層、入母屋造り、本瓦葺という長大な建物です。これは平安末期に現れた千躰観音堂の形式を伝える唯一の遺構で当時の異常な宗教的耽溺を偲ばせます。三十三間堂の名は内陣の柱間が三十三間あることから称され、これは観音の慈悲が三十三相に至現する経緯によったものです。本尊・十一面千手観音坐像(国宝:鎌倉期)は宋風を帯びた理知的な鎌倉彫刻の特徴をよく現しています。この像は七条仏所の湛慶が82才の時に作ったもので、本尊の両脇に五百体づつ安置されている十一面千手観音立像(重文:鎌倉期)も湛慶、その一派の者による造彫になる。 二十八部衆立像、風神・雷神像(国宝:鎌倉期)は西側外陣に安置されます。境内の南端にある南大門(重文)、太閤塀と言われる築地塀(重文)は慶長年間(1600年)の建築で、ともに桃山時代の豪壮さをよく現しています。

三十三間堂(蓮華王院)

境内

南大門(重文:桃山期)

太閤塀(重文:桃山期)

鴨川

京都タワー

Tourist  2008.11.19(M)

 

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