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叡山電車・一乗寺駅
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雲母坂へテチテチ・・・前方に大比叡
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武蔵と吉岡一門の決闘の地「一乗寺下り松」
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詩仙堂 |
石川丈山隠棲の山荘で堂内四方の小壁に漢、晋、唐、宋の詩人36人の肖像画を掲げるにより詩仙堂と称します。石川丈山は江戸初期の文人で名は重之、字は丈山と号し別に四明山人、凸凹窠
、藪里、東渓など多くの号があります。三河の出身で徳川家康に仕え大坂夏の陣で軍規を犯して先駆けをした為に家康の忌避に触れ禄を辞して京都に来住し藤原惺窩の門に学び一時、広島藩に仕えましたが母の死後、当地に隠棲し寛文12年(1672年)5月23日、90才で没するまでの30年間、煙霞(えんか)に嘯き(うそぶき)、風月に吟じ琴を撫でし悠々自適しました。かって、後水尾天皇のお召しを受けた事もあったが「渡らじな
瀬見の小川の 浅くとも 老いの波そふ
影ぞはづかし」と一首の歌を奏って拝辞したと伝えます。 |
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宮本、吉岡決闘之地碑(左)、大楠公戦陣蹟
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詩仙堂
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宮本武蔵ゆかりの八大神社
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映画「宮本武蔵一乗寺の決斗」(昭和39年・東映)など、武蔵を萬屋錦之助が佐々木小次郎は高倉健が演じたようです・・・
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お通さま・・・美しい〜
σ(^◇^;) どもども
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武蔵の決闘地にあったと伝える松の古株
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「小次郎敗れたり!!!」宮本武蔵像
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宮本武蔵時蹟
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昭和10年頃の一乗寺下り松の鳥瞰図
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本殿
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伏見学校(下野足利学校)ゆかりの圓光寺
(えんこうじ)、天台宗門跡・曼殊院
(まんしゅいん) |
圓光寺・・・瑞巌山と号する臨済宗南禅寺派の寺院で寛文7年(1667年)に当地に移転し明治維新で衰退しましたが、尼僧専門道場として再興され現在は南禅寺派研修道場になっています。慶長6年(1601年)、徳川家康は文治政策として足利学校の元佶(げんきつ)三要和尚を招き、伏見指月の丘に学問所(伏見学校)を開校し朝鮮文書二百部、日韓の書籍ならびに木製活字十万を寄せて管理にあたらせると共に多くの伏見版とも圓光寺版と言われる書籍を印行した当時の木製活字(重文:江戸期)を所蔵し我が国印刷文化史上貴重とされます。他に元佶和尚一幅(重文:桃山期)、円山応挙筆と伝える竹林図屏風六曲一双(重文:桃山期)なども所蔵しています。曼殊院・・・竹内門跡とも称する天台宗の門跡寺院で洛北屈指の名刹です。元は比叡山西塔の北谷にあって東尾坊と言いましたが天暦年中、北野神社の別当職を兼ねてより今の金閣寺の北山の地に移ったが足利義満が金閣を建てるにあたり御所近くに移りました。文明年中、伏見宮貞常親王の御子・慈運が入寺してより門跡寺院となって以来、連綿と法灯を継いできましたが江戸時代の明暦2年(1656年)、後水尾天皇の猶子・良尚法親王の奏請により現在地に移されました。良尚法親王は桂離宮を造営された八条宮智仁親王の御子で二代桂宮智忠親王の御弟にあたるので当寺の造営、庭園などは桂離宮と相通ずるものがあり江戸初期文化の大切な資料ともなっています。 |
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圓光寺
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天台宗門跡・曼殊院
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親鸞聖人御旧跡きらら坂 |
浄土真宗の開祖・親鸞は、青蓮院の慈円の門に入り得度した後に比叡山で二十年余り修行積みました。後に六角堂(中京区六角通烏丸東入)で百日参籠して九十五日目に聖徳太子の示現を得て法然の念仏に帰依する決心をしたと伝えます。親鸞が六角堂に参詣する時に比叡山との往還に毎夜、通ったと伝える雲母坂の石標です。 |
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北山方面の眺め
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雲母橋
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親鸞聖人御旧跡きらら坂石標
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雲母寺(うんもじ)跡碑 |
平安末期の元慶年間(877〜84年)、相応和尚が開いた天台宗の寺院で比叡山延暦寺根本中堂へ至る険しい山路を雲母(きらら)坂と呼ばれその登り口に建立されました。延暦寺に属し往時は音羽川を前にして本堂が南面し本尊に伝教大師自作と伝える高さ八尺(約2.4m)の不動明王を祀り傍に不動滝、鐘楼、方丈などの建物があって、かなり崇敬を集めていたが明治18年(1885年)に廃寺となり本堂、本尊・不動明王は赤山禅院に移され西行法師が京都七口に建立した地蔵堂の一とされる地蔵堂の本尊・地蔵菩薩は山端森本町の帰命院に移されました。 |
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きらら坂登山道入口
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雲母寺(うんもじ)跡碑
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きらら坂は、不思議な空間?
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京都御所と根本中堂を結ぶ雲母(きらら)坂
「修学院〜水飲〜東塔(約5.7km)」 |
京都御所から比叡山への主要山道で回峰行者が京都へ下る「京都切り廻り」のコースになっています。途中、音羽川の深い谷と並行し降雨時は沢に流れ込む雨水が山道に溢れ花崗岩質の土壌が川底のように深くえぐられた急坂の険路です。本坂に対して「西坂」、御所の勅使が利用したので「勅使坂」、延暦寺の西の浄刹結界があった水飲(みずのみ)あたりを越えて行くので「水飲越え」、雲母不動堂があったので「不動坂」などとも呼ばれました。雲母坂は京都の公家、貴族が参拝した山道と伝えますが、本当に勅使が通ったのか?と思う険路でした。比叡山の僧徒が朝廷に強訴する時は、山上から神輿を奉じて雲母坂を大挙して下り御所へ参内したとも伝えます。 |
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降雨時は、雨水が山道を滝となって流れ落ちるので登山は困難とされるとです・・・ |
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川底のように深くえぐれた急坂の険路でつ・・・σ(^◇^;)
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延暦寺西の浄刹結界があった水飲対陣跡
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東山トレイル分岐(左:赤山禅院、右:無動寺谷)
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尾根道からの眺め
O(^◇^)O
ふぉ〜
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険路の上に積雪が!
(>_<)
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千種忠顕(ちぐさただあき)碑 |
四明ヶ岳山頂より西南約1km余、雲母坂に沿う山の中程にあり「太平記」によると千種忠顕は、後醍醐天皇に勤仕し延元元年(1336年)6月、足利尊氏の軍勢と雲母坂の途上で戦って戦死した建武中興の功臣とされ戦没地に因んで顕彰碑が建てられています。又、ここは昔に如法写経を行い埋蔵した塚のあった所で大正12年(1923年)、地下より陶質経筒や古銭を発掘した事があります。 |
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雪ニモマケズ・・・スリップ注意!
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千種忠顕(ちぐさただあき)碑
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ケーブル比叡駅を目指してテチテチ
σ(^◇^;)
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雪に埋もれている千種塚
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積雪で山道が分からん?!
(@_@;)
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尾根道はスリップ厳禁!
(@_@;)
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我は武蔵なり?!木杖の二刀流じゃ〜!
σ(^◇^;)
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尾根道からの絶景
O(^◇^)O
ふぉ〜
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約50分でケーブル比叡駅に到着!σ(^◇^;)ふ〜
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絶景かな〜、絶景かな〜〜
O(^◇^)Oふぉ〜
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積雪の叡山ケーブル比叡駅・・・(>_<)
寒〜
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鞍馬寺が見えるとです・・・
O(^◇^)Oふぉ〜
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ケーブルカーが発車しまつた・・・
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昭和31年頃のゴンドラ(叡山ロープウェイ)
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凄い積雪の延暦寺への山道
(@_@;)
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叡山ロープウェイ下を通過・・・
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比叡山人工スキー場跡(蛇ヶ池跡)
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ロッジ跡
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蛇ヶ池跡(人工スキー場跡) |
昔、蛇が、わだかまった様な怪石があり人々の猥怖するところでした。ある時、伝教大師最澄が法力をもって祈願されると雷電がたちどころにこの怪石を打ち砕き池となったという伝説があります。一説には毒蛇が居て人々に危害を加えるので伝教大師最澄が祈願しこれらを追い払ったとも伝わります。 |
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比叡山人工スキー場跡(ロッジテラスから)
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前〜横高山(767m)、水井山(794m)、峰床山
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リフト跡
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供養塔(蛇ヶ池跡)
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比叡山人工スキー場跡
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雪深き山道・・・ウサギの気持ちが分かる?!(爆)
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雪ニモマケズ・・・大原、峰床山(970m)方面
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スリップしないようにテチテチ・・・
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石仏群・・・北風が無っ茶強くて痛い?!
(>_<)
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雪ニモマケズ・・・しか〜し、益々雪深くなってきまつた!
o(*^▽^*)o 突撃じゃ〜
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比叡山延暦寺(世界文化遺産)
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延暦寺は天台宗総本山です。延暦7年(788年)、伝教大師最澄は比叡山上に自ら刻んだ薬師如来像を本尊として、一乗止観院(根本中堂)を創立し比叡山寺と号したのが延暦寺の創始であると伝わります。延暦寺という単一の堂宇は無く、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の三塔からなり夫々の中堂(本堂)と付随する堂宇があり三塔十六谷三千坊と称され比叡山全体が延暦寺です。桓武天皇の平安遷都に伴い都の鬼門の方向にある比叡山寺が官寺(国家を鎮護する為の寺院)に選ばれました。延暦寺と号したのは、伝教大師最澄没後の弘仁14年(823年)であると伝わります。その後、他山の宗教争い等で、しばしば多くの堂を焼失しましたが、その度に復興され現在に至ります。比叡山から数多くの名僧、高僧を輩出しており、平安〜鎌倉期に各宗派を広めた法然、親鸞、道元、一遍、栄西、日蓮らの僧もここで修行し日本仏教の発祥地とされる所以です。元亀2年(1571年)、織田信長の軍勢によって比叡山全山すべて焼き払われ建物で残ったのは西塔にある瑠璃堂のみとされ僧侶、坂本の住民など二千人以上が惨殺されました。その後、豊臣秀吉、秀頼、徳川家康、家光らによって延暦寺は復興されました。比叡山は日本仏教の母山とされ、文化遺産が豊富な寺院としても有名で63点の国宝、重要文化財を含む数百点もの寺宝を所蔵し世界文化遺産にも登録されています。かっては、皇室を檀越とし一般庶民を近づけずに長く女人禁制を守り続けていた叡山も今日では一般庶民に親しまれる寺院となりました。
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国家鎮護碑
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スリップしないよう・・・
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約1時間50分で山王院に到達!
σ(^◇^;) ふ〜
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浄土院(伝教大師最澄御廟) |