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城南宮・・・いつも手入れが行き届いた境内 |
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名水・菊水若水 |
つつじ |
鳥羽伏見戦勃発地の小枝橋 |
鳥羽水環境保全センター |
昭和14年4月に稼動し始めた鳥羽水環境保全センターは平成20年度末現在、敷地面積:460,460u、処理能力:975,000m3/日という京都市最大の規模で、全国有数の処理能力を有します。施設の改築更新に合わせて高度処理の導入に努めている。吉祥院水環境保全センターと伏見水環境保全センターの汚泥も、ここで処理します。また春(例年4月下旬)には、120mの藤棚の回廊とともに施設の一般公開を行っています。 |
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鳥羽水環境保全センター |
桂川左岸堤防道、サイクリングロードを北上・・・ |
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堤外人道橋(嵐山サイクリングロード:天神川) |
JR京都線(東海道本線)桂川橋梁 |
天神川に沿って北上ing・・・ |
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天神川に沿って国道162号線を北上ing・・・ |
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一ノ岡、二ノ岡、三ノ岡からなり西麓に徒然草を著した吉田兼好が庵を結んだと伝える双ヶ丘 |
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JR嵯峨野線(山陰本線)と丸太町通り |
いよいよ周山街道(国道162号)を御経坂峠まで峠超えの上り坂の始まり、始まり〜(^▽^;) |
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御室川にある落差3m程の二段に分かれる小滝ですが、滝の水音が遠くまで鳴り響いていたことから鳴滝と名付けられたと伝える。 |
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生活圏にある鳴滝 |
芭蕉歌碑「梅白し
昨日ふや鶴 を盗れし」 |
不動明王が祀られている。 |
鳴滝の妙見さん、戌の妙見さんと呼ばれる三寶寺 |
寛永5年(1628年)、右大臣菊帝(今出川)経季郷と中納言今城(冷泉)為尚郷が後水尾天皇の御内旨を受け中正院日護上人を御開山に迎え建立された中本山。「金映山妙護国院三寳寺」の号は後水尾天皇より賜ったと伝える。塔頭寺院は十二ヶ寺を数え、開山・日護上人、二祖・日英上人、三祖日逞上人の学徳を慕って笈を負いに来る者、また文人雅客の杖をひく者数多くありました。
特に茶道宗偏流の流祖・山田宗偏は若年の時、東谷の塔頭「凉池院」に住し茶室「四方庵」にて茶道に専念しその奥義を究めました。後に山田宗偏は江戸に入り赤穂義士の大高源吾に吉良邸の茶会の日を教え討ち入りを助けたことで有名です。幕末維新の変動と堂上貴紳の東上等により一時衰微荒廃したが、昭和天皇の即位式の建物を下賜せられ本堂とし、又妙見堂改築、大黒堂再建をはたし寺観を整え現在に至っています。 |
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鳴滝の妙見、戌の妙見さんと呼ばれる三寶寺は、金映山妙護国院三宝寺と号する日蓮宗の寺 |
こま札 |
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山内 |
なで大黒天さま |
お滝行場 |
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奥の院・妙見堂へ・・ |
”鍋かぶり日親上人“作の名鐘・忍辱の鐘 |
こま札 |
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三十番神堂(日本の代表的三十神を祀る) |
こま札 |
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奥の院・妙見堂へ・・ |
豊臣秀頼、国松丸、淀君の縁結びの塔 |
こま札 |
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戌妙見大菩薩を祭祀している妙見堂 |
戌歳生まれの人の守護神「子宝犬」 |
こま札 |
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大黒堂 |
こま札 |
茶室「四方庵」旧跡へ・・ |
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千宗旦の四天王の一人の山田宗偏が茶道の奥義を究めた茶室「四方庵」旧跡 |
こま札 |
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水かけ地蔵さま |
こま札 |
昭和天皇即位式建造物を下賜つれた本堂 |
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平岡八幡宮 |
工事中で一車線(@_@;) |
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護壁工事中 |
振り返っています・・・ |
ワッ?!(@_@;) |
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周山街道最初の峠・御経坂峠・・・ここから高雄です。 |
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春には山ツツジが美しく咲きみだれる槙尾山(西明寺背後) |
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茶山栂尾(とがのお)碑 |
清滝川 |
世界文化遺産・高山寺 |
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世界文化遺産・高山寺 |
北山杉は京都の府木に指定され丁寧に枝打ちされて手入れが行き届いている杉林 |
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清滝川に沿って枝打ちされ整然とした杉山の間を蛇行する清滝川と周山街道(国道162号)を中川へ走る。・・・ |
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周山街道(国道162号線)は明智光秀が縄野に築城し自らを周の武王になぞらえ縄野を周山と改めた事に由来する。 |
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川端康成の小説『古都』で、この辺りを「清滝川の岸に急な山が迫ってくる。やがて美しい杉林がながめられる。・・」
と描写されている。 |
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清滝川と北山杉 |
新しくできた杉の里トンネル・・トンネル内に響く車の走行音は、不気味( ̄□||||!! |
北山杉の里・中川
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中川は、京都市街の西北約20kmに位置する高雄の北、杉坂の南にあって周山街道に沿うた山間の一集落。小野郷より流れ来る清滝川は、中川を貫流し、高雄、清滝を経て保津峡で桂川に合流する。中川の民家は清滝川に沿うた街道筋に建ち並び、北山丸太を磨く婦女子の姿が所々で見られる。いずれも紺の立掛けをうがち、腹掛けをし小巾の帯をして労働本意の服装をしている。磨き丸太は、室町時代から茶室や数寄屋に重用された。特に、現在の京都市北区中川を中心とする地域は、北山杉の産地として栄えた。中川地域は隣接する小野庄(京都市北区小野郷)や梅ヶ畑庄(京都市右京区高雄)と共に京都御所に産物を献上する「供御人」としての地位を授かり古来より磨丸太類の生産、販売を行った。室町時代、中川地域の磨丸太は千利休により完成された茶の湯文化を支える茶室や数奇屋の建築材として重用され桂離宮、修学院離宮や島原の角屋などは北山丸太を使った数寄屋づくりの代表的な建築です。江戸時代〜明治時代にかけて、中川地域の磨丸太は京都市内を始め関西一円に販売された。第二次世界大戦後、吉田五十八や篠原一男らを始めとする著名な建築家による近代数奇屋建築が華々しく登場し、中川地域の磨丸太の需要は絶頂に達しブームに乗って、京都府京北町、八木町、日吉町にまで磨丸太育林が波及したのもこの頃からです。このような背景の中で中川を中心に高雄、鷹ヶ峰、小野郷を含めた地域からの丸太は地山丸太、京北町等からの丸太は丹波物と呼ばれた。中川は元来、林業を生業とする梅ヶ畑村の村民が漸次、山中へ入り込んで一集落をなした所と伝え、元は梅ヶ畑村の中河と称した。明治維新後は葛野郡第三区に属し、小野・大森・真弓・杉坂の諸村と合したが、明治22年(1889年)に分離、中河を中川と改めて独立町村となった。昭和23年(1948年)に京都市に編入され北区中川町となった。住民は、もっぱら林業を主として男子は山に入り薪、材木を切り出し、女子は、これを市中に運搬して米、野菜、魚肉類などの日用品と交換する慣わしであったが、明治37年(1904年)、周山街道が拡張整備されてからトラックなどによって搬出された。尚、菩提の滝は由緒不詳だが中川より鷹ヶ峰に至る山道途中、中河谷と称する渓谷にある。北山杉は北山丸太、磨丸太ともいい、この滝壺の砂を用いて丸太を磨いた。 |
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清滝川、中川トンネル手前を右折して中川へ・・ |
中川トンネル |
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「山は高くも、そう深くもない。山の頂にも、ととのって立ち並ぶ、杉の幹の一本一本が、見上げるほどである。数寄屋普請に使われる杉だから、その林相は数寄屋風のながめと言えるだろうか・・・ただ、清滝川の両岸の山は急で、狭く谷に落ちている。・・」
川端康成・古都より |
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川端康成『古都』で、ヒロイン・千重子が「北山杉の真っ直ぐ綺麗に立ってるのを眺めると、うちは心が、すうっとする・・」という一説がある。 |
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菩提の滝(女滝) 落差約8m |
クマ出まっす!(@_@;) |
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岩の切通し |
菩提の滝(男滝) 落差約10m |
菩提の滝 |
滝口から約10mの高さから流れ落ちる水流が堂々とした男(雄)滝で滝壺の砂はきめ細かく菩提の砂とも呼ばれ、この砂で北山杉を磨くの使うと言われる。すぐ近くに女(雌)滝もある。 |
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説明札 |
この滝壺の砂を用いて丸太を磨いた。 |
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ひんやり寒いくらいの滝壺 |
冷水で汗をぬぐいます。(〃 ̄ ̄ ̄∇)=3 |
切通し |
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岩壁に石仏が奉られている。 |
山中にも役
小角(えんのおづの:役行者)?など石仏などが奉られている。 |
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中川へ戻ります・・・ |
えぇなぁ〜
(*^▽^*) |
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切り出した北山杉を運ぶケーブル |
ビュ〜ンとな・・・(^▽^;) |
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六体地蔵石仏 |
石仏 |
北山杉の里・中川 |
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川端康成の小説『古都』で、この辺りを「清滝川の岸に急な山が迫ってくる。やがて美しい杉林がながめられる。・・」
と描写されている。 |
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北山杉の里・中川俯瞰 |
樹齢600年とも400年とも伝える立派な中川の台杉 |
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ほんとに立派な台杉 |
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北山杉とシャガの花 |
室町時代に創建された浄土宗捨世派・宗蓮寺 |
参道にも手入れが行き届いた美しい台杉 |
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住職が丹精込めて育てた貴船菊(秋明菊)は愛好家に京都一との評判を受け貴船菊(秋明菊)の寺とも呼ばれるが台杉や花々も美しい。(*^_^*) |
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境内 |
手水 |
杉塚と台杉 |
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手入れが行き届いて清々しい山内・・・台杉、花々もほんとに美しく癒されます。 |
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台杉と本堂 |
清滝川の対岸には北山杉を乾燥させたり材木加工する作業場 |
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作業場前には幾本も清滝川に架けられた幅広の一本橋があり車も停まっている。(@_@;) |
数寄屋普請になくてはならない磨き丸太 |
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中川八幡宮 |
「シロスギ」の母樹といわれる立派な杉 |
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境内 |
北山杉碑と皇太子、皇太子妃行啓記念碑 |
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「京都府の木」選定記念に建立された北山杉碑 |
中川小学校 |
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山峡に見事な杉林が広がる深山幽谷な中川の集落は川端康成『古都』の舞台になった。・・・山間集落の中川は京都市北区です。 |
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地域の人々の足になっているJRバス |
中川トンネル |
中川を抜け周山街道国道(162号線)の杉坂口 |
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杉坂にあるフットサルコート |
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古都で、千重子が「北山杉の真っ直ぐ綺麗に立ってるのを眺めると、うちは心が、すうっとする・・」という一説がある。・・北山杉資料館(閉館?) |
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古都・再会の像・・杉林の中で突然の夕立の雷を怖がる姉・千重子を苗子が抱きかかえながら空を見上げる場面を表している。 |
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ノーベル賞作家・川端康成文学碑【古都抄】 |
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えぇなぁ〜
(*^▽^*) |
北山杉の里・中川の集落 |
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中川 |
湧き水 |
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覚えててくれた!二匹でもワンちゃん
(*^▽^*)♪ |
中川をあとに・・・ |
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杉の里トンネル |
えぇなぁ〜
(*^▽^*) |
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高雄観光案内図 |
高雄の集落 |
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天照太神宮? |
清滝宮 |
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がんばったけど・・750ccに抜かれた!(^^ゞ |
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府道184号線を南下・・・ |
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サイクリングロードに進入・・ハーフタイム?!(・_・)ヾ(^o^;)
欧米かっ?! |
特急・はるか |
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久世橋 |
久我橋 |
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伏見百景・酒蔵 |
大手筋 |
Tourist.2011.5.16(M) |