Pちゃんズの播磨紀行「兵庫の津めぐり」

 

木末まで かかれる蔦の もみじして 錦を織るや 和田の笠松   藤原季経

 

伝説の神戸創造・・・平清盛が挑んだ尽きせぬ夢が眠る兵庫の津(大輪田の泊)

神戸は、古代の律令体制下で神社に属して租、庸、調などの税を納め、神社の祭祀を支え維持修理にあたった神戸(かんべ)という人々に因んで地名になったと伝えます。神戸の歴史は、垂水区大歳山から出土した石器などから旧石器・縄文時代にまで遡ります。瀬戸内海に面して古来、貿易港として発展し奈良時代、務古水門や大輪田の泊が玄関口となり中国大陸、朝鮮半島と交流しました・・・平安時代末期、宋(中国)との貿易に注目した太政大臣・平清盛は、その拠点として大輪田泊の修復を行い既に西国への陸海路の要衝だった港が更に発展する基盤築きました。清盛は大陸貿易を重視し、治承4年(1180年)6月、福原京(兵庫区)に遷都しましたが朝廷などの強い反対によって、わずか半年で京都に再び遷都しました・・・平家は栄耀栄華を極めた後、あっけなく滅亡し「平家物語」は南北朝時代の盲目の琵琶法師・明石覚一によって大成し室町時代以降、能や謡曲、幸若舞、浄瑠璃、合戦絵、錦絵などが普及し南北朝〜室町時代以降、伝説の舞台が整い江戸時代、庶民によって膨らむ伝説と人々追慕の念が神戸の新たな地域遺産になりました。

近鉄で京都駅へ

寝台特急・日本海

新快速で神戸駅へ

和田岬 (大輪田の泊・兵庫の津)

平清盛は、日宋貿易に着目し応保元年(1161年)から大修築工事を行い、6町四方の人口島(経ケ島)を築き港を造営しました。経ケ島は、人工島の地盤を安定させる為に人柱に代わる多くの巨石にお経を刻み沈めた事により、その名で呼ばれるようになったと伝え大輪田泊は繁栄の基礎ができ後の鎌倉時代に、東大寺の僧・重源がこれを修築しました。この頃から、大輪田の泊は兵庫の津と呼ばれるようになり室町時代には足利義満が明と勘合貿易をする要衝地とし、江戸時代には北前船が日本海から下関〜兵庫の津へ入港するようになり港は大いに賑わい、幕末の慶応3年(1868年)、12月7日に兵庫港が開港されました。

神戸駅

地下鉄・ハーバーランド駅から和田岬駅へ

JR和田岬駅

JR和田岬駅・・・昼間のJR和田岬線は電車が来ないとです・・・・

三石神社

薬仙寺

医王山と号する時宗の寺で天平18年(746年)、行基が開基し当初は法相宗寺院、後に天台宗、南北朝時代に時宗となった古刹です。旧寺域に遷都に異を唱えた後白河法皇を幽閉した萱葺の家があったと伝え本堂脇に萱の御所(かやのごしょ:牢の御所)跡の石碑があります。寺名は、後醍醐天皇が隠岐より還幸する途次に兵庫の福厳寺に泊まられた時、この霊水を服用薬に奉り、病が回復した事に由来します。

和田神社

薬仙寺

花山法皇歌碑

六地蔵石仏+子地蔵で七地蔵?!(*≧m≦) プッ

震災モニュメント

後醍醐天皇霊水碑

十三重石塔

萱の御所(牢の御所)跡碑

本堂

御崎八幡神社

大輪田橋(新川運河)

清盛橋(兵庫運河)

清盛橋

日本最大の兵庫運河に架かる橋で両側の歩道に沿って欄干に飾られたレリーフには平家物語、源平合戦の名場面が彫られています。

清盛橋には平家物語、源平合戦絵巻のレリーフが飾られています・・・

兵庫住吉神社(清盛塚)

港の発展を祈願して建てられた神社で境内には江戸時代の道中記「福原鬢鏡(びんかがみ)」、「摂津名所図会(ずえ)」にも記された清盛塚と琵琶塚があり塚の間に清盛の銅像があります。清盛塚は十三重塔で弘安9年(1286年)の年号があり清盛の遺骨が埋められた場所で鎌倉時代の執権・北条貞時が石碑を建立したと伝え「平家物語」でも福原に納めたと記されますが「吾妻鏡」では播磨山田法華堂に納めたとされます。最近、この十三重塔は鎌倉時代の奈良・西大寺の叡尊が行った石塔供養で建てられたという節も出ています。

清盛塚

供養塔、石仏

兵庫住吉神社(琵琶塚)

前方後円墳で琵琶の形をしていた事から江戸時代から琵琶の名手・平経正の墓とされました。明治35年(1902年)、琵琶塚の碑が建てられました。経正は清盛の弟・経盛の長男で敦盛の兄です。「吾妻鏡」によれば一ノ谷の合戦で安田義貞軍に討たれたと記されます。「源平盛哀記」では明石の大蔵谷に逃げ自害したとされ馬塚旧跡碑があります。

平清盛の銅像と琵琶塚

本殿

真光寺

和田の笠松歌碑

鎌倉初期に藤原為家が「秋風に吹きくる峰の村雨にさして宿かる和田の笠松」と詠み、藤原季経も「木末までかかれる蔦のもみじして錦を織るや和田の笠松」と詠んだ松がありました。延宝8年(1680年)の「福原鬢鏡(びんかがみ)」にも笠松の図を入れ「兵庫の町はずれから一丁」として「笠松や輪田は大いに夕涼み」などの句を記しています。松は、道行く人の目印になっていたが明治45年(大正元年:1912年)に神戸史談会が植えた何代目かの松も枯れ今は歌碑だけが残っています。

正応2年(1289年)に51才で入寂した一遍上人ゆかりの真光寺・・・時宗の三檀林(学問所)の一

和田の笠松歌碑

兵庫城跡(最初の兵庫県庁跡)

平清盛が福原京、大輪田の泊(兵庫津)を築き、繁栄したこの地域はその後、一の谷の合戦、生田の戦いなどで、大きな被害を受けたが兵庫城築に後は港町として繁栄しました。天正9年(1581年)、織田信長の命により、池田信輝、輝政父子がは、荒木村重没落後に摂津を与えられた池田恒興が花隈城の城材を利用して築いた城があった所で明治元年(1868年)1月、兵庫鎮台が設けられ、同5月には兵庫県庁となり初代県令・伊藤博文が着任した。その後、新川運河の開削により建物などの遺構は残っておらず、石碑と案内板がキャナルプロムナードに立っています。

キャナルプロムナード・・・日本最大級の兵庫運河、新川運河沿いの散策道

兵庫城跡碑

能福寺(兵庫大仏)

延暦24年(805年)、伝教大師(最澄)が唐留学の帰途、和田岬に上陸し自作の薬師如来(本尊・秘仏)を堂に安置し、能福護国密寺と号したのが開基とされます。当時の住職だった円実法眼を崇敬していた平清盛は仁安3年(1168年)に当寺で剃髪して出家(浄海)し治承4年(1180年)の福原京遷都の際に平家一門の祈願寺と定め七堂伽藍を寄進しました。清盛は福原遷都の翌年に京都で亡くなったが福原への埋葬を望むと遺言したとされ境内には十三重塔を擁した平相国廟があります。兵庫大仏は高さ11m、台座込み18mの大きさで奈良大仏、鎌倉大仏に並ぶ日本三大仏の一つで胎蔵界大日如来像、毘慮舎那仏です。明治24年(1891年)に兵庫の豪商・南条荘兵衛が寄進し戦時中の昭和19年(1944年)に金属回収令で国に供出され、平成3年(1991年)5月、関係者の努力により再建されました。 

奈良大仏、鎌倉大仏と日本三大仏の一とされる兵庫大仏・・・デカ〜(@_@;)

ランチタイム〜・・・ふ〜アジ〜(;^_^A

神戸事件「滝善三郎正信の碑」

慶応4年(1868年)1月11日、明治新政府より西宮の警備を命じられた備前藩の一隊が、三宮神社付近で行列を横切ろうとした外国軍水兵を刺傷した事件が神戸事件で明治新政府が日本を代表する交渉相手である旨を外国に対して初めて明らかにして折衝にあたり備前藩・第三砲隊長であった滝善三郎正信(当時31才)が神戸事件の責任を一身に負い慶応4年(1868年)2月9日、当地にあった永福寺(戦災により焼失し移転)で外国人代表等の立会いの面前で切腹しました。

滝善三郎正信の碑

平相国(太政大臣・平清盛)廟

我が国最初の英文碑「ジョセフ・ヒコの英文碑」

豪商・北風正造の碑

本堂

神戸中央卸売市場

来迎寺(らいげいじ:築島寺)

寺伝によ.ると平清盛が経ケ島(きょうがしま:兵庫築港)を築造する際、竣工直前に暴風雨によって二度にわたって破壊され人柱をたてることになりました。この時、人柱になったのが松王丸(まつおうまる)という清盛の小姓で、無事に経ケ島(きょうがしま)が築造されたと伝えます。境内には、松王丸(まつおうまる)の供養塔と清盛が愛した白拍子・妓王(ぎおう)、妓女(ぎじょ)の供養塔などがあります。

来迎寺(築島寺)

人柱になった松王丸の供養塔

祇王、祇女の供養塔

七宮神社

平清盛が築港の際に無事完成を祈願して創建したと神社。幕府の御用船頭として成功した高田屋嘉兵衛を始め多くの地元廻船業者も航海の無事を祈願に訪れたと伝えます。

古代大輪田泊の石椋(いわくら)

七宮神社

本殿

高田屋嘉兵衛邸跡界隈

鎮守稲荷社・・・高田屋嘉兵衛が献上した灯籠

平経俊(つねとし)塚(鎮守稲荷神社)

平経俊は平常正の弟で「吾妻鏡」によれば一ノ谷合戦で源範頼(のりより)軍に討たれたとされます。「摂津名所図会」には「佐比江橋の北にあり側に稲荷祠あり・・・」とあり鎮守稲荷社の事も記されています。

本殿

平経俊塚

神戸港(ハーバーランド)

モザイクに帰航したコンチェルト(レストラン船)

乗船するロイヤルプリンセス

出航!おっと・・・潜水艦発見!!

船から見た神戸港

デカ〜!タンカー

潜水艦とルミナス神戸2が航行・・・クジラかと思ったとです・・・(;^_^A

神戸の街並み、六甲山系、神戸大橋、ポートアイランド

神戸港を出たとです・・・

明石海峡大橋の遠望

紀伊半島方面

平成18年(2006年)2月16日、完成予定の神戸空港

神戸港に入港したとです・・・

車が乗船中(ポートアイランド)

清々しい風

神戸大橋

ポートアイランド

船からの神戸の街並み・・・山上に布引ハーブ園が見えるとです・・・

第4突堤(ポートターミナル)

天津、上海行きフェリー(第4突堤)

神戸大橋・・・ポートライナーが走っています。

メリケンパーク(中突堤旅客ターミナル)

神戸大橋の全景

メリケンパーク

長崎のハウステンボスから神戸港にやって来たロイヤルプリンセスの船内・・・バブル期に建造されたので結構、豪華な内装です・・・

神戸港のシンボル「ポートタワー」

昭和38年(1963年)11月21日に完成し鼓(つづみ)をイメージした108mのポートタワーは神戸港のシンボルで展望室からは、港や神戸市街地、六甲連山等360度の大パノラマが眺望でき夜には1千万$の夜景が眼下に広がります。

ロイヤルプリンセスを下船しました・・・

神戸港のシンボル「ポートタワー」

展望台から中突堤(カモメリア)

メリケン波止場(メリケンパーク)

慶応4年(明治元年:1868年)、明治政府は鯉川河口付近、居留地の西端に長さ18m、幅11mの荷揚げ場を造り、第3波止場としました。後に第2波止場と改称しましたが、波止場のすぐ前に開港以前に開設された米国領事館があった事から、「メリケン(アメリカンの訛り)波止場」と呼ぶようになりました。神戸港がまだ完備していない頃は、沖合いの本船とは、この波止場から出るランチや通い船で連絡していました。戦時中は「万国波止場」と呼ばれていました。明治27年(1894年)、現在の大桟橋が竣工し明治29年(1896年)に防波堤が完成し欧米に並ぶ規模の港となり、クイーン・エリザベス2世号や照國丸など豪華客船のターミナル港となりました。阪神・淡路大震災で旧波止場にあたる護岸部分が崩壊し被害のすさまじさを後世に伝える為、現在も大震災直後の状態でメリケンパークに保存されています。

神戸の街並み

メリケンパーク、ポートアイランドの眺め

モザイクガーデン(ハーバーランド)

観光エリアを循環するシティーループバス

神戸開港120周年を記念し開館した海洋博物館

超伝導電磁推進船「ヤマト1」

テクノスーパーライナー実験船「疾風(はやて)」

復元帆船「サンタマリア」

ルミナス神戸2(レストランクルージング船)

南米移民第一船の出港記念牌「希望の船出」

神戸港震災メモリアルパーク(メリケン波止場)

Pちゃんの生まれた平成7年(1995年)の1月17日、午前5時46分に阪神・淡路大震災が発生した。

明治天皇御用邸跡碑

神戸夢風船(新神戸ロープウェイ)、布引ハーブ園(摩耶山)

神戸夢風船(新神戸ロープウェイ)・・・神戸を空中散歩しながら風の丘駅を通り布引ハーブ園まで約10分。神戸の街並み、大阪、淡路島などの絶景が満喫できます。布引ハーブ園・・・約200種、75000株のハーブに囲まれ海を見下ろす山の斜面を散策。スパイス工房、温室のあるクラブハウスや本園などハーブの施設や展示を満喫できます。

地下鉄海岸線・ハーバーランド駅〜三宮駅へ

地下鉄西神山手線・三宮駅〜新神戸駅へ

神戸夢風船北野1丁目駅

神戸夢風船に乗り込むとです・・・

夢風船(ゴンドラ)からの神戸街並み・・・絶景!

布引の滝

古来、神秘的な伝説があり平安時代の昔から貴族や歌人がこの地を訪ね歌にしています。日光の華厳の滝、紀州の那智の滝とともに日本三大神滝の一に数えられる「布引の滝」は、雄滝、雌滝、夫婦滝、鼓ケ滝という4つの美しい滝からなりり中でも、43mの高さを5段になって落ちる壮大な雄滝は、「日本の滝100選」の一で白布を引き延ばしたような様子から「布引の滝」と名づけられここには乙姫が住んでいて、龍神となって海へ出かけ、多くの船を守ったという伝説があります。又、「平家物語」には平清盛が滝見物の際に同行した難波経房が悪源太源義平の雷に殺される話、「源平盛衰記」では、清盛の長子・重盛が滝を見に来た際、家来の難波経俊が滝つぼに入り竜宮城を見て出たところを雷に打たれたなどの伝説もあります。

夢風船(ゴンドラ)からの神戸街並み

布引の滝

風の丘駅を通過・・・

布引ハーブ園駅に到着!

布引ハーブ園(摩耶山)からの絶景!

布引ハーブ園・・・涼しか〜\(^o^)/

展望広場の愛の像

展望レストハウス・・・いい雰囲気!

森のホール(香りの資料館)

布引ハーブ園駅を出発・・・

神戸の街並み、ポートアイランド

布引の滝

芦屋〜大阪方面

神戸の街並み

地下鉄・三宮駅

駅名に唯一『ノ』が付くJR三ノ宮駅(奥は阪急三宮駅)

並走している阪急電車が通過・・・

特急・スーパーはくと

新快速で京都駅へ

近鉄桃山御陵前駅に着いたとです・・・

Tourist  2005.08.08(M)

 

関連コラム

Pちゃんズの播磨紀行「源平一ノ谷合戦」

Pちゃんズの播磨紀行「源平一ノ谷合戦」

 

Pちゃんズの古都珍道中記 Pちゃんズの古都珍道中記

 

洛雅記 洛雅記2005年探訪コラム

 

inserted by FC2 system