A-京都一周トレイル東山コースA
【秋の東山三十六峰(清水寺〜南禅寺)を歩くU】
汲むほどに 足らぬ日もなし 巖間水 すみよかりけり 歌の中山 (冷厳法師歌集)与謝野冷厳
世界文化遺産・清水寺〜臨済宗大本山・南禅寺まで京都一周トレイル(東山コース)を歩く
京都一周トレイル |
"京都の自然を歩く"をテーマに京都の東南に位置する伏見稲荷〜比叡山【東山コース】、大原、鞍馬【北山東部コース】、【北山西部コース】を経て、高雄、清滝、嵐山〜苔寺【西山コース】に至るまでの全長約70kmコースと豊かな森林や清流や田園風景に恵まれた京北地域【京北コース】をめぐる全長約40kmコースからなります。京都市を始め、京都府山岳連盟、京阪電気鉄道、阪急電鉄、西日本JRバス、京都市交通局、京都大阪森林管理事務所、京北自治振興会、京都市観光協会からなる「京都一周トレイル会」により整備されている。今回の【東山コース】は、伏見稲荷〜清水山〜将軍塚〜粟田口〜蹴上インクライン〜大文字山四つ辻〜哲学の道〜比叡山に至る約24.6kmのハイキングコース。道中、京都の市街地を望み、豊かな自然や歴史・文化などに触れる事ができます。 ★コースには標識が多設されていて見落としやルート指示を見間違いさえしなければ、迷う事なく歩けるはずです。 |
納屋町商店街 | 竜馬通り商店街 | 坂本龍馬、お龍ゆかりの寺田屋 |
・・・ | 坂本龍馬と薩摩九烈士碑 | 寺田屋浜@宇治川派流 |
寺田屋浜@宇治川派流 | 宇治川派流 | ・・・ |
ハイカラでモダンなお茶屋建築意匠の建物が残る・・・Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | ||
防火水槽とタイルがえぇ感じや〜(*^▽^*) | 中書島駅前通り | レトロチックな建築意匠の銭湯 |
京阪・中書島駅 | 2200系普通車に乗車 | 清水五条駅で下車 |
えぇ感じの陶器屋さん | 清水焼発祥の地・若宮八幡宮 | 清水五条坂 |
観光客でにぎわう清水坂 | 美味しそうな匂いが・・・先週訪ねた時から気になっていた八橋しゅーと抹茶愛す!(^▽^;) | |
世界文化遺産・清水寺、仁王門(重文:室町期) ☆地図 | ||
清水寺・・・北法相楽の大本山で正しくは音羽山観音寺と号し清水寺は俗称です。寺伝によれば鹿狩りに来た坂上田村麻呂が此処で修行中の僧・延鎮に出会い殺生を戒められ延暦17年(798年)、一宇の仏堂を建て千手観音を祀ったのが起こりとされ弘仁元年(810年)、鎮護国家の道場となり奈良の長谷寺、近江の石山寺と並ぶ観音零場として崇められた。霊験談は清少納言を始め更級日記の作者による古典文学、謡曲「田村、熊野(ゆや)」によって紹介されています。中世の南北朝騒乱に巻き込まれ度々兵火の災厄を蒙ったが、その都度再建され現在の建物は寛永6年(1629年)の出火後、徳川三代・家光によって再建されたものが多いです。西門(重文:江戸期)は三間一戸、切り妻造り、桧皮葺の八脚門で正面に一間の向拝、背面に軒唐破風を付け上り勾欄を備えた珍しい形式で鐘楼(重文:桃山期)と共に桃山時代後期の華麗な装飾彫刻が施されています。門前左手の馬駐(うまとどめ/重文:室町期)は馬五頭が繋げる事ができる我が国最古の厩(うまや)です。仁王門・・・西面する清水寺の正門で応仁の乱後、15世紀末に再建され、平成15年(2003年)に解体修理されました。三間一戸、正面約10m、側面約4.8m、軒高8.5mの、入母屋造り、桧皮葺き(ひわだぶき)で室町様式の遺風堂々たる楼門です。丹塗りで赤門と呼ばれ正面軒下に平安時代の名書家・藤原行成の筆と伝える清水寺の額を掲げ、両脇間に勇壮な大仁王像が祀られています。「西門(さいもん/重文:江戸期)」は寛永8年(1631年)再建の三間一戸の八脚門で単層、切妻造り、桧皮葺きで正面に向拝をつけ木階に高欄を設けて一見拝殿風に作り背面に軒唐破風(のきからはふ)を架ける珍しい優雅な桃山様式です。持国天、増長天を安置します。轟門(とどろきもん/重文:江戸期)は正面軒下中央に月舟禅師の筆による普門閣の扁額を掲げる本堂への中門で、寛永8〜10年(1631〜33年)に再建された三間一戸の八脚門です。切妻造り、本瓦葺で、妻や天井の構造は東大寺転害門を縮小して写しています。左右両脇間に持国天像と広目天像を祀り、背面には阿吽形(あうんぎょう)の狛犬を安置します。門前には梟(ふくろう)の手水鉢が奉納されています。 |
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あららら〜・・・(^^ゞどもども | 観光客でにぎわう清水坂 | 世界遺産・清水寺 |
清水寺正門・仁王門 | 応仁の乱後に再建された我が国最古の馬駐(うまとどめ/室町期・重要文化財) | |
えぇ感じや〜(*^▽^*) | 高さ31m弱で日本最大の三重塔(重文:江戸初期再建) | 随求菩薩(秘仏)を祀る随求堂(ずいぐどう) |
Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | 西門(さいもん/重文:江戸初期再建) | |
錦秋やぁ〜(⌒▽⌒) | 高さ31m弱で日本最大の三重塔(重文:江戸初期再建) | 手前から三重の塔、経堂(共に重文:江戸期) |
北国の雄・アテルイ、モレの碑 | ||
アテルイ、モレは、平安律令政府の東北征服戦争に対してゲリラ戦で頑強に抵抗した蝦夷(えみし)の首長と副将で、征夷大将軍・坂ノ上田村麻呂の軍に帰順、将軍が両雄の武勇と器量を惜しみ、戦後の蝦夷経営に登用すべく朝廷に助命嘆願したが、許容されず両雄は河内の国で処刑された。平安建都1200年を期し、両雄の故地、岩手県水沢・江刺地方出身の関西在住者や地元の有志が両雄の鎮魂・顕彰の碑を1994年に建立しました・・・余談ですが、映画『もののけ姫』に登場した主人公・アシタカは蝦夷(えみし)の末裔だったと記憶しています。(^^ゞ |
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えぇなぁ〜(*^▽^*) | 北国の雄・アテルイ、モレ之碑 | 北国の雄・アテルイ、モレ顕彰碑 |
Deep Impact!!!☆⌒(*^∇゜)v | ||
最高12m、139本の柱が支える清水の舞台 | 音羽の滝・・右から長寿、金運、勉学に効く霊水 | Deep Impact!!!ヾ(≧▽≦)ノ |
清水の舞台で知られる本堂 | 改修工事中の子安塔 | 清水寺〜清閑寺への道を歌乃中山という。 |
阿弥陀ヶ峰山頂に豊臣秀吉が眠る | 歌乃中山・清閑寺が見える・・・ | 高倉天皇後清閑寺陵 |
歌乃中山清閑寺(うたのなかやませいかんじ) ☆地図 | ||
歌乃中山(うたのなかやま)と号する真言宗智山派(ちさんは)の寺。山号「歌乃中山」は地名であり清閑寺〜清水寺までの山道を称します。安永9年(1780年)に刊行された京都名所案内記『都名所図会』に、昔、清閑寺に真燕(しんえん)僧都という僧がおって、ある日の夕暮れ時に門外に佇みて行き交う人々を眺めていると、髪かたち美しい女が一人で行くのを見て、たちまちに愛しい心が起こった・・言葉がけする術もないので「清水への道は何れか?」と問いかけたところ、その美女は「見るにだに まよふ心の はかなくて まことの道を いかでしるべき」と言い捨てて姿をかき消してしまった。その美女は化身の類であるとも言われ、その歌を詠んだ場所を「歌乃中山」というと記されている。古来、花鳥風月に恵まれ、文人・歌人の詩歌の諷詠地であったが、現在も風情ある散策道として昔の風情が残っている。清閑寺(歌乃中山)は、東山三十六峰のひとつなっており、清閑寺を含めこの辺一帯は花と紅葉の名所として知られ、往時はしばしば歌会や連歌会が催せられた事もあり多くの歌人が清閑寺を題材とした歌を詠んだ。知名度は決して高くはないが、「あれこそ歌乃中山清閑寺」と色々な謡曲に登場する清閑寺。歌の中山清閑寺伝記によると、延暦21年(802年)、紹継法師の創設によるもので、昔は寺域も広く、法華三昧堂や宝塔などが瓦を並べ鎮護国家の官寺として、東山山中に威容を誇っていたが、応仁の乱で全てを焼失し、今は菅原道真公の御作と伝えられる本尊十一面千手観世音を安置する本堂が残っているだけである。』と記される。「平家物語」の悲恋で知られる高倉天皇と小督局(こごうのつぼね)ゆかりの寺で、平清盛の娘を中宮とする高倉天皇に寵愛されたために清盛の怒りに触れた小督局は、宮中を追われてこの寺で出家させられたと伝えられる。天皇は深く心を痛め、自分が死んだら局のいるこの寺に葬るよう遺言を残し、21歳の若さでこの世を去った。高倉天皇が崩御後ここに葬られ、小督の局は生涯その菩提を弔ったと伝える。今は背後の山に、六条天皇と高倉天皇の御陵があり、高倉天皇陵の傍らには、生涯にわたって菩提を弔った局の墓がある。 |
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おぉ〜!三度目にしてやっと開門されていた〜\(●⌒∇⌒●)/歌乃中山・清閑寺(入山料は志納金) | ||
茶室・郭公亭(かっこうてい) | ||
時は幕末、清水寺成就院住職・月照上人と西郷隆盛がしばしば勤王の誅議をした所で、安政5年(1858年)、月照が水戸藩密使降下に尽力し、幕府から狙われた時、ここで西郷と密かに会い、都落ちの計画を茶室「郭公亭」で行われた。老朽化により平成3年に解体された。 |
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鐘楼 | 鐘楼の後方にあった茶室・郭公亭(かっこうてい) | |
平家物語の悲話で知られる高倉天皇と小督局(こごうのつぼね) | ||
高倉天皇に寵愛された小督局は平清盛の怒りを恐れ、宮中を出て嵯峨野の奥に隠れ住んでいました。悲嘆にくれる高倉天皇は、源仲国に小督を密かにに宮中に呼び戻すよう勅下した。中秋の名月の夜、嵯峨野へ箏の音を頼りに仲国は小督探しに行くという謡曲「小督」の話。その後、宮中に戻った小督は、高倉天皇の第二皇女を出産後、清盛の怒りに触れこの寺で清盛に強制的に出家させられました。高倉天皇の嘆きは深く、「自分が死んだら小督のいる清閑寺へ葬ってくれ」と遺言し崩御しました。葬儀は、ここ清閑寺で行われ、遺言通りここへ葬られました。高倉天皇陵の傍らに小督のお墓もある。 |
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在りし日の茶室・郭公亭(かっこうてい) | 平家物語による小督局の出家 | 小督局の解説 |
願い事が叶う?!要石(かなめいし) | ||
庭にある大きな石からは扇を広げたような形で市内が一望でき、その石が丁度扇の要の位置に当たることから「要石(かなめいし)」と呼ばれ、願いをかけると叶うといわれている。 |
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要石(かなめいし)から扇を広げたように京都市内を一望でき、石が扇の要にあたるので要石と呼ばれ、石に願いをかけると叶うという。・・・ | ||
要石句碑 | 小督局(こごうのつぼね)供養石塔(奥) | 清閑寺を題材に描いた黒田清輝の昔語り |
清閑寺窯発祥の地 | ||
駒札には「清閑寺窯発祥の地現在の京都市東山清閑寺山ノ内町にあった古窯江戸時代(1615−24)に清閑寺住僧・宗伯が開窯した。宗伯は、京焼の名工野々村仁清の師でもあった」と記されています。清閑寺の地は、京都の陶磁器の元となった場所で、8世初に窯ができ 清閑寺窯が発展して清水焼に繋がる粟田焼が生まれ、この二流れから京焼が生まれたと伝え、焼物にも縁が深い場所でもあります。 |
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清水焼、京焼きの元祖・清閑寺窯発祥の地 | 歌乃中山・清閑寺をあとに・・・ | 京都一周トレイルへ・・・ |
京都一周トレイル標識・東山-17 | 清水山へ・・・ | |
将軍塚・清水山三角点分岐、京都一周トレイル・東山18-1 | ||
清水山三等三角点・242m・・・清水山の頭を取ったどぉ〜(^▽^;)/ | ||
将軍塚へ・・・ | 京都一周トレイル・東山18-2 | |
清水寺〜広台寺の裏山に位置するからかこの辺りは石仏がやたらと目に付きます。。。どの石仏も手入れされています・・・合掌 | ||
分岐地点にトレイル標識や案内板や道標石がある。 | 高台寺山国有林解説パネル | |
京都一周トレイル・東山19 | この道標は石工の左右彫りミスだとか?!(>_<) | |
・・・ | 池に見えるけど・・実は防火水槽 | 味がある道導石 |
階段を上がる・・・ | 京都一周トレイル・東山20 | |
・・・ | ・・・ | 元勲・木戸孝允(桂小五郎)巨石碑 |
大文字山(如意ヶ岳)、比叡山が見える!東山山頂公園 | ||
山頂公園付近マップ | 京都一周トレイル・東山-21 | |
東山山頂公園・・・ヘリポートもあります! ☆地図 | ||
こま札 | 東山山頂公園駐車場、展望台は京都有数の眺望、夜景スポット!(^_-)-☆ | |
東山山頂公園展望台からの京都市内俯瞰!(*゜▽゜)/やっほ〜 | ||
青蓮院門跡 別院・大日堂 ☆地図 | ||
将軍塚一帯の山頂にあり、現在の堂宇は篤志家の寄進されたもので本尊は平安時代に作られた石造の胎蔵界大日如来で、碑のあるところに埋もれていたものを、お堂を造り安置しています。風雨で削られたお姿は、歴史を感じさせます。古来より「将軍塚の大日さん」として信仰されており、幕末勤王の志士は、身の安全をこの像に謝しする事が多かった。大日如来の前の小さな石仏は阿弥陀如来です。また大日堂北面の枯山水庭は、造園家 中根金作氏の作庭です。 |
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将軍塚・大日堂由緒 | 青蓮院門跡 別院・大日堂が燃えています!\(●⌒∇⌒●)/ | |
小田和正の歌やないけど・・・♪言葉にできない!秋色の世界?!(=●^0^●=) | ||
強いて言葉にするなら・・・Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | ||
まさに錦秋!!! 見事やな〜(⌒▽⌒) | ||
都守護の為、高さ2.5m程の将軍像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ太刀を帯させ、埋めたこの塚を「将軍塚」と呼ぶ。 | ||
東郷元帥お手植えの松 | えぇ感じや〜(*^▽^*) | |
和気清麻呂に連れられた桓武天皇が平安遷都を決断されたのは将軍塚からの眺望だった!(*゜▽゜)/絶景かな〜絶景かな〜 | ||
御所〜下賀茂・上賀茂神社が見える!\(●⌒∇⌒●)/やっほ〜 | 萌え萌え〜! 燃えてま〜す!(*゜▽゜)/ | |
えぇなぁ〜(*^▽^*) | ||
北展望台からの京都市内俯瞰・・・愛宕山〜北山〜比叡山を眺望できる!\(●⌒∇⌒●)/ | ||
大隈重信お手植えの松 | Beautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | |
Wonderful〜! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | 本尊・石造胎蔵界大日如来を祀る大日堂 | |
えぇなぁ〜(*^▽^*) | ||
・・・ | 京都一周トレイル・東山-22 | |
・・・ | 京都一周トレイル・東山-23 | |
あれっ、足元で何か動く物が・・な〜んだ?!来年の干支の巳ちゃんでつか?!(^▽^;)はははっ | 石仏さま | |
・・・ | 京都一周トレイル・東山-24 | |
・・・ | 京都一周トレイル・東山-25 | |
・・・ | 京都一周トレイル・東山-26 | |
・・・ | 京都一周トレイル・東山-27-1 | |
・・・ | 尊勝院の境内を通り抜けます・・・ | 市内俯瞰 |
こま札 | 水子地蔵尊、延命地蔵尊、子育地蔵尊 | 本堂 |
尊勝院 ☆地図 | ||
青蓮院門跡とゆかりの深い天台宗の尼寺。保延年間に陽範阿闍梨が比叡山横川に「尊勝坊」を開創したことに始まります。のちに青蓮院の三條白川坊の後背地に移され、さらに大正4年に現在地に移転しました。本尊は、「おみくじ」の祖として知られる元三大師像です。京都市文化財指定の本堂には、御本尊のほか「粟田の庚申さん」として親しまれている庚申尊像や慈覚大師の自作とも伝わる米地蔵尊像や不動明王、千手観世音像など数多くの尊像を祀ります。惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)・明智光秀の墓所もあります。 |
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境内から平安神宮〜北山方面眺望!(^-^)v | 尊勝院にあるという明智光秀の墓所? | ・・・ |
・・・ | 京都一周トレイル・東山-28 | |
粟田神社(あわたじんじゃ) ☆地図 | ||
京の七口の一つ、粟田口の華頂山麓に鎮座し古来、粟田天王と称し八坂神社と同じく素盞嗚尊(すさのおのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る事から感神院新宮とも呼ばれたが明治初年に今の社名に改めました。創祀については諸説があり室町中期の明応年間に卜部(うらべ)兼倶の勧請するところで粟田青蓮院宮の鎮守社として崇敬されてきました。今の社殿は文政年間、光格天皇の叡旨によって再建されました。毎年10月の祭礼では、祇園祭の山鉾の原型といわれる高さ6〜7mの剣鉾数基が町内を練り歩きます。粟田焼(京焼)もここで発祥したとされます。 |
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京都一周トレイル・東山-29 | 粟田神社 | |
粟田神社参道 | ・・・ | 拝殿 |
牛若丸(義経)ゆかりの出世恵美須神社 | ||
源義経が牛若丸と称した頃、金売吉次に伴われ奥州へ下向する際に源氏再興を祈願した恵美須神で出世恵美須または門出恵美須と称されました。元は日ノ岡夷谷に祀られていましたが、約500年前に山崩れにより土砂と共に流されてきた所が現在の鎮座地と伝え夷町という地名が残っています。御神体は日本最古の寄木造の恵美須神像で伝教大師(最澄:さいちょう)の作と伝えます。 |
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出世恵美須神社 | 比叡山 | 本殿 |
Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | 三条通り | |
蹴上 | レンガを螺旋状に積んだ事からねじりマンボウと言われる。(京都一周トレイル標識・東山-30-2) | |
京都一周トレイル標識・東山-31 | 琵琶湖疏水工事の殉職者の碑 | |
琵琶湖疏水(田辺朔郎像、顕彰碑) | ||
明治14年(1881年)2月、京都府知事に就任した北垣国道は琵琶湖に着目し疏水を開削する事で琵琶湖と宇治川を結ぶ舟運を開き同時に動力(水車)、灌漑、防火などに利用して京都の産業を振興しようとしました。明治23年(1890年)に完成した琵琶湖疎水(第一疎水)は当時の京都市年間予算の十数倍という膨大な費用を投入した大事業の主任技師として北垣知事に選ばれたのが、工部大学(東京大学)を卒業したばかりの田辺朔郎(さくろう:当時21才)が設計し僅か5年で完成し水力発電などに利用され日本初の電気鉄道(伏見線)を開通させるなど京都の近代化に大きな役割を果たしました。当時は我が国の重大な工事は全てを外国人技師の設計監督に委ねていた時代にあって日本人の手によって行った我が国最初の大土木事業でした。 |
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蹴上インクライン | 田辺朔郎像 | 顕彰碑 |
・・・ | 琵琶湖疎水分水路 | 京都では珍しく南から北に流れる疎水分水路 |
疎水分水路が流れる赤レンガのアーチ型の水道橋・南禅寺水道橋(水路閣)を潜って紅葉が色づく南禅寺境内へ・・・ | ||
南禅寺 ☆地図 | ||
臨済宗南禅寺派の大本山で正式には瑞龍山太平興国南禅寺と号します。文永元年(1264年)、亀山上皇が母・大宮院の御所として造営した離宮禅林寺殿を正応4年(1291年)、離宮を大明国師(無関普門)に寄進し禅林禅寺としたのが開基と伝え、建武元年(1334年)、後醍醐天皇は大徳寺と当寺を五山(天竜、相国、建仁、東福、万寿)の上位に列しました。中世には叡山の僧徒の焼き討ちや応仁の兵火に焼亡し廃絶に帰せんとしたが豊臣秀吉、徳川家康の庇護により復興に及びました。家康の厚い信任を得た塔中・金地院の住持・以心崇伝(いしんすうでん)に負うところが大きく多くの文化財を今に伝えます。 |
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南禅寺全景図 | 臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺・・・歌舞伎・石川五右衛門で有名な三門(重文:江戸期) | |
山門から仏堂(本堂)へ・・・ | えぇなぁ〜 (*^▽^*) | |
南禅寺水道橋(水路閣) ☆地図 | ||
明治22年(1889年)、蹴上に発電所が建設され明治24年(1891年)に送電を開始しました。明治31年(1908年)、水力発電の増強、水道用水確保の為に第2琵琶湖疎水の工事が始まり、明治35年(1912年)に完成しました。同時期に蹴上浄水場も建設され赤レンガのアーチ型の水道橋は、橋上部に疎水分線が流れ上水道の水源として利用されています。 |
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仏堂(本堂) | ローマ水道のような南禅寺水道橋(水路閣) | |
美しいなぁ〜 (@^▽^@) | 最勝院 | |
縁結びの松 | 本堂 | 奥の院、駒ヶ滝へ・・・ |
「神仙佳境」と呼ばれる幽邃な場所にある狛僧正(道智僧正)の祠 | 行場の駒ヶ滝 | |
岩窟内に安置されている厳島社、将軍地蔵菩薩 | ||
・・・ | えぇ感じや〜(*^▽^*) | |
Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | ||
明智光秀首塚(梅宮社) ☆地図 | ||
天正10年(1582年)6月、天王山の戦いで秀吉に敗れた光秀は、近江坂本城へ敗走の途次、伏見小栗栖の竹藪で飯田一党に襲われ落命し首は粟田の刑場に晒された後、当地に埋葬され供養塔を築いたという伝説があります。その傍に洛西の梅宮神社の分霊を祀る梅宮社という小祠があり首より上の病者が、この塚に祈れば霊験があるとされます。光秀が落命した所は明智薮と言われ伏見小栗栖に旧跡を留め、山科勧修寺には明智塚(光秀胴塚)があります。かつて、梅宮社は明智光秀の墓所がある尊勝院の鎮守社でもありました。 |
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えぇなぁ〜(*^▽^*) | 琵琶湖疏水の噴水 | 明智光秀首塚(梅宮社) |
京阪・中書島駅 | 大手筋商店街 | 風呂屋はないけど・・・(≧▽≦)ぷっ |
Tourist 2012.11.12(M) |
関連サイト |
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古都の秋・洛東 | 秋の古都・東福寺、清水寺 | ||
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