B-京都一周トレイル東山コースB
【秋の東山三十六峰(南禅寺〜真如堂〜黒谷金戒光明寺)を歩くV】
見る人も なくてちりぬる おく山の 紅葉はよるの 錦なりけり 紀貫之
南禅寺〜如意ヶ嶽(大文字山:466m)〜大文字火床〜真如堂〜黒谷金戒光明寺まで京都一周トレイル(東山コース)を歩く
京都一周トレイル |
"京都の自然を歩く"をテーマに京都の東南に位置する伏見稲荷〜比叡山【東山コース】、大原、鞍馬【北山東部コース】、【北山西部コース】を経て、高雄、清滝、嵐山〜苔寺【西山コース】に至るまでの全長約70kmコースと豊かな森林や清流や田園風景に恵まれた京北地域【京北コース】をめぐる全長約40kmコースからなります。京都市を始め、京都府山岳連盟、京阪電気鉄道、阪急電鉄、西日本JRバス、京都市交通局、京都大阪森林管理事務所、京北自治振興会、京都市観光協会からなる「京都一周トレイル会」により整備されている。今回の【東山コース】は、伏見稲荷〜清水山〜将軍塚〜粟田口〜蹴上インクライン〜大文字山四つ辻〜哲学の道〜比叡山に至る約24.6kmのハイキングコース。道中、京都の市街地を望み、豊かな自然や歴史・文化などに触れる事ができます。 |
風呂屋はないけど・・・(≧▽≦)ぷっ | 大手筋・納屋町商店街 | 竜馬通り商店街 |
幕末維新のステージ・寺田屋 | 秋深し・・・宇治川派流 | 京阪・中書島駅 |
7200系特急車に乗車(*゜▽゜)/ | 京阪三条駅で下車 | 三条大橋 |
駅伝の歴史ここに始まる!駅伝発祥の碑 | 三条通りを東進・・・ | 蹴上 |
京都一周トレイル標識・東山30-2 | 煉瓦積みが捻れているので「ねじりまんぼ」と言います。 | |
京都一周トレイル標識・東山31 | ・・・ | |
・・・ | 金地院 | |
南禅寺 ☆地図 | ||
臨済宗南禅寺派の大本山で正式には瑞龍山太平興国南禅寺と号します。文永元年(1264年)、亀山上皇が母・大宮院の御所として造営した離宮禅林寺殿を正応4年(1291年)、離宮を大明国師(無関普門)に寄進し禅林禅寺としたのが開基と伝え、室町時代は隆盛を極め、建武元年(1334年)、後醍醐天皇は大徳寺と当寺を五山(天竜、相国、建仁、東福、万寿)の上位に列しました。中世には叡山の僧徒の焼き討ちや応仁の兵火に焼亡し廃絶に帰せんとしたが豊臣秀吉、徳川家康の庇護により復興に及びました。家康の厚い信任を得た塔中・金地院の住持・以心崇伝(いしんすうでん)に負うところが大きく多くの文化財を今に伝えます。応仁の乱で焼失した伽藍を‘黒衣の宰相’といわれた以心崇伝によって復興。境内には勅使門、三門、法堂、方丈の伽藍が一直線、その周辺に12の塔頭が並ぶ。三門(重文)は、藤堂高虎の寄進と伝え、方丈(国宝)は、大方丈と小方丈に分かれ、大方丈は御所の殿舎を、小方丈は、伏見城殿舎を移築したと伝えられる。小方丈の襖絵、狩野探幽筆「水呑の虎」は名高い。大方丈の前庭(名勝)は伝小堀遠州作で「虎の子渡し」と呼ばれ、江戸初期の代表的な枯山水庭園として知られる。 |
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大本山・南禅寺 | えぇなぁ〜(*^-^*) | |
Beautiful!! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | ||
Deep Impact!!!☆⌒(*^∇゜)v 欧米か?! | ||
三門(重要文化財:江戸期) | ||
寛永5年(1628年)、藤堂高虎が寄進した巨大な楼門で天下の大盗賊の石川五右衛門が住まいしたと伝えますが、残念ながら三門は石川五右衛門の死後、約30年後に建てられました。 |
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歌舞伎・石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな〜」で有名な三門(重文:江戸期) | ・・・ | |
萌え萌え〜・・・まさに錦秋!!!\(◎o◎)/!どんだけ〜 | ||
Beautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | 仏堂(本堂) | |
Deep Impact!!!☆⌒(*^∇゜)v 欧米か?! | ||
南禅寺水道橋(水路閣) ☆地図 | ||
明治22年(1889年)、蹴上に発電所が建設され明治24年(1891年)に送電を開始しました。明治31年(1908年)、水力発電の増強、水道用水確保の為に第2琵琶湖疎水の工事が始まり、明治35年(1912年)に完成しました。同時期に蹴上浄水場も建設され赤レンガのアーチ型の水道橋は、橋上部に疎水分線が流れ上水道の水源として利用されています。 |
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疎水分水路が流れるローマ水道のような赤レンガのアーチ型の南禅寺水道橋(水路閣) | ||
水道橋(水路閣)の上を流れる京都では珍しく南から北に流れる疎水分水路 | ||
えぇなぁ〜(*^▽^*) | 琵琶湖疎水分水路 | |
えぇ感じや〜(*^▽^*) | 琵琶湖疏水を完成させた田辺朔郎像、顕彰碑 | |
蹴上インクライン | ||
第1、第2琵琶湖疎水が合流する蹴上の船留から岡崎動物園前の船留まで1/15という急勾配でこの間約600mだけ斜面にレールを敷き運輪船を乗せた四輪付き船台の鋼索を電力で上下に動かしました。この斜面をインクラインと言います。 |
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春は桜も見事な蹴上インクライン | ||
蹴上インクライン | 義経大日如来(疎水公園) | |
日向神社へ・・・ | 竪坑(シャフト)と第2琵琶湖疎水(左)と第1疎水 | 日向神社参道 |
日向(ひむかい)神社 ☆地図 | ||
山間幽邃の地にあり社殿は伊勢の内宮、下宮を模して造営され内宮(上ノ本宮)には天照皇大神、三女神(みはしらのひめ)を外宮(下ノ本宮)には天御中主命(あまのなかぬしのみこと)、迩迩芸命 (ににぎのみこと)を祀ります。清和天皇は貞観年間、菅原船津に勅し社殿を修造させ日向宮の勅額を下勅されたと伝えます。中世建武、応仁の乱の兵火で社殿並びに古記録が焼失したが松井藤左衛門によって清泉の涌出する当地に仮宮を造営、禁中より修理料を賜り社殿が再興され後陽成天皇は内宮、外宮の御宸筆の額を賜いたと伝えます。 |
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日向神社 | 2ルートに分岐する京都一周トレイル標識・東山33-1 | |
解説パネル | 日向神社 | |
境内 | 外宮(下ノ本宮)・・・撮影が行われていた! | |
えぇ感じや〜(´ー`) | ・・・ | 内宮(上ノ本宮) |
内宮(上ノ本宮) | 京都一周トレイル標識・東山33-2 | |
祭石の「影向石」 | ・・・ | 天の岩戸 |
天の岩戸を潜り抜けると厄除け、開運だとか!!(^-^)v 何回も潜り抜けました〜・・・/(^◇^;)爆 | ||
天の岩戸を潜り抜けました!\(●⌒∇⌒●)/ | ・・・ | 木の根道 |
京都一周トレイル標識・東山33-3 | 鞍馬山と同じ木の根道が続く・・・ | |
六叉路の七福思案処・・思案処やな( ̄◇ ̄;) | 京都一周トレイル標識・東山38 | |
京都一周トレイル標識・東山39・・七福思案処で思案?ちと休憩して大文字山山頂へ!(^▽^;) | ・・・ | |
・・・ | ・・・ | ・・・ |
・・・ | ・・・ | ・・・ |
山科〜醍醐〜六地蔵方面俯瞰!\(●⌒∇⌒●)/ | ・・・ | |
京都一周トレイル標識・東山40 | ・・・ | |
京都一周トレイル標識・東山41 | ・・・ | |
京都市内俯瞰!平安神宮の大鳥居も見える!! \(●⌒∇⌒●)/ | ・・・ | |
京都一周トレイル標識・東山42 | ・・・ | ・・・ |
京都一周トレイル標識・東山43-1 | ・・・ | ・・・ |
京都一周トレイル標識・東山43-2 | ・・・ | ・・・ |
京都一周トレイル標識・東山44-1 | ・・・ | |
京都一周トレイル標識・東山44-2 | ・・・ | 大文字山四つ辻 |
京都一周トレイル標識・東山45 | 大文字山・三角点、火床へ・・・ | |
如意ヶ嶽(大文字山:466m) ☆地図 | ||
左京区浄土町、鹿ケ谷町の東に聳える東山の首峰。東山三十六峰の北端に位置し海抜・466m、北は比叡山・四明ヶ嶽に相対し東は滋賀の大津・長等山に接する。『諸社根元記』によると「天照大明神が天の岩戸から出られるや、その光が当山に差し渡ったので、八百万神々は悦び給うて、皆意の如くなるとの給もうてより如意山と名付けた。」と伝える。山の大部分は古生代に属する岩石で形成され熊笹なとが一面に繁茂している。山頂からの眺望は京洛随一とも称され、足下に京都市街を見下ろし北は比叡山の大嶽、南は山科、醍醐の山々の稜線を一望できる。この山を一に大文字山と称するのは、毎年の8月16日夜に当山の中腹で精霊の送り火を転ずるからである。 |
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三角点展望台 | 三角点の展望台からの絶景かな〜\(●⌒∇⌒●)/ ヤッホ〜 | |
山ボーイ&山ガール?!昔の・・・!?(^^ゞ爆 |
菱形基線測点No.29(大文字山) |
大文字山三等三角点(465.44m/点名:鹿ケ谷) |
三角点展望台からの眺望\(●⌒∇⌒●)/ ヤッホ〜 | ||
三角点のベンチで・・・ランチタイム〜(^^♪ | 大文字の火床へ・・・ | |
・・・ | ・・・ | ・・・ |
なかなか急峻でトリッキーな箇所もあるやんか・・・(; ̄ー ̄A | うおぉぉ〜\(●⌒∇⌒●)/ | |
大文字の最上部からの眺望\(●⌒∇⌒●)/ ヤッホ〜 | ||
大文字の火床からの眺めは絶景や〜 山ガール?Kさんも絶景をウットリ眺めています?!。。。なはは〜 /(^◇^;) | ||
大文字火床から京都市内を足元に眺められる絶景ポイント!火伏せの山で知られる愛宕山ズ〜ムイン!!!☆⌒(*^∇゜)v | ||
えぇなぁ〜o(*^▽^*)o | トレイルへ戻ります・・・ | 大文字山・三角点展望台 |
再び、三角点の展望台からの眺望\(●⌒∇⌒●)/ ヤッホ〜 | 大文字山四つ辻 | |
京都一周トレイル標識・東山45 | 鹿ケ谷へ・・・ | 落ち葉多し!スリップ厳禁・・・ |
・・・ | 土塁や虎口のような城郭など建物遺構のような箇所もある・・・ | |
京都一周トレイル標識・東山46 | 鹿ヶ谷山荘跡?如意寺遺跡 | |
平家打倒の謀議がされた?鹿ケ谷事件 ☆地図 | ||
「平家物語」巻一(鹿の谷の事)によると、安元3年(1177年)6月1日、法勝寺執行・俊寛の鹿ヶ谷山荘で、院の近臣による平家打倒の謀議の内容を摂津源氏・多田行綱という人物の密告によって発覚しました。清盛は院の近臣である西光法師、藤原成親・成経父子、平判官康頼、俊寛僧都ら、謀議に参加した院の近臣を捕縛、西光は惨殺され、俊寛、平康頼、藤原成経の3人は鬼界ヶ島に流されます。のちに俊寛を除く2人は赦免されて都へ帰りますが、俊寛は赦免されずに島に残され亡くなります。しかし、トレイル47から山荘跡迄は、うす暗くて急峻な山道なので、さすがに、後白河法皇や貴族がとても通える所ではないと思われ山荘は霊鑑寺近辺にあったのではないかとの説もあります。 |
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俊寛僧都忠誠之碑、俊寛僧都鹿谷山荘遺址記 | 俊寛僧都忠誠之碑 | 俊寛僧都鹿谷山荘遺址記 |
如意寺遺構の石段 | 楼門滝(如意ノ滝) | |
昔、滝の辺り一帯に三井寺別院・如意寺があり、その楼門畔にあったので楼門滝(如意ノ滝)と言われる。滝水で汗をぬぐいます!(; ̄ー ̄A | ||
・・・ | 京都一周トレイル標識・東山47-1 | |
・・・ | 京都一周トレイル標識・東山47-2 | |
瑞光院(浪切不動尊) | 谷あいにあるので薄暗く幽邃な雰囲気の境内 | |
・・・ | ・・・ | ・・・ |
・・・ | わっ!たぬき?!(@_@;) | にゃにゃにゃんと!・・・ニャンコにゃん!(^▽^;) |
・・・ | 鹿ケ谷 | えぇ感じや〜(*^▽^*) |
霊鑑寺の紅葉!(*^-^*) | 霊鑑寺横の「此奧俊寛山荘地」の道標石 | |
哲学の道 | ||
大正時代、京都帝国大学(京都大学)の哲学者・西田幾太郎や経済学者・河上肇などが散策しながら思索にふけった事に因んで命名されたと伝えます。北は銀閣寺参道に架かる銀閣寺橋から琵琶湖疏水分線に沿って南は若王子橋までの全長約1.8kmの散策路として市民や観光客に親しまれています。春は桜の名所としても知られ見事な桜並木は日本画家・橋本関雪画伯の夫人が絵画が売れた時、桜の苗木を買い当時、荒れていた小道沿いに植樹され現在の見事な桜並木道に至るとも伝え「日本の道百選」にも選ばれています。 |
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霊鑑寺門跡 | 哲学の道 | |
京都市電の敷石が利用されている哲学の道 | えぇ感じや〜(*^▽^*) | |
法然院 ☆地図 | ||
寺伝によると、鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖・法然房源空上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽、住蓮と共に、念佛三昧の別行を修し、6時礼讃を唱えました。建永元(1206年)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸中に、院の女房・松虫、鈴虫が安楽、住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽、住蓮は死罪となり、その後、草庵は久しく荒廃しました。江戸時代初期の延宝8年(1680年)、知恩院第38世萬無和尚は、法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立する事を発願、弟子・忍澂和尚によって、現在の伽藍の基礎が築かれました。浄土宗内の独立した一本山であったが、昭和28(1953年)、浄土宗より独立し、単立宗教法人となり現在に至ります。 |
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えぇなぁ〜(*^▽^*) | 法然院 | |
こま札 | ・・・ | 山門 |
苔むした侘びな法然院の山門 | ||
水を表わす白砂壇の間を通る事によって心身を清めて浄域に入るという事を意味します。 | ||
えぇ感じや〜(*^▽^*) | ||
上も下もえぇ感じや〜(*゜▽゜)/ | 白川の清流に泳ぐカモさんズ! (*゜▽゜)/ | |
真如堂(しんにょどう:真正極楽寺) ☆地図 | ||
正しくは、真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)と号する天台宗の寺院で世に真如堂と言われます。真如堂辺りは、古来、神楽岡と呼れ仏法有縁真正極楽の霊地とされました。当地に寺を開基したのが、戒算(かいさん)上人です。戒算上人は比叡山延暦寺の僧で、永観2年(984年)に延暦寺常行堂にあった阿陀如来像を、神楽岡の東に位置する東三条院藤原詮子(藤原道長の姉)の離宮に移して安置したのが真如堂の起源と伝えます。 |
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大文字山 | Deep Impact!!!☆⌒(*^∇゜)v 欧米か?! | |
まさに錦秋!!! 見事やな〜(⌒▽⌒) | ||
萌え萌え〜・・・まさに錦秋!!!\(◎o◎)/!どんだけ〜 | ||
えぇ感じや〜(*^▽^*) | 三重塔 | |
境内 | 美しい〜(*゜▽゜)/ | |
えぇ感じや〜(*^▽^*) | ||
錦秋や〜\(●⌒∇⌒●)/ | ||
萌え萌え〜・・・まさに錦秋!!!\(◎o◎)/!どんだけ〜 | 会津藩殉難者墓地(黒谷金戒光明寺)へ・・・ | |
会津藩殉難者墓地 | ||
侠客の会津小鉄の墓もあります。会津小鉄は本名を上阪(こうさか) 仙吉といい、会津藩・松平容保が京都守護職在職中、家業は口入れ屋として新撰組の密偵として活躍をしたが鳥羽伏見の戦いで会津藩が政略的に朝敵の汚名を着せられ戦死者の遺体が鳥羽、伏見の路上に野ざらしに放置されていたのを子分200余名を動員して収容し近くの寺院で荼毘に付し回向供養したとされ、以後も容保の恩義に報いる為に黒谷会津墓地を西雲院住職と共に死守し、清掃や整備の奉仕を続けたという逸話があります。約300坪の会津藩殉難者墓地には、会津藩が京都守護職在職中の文久2年〜慶応3年の6年間に亡くなられた237霊と鳥羽伏見の戦いの戦死者115霊の合計352霊を祀る慰霊碑(明治40年3月建立)があり、禁門の変(蛤御門の戦)の戦死者は、一段積み上げられた台上に3カ所に分けられ22霊祀られている。会津藩・松平家が神道であったので約七割が神霊として葬られています。 |
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会津藩殉難者墓地(黒谷金戒光明寺)・・・会津を遠く離れた京の都でたくさんの方たちが亡くなりました。・・・合掌 | ||
文殊塔(三重塔:金戒光明寺) | Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | 本堂(重文:江戸期) |
えぇなぁ〜(*^▽^*) | 花鳥風月 | |
真如堂が燃えてます・・・ | 真如堂をあとに・・・ | |
本日ラストの黒谷金戒光明寺へ・・・ | 金戒光明寺塔頭・栄摂院(えいしょういん) | |
真如堂〜金戒光明寺へ向かう時に偶然立ち寄ったお寺で紅葉があまりに美しくそれ以来のファン!上も下もBeautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | ||
Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | ||
井戸は明星水と呼ばれます。 | Wonderful〜! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | |
上も下もBeautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | ||
えぇなぁ〜(*^▽^*) | ||
黒谷金戒光明寺(会津藩主松平肥後守・京都守護職本陣旧跡、新撰組発祥の地) ☆地図 | ||
浄土宗鎮西派四ヶ本山の一で紫雲山と号し世に黒谷と称します。元延暦寺の白河禅房があったが法然上人に付与されたので承安5年(1175年)、西塔黒谷より移り念仏道場としたのが当寺の起こりでその後、上人は洛東吉水に移ったが此処の草庵を捨てず叡山黒谷と共に相往来し説法に務めたので世人から新黒谷と称され後に、黒谷と称しました。五世・恵(えがい)の時に寺としての伽藍が整備され浄土宗の興隆によって大寺となり後光厳天皇より金戒の二字を賜り、後小松天皇より浄土真宗最初門の勅額を賜りました。応仁の乱など度々の兵火にかかったがその都度公武の庇護によって再建され今日に至ります。 京都守護職・・・文久2年(1862年)、徳川幕府は京都の治安維持を目的で京都守護職を新設しました。同8月1日、会津藩主・松平容保(かたもり)は14代将軍・徳川家茂から京都守護職・正四位下に任ぜられ役料5万石、金3万両を与えられました。京都守護職に任命され幾度か固辞をしたが、藩祖・保科正之(三代将軍・家光の異母弟)の家訓(かきん)に順じ容保が守護職拝命を決意し家老・西郷頼母(たのも)、田中土佐らは、「薪を背負って火を防ぐようなもの」と反対するが容保の意は変わらず家臣も「君臣唯京師の地を以て死所となすべきなり」と肩を合わせて泣き崩れたという。松平容保は家臣1000名を率いて同12月24日、三条大橋に到着し京都所司代、京都町奉行所などの出迎えを受け本陣となった黒谷金戒光明寺に至るまでの間、会津藩兵の行軍が一里余りも続いたとされ、町衆も両側に列をなし大歓迎したと伝わります。 第9代会津藩主・松平肥後守容保(かたもり)・・・美濃高須藩主・松平義建の第六子として誕生。弘化3年(1846年)、12歳で会津8代藩主・松平容敬(かたたか)の養嗣子となり(容敬も高須松平家から養子に入っており、容保の叔父にあたる)、嘉永5年(1852年)2月、容敬の病死により9代藩主に18歳で就任しました。動乱の幕末時に周囲の反対を押し切り京都守護職を勤め、徳川や朝廷に至誠を尽くしますが朝敵の汚名を着せられ、明治維新の人柱とされました。戊辰戦後の明治13年(1880年)2月2日、第5代・東照宮宮司に就任しました。 新撰組発祥の地・・・幕府は文久2年、14代将軍・家茂上洛警備の為、浪士組を結成し文久3年(1863年)2月8日、江戸小石川伝通院に集合した240余名の浪士組は中山道を通り京都へ出発、同23日、京都の壬生へ到着、清河八郎が尊王攘夷を表明した事で200余名は江戸へ帰る事となりましたが清河と意見を異にした近藤勇、土方歳三、芹沢鴨らは京都残留を希望し近藤らは京都残留の嘆願書を守護職に提出し3月10日、老中・板倉勝静は京都守護職・松平容保に浪士差配を命じました。同12日、京都守護職御預かりとなり同16日、近藤、土方、芹沢らは黒谷で松平容保に拝謁が叶い、8月18日の政変(七卿落ち)の時に武家伝奏より新撰組の命名と共に市中警護を拝命した事で当寺が新撰組発祥の地とされる所以です。 |
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・・・ | やさしい表情の仏さま(´ー`) | 御影堂(京都守護職・松平容保本陣旧跡) |
御影堂 | 平敦盛を討った熊谷直美鎧掛けの松 | Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! |
平成23年(2011年)、大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」のヒロイン・江(ごう/お江与:崇源院)供養塔 | ||
江(ごう/崇源院:すうげんいん)の父は浅井長政、母は織田信長の妹であるお市の方。つまり江は、織田信長の姪にあたります。豊臣秀吉の側室となった淀殿と京極高次に嫁いだお初と二人の姉がいて、この3人姉妹を浅井三姉妹とも呼ばれました。江は、2代将軍・徳川秀忠の正室となり、家光と忠長のふたりの息子と豊臣秀頼に嫁いだ千姫を始め5人の娘たちに恵まれました。・・・寛永5年(1628年)、3代将軍・徳川家光の乳母・春日局(かすがのつぼね)が建てた江の供養塔がある。次男・忠長を溺愛する江と、長男・家光の擁立に励んだ春日局の熾烈な跡継ぎ争いが行われました。結局、春日局に軍配が上がり、忠長は25歳で自害、江は失意のうちに死を迎えることとなりました。江の供養塔には春日局の追善の気持ちが込められ、隣に忠長の供養塔も立てられています。また明智光秀の臣下で、秀吉との山崎合戦後に打ち首となった春日局の父・斎藤利三が、金戒光明寺の隣にある真如堂で眠ることから、お江の供養塔の建立地にこの地を選んだとも伝えます。 |
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江の遺髪が納められている二代将軍・徳川秀忠夫人・江(崇源院)供養塔 | 解説碑 | |
見事な錦秋や〜!☆⌒(*^∇゜)v | ||
大改修中の山門 | 総門 | ・・・ |
Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | "ゆ"!"湯"!!"銭湯"!!!(*´ο`*)=3ホッ | |
京阪三条駅前 | 京阪中書島駅 | 中書島駅前通り |
黄桜カッパカントリーのX'masイルミ!☆⌒(*^∇゜)v | ||
今年も、11月1日からどこよりも早くX'maイルミを楽しませてくれます!\(●⌒∇⌒●)/ | ||
えぇ感じや〜(*^▽^*) | 大手筋商店街 | 風呂屋はないけど・・・風呂屋町?!(≧▽≦)ぷっ |
Tourist 2012.11.19(M) |
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