C-京都一周トレイル東山コースC

秋の東山三十六峰(哲学の道・鹿ケ谷〜瓜生山〜比叡山)を歩くW】

 

布団着て 寝たる姿や 東山 服部嵐雪

 

哲学の道・鹿ケ谷〜北白川天神宮〜瓜生山(北白川城本丸跡:301m)〜比叡山まで京都一周トレイル(東山コース)を歩く

 

京都一周トレイル

"京都の自然を歩く"をテーマに京都の東南に位置する伏見稲荷〜比叡山【東山コース】、大原、鞍馬【北山東部コース】【北山西部コース】を経て、高雄、清滝、嵐山〜苔寺【西山コース】に至るまでの全長約70kmコースと豊かな森林や清流や田園風景に恵まれた京北地域【京北コース】をめぐる全長約40kmコースからなります。京都市を始め、京都府山岳連盟、京阪電気鉄道、阪急電鉄、西日本JRバス、京都市交通局、京都大阪森林管理事務所、京北自治振興会、京都市観光協会からなる京都一周トレイル会により整備されている。今回の【東山コース】 銀閣寺道No.51〈20分← →20分〉北白川仕伏町No.54〈15分← →20分〉メタセコイアNo.57-1〈20分← →30分〉瓜生山No.59-3〈10分← →5分〉分岐No.60〈15分← →20分〉一乗寺林道分岐No.64〈45分← →60分〉石の鳥居No.67〈25分← →25分)水飲対陣No.69〈30分← →50分〉千種忠顕卿戦死之地碑先の分岐No.73〈10分← →15分〉「ケーブル比叡」駅No.74 道中、京都の市街地を望み、豊かな自然や歴史・文化などに触れる事ができます。 コースには標識が多設されていて見落としやルート指示を見間違いさえしなければ、迷う事なく歩けるはずです。

伏見の台所?納屋町商店街 竜馬通り商店街 宇治川派流
・・・ お茶屋意匠建築家屋が取り壊されている? 京阪・中書島駅
3000系特急車・コンフォートサルーン 出町柳駅 今出川通りを東進・・・
大本山百萬遍知恩寺 地図

大本山百萬遍知恩寺は長徳山功徳院と号し、寺伝によると承安5年春3月、法然上人43才にして、浄土宗を開き、叡山を下り、西山の広谷を経て、東山吉水辺りに移りました。次いで加茂宮司の懇請により、加茂の河原屋に移住し、専徳念佛の法を広めました。当山の創設期は加茂河原屋、加茂禪房、加茂の釈迦堂などと称しました。現在の相国寺の辺りになります。上人の常侍、当山第2世・源智上人は平重盛公の孫、備中守師盛卿子息、平家滅亡後に法然上人の弟子となり、上人滅後その遺徳を守り師徳報恩のため大師の影堂を建立されました。元弘元年8月、第8世・善阿上人の時、天下疫病が流行し、上人即ち勅命により参内し、一、七日を期して百萬遍念佛を修しました。疫病忽ち止み天皇御感のあまり、弘法大師御作、利剣の名号並びに百萬遍の号を賜わりました。その後、足利義満が相国寺を建立するに当り、寺基を一条通小川に移しました。第9世大誉慶竺後花園天皇の叡信を蒙り、浄土一宗第一寺の称、並に香衣被着の綸旨を賜わりました。降って天正18年、寺基を更に寺町の梨木神社付近に移しました。寛文元年正月、二条殿よりの出火に類焼した為に第39世・光誉満霊上人は、寺地を現在地に定め、自ら江戸に下り、五百両を得、更に諸国に行脚し、延宝7年に至り遂に竣工。次いで漸次諸堂、庫裏等建立され、全山完備し今日に至っています。

大本山百萬遍知恩寺
京都大学北部キャンパス 鎌倉時代の第九十四代・後二条天皇北白河陵、後二条天皇皇子・邦良親王墓 地図
子安観世音(北白川石仏) 地図

鎌倉時代中期の作という大石仏は、北白川石仏、北白川子安観音、北白川弥勒石仏とも阿弥陀仏とも呼ばれ古来、子安観世音として地域の信仰を集めてきた。安土・桃山時代、1587年、聚楽第完成後、秀吉は石仏を気に入り、聚楽第の庭に運び入れたという。その際に、石仏の首は切り離されたともいう。そのため「首切観音」「首切地蔵」ともいわれた。石仏は、夜になると白川に戻せと鳴動したという。そのため、さすがの秀吉も再び戻したという伝承がある。焼痕があるといい、また、近年顔を彫り直したとも云われる希代の大石仏。

今出川通りと山中越分岐にある子安観世音 子安地蔵群 子安観音(北白川石仏)
こま札 琵琶湖疏水分線 やっぱり白川石製かな?道標石
哲学の道 地図

大正時代、京都帝国大学(京都大学)の哲学者・西田幾太郎や経済学者・河上肇などが散策しながら思索にふけった事に因んで命名されたと伝えます。北は銀閣寺参道に架かる銀閣寺橋から琵琶湖疏水分線に沿って南は若王子橋までの全長約1.8kmの散策路として市民や観光客に親しまれています。春は桜の名所としても知られ見事な桜並木は日本画家・橋本関雪画伯の夫人が絵画が売れた時、桜の苗木を買い当時、荒れていた小道沿いに植樹され現在の見事な桜並木道に至るとも伝え「日本の道百選」にも選ばれています。

琵琶湖疏水分線の両岸には、450本のソメイヨシノなどのサクラ並木がある。そのうちの半数(12本とも)は、「関雪桜」と呼ばれる。
哲学の道 銀閣寺 銀閣寺境内図
法然院地図

寺伝によると、鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖・法然房源空上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽、住蓮と共に、念佛三昧の別行を修し、6時礼讃を唱えました。建永元(1206年)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸中に、院の女房・松虫、鈴虫が安楽、住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽、住蓮は死罪となり、その後、草庵は久しく荒廃しました。江戸時代初期の延宝8年(1680年)、知恩院第38世萬無和尚は、法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立する事を発願、弟子・忍澂和尚によって、現在の伽藍の基礎が築かれました。浄土宗内の独立した一本山であったが、昭和28年(1953年)、浄土宗より独立し、単立宗教法人となり現在に至ります。

法然院 ・・・ ・・・
苔むした侘びな法然院の山門・・・水を表わす白砂壇の間を通る事によって心身を清めて浄域に入るという事を意味します。
紅葉は落ち葉になりつつあるけれど・・・Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
住蓮山安楽寺 地図

法然上人の弟子の住蓮上人と安楽上人を開基とします。寺伝によると、この開山両上人が、現在地より東1kmあたりに鹿ヶ谷草庵を結び、布教活動の拠点を持ったのが寺の始まりで山門前の石柱には、浄土礼讃根元地と刻まれています。開山両上人は、唐の善導大師(ぜんどうだいし)の『往生礼讃』に大原魚山(天台宗)の礼讃声明(らうさんしょうみょう)を転用して浄土礼讃を完成しました。両上人が称える礼讃は誠に素晴らしく、両上人の前で出家を希望する人もありました。その中に、後鳥羽上皇の女官の松虫と鈴虫がいました。両人は、法然上人や開山両上人から念仏の教えに感銘し、いつしか仏門に入りたいと願うようになりました。建永元年(1206年)12月、両人は後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中、夜中秘かに京都小御所を忍び出て鹿ヶ谷草庵を訪ね剃髪、出家を乞います。最初、両上人は出家を認めませんでしたが、松虫と鈴虫のお詠に感銘されます。「哀れ憂き この世の中にすたり身と 知りつつ捨つる 人ぞつれなき」19歳の松虫は、住蓮上人から剃髪を受け妙智法尼と法名を授かります。また17歳の鈴虫は、安楽上人から剃髪を受け「妙貞法尼」と法名を授かります。この事を知った後鳥羽上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶に弾圧を企てます。翌、建永2年(1207年)2月9日、住蓮上人は近江国馬淵(まぶち/現在の滋賀県近江八幡市)で、同日安楽上人は京都六条河原で斬首されました。迫害はこれに止まらず、法然上人を讃岐国(香川県高松市)に、親鸞聖人を越後国(新潟県上越市)に流罪に処します。いわゆる建永(承元)の法難です。その後、松虫と鈴虫は瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明防で念仏三昧の余生を送り、松虫は35歳、鈴虫は45歳で往生を遂げたと伝えます。また、両上人の亡き後、鹿ヶ谷草庵は荒廃しましたが、流罪地から帰京された法然上人が両上人の菩堤を弔うために草庵を復興するように命ぜられ住蓮山安楽寺と名付けました。その後、天文年間(1532〜55年)に現在地に本堂が再建され、今日に至ります。

住蓮山安楽寺 Beautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
「此奧俊寛山荘地」の道標石 京都一周トレイル標識・東山48・・・前回の終点から今回はスタート!\(*⌒0⌒)bがんばっ♪
霊鑑寺 ・・・ Beautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
京都一周トレイル標識・東山49 哲学の道
哲学の道 地図

琵琶湖疏水分線に沿って、南は、若王子橋〜北の銀閣寺橋までの約1.8kmの散策道の事で「日本の道100選」に選ばれている。道の名の由来は、京都学派の創始者、京都大学教授の西田幾太郎 (にしだ きたろう)に因む。また、京都大学教授・経済学者・河上肇(かわかみはじめ)、哲学者・田中美智太郎、哲学者・和辻哲郎らもこの道を散策しながら思索したことにもよると伝える。

京都一周トレイル標識・東山50 哲学の道は琵琶湖疏水分線に沿って南の若王子橋〜北の銀閣寺橋までの約1.8kmの散策道
銀閣寺橋 京都一周トレイル標識・東山51 五山の送り火で知られる大文字山
白紗村荘(橋本関雪記念館)は日本画家の橋本関雪が大正5年(1916年)から住んだ邸宅でした。
今出川白川通り交差点 京都一周トレイル標識・東山52-1 左へ・・・
京都一周トレイル標識・東山52-2 ・・・
北白川一帯の産土神(氏神)で白川女発祥の地・・・北白川天神宮 地図

社伝によると、8世紀前半、久保田の森(現:北白川久保田町)に祠を建て守護神として少彦名命名を「天使大明神」(天使社)と称して祀り、里人の鎮守の神としての信仰を集めていたという。文明14年(1482年)2月、室町幕府八代将軍・足利義政が東山殿(銀閣寺)造営に当たり、その往還に際して久保田の森にさしかかった時、にわかに乗馬が嘶き蹄を立てて進まなくなった。家臣に調べさせたところ、この森に神を祀る祠があることが判り、その神威を感じて王城鎮護の神として表鬼門(東北の鬼門)にあたる現在の千古山(北白川仕伏町)に遷座し奉ったという。新たに祀られた天使大明神は、地域の守護神・白川村の産土神として里人の崇敬を集め、全村民が祭祀に参与した。元和5年(1619年)、後陽成天皇の弟・興意法親王が照高院(北白川御殿)を白川村外山(現:仕伏町)の地に建設した。照高院宮第五代の道晃法親王は特に崇敬篤く、寛文年間(1663〜1673年)に「天使大明神」を天神宮と改号、宮家の御祈願所とされた。同13年(1673年)8月に石製の大鳥居を奉納、これに天神宮の御染筆神号額を掲げられた。明治3年(1870年)、智成親王が北白川宮と改称され、兄宮が北白川宮能久親王となられた事から北白川天神宮の神輿、御旅所に菊の御紋が使われている。・・・余談ですが、4才まで北白川別当町で過ごした私にも因果関係がない氏神様ではありませんので、ご縁として参拝させて頂きました。

北白川天神宮・・・参道の白川に架かる白川石の石橋・萬世橋を渡ります。 いきなり急勾配の石段が続きます!(>_<)おろっ
準備運動にしても程がある石段や!(>_<)爆 境内と社殿
拝殿に掛かる三十六歌仙?の絵馬 お昼時なので・・・ランチタイム〜(^^♪
本殿 いよいよ比叡山へ・・・京都一周トレイル標識・東山53
北白川

京都市左京区の東部に位置する地域で左京区内の北白川を町名に冠する地区の総称として用いられる。かつては志賀越道(山中越)の街道集落として栄え、明治時代は白川の水車を利用した工業も発達する。その他に特産品としては花崗岩およびその加工物としての白川石、白川砂が著名です。かつては花の栽培や行商も盛んで、その行商人は白川女(しらかわめ)と呼ばれていた。近年は閑静な住宅街になっています。

【北白川史跡と自然の道】 北白川愛郷会監修

私的な事ですが、4才まで左京区北白川別当町で育ちしました。住んでいた家のまん前が市バス5番・岩倉行きの別当町バス停で裏に京都大学農学部のグラウンドがあり白川通り沿いや近辺には、花畑が点在していたのどかな町風情だったことを記憶しております。時が流れて町風情は随分と変貌したけれど、北白川界隈をウォーキングしてとっても懐かしい想いと感慨に浸れました。・・遠い目(^^ゞ爆

近江へ抜ける山中越え(志賀越え) 京都一周トレイル標識・東山54 日本バプテスト病院方面へ・・・
京都一周トレイル標識・東山55 右に分岐する病院駐車場への道へ入る・・ 大きな野犬が出るみたい?!ヾ(・・ )ォィォィ
壁伝いの左の道へ・・・ 同じく左へ(大山祇神社/地竜大明神)・・・ 京都一周トレイル標識・東山56-1
北白川大山祇(おおやまずみ/地竜大明神)神社

神社案内板よると、創建の詳細は不明。祭神は大山祇神(大山積神/おおやまずみ)、山霊の諸神。かつて、山城盆地が太古湖底であった頃、先住者が周辺に住み、集団生活を営んでいたという。彼らは山に親しみ、後に祠を建て山の神を祀った。その後、兵火により荒廃。平安時代の貞観18年(876年)、播磨国の牛頭天王が祇園社に遷座される前に、当地にしばらく鎮座したと伝える。近代の昭和4年(1929年)、神託により地龍大明神社が奉納。その後、大山祇神社の分社となり、山霊の神々を合祀としたと伝える。

・・・ 神域を表す結界の鳥居?注連縄? 境内
大山祇(おおやまずみ/地竜大明神)神祠 沢のような道・・って言うか沢でしょ?!(^▽^;) ・・・
こんな所にも道標!!(^^)! ・・・ 沢歩きみたい・・・
京都一周トレイル標識・東山56-2 沢を渡ります・・・
トレイル分岐(白幽子旧跡で合流) 微力ながら協力いたします?!(^▽^;) しかし、なかなかきついルートや(~ヘ~;)
・・・ 紅葉は落ち葉となり歩くと落ち葉のカサコソと心地よい乾いた音がします・・
白幽子(はくゆうし)厳居之跡

白幽子は江戸時代初期の隠遁者で慈俊ともいう。石川丈山の弟子・石川克之(克)の弟とも伝え、自らも丈山に弟子入りし丈山の臨終に際して、死に水を取ったとも伝える。晩年は北白川瓜生山々中の清沢口の岩窟に住み、常に金剛経を誦したと伝える。洞窟は5〜6m四方の広さがあり、入り口に芦簾を下げて床には柔らかな草を敷いて家財など生活道具は一切なく、「中庸」、「老子」、「金剛般若経」が置かれているだけであったと云う。書、天文、医道、仙術にも通じ、数百年も生きたとも伝え白幽子仙人、白川の仙人ともいわれたが、実際は64才で亡くなっている。禅の世界ではとても有名な人で、宝永7年(1710年)、臨済宗中興の祖・白隠(白隠慧鶴/はくいんえかく)は、瓜生山の白幽子の許を訪ねるが、過度の禅修行により禅病、結核と神経症で心身困憊していた。白幽子は「内観の法」、観想法の「軟酥(なんそ)の法」を白隠に伝授して、病を快復させたと伝える。白隠はその人を『夜船閑話』、『遠羅天釜(おらでがま)』に記した。白幽子の遺骸は吉田神楽岡中山で火葬され、乗願寺(北白川仕伏町)の神楽岡東墓地に埋葬された。その後、墓が盗難に遭う。昭和18年(1943年)、法輪寺の後藤伊山住職が東京・青山墓地内に白幽子の墓石を見つけ、持ち帰り法輪寺境内に墓を移した。旧地神楽岡東墓地には、明治36年(1903年)に富岡鉄斎が再建した墓碑が残されている。

幽邃地にある白幽子(はくゆうし)旧跡・・・白幽子旧跡碑は富岡鉄斎の揮毫による「白幽子巌居之蹟」
解説パネル 京都一周トレイル標識・東山58-2 ・・・
京都一周トレイル標識・東山58-3 ・・・ ・・・
清沢口石切場(白川の採取場跡) 清沢口石切場(白川の採取場跡)案内図 説明札
・・・ 京都一周トレイル標識・東山59-1
京都一周トレイル標識・東山59-2 ・・・
案内図 ・・・ 狸谷山三十六童子・第三十三番ふこうおう童子
瓜生山頂(301m)の奥の院〜狸谷山不動尊まで三十六童子の祠が並ぶ・・・写真左から、第三十四番ぜんにし童子、第三十五番はりか童子、第三十六番うばけい童子
北白川城(瓜生山々頂 301m:本丸跡/狸谷不動院の奥の院・幸竜堂) 地図

北白川城は瓜生山々頂(301m)を本丸とし、近江より上洛する際の前線基地としての役割をもっていた。『ニ水記』(永正17年(1520年)5月30日条)によると、細川高国が初めてこの城に陣を構え、その際戦勝を記念して勝軍地蔵を勧請したのが城名の由来となった。勝軍地蔵は宝暦12年(1762年)に現在の日本バプテスト病院の西側(左京区北白川瓜生山町)に移転され、信仰の対象とされていましたが、お堂の老朽化に伴ってお堂が解体されたようで勝軍地蔵は、京都造形美術大横の禅法寺境内のお堂に移されています。

狸谷不動院の奥の院・幸竜堂(瓜生山々頂 301m:勝軍地蔵社/北白川城本丸跡) 解説
京都一周トレイル標識・東山59-3 本丸にある元勝軍地蔵石室には地蔵菩薩が祀られている。
瓜生山山頂(301m)にある奥の院・幸竜堂(勝軍地蔵社)は元・勝軍地蔵菩薩が祀られた北白川城・本丸跡
Half Time!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! 京都一周トレイル標識・東山59-4
京都一周トレイル標識・東山59-5 ・・・
京都一周トレイル標識・東山60 見晴らし台分岐
案内図 京都一周トレイル標識・東山61 ・・・
見晴らし台(北白川城北城出丸)やのに全くもって・・見晴らせない台や!(;¬_¬) 解説
倒木が!(@_@;) 京都一周トレイル標識・東山62
林間から京の市街地が俯瞰できる・・・少しは標高を稼いだかな。。。 ・・・
京都一周トレイル標識・東山63 京都一周トレイル標識・東山64
落ち葉がカサコソとええ踏み音します!(^-^)v 京都一周トレイル標識・東山65
・・・ えぇなぁ〜(*^▽^*) 比叡山頂が見えた!\(●⌒∇⌒●)/
京都一周トレイル標識・東山66 えぇ感じや〜(*^▽^*)
弁財天参道の石鳥居(掛橋)
京都一周トレイル標識・東山67 幽邃な杉林や〜 音羽川
澄んだ清流やけど無茶苦茶水が冷たい・・汗をぬぐって沢を渡って進撃再開!o(*^▽^*)o
・・・ 音羽川に注ぐ支流の小沢を渡ります・・・ ・・・
京都一周トレイル標識・東山68 音羽川に注ぐ支流の杉谷川?を渡ります・・・ 水飲対陣跡
水飲対陣跡 地図

千種忠顕(ちぐさ ただあき)は、後醍醐天皇の信任厚く、建武政権では従三位参議、三カ国の国司に補任された。足利尊氏の攻略により政権が瓦解すると、忠顕は足利直義軍と比叡山麓西坂本水飲で戦った。延元元(1336)年6月7日、千種忠顕が戦死した地である。

京都一周トレイル標識・東山69 延暦寺西の浄刹結界があった水飲対陣跡 北山一帯の絶景!O(^◇^)O ふぉ〜
・・・ ・・・ ・・・
京都一周トレイル標識・東山70 行者道分岐を右へ・・・
京都一周トレイル標識・東山71 えぇなぁ〜(*^▽^*)
京都一周トレイル標識・東山72 千種忠顕(ちぐさただあき)碑へ・・・
千種忠顕(ちぐさただあき)碑地図

四明ヶ岳山頂より西南約1km余、雲母坂に沿う山の中程にあり「太平記」によると千種忠顕は、後醍醐天皇に勤仕し延元元年(1336年)6月、足利尊氏の軍勢と雲母坂の途上で戦って戦死した建武中興の功臣とされ戦没地に因んで顕彰碑が建てられています。又、ここは昔に如法写経を行い埋蔵した塚のあった所で大正12年(1923年)、地下より陶質経筒や古銭を発掘した事があります。

千種忠顕(ちぐさただあき)碑 ・・・
京都一周トレイル標識・東山73-1 両足の内転筋に違和感発生!(≧▼≦;)
京都一周トレイル標識・東山73-2 最後の強烈な上りの行者道
あと少しやっ・・・(; ̄ー ̄A 京都一周トレイル標識・東山73-3 無線中継所に着いたど〜(*´ο`*)=3ホッ
無線中継所からの眺めは絶景や〜絶景かな〜 絶景かな〜〜 O(^◇^)Oふぉ〜ヾ(≧▽≦)ノやっほ〜・・・あっほ〜(・_・)ヾ(^o^;) オイオイ
遠く生駒山が雲に浮かぶ!O(^◇^)Oふぉ〜 比叡ビュースポット地図 願掛けすると子宝を授かるやどり地蔵
説明パネル 東山コース終点の叡山ケーブル比叡駅へ・・ Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
向こう側に京都市最高峰の愛宕山 京都一周トレイル標識・東山74!!!ケーブル比叡駅が東山コースのゴール地点!!!☆⌒(*^∇゜)v
叡山ケーブルは来春まで運行休止! 京都一周トレイル標識・北山1!東山コースから続く北山コースのスタート地点!ヾ(≧▽≦)ノ
Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! 空中ケーブル線・・ロープウェイ比叡駅 すすきと積雪
上り坂で両足内転筋がかなりやばい!( ;∀;) バスの発車時間までにバス停に着かないと・・ 叡山ロープウェイ下を通過・・・
ロープウェイ比叡駅 京都一周トレイル標識・北山-2 次(北山コース)はここがスタート地点!
蛇ヶ池跡(人工スキー場跡)地図

昔、蛇が、わだかまった様な怪石があり人々の猥怖するところでした。ある時、伝教大師最澄が法力をもって祈願されると雷電がたちどころにこの怪石を打ち砕き池となったという伝説があります。一説には毒蛇が居て人々に危害を加えるので伝教大師最澄が祈願しこれらを追い払ったとも伝わります。

比叡山人工スキー場跡/つつじヶ丘(蛇ヶ池跡) 思いっきり冷たい風が吹き荒れてススキが揺らいでおります・・スキー場跡の急坂を上れば・・
わおっ!積雪してますがな!!(@_@;) この急坂を上ったらもうすぐバス停や〜(*゜▽゜)/ 叡山ロープウェイ比叡山々頂駅
北山連峰が一望できる!やっほ〜\(●⌒∇⌒●)/ 大原の里
比叡山・延暦寺(世界文化遺産)

霊峰・比叡山は、滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部にまたがる山。大津市と京都市左京区の県境に位置する大比叡(848.3m)と左京区に位置する四明岳(しめいがたけ、838m)の二峰から成る双耳峰の総称で高野山と並び古来より信仰対象の山とされ、山上〜山中に天台宗総本山・延暦寺の諸堂が点在します。延暦7年(788年)、伝教大師最澄(でんきょうだいしさいちょう)が小堂を建て一乗止観院と称したのが始まりで国宝、重文なども多数所蔵し平成6年(1994年)に世界文化遺産に登録されました。大比叡の一等三角点は大津市に所在するが東山三十六峰に含まれる。別称は叡山、北嶺、天台山、都富士などとも呼ばれている。

比叡山頂バス停留所に無事到着!(*´ο`*)=3ホッ ギリギリで16時発の最終バスに間に合ったのですが・・春まで運休ですがな!Σ( ̄ロ ̄lll)ガビーン
3月19日までバスが運休していたのは想定外?!完全な自分の落ち度・・日暮れが近づく比叡山頂からの絶景で気持ちを落ち着けます!(; ̄ー ̄川 

えぇなぁ〜(*^▽^*) 凍結していて滑りやすい(≧▼≦;) 坂本ケーブルの最終も間に合わない!( ̄□||||!!
比叡山人工スキー場跡(蛇ヶ池跡) Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!日暮れが間近に迫り、思案に暮れる?!(>3<)ぷっ

日暮れまでの下山目指して下山開始!(*゜▽゜)/ 夕暮れが日暮れに!写真撮ってる場合じゃないけど・・・Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
日が暮れる・・・急がねば。。。(>▽<;; 無事下山したけど真っ暗や!( ̄□||||!!叡山電車・八瀬比叡山口駅・・やっと座れる!(*´ο`*)=3ホッ
京阪・中書島駅 中書島駅前通りのクリスマスイルミ!(^^)!
・・・ ・・・ 寒い夜は無性に食べたくなりますねっ?!(^^♪

Tourist 2012.12.03(M)

 

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