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市バス81系統で京都駅、とうちゃこ〜(*゜▽゜)/ |
青空に映える京都タワー |
京都の玄関・京都駅ビル |
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京都駅ビル |
昨年15年ぶりに大幅リニューアルした高さ22mの巨大クリスマスツリー |
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京都市とケルン市の姉妹都市提携50年を記念してドイツをテーマに装飾されたクリスマスツリー |
JRバスで高雄・栂ノ尾へ |
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西大路通りを北上・・・五山の送り火の一・左大文字山 |
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きぬかけの道 |
高雄へ続く周山街道(R162号線)の紅葉も綺麗やな〜!(*゜▽゜)/ |
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御経坂峠 |
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錦秋や〜(*゜▽゜)/ |
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高雄の集落 |
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世界文化遺産・高山寺参道 |
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JRバス・栂ノ尾(とがのお)バス停 |
世界文化遺産・高山寺へ・・・ |
えぇなぁ〜(*゜▽゜)/ |
緑茶発祥の地・・・世界文化遺産・高山寺
☆地図 |
栂尾(とがのお)山と号する真言宗の単立寺院です。初め神願寺都賀尾坊(とがおぼう)と称する天台寺院でしたが久しく荒廃していたのを鎌倉時代の建永元年(1206年)、明恵(みょうえ)上人によって再興され、後鳥羽上皇から「日出先照高山之寺(ひいでてまずこうざんをてらすやまのてら)」の勅額を賜り高山寺と改めました。以後、華厳宗興隆の道場となり次第に朝野の崇敬を集め北条泰時は政治の要諦を上人に謀り、建礼門院は上人より受戒したとされます。南北朝時代は寺域も広大でしたが室町時代の応仁の乱で退転し諸堂の多くを失ったが近世、豊臣秀吉から寺領58石を与えられ寛永11年(1634年)、仁和寺の旧御所の建物を移築し金堂を再建しました。本尊・釈迦如来像を安置し開山堂には明恵上人樹上坐像(重文・鎌倉期)を安置します。石水院は鎌倉時代初期の寝殿造りの形式を留める貴重な建造物で国宝に指定され文化財も頗る多く、絹本著色仏眼仏母像一幅(国宝・鎌倉期)、薬師如来坐像(重文:天平期)、善妙神、日光神立像(重文:鎌倉期)、狛犬四対(重文:鎌倉期)、華厳宗祖師絵伝(国宝・鎌倉期)など国宝8点、重要文化財51点にも及び中でも鳥羽僧正筆による紙本墨画鳥獣人物戯画四巻(国宝・鎌倉期)は有名で平成6年(1994年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。境内にある栂尾茶園は鎌倉初期に栄西禅師が宋から将来した茶種を明恵上人に送り栂尾の深瀬三本木に植えたのが我が国最初の茶栽培となって隆盛し宇治の茶は栂尾から移植したもので宇治の茶業家は現在も新茶を明恵上人の廟前に供えるのを慣わしとしています。 |
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参道 |
こま札 |
付近案内図 |
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えぇなぁ〜(*゜▽゜)/ |
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中門(客殿、石水院/国宝:鎌倉期) |
石水院(国宝:鎌倉期) |
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御朱印を頂戴しています・・(^-^)v |
ワタリガニ出水のクリームスパキで〜す?!・・・綺麗やなって言うてます?!(^▽^;) |
日本最古の栂尾(とがのお)茶園 |
高山寺は日本で初めて茶が作られた場所として知られる。栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を明恵に伝え、山内で植え育てたところ、修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があるので衆僧にすすめたという。最古の茶園は清滝川の対岸、深瀬(ふかいぜ)三本木にあった。中世以来、栂尾の茶を本茶、それ以外を非茶と呼ぶ。日本最古之茶園碑が立つ現在の茶園は、もと高山寺の中心的僧房十無尽院(じゅうむじんいん)があった場所と考えられている。宇治の茶は栂尾から移植したものです。この所縁を偲んで宇治の茶業者は毎年、自家製の新茶を上人の廟前に献供するを例とし、毎年11月8日には上人の御影に対して献茶会式を行います。現在も、5月中旬に茶摘みが行われる。 |
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日本最古の茶園 |
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開山堂 |
織部型灯篭発見! |
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もしや隠れ切支丹のキリシタン灯篭?! |
仏足石 |
金堂 |
かつての本堂の位置に立つ。桁行三間、梁間三間の一重入母屋造、銅板葺。承久元年(1219年)に完成した本堂は、東西に阿弥陀堂、羅漢(らかん)堂、経蔵、塔、鐘楼、鎮守を従えた檜皮葺(ひわだぶき)五間四面の堂宇で、運慶作の丈六盧舍那仏(るしゃなぶつ)などが置かれた。その本堂は室町時代に焼失、現在の金堂は江戸時代の寛永年間(1624〜44年)に御室・仁和寺真光院から古御堂を移築したものである。釈如来像を本尊とする。 |
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御室・仁和寺真光院から古御堂を移築した建物で、本尊・釈迦如来像が安置されている金堂 |
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名残の紅葉も美しい〜\(●⌒∇⌒●)/ |
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表参道 |
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世界文化遺産・高山寺碑 |
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周山街道(R162号線) |
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高雄三尾の一・茶山栂ノ尾碑 |
高雄観光案内図 |
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本日のスタート地点の清滝川に架かる白雲橋畔にある京都一周トレイル標識・北山87 |
(*^-^*) |
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周山街道(R162号線) |
京都一周トレイル標識・北山88 |
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小社ですが天照太神宮? |
清滝へ・・・ |
清流・清滝川 |
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高雄周辺案内図 |
槙尾山西明寺に渡る指月橋 |
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名残の紅葉!(*゜▽゜)/ |
高雄観光マップ |
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名残の紅葉も美しい!(*^-^*) |
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高雄山神護寺に渡る高雄橋 |
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清滝川 |
高雄山神護寺 |
京都一周トレイル標識・北山90 |
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つり橋 |
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高雄の紅葉は見ごろを過ぎてますが、名残の紅葉も美しい〜!\(●⌒∇⌒●)/ |
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関西電力清滝発電所取水堰堤 |
錦雲渓 |
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錦雲渓の風情を眺めながら歩く |
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えぇ感じやな〜(*゜▽゜)/ |
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高雄〜清滝に至る渓谷を錦雲渓と言います。 |
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まっすぐに伸びる北山杉がええ感じや〜\(●⌒∇⌒●)/ |
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京都一周トレイル標識・北山91 |
潜没橋 |
錦雲渓 |
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清滝川、堂承川(堂尻川)合流地 |
堂承川(堂尻川)に架かる橋 |
堂承川(堂尻川)の川筋を歩く。。。 |
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京都一周トレイル標識・北山92 |
切り替えします・・・ |
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愛宕山月輪寺登山ルート、高雄分岐 |
京都一周トレイル標識・北山93 |
清滝へ・・・ |
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えぇなぁ〜(*゜▽゜)/ |
トレイル案内板でルート確認! |
清滝に、とうちゃこ〜!(*´ο`*)=3ホッ |
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愛宕山表参道登山口の金鈴橋が北山コースの終点・京都一周トレイル標識・北山94 |
愛宕山ケーブル清滝川駅跡の解説 |
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戦前まで走っていた愛宕山ケーブル線の清滝川駅跡 |
愛宕山表参道登山口 |
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昭和チックな風情が漂う清滝の集落はかつて、愛宕山登山者で賑わった宿場町でしたが、現在でも宿場町としての名残があります。 |
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金鈴峡(清滝川) |
一周トレイル西山コースは、金鈴橋畔の「北山No.94」から始まるが渡猿橋畔にある「西山No.1」 |
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京都一周トレイル標識・西山1 |
料理旅館の風情が今も残る・・・ |
与謝野晶子の歌碑 |
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渡猿橋 |
芭蕉の句碑(左)と高桑義生の添え書き碑 |
鉄橋の清滝(青竜)橋を清滝川右岸に渡る・・・ |
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京都一周トレイル標識・西山2 |
金鈴峡 |
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清滝川沿いルートで渓流歩きのようなコース |
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小滝 |
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京都一周トレイル標識・西山3 |
えぇなぁ〜(*゜▽゜)/ |
潜没(下清滝)橋手前にある米買い道分岐 |
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米買道が分岐する京都一周トレイル標識・西山4 |
潜没(下清滝)橋 |
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落合橋、とうちゃこ〜(*´ο`*)=3ホッ |
京都一周トレイル標識・西山5-1 |
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赤い欄干の落合橋 |
清滝川 |
落合隧道 |
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落合隧道 |
水尾方面 |
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京都一周トレイル標識・西山5-2 |
断崖は落下岩とも呼ばれる展望岩?!(>▽<;; |
対岸にはチャートの絶壁「書物岩」が聳える! |
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展望岩はサスペンスDや時代劇で人が落下するシーンで有名で落下岩と呼ぶ。(@_@;)こわ〜 |
落合隧道 |
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落合隧道 |
落合橋 |
芭蕉の句碑 |
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清滝川、保津川合流方面 |
芭蕉の句碑 |
赤い欄干でアーチ型の落合橋 |
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険しい九十九折れの六丁峠(下六丁峠)の登り |
保津峡の素晴らしい景色を眺めながら |
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保津峡の素晴らしい絶景!\(●⌒∇⌒●)/やっほ〜! |
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霊峰・愛宕山の稜線 |
保津川に架かる旧山陰本線の青鉄橋 |
山上に六丁峠のガードレールが見える! |
六丁峠
☆地図 |
下六丁峠(しもりくちょうとうげ)とも言われるようです。奥嵯峨野・鳥居本から保津峡・落合へ抜ける峠道で標高は低い(160m)が、保津峡側はヘアピンが連続する九十九折れの坂道のため対向車などの見通しが悪いため所々、下向きのカーブミラーが設置されている。六丁峠は最大傾斜20%、平均傾斜14%という九十九折の激坂道です。 |
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六丁峠は最大傾斜20%、平均傾斜14%という九十九折の激坂!(>▽<;;。。。 |
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六丁峠、とうちゃこ〜(*゜▽゜)/ |
京都一周トレイル標識・西山6 |
奥嵯峨・鳥居本へ・・・ |
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京都一周トレイル標識・西山7 |
嵯峨天皇皇后・橘嘉智子嵯峨陵へ向かう登拝路
※現在は土砂崩れの為、登拝不可! |
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京都府道50号線/京都日吉美山線(六丁峠) |
愛宕街道と六丁峠分岐地点・鳥居本 |
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京都一周トレイル標識・西山8 |
愛宕街道と六丁峠分岐の奥嵯峨・鳥居本
☆地図 |
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懐かしい昔風情の家並み・・・えぇなぁ〜
(*^▽^*) |
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侘びな風情の愛宕街道(町並み保全地区) |
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えぇなぁ〜(*^-^*) |
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えぇなぁ〜(*^-^*) |
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あだしの念仏寺 |
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まゆ人形オンリーワンの店・まゆ村 |
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愛宕街道(町並み保全地区) |
京都一周トレイル標識・西山9 |
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日本酒の美味しい季節になりました!(^^♪ |
えぇなぁ〜(*゜▽゜)/ |
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Beautiful!
(・_・)ヾ(^o^;) 欧米かっ?! |
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京都一周トレイル標識・西山10 |
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えぇ感じやな〜(*゜▽゜)/ |
京都一周トレイル標識・西山11 |
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二尊院(伏見城の薬医門) |
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西行井 |
西行歌碑 |
松尾芭蕉の高弟・向井去来の墓 |
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俳人・松尾芭蕉の高弟・向井去来の庵の落柿舎 |
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龍馬、慎太郎、半平太ら土佐四天王像 |
京都一周トレイル標識・西山12 |
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えぇなぁ〜(*^-^*) |
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よかとね〜☆⌒(*^∇゜)v |
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嵯峨野有数の紅葉名所・常寂光寺 |
えぇなぁ〜(*^-^*) |
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紅葉が美しい!☆⌒(*^∇゜)v |
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Deep
Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?! |
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京都一周トレイル標識・西山14 |
よかとね〜(*^-^*) |
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よろしいなぁ〜(*^-^*) |
嵯峨天皇皇女・有智子(うちこ)内親王陵 |
藤原定家、小倉百人一首編纂の地・厭離庵(えんりあん)
☆地図 |
もと愛宕の中院があったところで藤原定家が百人一首を編纂した山荘跡があった所と伝えます。久しく荒廃していたが近年に冷税泉家によって再興され、霊元法皇より「厭離庵」の寺号を賜り臨済宗天龍寺派の寺となりました。明治43年、山岡鉄舟の娘、素心尼が庵主に就き、それ以後尼寺となりました。西南の竹林は善光寺山と言われ時雨亭があったと伝え、境内には茶室・時雨亭、藤原定家塚、定家が小倉百人一首を染筆する時に筆洗いに使った柳の井があります。定家が書き記した「名月記」に彼の嵯峨山荘は、常寂光寺の北方、小倉山麓にあったものと思われ、この地は定家の嫡子・為家の妻父・宇都宮入道頼綱(蓮生入道)が定家の嵯峨山荘近くの当地に中院に別荘を建てるにあたり、障子に貼る色紙を定家に依頼した。
早速、定家が多くの勅撰和歌集の中から百人一首ずつを編纂したが、この時、後鳥羽、順徳両帝の歌がなく、その代わりに百人一首にない三人の歌が入って合計百一人であったと伝え、後日、為家によって補訂されたのが現在の百人一首です。紅葉の名所として知られ、紅葉の時期(11月〜12月)のみ拝観が出来ます。 |
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えぇ感じや〜(*゜▽゜)/ |
小倉百人一首編纂の地・厭離庵(えんりあん) |
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非公開寺ですが、紅葉の時期(11月〜12月)のみ拝観が出来ます。 |
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ピーク過ぎですが・・・よかとね〜☆⌒(*^∇゜)v
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知る人ぞ知る
手入れの行き届いた紅葉が素晴らしい名庭園(*^-^*) |
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定家塚 |
厭離庵(本堂) |
天井画・飛天は西村公朝の筆 |
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Beautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^
) 欧米か?! |
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Wonderful〜!
(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! |
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えぇなぁ〜(*^-^*) |
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桂離宮に模した四畳向切の茶席内・・厭離庵の茶席・時雨亭は、裏千家出入りの数奇屋大工・岡田永斉によって建てられました。 |
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紅葉シーズンのみ拝観できる厭離庵は、静寂な時間が、ゆったりと流れます。・・・ |
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えぇなぁ〜(*^-^*) |
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藤原定家の子・為家は厭離庵の東に埋葬され「中院入道前大納言藤原為家卿之墓」という石碑が傍らに立つ、藤原為家卿之墓 |
慈眼堂(中院観音) |
藤原定家の念持仏
(本尊:十一面千手観音立像)、定家・為家等の位牌、毘沙門天立像が祀られ定家、為家の法要も行われます。 |
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慈眼堂(中院観音) |
落柿舎 |
嵐山と嵯峨野の風情!
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Beautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^
) 欧米か?! |
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トロッコ嵯峨駅〜トロッコ亀岡駅までの7.3kmを約25分で結ぶトロッコ列車が入線してきました!@トロッコ嵐山駅 |
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大河内山荘 |
嵯峨野と言えば・・・やっぱり、竹林のトンネルやな〜\(●⌒∇⌒●)/ |
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京都一周トレイル標識・西山15 |
嵯峨野竹林道 |
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源氏物語ゆかりの野宮神社 |
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世界文化遺産・天龍寺 |
嵐電(らんでん:京福電車)・嵐山駅 |
嵐山温泉・駅の足湯!(*´ο`*)=3ホッ |
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何年ぶりかな・・四条大宮行きの二両編成の電車に乗車!(*゜▽゜)/どこまで乗っても200円!!! |
モボ630形の運転席 |
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信号よ〜し!出発進行!!チンチン。。。 |
渡り線で上り線路へ進入!!進行〜!(*゜▽゜)/ |
嵐電嵯峨駅 |
嵐山は、日本有数の観光地で渡月橋(とげつきょう)を渡ったところにそびえる峰を指し、愛宕山から吹き下ろす愛宕おろしに、峰々の桜や楓が散らされるところから嵐山と呼ばれるようになった。
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嵯峨は、右京区西北部一帯の地域で、この辺りは愛宕(あたご)山麓にあって、ゆるやかな傾斜地になっていることから、さか(坂)、さがと呼ばれるようになったと伝える。
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鹿王院(ろくおういん)駅 |
車折神社駅 |
ガタコ〜ン、ガタコ〜ン。。。次は有栖川 |
昭和31年、駅北側に公団住宅が建設された為に設けられた駅。駅名は沿線の寺院の名称であるが、鹿王院は足利義満が創建した寺院である。鹿王院の名の由来は、廟(びょう)を建てようとして横の藪を切り開いたところ、藪の中から白鹿が出てきたために名付けられたと伝える。 |
亀山法皇が大堰川(おおいがわ)へ出かけられた時、行列が当所へ差し掛かったところ、法皇の乗った牛車の車軸が折れた。法皇は、この出来事に由来して車折大明神の神号を贈られ、その後の工程の無事を祈ったことが車折神社の起源と伝える。 |
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有栖川駅 |
ガタコ〜ン、ガタコ〜ン。。。次は帷子ノ辻、北の天満宮方面、白梅町線は乗換えです。 |
有栖川は駅近くを流れる川の名称で、有栖川の「有栖」とは、荒樔(あらす)荒瀬(あらせ)の意であり、祓(はらい)を行う所を意味し有栖川は、身体に付いた汚れをあらい清める川ということである。
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帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅 |
左は北の天満宮方面、白梅町線 |
次は太秦広隆寺です。。。 |
嵯峨天皇の皇后・壇林(だんりん)皇后が亡くなった時、棺を戸板にのせて送葬の途中、この辻に差し掛かったところ、おりから吹いた一陣の風により、棺に覆ってあった帷子(絹又は麻糸で織ったひとえ仕立ての布で、夏の汗取りとして着用した着物)が飛び散った。この出来事が伝承され、この辺りの地名になったと伝える。
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この辺りは一般道路を走る路面電車区間! |
太秦広隆寺駅 |
次は蚕ノ社(かいこのやしろ) |
昔、この辺りは渡来人の秦(はた)氏一族が居住し、農耕・機織り・醸造を伝えたとされる。秦酒公(はたさけのかみ)が、秦氏の諸族とともに多くの蚕を養い、絹などを多く織り、その品々を天皇に献上した。献上された絹布や織物が山の如くうず高く積み重ねられたという。天皇はことのほか喜ばれ、秦酒公に対して“うずまさ”の号を授けられた。いつしかその称号が地名になった。飛鳥時代に秦氏の子孫・秦河勝(はたかわかつ)が聖徳太子に仕えて仏法を興隆し、太子の菩提のために建立したのが広隆寺であり、太子の「太」の字と秦氏の「秦」を取って、太秦(うずまさ)と読むと伝える。
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蚕ノ社(かいこのやしろ) |
西大路三条駅まで、ほとんどが一般道路を走る路面区間です。 |
駅北側に鳥居があり、鳥居をくぐってまっすぐ行くと三本柱の鳥居がある木島(このしま)神社がある。この神社の中に、蚕を養うと書く養蚕(こかい)神社があり、地元の人は「蚕ノ社」と呼び、通称名となったと伝える。
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時々車が割り込みファーンと警告される!(~ヘ~;) |
嵐電天神川駅 |
次は山ノ内です。。。 |
駅近くに天神川・天神川通りがあり、地下鉄東西線の駅名が太秦天神川である事から、並列化を図ったもので副名称は右京区総合庁舎前です。 |
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京都は路面電車が似合う街だけど |
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道路の真ん中に位置する山ノ内駅 |
西大路三条、西院駅に停車、終点・四条大宮 |
『山ノ内』・・・この付近の土地は、かつては天台宗・延暦寺の寺領であった比叡山の飛び地でした。つまり、延暦寺の山門に属していた土地、山内(さんない)の土地というところから付いた地名である。『西大路三条』・・・西大路通りと三条通りの交差点に位置し、近くに駅の副名称になっている島津製作所がある。 旧駅名の三条口の由来は、1592年頃、この辺りは豊臣秀吉によって築かれた洛内と洛外の区切りというべき御土居(おどい)のあったところで、町(洛内)の入口に当たることから、三条の町入口と呼ばれていたと伝える。『西院』・・・平安自時代、駅から西へ200mの所に佐比大路(現在の佐井通り)があり、この佐比大路と四条大路(現在の四条通り)の交差点を北へ100m行ったところに淳和(じゅんな)天皇の離宮「淳和院」があった。この離宮が皇居の西の方角に当たることから、別名西院(さいいん)と呼ばれ、付近一帯の地名になった。やがてそれが佐比大路に当たることから「さい」とも呼ばれるようになった。また、平安京初期、この辺りは風葬の地と定められ、当時、ここに川が流れており、広い河原となり、人々は西院(さい)の河原と呼んでいた。それが、地蔵和讃(じぞうわさん)の賽の河原として、信仰を集めたと伝える。
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JR嵯峨野線(山陰本線)の高架 |
間もなく終点、四条大宮です。進行方向左側の扉すべてが開きま〜す・・・(*゜▽゜)/ |
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四条大宮駅、とうちゃこ〜(*゜▽゜)/ |
鎌倉を走る江ノ電と姉妹提携したので江ノ電カラーの嵐電モボ630形・江ノ電号 |
四条通りと大宮通りの交差点に位置することに由来する。大宮とは、皇后のことを指すもので、大宮通りは皇后の通りという意味である。大宮通りは平安時代に大宮大路と呼ばれ、四条大路とともに交通の要路として栄え、都大路の中でも、最も往来の激しい主要幹線道路であったと伝える。
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嵐電(らんでん:京福電車)・四条大宮駅 |
四条大宮から市バスに乗車! |
京都駅、とうちゃこ〜!!(*´ο`*)=3ホッ |
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京都タワー |
京都駅ビル
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81系統に乗車!(*´ο`*)=3ホッ
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Tourist.2013.12.02(M)
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