清盛一門の平家西八条殿跡

 

萌出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはで果つべき 祇王

 

世界文化遺産・東寺(救王護国寺:左寺)〜梅小路公園(平家西八条殿跡)〜若一(にゃくいち)神社〜羅城門跡、矢取り地蔵尊

要所に地図をリンクしましたのでご参考に!(^_-)

清盛が造営した平家一門の西八条殿 ☆地図

平家一門の代表的な居館は六波羅館でしたが、洛中における平家の拠点となったのは、北は八条坊門小路(現、木津屋橋通りと梅小路通りの中間辺り)〜南は八条大路(現、八条通り)、東は大宮大路(現、大宮通り)〜西は坊城小路(現、坊城通り)に至る東西三町、南北二町と伝え、現在の梅小路公園〜南のJR京都線(東海道本線)の敷地(六町歩(720m四方=約518,400u)にも及ぶ広大な一帯に清盛が造営した西八条館でした。主に妻・時子が住み、光明心院という御堂も建立しました。治承3年(1179年)のクーデター(鹿ケ谷の謀議)の際、首謀者の西光法師が清盛の厳しい詰問を受けた所で白拍子の祇王・祇女や仏御前の物語の舞台ともなりました。福原から上洛した清盛は西八条館を拠点に朝廷などに圧力をかけました。西八条殿は、邸内に大小の邸館50余があった。特に清盛は蓬(よもぎ)を愛し、壺の邸内に蓬を植えて蓬壺と称しました。養和元年(1181年)閏2月4日、清盛は熱病を患って亡くなりましたが、七日葬送の夜に蓬壺から火を発し屋敷を焼失しました。間もなく再興されましたが寿永2年(1183年)7月、平家都落ちに際し、六波羅館同様に付近一帯にある平家一門の邸宅共々に焼き払いました。今は往時を偲ぶべき遺蹟、遺物は何一つ見当たらず、JR在来線、新幹線がひきりなしに往来しています。また市民の憩いの場である梅小路公園に2012年3月14日に内陸型水族館として最大規模の京都水族館がオープン。

伏見と言えば・・酒蔵@濠川 竹田街道(R24号線)を北上ing・・・
・・・ 阪神高速8号線 ・・・
世界文化遺産・東寺(救王護国寺:左寺) ☆地図

延暦13年(794年)、桓武天皇が平安京造営に際し国家を鎮護する為、羅城門を挟んで朱雀大路の東西に二官寺として建てられたのが、東寺と西寺でした。造営当初の平安京では、僧の政治干渉を排除する為に東寺、西寺の二官寺しか建造が許されませんでした。東寺は、大路の東(左京)にあったので東寺と言い、一に左寺、左大寺とも言います。始め、造寺司を置き、延暦16年(797年)頃から造営が開始されましたが、弘仁6年(815年)、僧侶を別当とする造寺所が設けられ東寺は弘仁14年(823年)、嵯峨天皇から弘法大師(空海)に下賜され大師は天長2年(825年)、仁王護国の本尊を安置し真言密教の根本道場とし、教王護国寺と号しました。以来、朝野の崇敬篤く、天下に事あるごとに当寺において修法祈祷を行い、延暦寺と並んで顕蜜(げんみつ)二教と言われ、我が国の宗教界に君臨しました。中世の兵乱等で創建時の建物は失われ往時の遺構を留めませんが、今も鎌倉初期〜江戸初期に至る各時代の古建築を有します。後白河法皇の皇女・宣陽門院、後醍醐天皇、豊臣家、徳川幕府の庇護を受け復興し現在の伽藍配置は、南大門(重文:桃山期)、豊臣秀頼が再建した金堂(国宝:桃山期)、貞観仏群がひしめく講堂(重文:桃山期)、食堂(じきど う)、北大門が一直線に並び、南大門の東に徳川家光が再建した五重塔(国宝:江戸期)、西に潅頂院(かんじょういん/重文:江戸期)など、奈良時代の寺院建築様式で再建されたものです。国宝20件、重要文化財45件の寺宝を収蔵する事でも知られます。

R1号線を西進・・・ ・・・ 東寺の日本最大で最高の五重塔(国宝:江戸期)
南大門(重文:桃山期)

九条大路に面して建つ三間一戸の八脚門で屋根は切妻造、本瓦葺で蟇股(かえるまた)などに桃山風の建築様式が見られます。元の南大門は重層の楼門で正面五間と言われ、文覚上人の再建後、文明18年(1486年)の土一揆に焼かれました。今の門は明治28年(1895年)、蓮華王院三十三間堂の西門を移したもので堂々たる威容を見せています。

世界文化遺産・東寺(教王護国寺)の南大門(重文:桃山期)
金堂(国宝:桃山期)

延暦15年(796年)に創建された東寺の本堂です。文明18年(1486年)に焼失し今の金堂は豊臣秀頼が発願し片桐且元を奉行として再建させたもので、慶長11年(1606年)に完成しました。奈良大仏殿の古制を真似て天竺様の挿肘木(さしひじき)を用い細部には唐、和風の各技術も巧みに折衷した桃山時代仏寺建築の優作で堂内には薬師三尊(桃山期)、十二神将を安置します。近年、金堂を解体修理の時に創建当時の礎石が発見され位置及び規模が大体、創建時と同じである事が確認されました。

金堂(国宝:桃山期) ・・・
講堂(重文:桃山期)

天長2年(825年)、弘法大師によって着工され承和2年(835年)頃に完成し、その後の台風や地震で大破し修理を重ねてきましたが、文明18年(1486年)、土一揆による戦火で焼失しました。現在の講堂は慶長3年(1598年)に再建された建物で、内部中央壇上には、大日如来を中心とする五仏を中心とし、その右に五大菩薩坐像五体(国宝:貞観期、但し中尊は除く)、左に五大明王像(国宝:貞観期)、四隅に四天王立像(国宝:貞観期)21体の諸仏を安置します。

講堂(重文:桃山期) 小子坊
解説 ・・・ ・・・
御影堂(大師堂/国宝:吉野期)

康歴元年(1379年)に焼失しましたが、翌年に再建されました。前堂と後堂の二堂に分かれ檜皮葺、入母屋造の屋根二棟が混み入って建っています。外面は蔀戸(しとみど)をはめ、妻唐戸(つまからと)を用い一見、寝殿造を思わせます。ここは、弘法大師の住房跡と伝え堂内には弘法大師坐像(重文:鎌倉期)、大師の念持仏の秘仏・不動明王坐像(国宝:貞観期)、五重小塔(重文:鎌倉期)を安置します。

・・・ 御影堂南面(不動堂:国宝:室町期)
御影堂南面(不動堂:国宝:室町期) 都七福神の一・毘沙門堂 解説
天降石(五宝石) こま札 高野山遥拝所
こま札 三面大黒天 解説
御影堂(大師堂/国宝:南北朝期)
食堂(じきどう)

元は、僧侶達が斎時に集まり食事をした場所で建立年代は不詳てすが昭和6年(1931年)12月21日、焼失し昭和9年(1934年)4月に再建されました。聖宝・理源大師による千手観音立像(重文:藤原期)、四天王像(宝物館に安置)を建立した所以から千手堂とも称されます。

こま札 食堂(じきどう)
合掌・・・朱印をいただきました。 手前から講堂(重文:桃山期)、金堂(国宝:桃山期)
五重塔(国宝:江戸期)

方三間、高さ55mからなる本瓦葺の塔で我が国現存塔婆では最高、最大とされます。正保元年(1644年)、徳川家光が古制に則って再建したもので塔内部は心柱を初層まで通し、八方の板壁には真言八祖、扉には護法八天などを極彩色で描いています

徳川三代将軍・家光が寄進した日本最大で最高の五重塔(国宝:江戸期) 講堂(重文:桃山期)
講堂(重文:桃山期) 金堂(国宝:桃山期)
・・・ 潅頂院(重文・江戸期) 解説
弘法大師 金堂(国宝:桃山期) 南大門(重文:桃山期)
さっ、次行こっか・・ 東寺をあとに・・・雨が降ってきた〜 東寺に来るとなぜか雨?!(>_<)
大宮通りを北進ing・・・大宮跨線橋 JR東海道新幹線
海のない京都市の平家一門の西八条殿跡にできる内陸型最大の京都水族館 ☆地図

京都市下京区の梅小路公園内に建設されていた京都水族館が2012年3月14日にオープン。水族館は2008年7月にオリックス不動産が京都市に設置を提案し、市から公園敷地の一部を借り受け2010年7月に着工。地上3階建てで、延べ床面積は約1万1千u。使用水量約3千tの水族館で内陸型では国内最大級となる。館内は、オオサンショウウオなどを展示する「京の川ゾーン」や「イルカスタジアム」、磯の生物とふれあえる「海洋ゾーン」など9エリアに分け、2時間程度で全ゾーンの見学が可能。軽食や土産物の販売コーナーも整備。開館日と合わせ、営業時間を午前9時〜午後5時で年中無休とし、入館料を大人2千円、高校生1500円、小中学生1千円、3歳以上600円。地元商店との回遊性を高めるため、一度退館後も再入場可能とし、入館料の倍額で購入できる年間パスも販売される・・・海のない京都市にできる水族館はいかに・・・

・・・ 梅小路公園に2012年3月14日オープン予定の内陸型水族館では最大規模という京都水族館
「水と共につながる、いのち。」をコンセプトに、川の恵みから海に いたるつながりと、多くの生命が共生する生態系を再現した水族館
この辺は平安時代後期に平清盛ら平家一門の壮大な西八条殿があった所・・海のない京都市を照らす灯台をイメージした京都タワーが見える
西八条殿の解説 園内を流れる小川
カモさんズ48?(^▽^;) 梅小路公園案内図 旧二条駅舎が移築された梅小路蒸気機関車館
梅小路蒸気機関車館 ・・・ 西大路通りを南下ing・・・
西大路通りを迂回させた若一神社の神木・大楠木
清盛手植えと伝える大楠木 遥拝石
西八条殿鎮守社と伝える若一(にゃくいち)神社 ☆地図

熊野権現の第一王子を祀る小社。社前の老楠木は平清盛の手植えと伝え古来、神木として偉敬され昭和9年(1934年)の西大路通りの開通にあたって伐りはらわれる事もなく道路を迂回させました。当社は勝明寺の鎮守社と云われ明治の神仏分離によって独立。今は、御所ノ内町一帯の産土神とされる。因みに当社は、清盛西八条殿邸内の鎮守社で清盛の勧請と伝えます。

西八条殿の鎮守社と伝える若一神社 相国平清盛像
社殿 朱印をいただきます・・
清盛ゆかりの御神水 清盛に翻弄された祇王の歌碑 さっ、次行こっか?!(^_^;)
羅城門跡 ☆地図

平安京を貫く朱雀(すざく)大路の正門として、延暦13年(794年)、平安遷都時に建造された丹塗りの楼門があったとされる場所です。弘仁7年(817年)の暴風雨で倒壊し、その後平安京の衰退と共に荒廃し現在は児童公園の中に石碑が立つだけです。

JR西大路駅 羅城門跡碑 解説
矢取地蔵尊

寺伝によると1180年前の天長元年(824年)、東寺の空海と西寺の守敏(じゅびん)が神泉苑で雨乞いの祈祷(法力)を競い、空海が勝ち三日三晩雨が降りましたが、破れた守敏は空海の名声を妬んで、空海の帰りを待ち伏せて矢を射かけた時に身代わりに背中に矢を受け空海を救ったのがこの地蔵尊だと伝わります。背中にその時の矢傷があると言われています。

矢取地蔵尊堂 矢取地蔵尊 石仏
油小路通り 阪神高速入り口 雨が強くなってきた〜( ̄□||||!!
油小路通り 鴨川通過@京都南大橋 鴨川の向うに地下鉄車両基地と桃山城が見える!
西山方面が明るくなりようやく雨も小止みになりました・・・ ・・・
朝ドラ・カーネーションによく出ている酒蔵 また雨が激しく降ってきた〜・・(>_<)

風呂屋はないけど・・風呂屋町?! (^_^;)

Tourist.2012.01.23(M)

 

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