洛西花めぐり

 

乙訓の 都は狭き 夏野かな 木母庵

 

城南宮〜乙訓寺〜長岡天満宮、八条ケ池〜羽束師神社

 

乙訓(おとくに)

向日市、長岡京市、大山崎町の二市一町からなり桂川右岸に位置し京都、大阪を結ぶ交通の要所で古来、歴史の舞台となり古事記、日本書紀には「オトクニ(弟国)」という地名の由来が記されています。中でも天応4年(784年)、桓武天皇が「長岡京」に遷都し約10年間、都が置かれ戦国時代には羽柴秀吉と明智光秀が覇権を争った「天下分け目の天王山」は、あまりにも有名です。竹林が多く「かぐや姫」伝説発祥の地とも伝わり四季折々の豊かな自然と由緒ある社寺、長岡京遺蹟、古墳、城跡などの歴史的遺産に恵まれた町です。

高瀬川と酒蔵 城南宮
ツツジが綺麗 (*^-^*) 伏見名水・菊水若水 境内
鳥羽水環境保全センター(鳥羽下水処理場)

西高瀬川と桂川に挟まれた塔の森にあります。京都市における下水処理場は昭和9年(1934年)4月、吉祥院下水処理場(処理能力7,800立法m/日)が最初で昭和14年(1939年)4月、鳥羽下水処理場(処理能力78,000立方m/日)が165,840u(50,166坪)の規模で新設され活性汚泥法による処理で下水は先ず沈砂池で土砂、ゴミなどを取り除きポンプにより沈殿池に送り込みクラリファイアー(池の中に出ている橋状)で池中の泥を攪拌し、曝気糟(ばっきそう)で殺菌浄化し更に最終沈殿池を経て西高瀬川に放流されています。現在、5か年計画(平成13年〜平成17年度まで)で計画総事業費1,150億円、整備面積190ha(累計15,211ha)、処理能力累計138.4万立方m/日(うち高度処理能力累計26.2万立方m/日)という処理施設拡張に着手しています。平成16年(2004年)4月1日〜施設の名称を「鳥羽水環境保全センター」に変更され甲子園球場13個分もの広大な敷地面積を有し、全国4番目の処理能力を誇る下水処理場です。

鳥羽水環境保全センター 先日まで一般公開されていたフジ棚
一般公開が終了したけどまだ綺麗に咲いてるフジ・・フェンスによじ登り撮影していると・・・パ※カーに様子を見られてました。。。(≧▼≦;)
道元禅師生誕の地・誕生寺

誕生寺境内は久我家の旧跡と伝えられ、大正6年(1917年)、47世日置黙仙(ひおきもくせん)禅師によって曹洞宗の祖・道元禅師誕生地といわれる久我(くが)に建立した寺です。昭和63年11月に本堂や庫裡などが、完成し伽藍の整備もされました。

フジの写真、苦労して撮りました(^▽^;)へへ 桂川 誕生寺
境内へ・・・ 道元禅師幼少像
ブッタカヤの仏足跡(水琴窟) 宝篋印塔(ほうきょういんとう:久我雅美墓所) 道元禅師産湯の井戸
豊川咤枳尼眞天堂(だきにしんてん/豊川稲荷) 慈母観音像 (@^▽^@) 本堂
一文橋(いちもんばし)

説明碑によれば、京と摂津(西宮)をむすぶ西国街道に架かるこの橋は、室町時代頃に造られた有料の橋でした。大雨の度に小畑川が氾濫し橋が流され、架け替え費用の負担金としてを通行人から銭一文を取り始めたのが、橋名の由来と伝えます。

JR向日町操車場 一文橋 薬医門(乙訓寺)
乙訓寺(おとくにじ)

大慈山と号する真言宗豊山派寺で推古天皇の勅願により聖徳太子の開創と伝わる乙訓地方最古の寺で境内には2000余株のボタンが植えられ4月下旬には華麗な大輪を咲かせ世にボタン寺とも称されています。境内から奈良時代の遺瓦を出土する為、延暦遷都以前に寺院があった事が想像されます。「水鏡」によれば延暦4年(785年)、皇太子・早良(さわら)親王は淡路島に配流される前に当寺にしばらく幽閉されたとされます。弘仁2年(811年)、弘法大師が当寺の別当に任ぜられ鎮護国家の道場となり、宇多法皇が脱履の始め当寺を行宮とされたので一に法皇寺とも号しました。弘法大師がこの寺に在住している時、伝教大師・最澄がこの寺を訪れて真言について教えを乞うたとも伝えられています。中世には禅宗南禅寺派となり応仁元年(1467年)〜文明9年(1477年)、応仁の乱の兵火により焼失衰微しましたが元禄6年(1693年)、徳川綱吉の生母・桂昌院の援助により再び真言宗として再興しました。本堂に安置される本尊合体大師像は弘法大師と八幡菩薩の合作と伝わり毘沙門堂には毘沙門天立像(重文:藤原期)を安置し明応2年(1493年)の修理銘を墨記した狛犬(室町期)が一対あります。中世を延暦13年(794年)、平安京遷都〜慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い迄の時代範囲としています。

もう見頃が過ぎてました(≧▼≦;) 咲いているボタンは綺麗(*^-^*)
黄色のボタンは遅咲きだとか・・珍しく思われるのは見頃時には開花せず人目につかないから珍しいと思われるとか・・・
白いボタンも遅咲きの為、珍しいと思われるとか・・・綺麗やなぁ〜(*^▽^*)
乙訓八景の一「ぼたんの乙訓寺」・・・毎年4月下旬〜5月上旬、境内に2000余株のボタンの大輪が色とりどりに美しく咲き乱れます・・・
奈良・長谷寺から取り寄せた2株のボタンが始まりと伝える2000余株のボタン
(*^▽^*) ツツジも綺麗やんか〜(*^▽^*)
帝に献上された弘法大師所縁のミカンの木 悲運の早良親王(さわらしんのう)供養塔 本堂
八条ケ池(長岡天満宮)と霧島ツツジ

八条ケ池は、寛永15年(1638年)、当時の領主・八条宮智仁親王(桂宮)が灌漑用の溜め池を改造成した大池で八条ヶ池を二分する中堤は参道になっています。中堤道両脇に推定樹齢百数十年の霧島ツツジ(市指定天然記念物)が群生し、八条ヶ池の中堤道の真中道に架かる石の太鼓橋は加賀藩・前田公の寄進と伝えます。

八条ヶ池(長岡天満宮)
長岡天満宮

一に長岡天神ともいい、菅原道真を祭神とします。社伝によれぱ昌泰4年(901年)、道真が筑紫左遷時に随従の中小路祐房に与えた自画像を安置して祀った事が当社の縁起と伝えます。洛南、特に桂川流域には道真の遺蹟、伝説が多くいずれも道真の遺徳を追慕して後に作られたもので当社もその一つです。中世その沿革を明らかにしないが江戸時代に当地が八条宮(桂宮)智仁親王の領地であった関係から同宮の崇敬を受け延宝4年(1676年)、社殿を改築し霊元天皇の勅額を賜りました。現在の本殿は、昭和16年(1941年)、平安神宮の社殿を移築したものです。

石造りの大鳥居 例年より早く見頃を迎えたようでした(≧▼≦;)アチャ〜
乙訓八景『八条ヶ池とキリシマツツジの長岡天満宮』・・・毎年、4月下旬〜5月上旬に見事な濃紅色の霧島ツツジが咲き誇ります・・・(^0^)ノ 
加賀藩・前田候の寄進と伝える石の太鼓橋
霧島ツツシ(*^-^*) 菅公の歌碑
境内 道真ゆかりのなで牛さんo(*^▽^*)o
本殿 八条ヶ池ふれあい回遊のみち(水上橋) ツツジ(*^-^*)
カキツパタ(八条ヶ池カキツバタ園)が見頃o(*^▽^*)o
ツツジも見頃を迎えています・・・えぇなぁ〜(*^▽^*)
ホワイトも綺麗(*^-^*) 阪急・長岡天神駅
神足(こうたり)神社

旧神足村の産土神で「文徳実録」に斎衡元年(854年)10月に官社に列せられ延喜の制には国家の祭祀に預かっています。乙訓中有数の古社ですが縁起は明らかではありません。鎮座地は小畑川に臨んで一際高台にあり背後は元、谷となっていた為、俗にコウダニ、コウダンと呼んでいました。コウダニは神谷でこれが訛ってコウタリになったと伝わります。境内の凝灰岩の切石や社務所などの沓脱石は付近の恵解山古墳から発掘した石室の天井石と言われています。

一里塚 神足神社
勝龍寺(しょうりゅうじ)城跡公園

戦国時代、明智光秀の三女・玉(細川ガラシャ)が、細川忠興(ただおき)に嫁いだ城としても知られる勝竜寺城は暦応2年(1339年)、細川頼春によって築城され応仁の乱時に畠山義就が攻略し拠城としたが永禄11年(1568年)、織田信長の近畿平定により細川藤孝の攻撃により落城したが藤孝はこの時の武功により長岡の荘地を賜り城を修築しました。天正10年(1582年)6月13日、山崎の合戦に明智光秀が当城を本陣として秀吉勢を迎え撃った為、城は兵火により荒廃してからは再建されませんでした。平成4年(1992年)、勝竜寺城跡公園として整備され毎年11月に「長岡京ガラシャ祭」が開催されています。

勝龍寺城跡公園
名馬?迷馬??(^▽^;)キララくん下馬 ・・・ 細川忠興(ただおき)と玉(ガラシャ)夫婦像
名水・ガラシャおもかげの水 ・・・ 多聞櫓への階段と東辺土塁
石仏祠(鎌倉〜桃山期?) 城壁と堀 沼田丸への階段
土塁と堀
資料館 沼田丸跡 勝龍寺
勝龍寺

寺伝によると大同5年(806年)、弘法大師空海が、唐長安の青竜寺の名をとって創建し、恵解山青竜寺(いげのやましょうりゅうじ)と号し観音堂始め九十九坊が建てられた伝わります。大干ばつの時に千観和上の雨乞いの祈祷により雨が降り、応和2年(962)千観和上によって竜神に勝ったという意味から勝竜寺と改めたと伝える。往時は多くの子院を擁する大寺であったが中世の兵火に被災し今日に至る。

仏石群 本堂 村社・春日神社
一文橋(いちもんばし)

京と摂津(西宮)をむすぶ西国街道に架かるこの橋は室町時代頃に造られた有料の橋でした。大雨の度に小畑川が氾濫し橋が流され、架け替え費用の負担金としてを通行人から銭一文を取り始めたのが橋名の由来と伝えます。

社殿 勝龍寺城大門橋跡 平成10年2月竣工した大門
羽束師(はづかし)神社

旧羽束師村の産土神で志水、古川、樋爪、菱川地域を氏子とします。創建は、すこぶる古く大宝元年〔701年〕以前からの鎮座と云われています。羽束師は、羽束首(はづかしのおびと)の居住地で一族は、土器を作り石灰を焼いたりする泥部(はつかしべ)の伴造家であった。羽束氏の祖神を祀った神社と言われています。羽束師は元、乙訓郡に属し古くは羽束師郷とも言いました。境内の森が鬱蒼としているだけで歴史の大きさを感じます。

霊峰・比叡山遠望@宮前橋 (*^-^*) 羽束師神社
道標石碑(羽束師神社) 祭礼間近で神輿が準備されています・・(*^-^*)
割り拝殿 本殿
北向見返り天満宮

延喜元年(901年)、菅原道真公の太宰府左遷の際、草津の湊から出発する前に羽束師神社に参拝し北(京)を向いて見返りの場所(別れを惜しんだ)に建立されたのが、北向見返天満宮です。

菅原道真ゆかりの北向見返り天満宮

草津の湊(桂川と鴨川(右)合流地点辺り)

Tourist  2009.05.04(M)

 

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