伏見、宇治、山科花めぐり

 

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに 小野小町

 

長建寺〜宝蔵院西方寺許波多神社(木幡:こわた)旧陸軍宇治火薬製造所(火薬庫)引込線隋心院〜旧東海道本線〜乃木神社

 

小野小町ゆかりの隋心院

真言宗善通寺派大本山で小野門跡(小野御殿)と言われるが小野小町ゆかりの寺として知られます。隋心院は、平安時代中頃に仁海僧正の開基にして、一条天皇の正歴2年(西暦991年)に奏請し、この地を賜り一寺を建立しました。古くは皮山曼荼羅(ぎゅうひざんまんだら)寺と称されました。晩年の小野小町が移り住んだといわれ、敷地内のいたる所に小町の縁所があります。又、深草少将の百夜通いの折り、小町は榧の実を糸に綴って数をとりました。後、その実を当地に蒔き、かっては99本あったと伝えられています

坂本龍馬が伏見奉行所の幕吏に襲われた時に避難したと伝える材木小屋跡と伝える石碑 伏見百景の一・酒蔵
坂本龍馬ゆかりの寺田屋 宇治川派流に流れが戻ってきました。(*^-^*) 真っ白で綺麗なユキヤナギの花真っ盛り!!!
長建寺

真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年(1698年)、時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊弁才天は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は、"伏見の弁天祭"と言われています。境内には伏見七名水の閼伽(あか)水が湧き出ています。

間もなく就航を始める十石舟 島の弁天さんと呼ばれる長建寺 境内
伏見名水の一・閼伽水 建部政宇奉納した弁天型灯籠 パラのような椿の花
糸桜(枝垂れ桜)が満開になっていました!☆⌒(*^∇゜)v
桜、さくら、SAKURA・・・ えぇなぁ〜 (@^▽^@) Beautiful!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
Wonderful! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
おけいはん(京阪電車) 近鉄京都線・澱川鉄橋(有形文化財:昭和期) 平戸樋門と観月橋
舗装された宇治川右岸 三十石船 ギョギョッ!一隻沈没!!!\(◎o◎)/!
レトロチックな木造三階建ての温泉旅館 山科川、宇治川合流地 山科川右岸
木幡池 隠元禅師上陸の地・隠元橋 「黄檗開山隠元禅師渡岸之地」記念碑(功徳碑)
宝蔵院
萬福寺の塔頭で、鉄眼道光が長い歳月をかけて完成した鉄眼一切経版木(重要文化財:江戸期)約6万枚を収蔵し現在も経典を印刷しています。
黄檗新生市場・・市場のアーケード施設、店舗数にかなり活気があった事が伺える。・・ 萬福寺塔頭・宝蔵院
墓参りへ 宝蔵院の甍と霊苑からの宇治俯瞰
宝蔵院開山塔 JR奈良線 西方寺(弥陀次郎:みだじろう)
西方寺(弥陀次郎:みだじろう)

無量山と号する浄土宗知恩院派の寺で俗に「弥陀次郎」と呼ばれます。「山州名跡跡志/巻15」によれば、むかし淀の漁夫に悪次郎と称され大変に嫌われた男がいましたが、ある時に淀川々中より一体の阿弥陀像を感得した事から仏心をおこし出家し世の人々から「弥陀次郎」と賞賛されたと伝わります。当寺は寛永年間の再興で「弥陀次郎」伝説は江戸時代に大いに流布し付近を流れる川を弥陀次郎川と言います。関白・近衛兼基(かねつね)の墓所が二子塚古墳の前方部(西方寺庭園背後)にあり墓石は笠塔婆形の石塔を墓石にしています。

参道途中にある京阪電車・宇治線踏切 えぇなぁ〜(*^-^*)  お待ちのキララくん(*゜▽゜)/
弘法大師堂 境内 えぇなぁ〜(*^-^*)
二子(ふたご)塚古墳

長さ約150m、南北を主軸とする巨大な前方後円墳で隆然たる封土を遠望すればあたかも二子のように並び立っているので二子塚と呼ばれ一に「ダンノヤマ」とも言われます。この古墳は宇治川東側の沖積台地に作られた横穴式古墳で大正初期頃、土砂の採掘によって北の後円部は破壊されたが南前方部は完存し西〜南にかけて堀があり「ダンノ池」と呼ばれます。石室はすでに破壊され原型を留めませんがその周囲に用いたとされる巨大石は発掘され西方寺庭園に遺存されています。

二子塚古墳(西方寺庭園背後) 関白・近衛兼基(かねつね)の墓所 不焼山 能化院(2度の火災を逃れた焼けず地蔵)
許波多(こわた)神社(木幡:こわた)

初め木幡(柳山)山中に創祀されたとされ旧地の柳山に因んで一に柳大明神とも言いますが創祀年月は不詳ですが平安末期の応保年間(1161〜62年)と伝えます。延喜式神名帳に掲げる「宇治郡許波多神社三座」とある内の一座は当社とされ二座は五ヶ庄の許波多神社に祀るとされます。天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、を祭神とする木幡の産土神で五ヶ庄の許波多神社とともに旧郷社として崇敬されています。二つ並んだ本殿向かって左側を田中神社で天照大神、天津日子根命(あまつひこねのみこと)を祭神とし元、河原村の産土神でしたが明治41年(1908年)に移し一説に式内許波多神社三座の二座は当社とされるも明らかでありません。

許波多神社 宇治陵三十六号(狐塚)
境内 社殿・・・参拝しました。
旧陸軍宇治火薬製造所(火薬庫)引込線

『淀川水系「火薬ベルト地帯」弾薬庫群』という旧陸軍の機密文書などで詳細判明した「宇治火薬庫、宇治火薬製造所」が、この引込線の終点と一致する事から、この廃線跡は同施設の引き込み線だと思われます。旧陸軍宇治火薬製造所(火薬庫)遺構だったと思われる辺りに「陸軍省所轄地」と記された石碑が残っており、現在は、「陸上自衛隊宇治駐屯地関西補給処」になっており、施設内には火気厳禁と表示された旧陸軍宇治火薬製造所(火薬庫)遺構と思われる古建物が現存している。

旧陸軍宇治火薬製造所(火薬庫)引込み線跡

1.2mの超低いガード・・上空じゃなく前方注意では?!(@_@)

引込み線跡の築堤

引込み線跡の築堤

ここから舗装された道路になっている・・・
木幡池 ・・・ 振り返っています。
廃線跡は、ここで行き止まりヽ( ̄ー ̄*)ノ JR奈良線の築堤 伏見城御舟入跡の常夜灯
こま札 ・・・ 大善寺(伏見六地蔵)
鐘楼 天井には菊華御紋が描かれている。 解説
庫裡 本堂 やってきて〜〜\(●⌒∇⌒●)/
地蔵堂 京都六地蔵の一・地蔵菩薩立像 山科川右岸の遊歩道を北上ing
山科川と醍醐山系 醍醐三水の一・弘法大師独鈷水(どっこすい) 小町ゆかりの化粧橋
小野小町ゆかりの隋心院

真言宗善通寺派大本山で小野門跡(小野御殿)と言われるが小野小町ゆかりの寺として知られます。隋心院は、平安時代中頃に仁海僧正の開基にして、一条天皇の正歴2年(西暦991年)に奏請し、この地を賜り一寺を建立しました。古くは皮山曼荼羅(ぎゅうひざんまんだら)寺と称されました。晩年の小野小町が移り住んだといわれ、敷地内のいたる所に小町の縁所があります。又、深草少将の百夜通いの折り、小町は榧の実を糸に綴って数をとりました。後、その実を当地に蒔き、かっては99本あったと伝えられています。

小野小町ゆかりの隋心院 名勝・小野梅園
遅咲きで知られますが、散り初めの梅園・・・前日、はねず踊りが行われたとか
Beautiful!! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
Wonderful (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
薄紅色(はねず色)の梅の花 えぇなぁ〜 (@^▽^@)
えぇなぁ〜 (@^▽^@)
名勝・小野梅園 庫裡 青空と屋根の煙だしのコントラストが綺麗(^-^)v
長屋門 小野小町歌碑 こま札
小町住居跡の小町井 時代劇の撮影によく使われる山門(大玄関)
お待ちのキララくん(*゜▽゜)/ 小町庭苑 清瀧宮
観世音菩薩石像 文塚 旧東海道本線・山科駅跡
旧東海道本線

明治新政府は、維新後の不安定な社会情勢の下で富国強兵、殖産増強の国是を推進するために鉄道建設が急務と判断した。明治2年(1869年)11月、東京〜京都間の幹線。東京〜横浜間、琵琶湖〜敦賀間、京都〜神戸に至る鉄道建設を決定した。明治5年(1872年)9月12日(太陽暦:10月14日)、新橋〜横浜間開業を皮切りに明治7年(1874年)5月11日に大阪〜神戸間、明治10年(1877年)2月5日には大阪〜京都間の開業と順調に路線拡大していった。しかし、折から勃発した西南戦争の影響などで財政難に陥り、鉄道建設の一時中止を余儀なくされた。明治13年(1880年)7月14日、明治天皇臨御の元、開通式を挙行、翌15日に京都〜馬場(現・膳所駅)〜大津(現・京阪浜大津駅)全線が開通しました。そして最急行が走破するなど華やかな時代を迎えました。明治22年(1889年)、東海道本線・彦根駅、近江八幡駅を経由するルートが完成し、新橋〜神戸間が全線開通しました。大正10年(1923年)、現在の東海道本線のルートである京都〜膳所間が開通するまでは京都駅〜稲荷駅〜山科駅〜大谷駅〜馬場(膳所)駅が東海道本線のルートでした。この線区は非常に難工事(山間部を通過する初の鉄道でトンネルの掘削や丘陵部の切削、築堤など)を伴い、当時としては大掛かりな土木工事でしたが、それまで外国人に依存していた建設工事を全て日本人の手によって完成させました。急曲線、急勾配の連続に禍いされ大正4年(1917年)から路線変更工事が開始され現・東海道本線ルートが完成したと同時に廃線の運命を辿りました。

山科駅跡碑 当時(大正5年/1916年)の山科駅 名神高速と旧東海道線の大まかな路線図
旧東海道本線山科(勧修寺手前〜大谷)

当時の線路跡は道路に転用され、蒸気機関車が蛇行しながらあえぎあえぎ上っていった苦闘の跡を線形として、そのまま今に残す峠道(大岩街道/府道35号線)である。峠急勾配を下り旧山科駅に向かっていたが線路跡は昭和37年(1962年)に開通した名神高速道に路盤を譲っている。山科川を渡り名神山科バス停付近が旧山科駅で「旧山科駅跡」の石碑が立っている。旧山科駅は、京都方、大津方共に上り25/1000‰(パーミル)の急勾配を控える谷底のような所にあった。大津に向かってしばらく一直線に上がっていった旧線路跡は名神高速道に吸収される。奈良街道を超え大宅の一里塚〜追分にかけて再び緩やかなS字カーブが続き名神高速道から離れた西側の車道になっている。東海道新幹線をクロスオーバーする辺りに大正2年(1913年)に大塚信号所が設置された。かっての東海道と奈良街道の分岐地が追分。その追分の東で旧東海道の南側に名神高速道に挟まれた旧線路跡の緩くカーブした深い切り通し跡が約200m続いている。大津方で旧東海道を越えた橋梁辺りから再び、名神高速道に吸収され大谷駅まで狭い谷あいを京阪京津線、国道1号線と並走して上っていく。この大谷駅はこの区間の最高地点(181.6m)で逢坂山トンネル西側に位置していた。その西口杭門は名神高速道蝉丸トンネルの下18mに位置した・・・と石碑に記される。

名神起工の地碑 解説
旧東海道本線は当時、大規模な築堤上を走っていたので、築堤の大部分が名神高速道路に再利用された・・・
大宅一里塚@奈良(大津)街道を過ぎた辺りから旧東海道本線は名神高速道路北、西側の小山大宅線(新奈良街道)を緩やかなS字を描きながら走っていました。
かつて、このルートを蒸気機関車が走っていた鉄道の緩やかなS字カーブを描く道路・・・
旧東海道本線は、このルートを蒸気機関車が爆進していた・・・機関車でなく自転車で疾走ing・・o(*^▽^*)o
眼病が治ることを願う人々に信仰されてきた妙見寺 清楚に手入れされた境内

平安遷都時に都四方を守護する四つの妙見寺の一として建立された由緒ある寺で、妙見は古く奈良時代から方角の神として信仰を集めた。

大塚信号所

東海道新幹線〜妙見寺道辺りは山を切り開いた凹面(複線)の切り通しでしたが、大正2年(1913年)に大塚信号所が設けられた。蒸気機関車の登坂能力のほぼ限界とされる25/1000‰(パーミル)という急勾配の上、明治44年(1911年)複線化している区間に信号所を設けるのは稀で、信号所は上下線間の渡り線、上り勾配側(上り線)後方に引き上げ線という構造ですが、大塚辺りは山裾野が迫る地形から引き上げ線は谷側に引き出されたので妙見寺前の石鳥居奥に信号所引き上げ線遺構と伝える僅かなレンガ積みを見る事ができる。通常の運行で大塚信号所に停車する列車はなく、引き上げ線はあくまで予備的施設で複線化によって輸送能力を増す為に列車本数増加に伴って閉塞区間を短縮し線路容量増大の為に信号所が設けられたが、旧山科駅〜大谷にかけての約5.5kmも連続する25/1000‰(パーミル)の急勾配区間の途中で給水・石炭施設を必要とした?機関車の方向転換?後補機関車の準備?など諸説もある。大正10年(1921年)、京都〜大津間の路線変更に伴って廃線となり消滅した。

大正2年に輸送能力を増す為に設けられた大塚信号所の遺構と伝えるレンガ積み 東海道新幹線
東海道新幹線〜妙見寺道辺りは山を切り開いた凹面に大塚信号所が設けられていた。 新幹線跨線橋の上から振り返っています・・・
新幹線を見下ろせます。(*^-^*)・・・爆走する上りのN700系 東京へ向けて爆走するN300系
N300系 京都駅に向かって爆走していくN700系
旧東海道本線は、この先の名神東ITを超えた追分辺りで名神高速道ルートに吸収されている。 パセオダイゴロー(醍醐)@外環状線
六地蔵@外環状線 桃山御陵の峠超えで走りぬけ。。。(; ̄ー ̄A
乃木神社(勝運・勉学の神)

陸軍大将だった乃木希典(まれすけ)と妻・静子を祀る神社です。日清戦争では歩兵第一旅団長として参加。日露戦争では第3軍司令官として旅順攻撃をし多くの犠牲者を出し作戦に対する非難が生じたが明治天皇の信任厚く明治40年に学習院院長に任命され明治天皇の大喪には静子婦人とともに殉死。境内に、ロシアのステッセル将軍から贈られたという愛馬「璞号(あらたまごう)」と「寿号」の銅像があり、希典の生家や旅順の第3軍司令部舎も復原されています

峠のピーク(*´ο`*)=3ホッ 乃木神社
境内 乃木希典(まれすけ)胸像と中国の柳樹房から移築された日露戦争での日本軍第三軍司令部
祖霊神 大小のダルマさん しっかりとお礼参りさせて頂きました。(^-^)v
ギョギョッ\(◎o◎)/!伏見名水・勝水をペットボトルに汲んでいる私のすぐ傍に野鳥さんが、突然飛来してきて様子見しています・・
おっと、勝水で豪快に水浴びですかっ!!鳥さんがバシャバシャと水浴びすると・・水しぶきが飛んできて、私も水浴びやんか〜?!(≧▽≦)プッ

Tourist 2011.4.28(M)

 

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