都富士「比叡越え:延暦寺・ガーデンミュージアム比叡散策」

 

近江坂本〜都富士〜洛北八瀬探訪

 

坂本〜東塔:とうどう(根本中堂:こんぽんちゅうどう:国宝)〜戒壇院(かいだんいん:重文)、阿弥陀堂〜ガーデンミュージアム比叡

 

東塔・根本中堂

将門岩:まさかどいわ

平将門(たいらのまさかど)は、正しくは平小次郎将門(たいらのこじろうまさかど)と称し、桓武天皇5代の裔(孫)と言われます。鎮守府将軍・平良持(たいらのよしもち:良将(よしまさ)説あり)の子とされ「天慶(てんぎょう)の乱:将門の乱」で日本史上有名ですが、 京都では比叡山四明岳(しめいがだけ)山頂付近にあるこの岩上より藤原純友(すみとも)と共に都を見おろし天下制覇の野望を謀議し天慶2年(939年)、平将門は王朝転覆を謀り反乱を起こし西国でも藤原純友の反乱が勃発し、都人を震撼させたと伝えます。

 

比叡山・延暦寺

標高848mの比叡山は、優美な山姿から古歌に「都富士」と詠われ長く歴史の舞台としても知られています。比叡山は平安初期の延歴7年(788年)、天台宗開祖の伝教大師最澄によって開かれ全山殆どが延暦寺の寺聖域となています。平安〜鎌倉期に各宗派を広めた法然、栄西、親鸞、道元、一遍、日蓮らの僧も当地で修行し日本仏教の発祥地と言われる由縁です。

坂本

延暦寺の門前町である坂本は延歴7年(788年)、最澄が比叡山に開基した延暦寺により隆盛し、平安期になると下坂本は湖上交通の港として、各地の山門領からの年貢米などが荷揚げされ、都への物資の中継地として繁栄しました。山麓の上坂本は山頂の延暦寺への物資補給、天台宗一門の寺務管理を担いました。延暦寺、日吉大社の門前町としても栄え、上下坂本を合わせて数万を有する大都市でしたが元亀2年(1571年)9月、織田信長の比叡山焼き討ちにより、坂本の町は壊滅的な被害を受けました。比叡山焼き打ちの三か月後の元亀2年(1571年)12月、明智光秀が坂本城を築城しましたが天正10年(1582年)6月、本能寺の変の13日後に灰燼します。天正11年(1583年)3月、丹羽長秀が坂本城を再建しました。上坂本では豊臣秀吉による日吉大社と延暦寺への外護により門前町として復興しました。更に延暦寺の老僧などが坂本に住居を構えるようにもなり里坊町が形成されました。里坊とは、比叡山で修行を続けた高齢僧が山麓の里に賜った隠居所の事で塔頭(たっちゅう)と同意だと思います。

Pちゃんズ出立!

近鉄・桃山御陵前駅から急行で京都駅へ

新快速で比叡山坂本駅へ

生源寺:しょうげんじ

比叡山延暦寺の開祖・伝教大師最澄の生誕地と伝わる寺です。山門を入った右手の古井戸は最澄の産湯に使われたという伝説があり、毎年8月18日には盛大な誕生会が行われます。西塔の総里坊で、一山の寺務総括をしていた重要な里坊であった事もあり、叡山文庫に多くの「生源寺記録」が残されています。現在の本堂は文禄4年(1595年)、詮瞬(せんしゅん)によって再建された後、宝永7年(1710年)に改築されました。本尊は十一面観世音菩薩像で、最澄の弟子・慈覚大師円仁の作とえます。

日吉大社一の鳥居

日吉御田神社神幸祭(神輿)

生源寺

日吉大社参道

日吉大社の石鳥居をくぐると、石灯篭の並ぶ参道両側に坂本の南にある穴太(あのう)に居住した石工達による天然石を巧みに積み上げた穴太衆積み(あのうしゅうづみ)の石垣が続き参道に並ぶそば屋の手打ちそばと共に門前町・坂本の名物になっています。

日吉大社参道

坂本ケーブル

昭和2年(1927年)に開業した坂本ケーブルの洋風建築のケーブル坂本駅、延暦寺駅は、平成9年(1997年)12月、駅舎としては国内では3番目(山口県・JRの萩駅、島根県・一畑電鉄の出雲大社前駅)の国登録有形文化財に選定されています。平成13年(2001年)、ケーブル延暦寺駅は近畿駅百選にも選ばれました。ケーブルの全長は2,025mあり、日本一長いケーブルです。坂本駅〜延暦寺駅を約11分間で運行しています。因みに昭和19年(1944年)2月、廃線になった愛宕山ケーブルも当時としては日本一の長さ(約2,000m強)と技術水準を誇ったと伝えます。

日吉大社〜ケーブル坂本駅への道中

ケーブル坂本駅

車窓からの琵琶湖

延暦寺

天台宗総本山の比叡山延暦寺は延暦7年(788年)、伝教大師最澄によって開基されました。延暦寺という単一の堂宇は無く、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の三塔からなり夫々の中堂(本堂)と付随する堂宇があり比叡山全体が延暦寺です。日本仏教の中心としてされ、文化遺産が豊富な寺院としても有名で63点の国宝、重要文化財を含む数百点もの寺宝を所蔵し世界文化遺産にも登録されています。

ケーブル延暦寺駅

展望台

無動寺谷(むどうじだに)

慈覚大師円仁の弟子・相応和尚が不動明王を信仰し無動寺谷に草庵をむすび修行をし貞観7年(865年)、明王堂を建立しました。東塔の中心より南側にあり南山とも称され東塔の別格です。無動寺谷は回峰行の本拠で弁天堂、明王堂、護摩堂、大乗院などが点在しています。本堂の明王堂は、比叡山を代表する荒業で知られる千日回峰行の根本道場です。本尊は不動明王像と、二童子像の三尊像で不動明王像は重要文化財に指定されています。弁天堂は白蛇出現の霊地とされ毎年9月の巳の日に「巳成金:みなるかね」の大祭が行われます。

展望台からの琵琶湖(左・琵琶湖大橋・竹生島方面 右・浜大津方面)

無動寺谷への参道口

無動寺谷への参道

無動寺谷は回峰行の本拠で弁天堂、明王堂、護摩堂、大乗院などを目指したのですが結構きつい坂道を上がってこられた老夫婦に出会い、ケーブル延暦寺駅⇒無動寺谷⇒ケーブル延暦寺駅⇒根本中堂⇒ガーデンミュージアム比叡を歩いて拝観するなら時間的にちょっと無理やと忠告されました。仕方なくケーブル延暦寺駅に引き返し根本中堂へ向かいました。次回に必ず訪ねたいと思います。

延暦寺(根本中堂)参道

東塔:とうどう(根本中堂:こんぽんちゅうどう:国宝)

根本中堂は東塔の中堂(本堂)であるだけでなく延暦寺第一の総中堂(本堂)でもあります。延暦7年(788年)、伝教大師最澄は一乗止観院(現・根本中堂)を創建し自らが刻んだ薬師如来像を安置して比叡山寺と号しました。これが延暦寺の始まりです。現在の建築は徳川家光の命により復興されたもので寛永19年(1642年)、落慶法要が営まれその後大小の修繕が加えられ現在に至っています。桁行は11間(20m)、奥行6間(11m)で中堂の前庭をコの字型に約90mの回廊が取り囲んだ入母屋作りの壮麗な建築物です。中央の大厨子には秘仏の薬師如来像祀られ、その前には開創以来1200年間灯され続けている「不滅の法灯」があります。

慈眼大師天海大僧正住坊跡石碑

延暦寺(根本中堂参道)

万拝堂(まんぱいどう)

比叡山の回峰行者が当地で全国の神仏を遥拝するところから名付けられたお堂で千手千眼観世音菩薩を本尊とし伝教大師像、天台大師像、毎月の一日〜三十日を守護する三十番神像が奉安されています。

万拝堂

大黒堂(だいこくどう)

伝教大師自作の三面大黒天を祀り出世大黒天とも称され招福などを祈願するお堂です。

大黒堂

根本中堂石碑

根本中堂

根本中堂

文殊楼(もんじゅろう)

慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建しましたが寛文8年(1668年)に焼け、その後建てられたのが現建築です。楼上に文殊菩薩が祀られ受験生の合格祈願にご利益があります。根本中堂前の石段を上がった所にあり比叡山の総門の役目を果しています。数えませんでしたが石段は「悟りには、52段階がある」という意義から52段あるとの事です。この高さは根本中堂の屋根と同じ高さだと言われています。

天台宗開宗千二百年慶讃大法要会祈攸大碑

根本中堂

文殊楼

ちょっと失礼?!ランチタイム・・・

晴海鎮大使張保犀皐碑

南無天台大師像

大講堂(だいこうどう:重要文化財)

五年に一度の法華大会(広学堅義:こうがくりゅうぎ)を始め経典の講義などに使用されるお堂で昭和31年(1956年)の焼失後坂本にあった讃仏堂を移築し本尊に胎蔵界大日如来を祀り聖徳太子、桓武天皇始め比叡山で修行した法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などの各宗祖師の木造が安置されています。

大講堂への参道

鐘楼堂(開運の鐘)

開運の鐘

法華総持院東塔(ほっけそうじいんとうとう)

伝教大師最澄は、日本全国6ヶ所の聖地に宝塔を建立しました。「六箇所の宝塔」の中心をなすものとして貞観4年(862年)、慈覚大師によって創建されましたが、元亀2年(1571年)9月、織田信長の比叡山焼き討ちにより焼失しました。400年以上たった昭和55年(1980年)に再建されました。上層部に仏舎利と法華経1000部、般若心経50万巻、100万遍の念仏名号を納め下層部の須弥壇には胎蔵界大日如来を中心に五仏が祀られます。

大講堂

拝殿

顕彰碑

戒壇院(かいだんいん:重要文化財)、阿弥陀堂(あみだどう)

天台宗の僧侶が受戒する道場として重要なお堂です。戒壇建立は伝教大師の入寂後に勅許がおり第一世天台座主・義真の時に創建されました。内陣には本尊の釈迦如来坐像と僧形の文殊菩薩、弥勒菩薩が祀られています。阿弥陀堂は昭和12年(1937年)の比叡山開創法要を記念して建立されました。本尊は阿弥陀仏坐像で全国の壇信徒、有縁各家の先祖を祀り念仏回向が日々行われます。

戒壇院

阿弥陀堂

法華総持院東塔

山王院(さんのういん)

第五世天台座主・智証大師圓珍の住居であったとされている堂で、千手観音像を祀っているので千手院とも称されます。弁慶が千日間、千手院に参籠したと伝えます。

灌頂堂

弁慶水

山王院

弁慶水

延暦寺根本中堂〜山王院に至る道途中に有り千日間、千手院に参籠していた弁慶が汲んだ水とも伝わり、現在も水が湧き出ています。

延暦寺〜ガーデンミュージアム比叡への山道(東海自然道)

国家鎮護石仏碑(東海自然道)

史跡延暦寺境界標石(東海自然道)

地蔵尊石塚群(東海自然道)

山道(東海自然道)

延暦寺〜ガーデンミュージアム比叡への山道(東海自然道)

延暦寺〜ガーデンミュージアム比叡への山道(東海自然道)

ガーデンミュージアム比叡

フランス印象派画家達の作品をモチーフにした庭園美術館で山頂遊園地跡地に作られました。園内には、季節の花やハーブが咲き誇り、モネ、ルノワール、ゴッホなどの絵画を陶板で再現されています。庭園には、モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ達が夢見た自然の風景も再現され印象派画家達の絵画と、季節折々の花々を楽しませてくれます。

ガーデンミュージアム比叡

京都市内(伏見〜大阪方面)

愛宕山方面

愛宕山〜北山、鞍馬方面

大原の里方面

ガーデンミュージアム比叡

フランス印象派の巨匠・モネ画伯像

ガーデンミュージアム比叡

ガーデンミュージアム比叡

叡山ロープウェイ

叡山ロープウェイ(比叡山空中ケーブル)は昭和3年(1928年)10月に開通しロープウェイ比叡駅〜比叡山頂駅間500mを約3分で結んでいます。

叡山ロープウェイ比叡山山頂駅

叡山ロープウェイ

叡山ロープウェイ

叡山ケーブル

大正14年(1925年)12月20日、京都電灯が叡山鋼索線として西塔橋(ケーブル八瀬駅)〜四明ヶ嶽(ケーブル比叡駅)間を開業しました。曲線軌道を設けるなど当時の最高技術を用いても、かなりの難工事でした。ケーブルカーの高低差は561mあり、これは日本最高でケーブル八瀬駅〜ケーブル比叡駅間1,300mを約9分間で結んでいます。

叡山ロープウェイ比叡駅

叡山ケーブル比叡駅

叡山ケーブル

叡山ケーブル

叡山ケーブル八瀬駅

叡山電鉄・出町柳駅

京阪電鉄・出町柳駅

京阪電鉄・中書島駅

長建寺門前

十石船と酒蔵(宇治川派流)

十石船

蓬莱橋

三十石船(寺田屋浜)

三十石船の船頭さんはPちゃん?!「お〜〜い、船が出るぞ〜〜〜?!」って・・・(・_・)ヾ(^o^;) オイオイ

三十石船と寺田屋浜と京橋

 Tourist  2004.05.03(M)

 

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