柚子の里山・水尾
☆地図 |
愛宕山西裾野に位置する柚子発祥の地と言われる水尾の柚子は、1000年以上も昔から水尾の山の傾斜の柚子畑で栽培していると伝え、御所に献上されていました。冬至(とうじ)の日に柚子風呂に入ると、その一年は病気知らずとも言われます。・・・京都市街から離れた保津峡の奥に位置する山里で、平安時代は貴族などが養生に訪れる秘境地でした。水尾に入ると広大な柚子畑にたくさんの柚子の木があります。水尾の産業は農業と林業で占めていますが、9軒の民家(2008年11月現在)が自宅を提供し、柚子風呂と鶏の水炊きの営業をされています。完全予約制に加え、以下の条件が付随しますがあくまで一参考程度でお願いします。
1)予約は2日前までで先着順
2)4人以上の予約が望ましい。
3)2人の予約も可能だが、同日に他の予約がなければキャンセルもあり。
4)柚子風呂だけは不可(鶏すきとセットが前提)
5)柚子風呂は温泉ではありません。
6)宿泊施設はございません。
7)料金は1人5,000円〜
8)予約するとJR保津峡駅まで送迎あり(事前連絡要)
9)春〜夏は草風呂になる場合もあり(又は冷凍柚子の風呂)
※水尾地区は観光地ではなく、当然、コンビニや土産屋など店はありません。(電話会社によっては圏外になります。)従って予約なしで訪れることは厳禁です。またお勧めの時期は柚子の収穫がピークを迎える11月〜12月です。(真冬は雪などにより実が落ちてしまう。)
水尾〜JR保津峡駅に自治会の運営バスがあるものの、1日5本と少なく、運休が多いので、徒歩(駅から約4km)か送迎(予約がある場合のみ)のどちらかになります。車で行くことも可能ですが、途中で道が狭い所もあり、離合など難しいので注意が必要です。柚子の里・水尾として知られますが、不便な離れ里故に訪れる人も少なく、静かな山里が堪能でき、客を入れ替える(回転)ことがないとのことで、ゆった〜り、ほっこ〜りと時間を過ごせてリラックスできます。・・・※あくまで一参考ですので詳細は必ず水尾保勝会にお尋ねくだい。
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柚子の里・水尾保勝会 http://raku.city.kyoto.jp/kanko_top/hoshokai/hoshokai_8.html |
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新高瀬川 |
方除けの社・城南宮 |
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名水・菊水若水 |
嵐山〜木津サイクリングロード |
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過日の氾濫で水没した桂川河川敷の田畑 |
堤外人道橋(天神川)を渡る |
桂大橋 |
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阪急電車京都線桂川橋梁 |
サイクリングロードにも氾濫の痕跡が残る。 |
西大橋(五条通り)を桂川右岸へ渡る |
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渡ってすぐ左折して堤防下へ |
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用水を正確に分水する円形分水(円筒分水) |
洛西の霊峰・愛宕山 |
洛東の霊峰・比叡山 |
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松尾橋 |
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・・・ |
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サイクリングロードの嵐山起点(終点) |
中の島橋を渡ると嵐山公園 |
氾濫から随分と復旧した嵐山公園 |
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護岸工事はまだ未完成のようです・・・ |
復旧中の店舗もあります・・・ |
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間もなく営業再開だとか・・・ |
嵐山へ来たら、まずは。。。これっしょ?!(^^♪ |
渡月橋 |
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渡月橋 |
過日の氾濫が嘘のような穏やかな流れの桂川 |
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随分と復旧してきました!(*゜▽゜)/ |
天龍寺塔頭・宝厳院 |
イースター島のモアイ石像?(≧▽≦)ぷっ |
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放生池のハス |
臨済宗の禅刹・天龍寺 |
嵯峨野といえば・・・嵯峨野竹林道 |
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涼やかなグリーンシャワーが爽やかで癒されます〜\(●⌒∇⌒●)/ |
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大河内山荘 |
坂本龍馬ら土佐四天王像 |
嵯峨野らしい風情 |
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松尾芭蕉の高弟・向井去来の庵・落柿舎 |
二尊院(伏見城の薬医門) |
愛宕街道(町並み保全地区) |
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風情ある町並みの愛宕街道(町並み保全地区) |
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侘びな風情の愛宕街道(町並み保全地区)
えぇなぁ〜(*^-^*) |
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えぇなぁ〜(*^-^*) |
奥嵯峨・鳥居本
☆地図・・・六丁峠(京都府道50号線/京都日吉美山線)は左へ。。。 |
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勾配がきつくなってきた〜。。。へこへこと漕ぎ上がります・・・(>▽<;; |
嵯峨天皇皇后・橘嘉智子嵯峨陵 |
六丁峠
☆地図 |
下六丁峠(しもりくちょうとうげ)とも言われるようです。奥嵯峨野・鳥居本から保津峡・落合へ抜ける峠道で標高は低い(160m)が、保津峡側はヘアピンが連続する九十九折れの坂道のため対向車などの見通しが悪いため所々、下向きのカーブミラーが設置されている。六丁峠は最大傾斜20%、平均傾斜14%という九十九折の激坂道です。 |
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六丁峠は最大傾斜20%、平均傾斜14%という九十九折の激坂!(>▽<;;
アセアセ。。。へこへこしたい人は、六丁峠においでやす〜(^▽^;)爆 |
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六丁峠走破したど〜o(*^▽^*)o |
お待ちかねのダウンヒル〜o(*^▽^*)o |
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嵐山、西山の稜線 |
快適なダウンヒルや〜ヾ(≧▽≦)ノ |
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保津川に架かる旧山陰本線の青鉄橋に停車中の嵯峨野観光トロッコ列車 |
トロッコ保津峡駅が見える! |
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ヘアピンカープの連続・・九十九折の下りなのでスピード出し過ぎは厳禁や〜(>_<) |
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サスペンスドラマでよく被害者?が落下する事件現場になる清滝川と落合橋と落合隧道(トンネル) |
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落合隧道・・・トンネルの中は、無っ茶涼しくて快適や〜\(●⌒∇⌒●)/ |
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落合隧道を走り抜けました・・・ |
落下岩へ |
保津峡 |
京都府亀岡市から京都市右京区嵐山の渡月橋に至る約11.5kmにわたって愛宕山南麓の狭隘な山間部を蛇行して流れている保津川(桂川)の渓谷。保津川峡谷とも言われる。川下りや観光トロッコ列車で知られる景勝地であり、京都府立保津峡自然公園に指定されている。直線距離にして約7.3kmを11.5kmも流れる蛇行は保津峡が先行谷であることによる。これは勾配が緩いために川が自由に蛇行していた後から、川を横切るように東西走向の丹波層群が徐々に隆起したが、その速度よりも谷の侵食速度が速かったために、蛇行していた流路がそのまま残ったものである。保津川渓谷は巨岩、巨石に富んだ急流と瀞が続き、大高瀬、二股の瀬、殿の漁場、女渕、烏帽子岩、鎧岩、かえる岩、書物岩、ライオン岩などの見どころが連なっている。左岸にハイキングコースはあるものの、嵐山からJR保津峡駅の間は清滝を経由していて渓谷沿いではない。 |
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サスペンスDや時代劇で人が落下するシーンで有名なので落下岩と言うらしい・・確かに、落下岩の上から真下を見たら怖いよ〜(>_<) |
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落下岩からみた保津峡の渓谷 |
下から見上げた落下岩の全容 |
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清滝川と保津川が合流する所に書物岩がありますが、川側から見える部分が書物岩らしく見えますが・・・川に入るのは水が冷たそう!(^^ゞ爆 |
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書物岩の全容 |
保津峡 |
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トロッコ保津峡(ほづきょう)駅
☆地図 |
京都市西京区嵐山北松尾山にある嵯峨野観光線の駅で第2回近畿の駅百選選定駅です。単式ホーム1面1線の駅。かつては山陰本線の保津峡駅として利用されていた施設が活用されている。同線時代は相対式ホーム2面2線の駅だったが、随所にその跡が残されている。また、同線の駅として機能していた頃は、最大10両編成の列車の発着があってもホーム有効長は7両分しかなかったため、7両を超える編成はその分ホームからはみ出して停車していた。 |
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かつては、山陰本線保津峡駅だったトロッコ保津峡駅 |
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鵜飼隧道 |
保津峡(ほづきょう)駅
☆地図 |
現在の保津峡駅は、京都市西京区と亀岡市にまたがるJR西日本・山陰本線の駅。駅の両端をトンネルに挟まれた駅で保津峡の山間部に位置し、嵯峨野線の愛称区間に含まれています。旧保津峡駅の所在地は京都市西京区であったが、現在の駅はホーム中央部の直下を市境界の保津川(桂川)が流れているためホームの一部と駅舎が亀岡市側にあり、所在地表記は亀岡市保津町保津山になっています。 |
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鵜飼隧道 |
峡谷にあるJR嵯峨野線(山陰本線)保津峡駅に停車中の221系 |
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水尾川に架かる水尾橋 |
峡谷にあるJR嵯峨野線(山陰本線)保津峡駅と停車中の221系 |
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保津川の上にある保津峡駅は第一トンネルと第二トンネルに挟まれている。 |
駅下を流れる保津川と水尾川合流地点 |
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柚子の里山・水尾までずっ〜と上り坂や〜(>▽<;;
アセアセ |
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水尾まで1.5km |
柚子畑が出てきました・・・ |
日本の柚子栽培発祥の地・水尾(みずお/みずのお)
☆地図 |
京都の離れ里、一に柚子の里・水尾として知られる。京都市街から離れた愛宕山(924m)の南西山麓にある水尾は、かつて山城と丹波を結ぶ交通の要衝地でした。また愛宕山の登山口に当たり、山頂までは3.5qある。古来、幽邃地として知られ、奈良時代の第49代・光仁天皇、平安時代の第50代・桓武天皇も行幸している。同じく、第56代・清和天皇も出家し、一時隠棲しました。武将・源少尉仲頼も出家後、この地に隠遁したと伝える。愛宕山南西山麓の静かな里山は、清和天皇ゆかりの地として知られ、貴族などが養生に訪れる里山でした。また、日本の柚子栽培の発祥の地でもあり柚子の収穫時期には民家で温かい柚子風呂と鶏鍋(水炊き)が有名で人気です。現在の水尾地区は40軒足らず、人口は100数十人で高齢化・過疎化が進んでいます。里では柚子、樒、梅などが生産され今も古老制(宮座)、頭式祭、候中式事、精進頭、六斎念仏などの旧い慣習、習俗、祭りなどが残されている。古老制は左家(さけ)と右家(うけ)があり、それぞれ6人、合わせて12人で両家は左右に坐し、長老を刀禰(とね)と呼び、刀禰の由来は奈良時代にまで遡ると伝える。刀禰の下に、式事、ショウジドウという役があり、江戸時代、男児が誕生すると庄屋に届け、台帳にその名が記された。水尾からは、皇室の黄檗(きはだ)染め、御袍(ごほう)に用いる榛(はしばみ、はん)が献納された。また、樒(しきみ)が植えられ、里は樒が原とも呼ばれた。平安時代中期の歌人・曾禰好忠は、「愛宕山しきみが原に雪つもり花つむ人の跡だにもなし」と詠っている。かつて、愛宕神社境内には神花、樒を売る「清めの樒女」がいた。樒は、火災除けのご利益があるとされ、竃などのそばに供花した。樒女は、頭に樒を載せて愛宕神社へ毎日登っていた。樒は神前に供えられ、参拝者に売られた。樒女は榛の木染め(榛と桃の白皮)による赤袴を身に着け、天皇に仕えた女官の緋(ひ)の袴の遺風ともいう。江戸時代以降は、三巾の前垂れに変わった。かつて、水尾では枇杷も生産していた。昭和初期に柚子を植えるようになり、柚子の生産地として知られるようになる。柚子の出荷は11月下旬〜12月上旬。地域では、柚子を柚(ゆう)というが昨今、柚子の生産農家も減少している。また、梅の生産地としても知られている。 |
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水尾まで1.0km |
水尾まで0.5km |
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ようこそ!!柚子の里山・水尾へ。。。到着〜(*´ο`*)=3ホッ |
石仏さんがお出迎えしてくれます! |
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柚子畑の柚子はまだ青いので収穫はまだ先のようです・・・ |
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水尾は約40軒あまりの集落です。 |
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水尾山の中腹に清和天皇陵があります・・ |
清和天皇
水尾山陵へ・・・柚子畑の中を分岐から1.5kmほどの山の中腹まで歩きます。。。 |
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水尾の方が丹精を込めて柚子の木の手入れをされていました・・・ |
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水尾川の清流に癒されるな〜(*´ο`*)=3ホッ汗を拭わせて頂きました!\(●⌒∇⌒●)/ |
水尾川を越えてから結構な上り坂が(>_<) |
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なかなかの勾配のある九十九折の参道 |
景色を眺めながら・・・ |
やっと到着!(*´ο`*)=3ホッ |
清和源氏の祖・清和天皇
水尾山陵(せいわてんのう
みずのおやまのみささぎ) |
清和天皇は、平安時代前期の第56代天皇。後世、武門の棟梁となる清和源氏の始祖で、諱は惟仁(これひと)。当時、最大実力者の藤原良房の孫。嘉祥3年(850年)3月、良房の娘・明子(めいし)を母として、良房の館一条第で誕生した。文徳天皇は惟喬(これたか)親王を推挙したが、良房の志によって、生後9ヶ月にして異母諸兄を飛び越えて立太子となった。文徳天皇が没すると9歳で即位し清和天皇となり、藤原良房は初の摂政となった。貞観8年(866年)、応天門が炎上した事をきっかけに疑獄事件が発生。この応天門の変で当初、左大臣・源信(まこと)が
放火犯とされたが、同年8月に備中権史生(ごんのしょう)、大宅鷹取(おおやけのたかとり)が大納言伴善男(よ
しお)を告発し、事態は急転した。伴善男の家来であった生江恒山(いくえのつねやま)らが大宅鷹取の娘を殺害するといった
事件が起こり善男の嫌疑は深まった。
事件の取り調べ中に恒山らが供述を始め、善男とその子、中庸(なかつね)が源信を陥れる目的で応天門に放火した事が明らかとなり、主犯の伴善男、中庸ら5人が犯行を認めて大逆罪に問われ、善男は資産を没収され伊豆に配流され没したことにより、
古代からの名門・大伴氏一族が滅亡。一連の事件にも複雑な政治的背景があった。血統を誇る源信ら嵯峨源氏と、光仁天皇の頃に台頭してきた伴善男ら文人派との間に対立があったが、時の権力者の摂政・藤原良房も文人派の排除を狙っていたと思われる。事件中、良房は人臣初の摂政となり、跡継ぎの基経(もとつね)を中納言に抜擢するなど、姪の高子(こうし)を入内させ、不動の地位を確立していった。清和天皇の治世は、良房を中心とする藤原北家の摂関政治が確立されました。清和帝は多くの女性を愛した事でも
有名だが、生まれた多くの皇子女たちは臣籍に下り、源朝臣姓を与えられ清和源氏となった。
良房没後、良房の養嗣子・藤原基経が実権を握り、基経の妹・皇后高子(後の皇太后)との間に設けた第一皇子、貞明親王(陽成天皇)
に譲位して自らは仏門に入った。突如、27歳という若さで退位し、余生を山中における仏教修行に明け暮れた。陽成天皇に譲位後は、水尾に居住
しこの地が気に入って、「ここを終焉の地と定む」と遺詔を残した。元慶4年(880年)、京都市左京区岡崎にあった円覚寺(廃寺)で31歳で没し、洛東の粟田山で火葬後、遺骨は生前の希望から洛西の水尾山陵(みずのおやまのみささぎ=「円墳」(京都市右京区嵯峨水尾清和、水尾山腹)に埋葬されたので水尾天皇とも呼ばれる。例によって御陵は後世その所在を失うがその所在についてはいくつかの説があったが、御廟
山と呼ばれていた谷を登った丘上の茶臼山という塚が比定され所在がほぼ確かな平安時代の天皇陵の一つとされる。現陵は直径約32m、高さ約6mの円墳である。江戸時代後期の文久3年
(1864年)に修築され現在に至る。 |
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清和天皇
水尾山陵(せいわてんのう
みずのおやまのみささぎ)は直径約32m、高さ約6mの円墳 |
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水尾川の清流で再び汗を拭わせて頂きました!(*´ο`*)=3ホッ |
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冷たくてとっても気持ちよか〜(^-^)v |
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柚子の木 |
えぇなぁ〜(*^-^*) |
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水尾の集落 |
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ザクロの果実 |
水尾は愛宕山の山麓に位置します・・・ |
円覚寺(水尾山寺跡) |
かつて、水尾山寺と呼ばれていた京都七大寺の一寺。平安時代の元慶4年(880年)、清和天皇が陽成天皇に譲位後に入寺し仏堂造営を行う。元慶5年(881年)、清和天皇は病により鴨川東にあった粟田山円覚寺(東山粟田口)に移り、その地で亡くなる。室町時代の応永27年(1420年)、応仁の乱で円覚寺は焼失したので寺宝を水尾山寺に預けた後、水尾山寺が粟田山円覚寺と寺号を併称したが、後に円覚寺の寺号のみが残ったとみられている。江戸時代、延宝7年(1679年)の大火により焼失したが、安永4年(1776年)に再建されました。本堂に、清和天皇の持念仏という薬師如来像、清和天皇坐像を安置し円覚寺六斎念仏は国指定重要無形民俗文化財に指定されています。 |
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粟田山と号する浄土宗・円覚寺(水尾山寺跡) |
こま札 |
石造宝篋印塔、清和天皇・染殿后・貞純親王・源氏板碑 |
清和天皇社 |
創祀は不明。水尾の産土神で、清和天皇を祀る。清和天皇は文徳天皇の第4皇子で、外祖父・藤原良房の後見のもと、惟喬親王を退けて皇太子となる。天安2年、文徳天皇の崩御を受け9歳で即位したが、良房が実権を握った。貞観18年、第一皇子・貞明親王に譲位し、元慶3年、出家して畿内巡幸の旅へ出た。丹波国水尾の地に入り、隠棲の地と定め新しい仏堂を建立しようとしたが、完成を待たずして源融の別邸棲霞観にて病を発し、粟田の円覚寺で崩御した。遺骨は遺言により水尾山上に葬られ、現在の清和天皇水尾山陵である。里人は社を建て清和天皇を祭神とし、水尾の産土神である四所大神を合祀したと伝える。四所神社は生母染殿皇后が信仰していた大原野神社の祭神であり、皇后が皇子の出産を祈願している。天皇はそれを偲び、水尾内庭に四所大神を祀り、水尾の最初の産土神として里人から崇められていた。清和天皇社には神輿一基あり、伝説では、都の皇女が丹波国北桑田郡弓削村に猪や鹿の害があると聞き、水尾までは輿で来て、水尾からは駕籠に乗り換えて弓削村に行き、村に多数の矢を作らせて害獣を退治した。水尾では残された輿を台にして神輿にしたと伝わっている。旧暦4月に祭礼があり、宮座の古老と職事役、氏子総代、戸主一同が参詣して神輿を飾り、水尾の若者によって寺内の御旅所に遷御した。古老の周りを花笠をつけた男児が摺り簓を鳴らして回る素朴な花笠踊りがあったが、現在は廃れて久しい。 |
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清和天皇社 |
こま札 |
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六地蔵さん |
稲荷社 |
拝殿と本殿覆屋 |
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本殿(覆屋には本殿と四所神社の二棟) |
向寺のお地蔵さん・・・向寺って?円覚寺のこと?? |
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冷たい山水で汗を拭います・・(*´ο`*)=3ホッ |
えぇなぁ〜(*^-^*) |
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かつて、嵯峨までの流通ルートの米買い道 |
柚子の木 |
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分岐 |
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えぇなぁ〜(*^-^*) |
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水尾橋(JR嵯峨野線・保津峡駅へ) |
JR嵯峨野線・保津峡駅 |
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鵜飼隧道(トンネル) |
保津峡谷の風情 |
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保津峡と書物岩 |
山上に六丁峠のガードレールが見える! |
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サスペンスのロケによく使われる落合隧道・・・トンネル内は涼しくて快適や〜\(●⌒∇⌒●)/ |
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清滝川 |
落合橋〜六丁峠まで急勾配の上り坂でヘアピンカープの連続や〜(; ̄ー ̄A |
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山の木々の緑が美しい〜(*゜▽゜)/ |
トロッコ保津峡駅が見える!\(●⌒∇⌒●)/ |
霊峰・愛宕山 |
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保津川に架かる旧山陰本線の青鉄橋 |
山上辺りに六丁峠のガードレールが見えます! |
六丁峠 |
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帰りもへこへこモードで無事に六丁峠に着いたどぉぉぉ〜(; ̄ー ̄川 やれやれ |
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快適な下りのはずやけど・・・スピードが出せない九十九折れのダウンヒル〜(>_<) |
六丁峠方面 |
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昼とは違った風情を醸し出す
夕暮れの愛宕街道・鳥居本 (*´ο`*)=3ホッ ☆地図 |
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懐かしい昔風情の家並み・・・えぇなぁ〜
(*^▽^*) |
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森嘉の嵯峨野豆腐をゲット!(^-^)v |
清涼寺の仁王門(府指定文化財:江戸期) |
渡月橋 |
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嵐山の夕暮れ |
愛宕山にズ〜ムイン!(^-^)v |
比叡山もズ〜ムイン!!(^▽^;) |
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嵐山〜木津サイクリングロード |
洛西の霊峰・愛宕山 |
洛東の霊峰・比叡山 |
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サンセット間近の黄昏な空も美しい!\(●⌒∇⌒●)/ |
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JR京都線 |
名神高速道路 |
幻想的でえぇ感じや〜(*^▽^*) |
Tourist
2013.09.30(M) |