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桂川に架かる羽束師橋から四方を見ても黄砂に霞んでいます・・咳き込むのは黄砂のせいでしょうか?ヽ( ̄ー ̄*)ノ |
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長岡京市へ・・・ |
ツツジとハナミズキ |
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名神高速と新幹線の立体交差@R171馬場 |
国鉄カラーの車両が並んでいる・・ |
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電気釜と呼ばれる485系、営業Max120
km/h |
上り、223系・新快速電車、営業Max130
km/h |
上り、221系・快速電車、営業Max120
km/h |
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下り、207系・普通電車 |
下り、681系・683系特急・サンダーバード |
車両を方向転換させる転車台 |
一文橋(いちもんばし) |
説明碑によれば、京と摂津(西宮)をむすぶ西国街道に架かるこの橋は、室町時代頃に造られた有料の橋でした。大雨の度に小畑川が氾濫し橋が流され、架け替え費用の負担金としてを通行人から銭一文を取り始めたのが、橋名の由来と伝えます。 |
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低いJR高架下を屈みながら潜り抜けます・・・ |
府道67号線で乙訓寺 |
一文橋 |
乙訓寺(おとくにじ) |
大慈山と号する真言宗豊山派寺で推古天皇の勅願により聖徳太子の開創と伝わる乙訓地方最古の寺で境内には2000余株のボタンが植えられ4月下旬には華麗な大輪を咲かせ世にボタン寺とも称されています。境内から奈良時代の遺瓦を出土する為、延暦遷都以前に寺院があった事が想像されます。「水鏡」によれば延暦4年(785年)、皇太子・早良(さわら)親王は淡路島に配流される前に当寺にしばらく幽閉されたとされます。弘仁2年(811年)、弘法大師が当寺の別当に任ぜられ鎮護国家の道場となり、宇多法皇が脱履の始め当寺を行宮とされたので一に法皇寺とも号しました。弘法大師がこの寺に在住している時、伝教大師・最澄がこの寺を訪れて真言について教えを乞うたとも伝えられています。中世には禅宗南禅寺派となり応仁元年(1467年)〜文明9年(1477年)、応仁の乱の兵火により焼失衰微しましたが元禄6年(1693年)、徳川綱吉の生母・桂昌院の援助により再び真言宗として再興しました。本堂に安置される本尊合体大師像は弘法大師と八幡菩薩の合作と伝わり毘沙門堂には毘沙門天立像(重文:藤原期)を安置し明応2年(1493年)の修理銘を墨記した狛犬(室町期)が一対あります。★中世を延暦13年(794年)、平安京遷都〜慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い迄の時代範囲としています。 |
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薬医門(乙訓寺) |
奈良・長谷寺から取り寄せた2株のボタンが始まりと伝える2000余株のボタン |
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乙訓八景の一「ぼたんの乙訓寺」 |
仏石塔と供養塔 |
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境内に咲き誇る2000余株の大輪のボタンは見頃!
(^0^)ノ イェ〜 |
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境内 |
本堂・・・参拝しました。O(-人-)O
感謝 |
解説パネル |
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毎年4月下旬〜5月上旬、境内に2000余株のボタンの大輪が色とりどりに美しく咲き乱れます・・・ |
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色とりどりの美しい大輪の花を咲かせるボタンは直射日光、風雨に大変弱く日除け簾、日傘など大切に育てられている・・・(^0^)ノ
見事やなぁ〜 |
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幽愁の毘沙門天を祀る毘沙門天堂 |
帝に献上された弘法大師所縁のミカンの木 |
御衣黄桜もまだ見ごろやんか〜(*^-^*) |
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悲運の早良親王(さわらしんのう)供養塔 |
つつじも美しい・・・ |
大切に育てられているボタン |
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大切に育てられ色とりどりの大輪の花を咲かせている2000余株のボタン
えぇなぁ〜 (@^▽^@) |
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薫風に泳ぐ鯉幟
(^0^)ノ イェ〜 |
今里城跡 |
解説パネル |
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城遺跡発掘写真 |
・・・ |
八重桜も綺麗(*^-^*) |
八条ケ池(長岡天満宮) |
寛永15年(1638年)、当時の領主・八条宮智仁親王(桂宮)が灌漑用の溜め池を改造成した大池で八条ヶ池を二分する中堤は参道になっています。中堤道両脇に推定樹齢百数十年の霧島ツツジ(市指定天然記念物)が群生し、八条ヶ池の中堤道の真中道に架かる石の太鼓橋は加賀藩・前田公の寄進と伝えます。 |
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八条ヶ池(長岡天満宮) |
長岡天満宮 |
一に長岡天神ともいい、菅原道真を祭神とします。社伝によれぱ昌泰4年(901年)、道真が筑紫左遷時に随従の中小路祐房に与えた自画像を安置して祀った事が当社の縁起と伝えます。洛南、特に桂川流域には道真の遺蹟、伝説が多くいずれも道真の遺徳を追慕して後に作られたもので当社もその一つです。中世その沿革を明らかにしないが江戸時代に当地が八条宮(桂宮)智仁親王の領地であった関係から同宮の崇敬を受け延宝4年(1676年)、社殿を改築し霊元天皇の勅額を賜りました。現在の本殿は、昭和16年(1941年)、平安神宮の社殿を移築したものです。 |
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八条ヶ池(^0^)ノ
えぇなぁ〜 (@^▽^@) |
石造りの大鳥居 |
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乙訓八景『八条ヶ池とキリシマツツジの長岡天満宮』・・・毎年、4月下旬〜5月上旬に見事な濃紅色の霧島ツツジが咲き誇ります・・・(^0^)ノ |
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見事に咲き誇るキリシマツツジ
えぇなぁ〜 (@^▽^@) |
管公の歌碑 |
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サイではありません?!なでウシさん(^▽^;) |
書道上達を願う筆塚 |
本殿 |
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新緑が美しい |
フジも綺麗 |
水上橋 |
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Beautiful!!!(・_・)☆ヾ(^^
) 欧米か?! |
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Wonderful!!!(・_・)☆ヾ(^^
) 欧米か?! |
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えぇなぁ〜 (@^▽^@) |
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八条ヶ池(^0^)ノ |
ツツジも・・えぇなぁ〜
(@^▽^@) |
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R79(高槻-柳谷線)で柳谷観音寺へ・・・咳き込むのは、やっぱり黄砂のせいかな?(~ヘ~;)ウーン |
お待ちかね?(>▽<;;
ここから約2kmの坂道 |
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竹林の中を延々と続く上り坂をチャリチャリ
(^◇^;) |
お地蔵さんと十二丁石 |
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楊谷寺まで1km!!!第一の峠ピーク地点
(^◇^;) |
延々と続く上り坂・・・何度来ても楽でないヘコヘコな上り坂や。。。(; ̄ー ̄川 |
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弥勒谷十三石仏(江戸期) |
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弥勒谷十三石仏(江戸期)、浄土、柳谷観音寺道標石と滝場 |
浄土谷(左)、R79:柳谷分岐点 |
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まだまだ上り坂。。。ふきふき"A^^; |
二丁石(約200m)
第二の峠ピーク地点 (^◇^;) |
楊谷寺聖域 |
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桜が見事に満開\(●⌒∇⌒●)/ 上って来た道を振り返っているとです・・(; ̄ー ̄A |
石灯篭の並列 |
楊谷寺(ようこくじ:柳谷観音寺) |
立願山(一に柳岩山に作る)楊谷寺と号する西山浄土宗光明寺派の寺です。昔、山中から清泉が湧き出し眼病治癒に応験があり、井水の傍に観音像を祀ったのが当寺の起こりとされます。平安末期の承保年間(1064年〜76年)、水観(一に水願)上人の開創と伝えますが、寺伝によると京都東山清水寺開創の延鎮僧都によって、大同元年(806年)に開山され、僧都はある夜、夢の中に観音菩薩が現れ京都西山へ行けば生身の観音菩薩を仰ぐ事が出来るとのお告げを受けて西山に踏み入りました。柳の生い茂る渓谷の巌上に夢告の観音菩薩(十一面千手千眼観世音菩薩)を発見し僧都は、その場所に堂宇を建て日夜給仕しましたが、清水寺の本尊を刻む為に帰洛したとされます。後世、荒廃していたが、元禄年間に再興したとされ建物は新しいです。毎月の17日の縁日のみ阪急バスが運行され参拝者で賑わいます。庭園は京都府指定名勝、本堂、庫裡、書院、山門は京都府登録文化財に指定されています。
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約20分で到着(*´ο`*)=3ホッ・・・楊谷寺 |
山門脇に風神・雷神が奉られる山門(京都府登録文化財) |
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2年ぶりに本堂(京都府登録文化財)で献香して合掌。来年も元気で参れますよう
O(-人-)O
感謝 |
独鈷水 |
独鈷水(おこうすい) |
開山・延鎮僧都が清水寺に帰られた後、弘法大師が当寺に参詣した時、堂傍のたまり水でサルの親が子猿の目を一生懸命洗っていました。そして17日目に子猿の目がパッチリ開いたところを見て、弘法大師はその不思議な水を眼病に悩む人々の為に霊験あらたかな霊水にしようと、日夜加持祈祷を施し独鈷(古代インドの武器、現在は仏具)で掘り広げられました。そして大師の法力による霊験水「独鈷水(おこうすい)」が湧き出ています。★
「独鈷水(おこうすい)」は、普段自由に汲めますが少しずつ溜められている貴重な水で、眼病平癒の霊水としても信仰を集めています。決して粗末に扱わないで汲んだ水を一度観音様にお供えしてから持ち帰るのが慣わしです。 |
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耳を澄ませば水屋から滴る水音が聞こえる・・ |
独鈷水を頂くお願いと心得 |
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独鈷水をペットボトル(4L)にありがたく頂戴いたしました。m(_
_)m |
献灯して合掌・・O(-人-)Oアリガタヤ・・ |
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足腰が丈夫になるとされる「四国八十八ヶ所御砂踏み」・・・誰の足?あしからず?!(*≧m≦)プッ |
こま札 |
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鐘があるから鐘を撞く?!(^-^)v |
阿弥陀堂 |
境内俯瞰(あじさいの道から) |
奥ノ院 |
寺伝によると、江戸時代、112代・東山天皇の皇妃・新崇賢門院(四条の局)が、度々、皇子を出産されましたが、不幸にも皆、幼くで亡くされ、楊谷寺の本尊に無事出産できますようにと祈願されました。そして、無事に出産されたのが113代・中御門天皇です。天皇9歳の時、両親が崩御され、その追善菩提の為に造られたのが奥の院の観音と伝えます。本堂は、大正元年(1942年)に建立されましたが、大正4年(1915年)に焼失、昭和5年(1930年)に再建されました。 |
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奥の院・・閉門されていたが参拝しました。 |
境内俯瞰 |
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・・・ |
楊柳水 |
弁財天、淀君像が祀られる弁天堂 |
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お茶々さま・・楊谷寺と縁深い淀君像 |
楊谷寺参道 |
楊谷寺境内全景案内図 |
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八重桜と石灯篭 |
R79離脱して高架を潜って林道で浄土谷へ・・・石や落葉などでプチダートな林道 |
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快適なダウンヒルの林道コースですが、ハンドリングとスリップに要注意!特にスピードの出し過ぎは、厳禁!!!
( ̄▽ ̄;)!! |
乗願(じょうがん)寺 |
浄土谷に現存する唯一の寺で浄土山と号し、恵心僧都を開基とする西山浄土宗の寺です。恵心僧都が、柳谷に浄業した際に二十五来迎の奇瑞を拝し、寺院を創建して阿弥陀仏を安置したのが始まりとされます。本尊・阿弥陀坐像(京都府指定文化財:藤原期)は玉眼入、寄木造、漆箔押で定印を結んで八角の蓮華座上に座する丈六の巨像で俗に乗願寺大仏、西山の大仏と呼ばれています。当寺は御谷神社の神宮寺の後身と思われ天文23年(1554年)、湯河次郎左衛門春信が御谷神社の本殿を修理した旨の棟札一枚を有しています。 |
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のどかな風情の浄土谷の里山
えぇなぁ〜 (@^▽^@) |
乗願寺(乗願寺大仏:西山の大仏) |
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こま札 |
境内 |
ハーブの一種で食べられるボリジ(るりちしゃ:ルリジサ) |
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本堂 |
乗願寺大仏(西山の大仏) |
御谷神社 |
御谷(みたに)神社 |
天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭神とする村の産土神で元は五社神社(祭神:伊勢、八幡、春日、稲荷、加茂)と言ったが明治になって式内御谷神社と改名しました。創祀沿革は明らかでなく式内社指定になった事由もよく分かりませんが、頗る哀徴しています。 |
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頗る哀徴している御谷神社 |
里山の棚田の風情
えぇなぁ〜(@^▽^@) |
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浄土谷(左)、R79:柳谷分岐点 |
砂防ダム池 |
山中を渡る涼風が爽やかな竹林道 |
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上りは約20分、下りは5分弱で下山!(^-^)v |
長岡天神へ来るとイケメン?(^▽^;)
オーナー・K.Kくんの茶月でお寿司を買って帰りまつ。(^-^)v |
北向見返り天満宮 |
延喜元年(901年)、菅原道真公の太宰府左遷の際、草津の湊から出発する前に羽束師神社に参拝し北(京)を向いて見返りの場所(別れを惜しんだ)に建立されたのが、北向見返天満宮です。 |
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北向見返り天満宮・・キララくんは、今日も馳走便(^^♪ |
参拝しました・・ |
羽束師(はづかし)神社 |
正しくは、羽束師坐高御産日神社(はづかしにいますたかみむすひじんじゃ)といい、旧羽束師村の産土神で志水、古川、樋爪、菱川地域を氏子とします。創建は、すこぶる古く大宝元年(701年)以前からの鎮座と云われています。羽束師は、羽束首(はづかしのおびと)の居住地で一族は、土器を作り石灰を焼いたりする泥部(はつかしべ)の伴造家であった。羽束氏の祖神を祀った神社と伝えます。羽束師は元、乙訓郡に属し古くは羽束師郷とも言いました。境内の森が鬱蒼としているだけで歴史の大きさを感じます。 |
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羽束師神社一の鳥居 |
羽束師神社 |
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こま猫さん?(^▽^;) |
こま犬さん?(^▽^;) |
参拝しました。O(-人-)O |
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久我畷の四つ辻に立っていたと伝える道標石 |
説明碑 |
治水頌功之碑 |
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羽束師橋 |
嵐山-木津サイクリングロード |
黄砂に霞む柳谷観音寺(楊谷寺)のある西山 |
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伏見百景・酒蔵 |
大手筋商店街 |
風呂屋町商店街 |
Tourist.2011.5.2(M) |