小倉百人一首編纂の地・藤原定家の時雨亭を訪ねて・・・

 

結びおきし 秋の嵯峨野の 庵より は草葉の 露になれつゝ 藤原定家

 

城南宮〜夕霧大夫墓所〜常寂光寺(じょうじゃっこうじ)〜二尊院〜厭離庵(えんりあん)※閉門の為、拝観できず・゚・(つД`)・゚・

小倉百人一首編纂の地・・・藤原定家の時雨亭伝承地を訪ねて

小倉百人一首・・・鎌倉期の歌人・藤原定家の嫡子・為家の妻父・宇都宮入道頼綱(蓮生入道)が定家の嵯峨山荘近くの当地に中院に別荘を建てるにあたり、障子に貼る色紙を定家に依頼した。早速、定家が多くの勅撰和歌集の中から百人一首ずつを編纂したが、この時、後鳥羽、順徳両帝の歌がなく、その代わりに百人一首にない三人の歌が入って合計百一人であったと伝え、後日、為家によって補訂されたのが現在の百人一首です。
定家が百人一首を選定したと伝える時雨亭(しぐれてい)の伝承地は嵯峨・小倉山界隈に三ヶ所あると伝えます。

鳥羽伏見の戦い、幕軍(会津藩)戦死者の埋骨地がある悟真寺

悟真寺には鳥羽伏見の戦いで戦死した幕軍(会津藩)戦死者53人の埋骨地があり「戊辰之役東軍戦死者之碑」は、榎本武揚によるもので掘られた二ヶ所の大穴に戦死者を9人と44人に分けて埋葬されたと伝えます。

悟真寺 「戊辰之役東軍戦死者之碑」 静寂な境内
城南宮 参道 三光紋が輝く二の鳥居
境内 楽水苑【源氏物語花の庭】春の山 禊川
嵐山サイクリングロード(京都・八幡・木津自転車道線)

嵐山サイクリングロードは、桂川・渡月橋右岸(嵐山公園)〜木津川・泉大橋左岸間の全線約45kmにも及ぶ「自転車と歩行者の専用道」で正しくは、「京都・八幡・木津自転車道線」と言います。道中は舗装整備された道で走りやすく、四季折々の自然を満喫しながらファミリーでも安心して自転車散策を楽しめます。

楽水苑【源氏物語花の庭】平安の庭・・本日、王朝の雅を今に伝える「曲水の宴」が行われます。 サイロと並走している桂川左岸堤防道
ピットイン?!(^_^;)\(^。^。) 欧米か?! 悠々と流れし桂川
愛宕山が見えてきました(⌒▽⌒) 松尾橋 間もなく嵐山!!!(*^-^*)
愛宕山のズーム(^_-)-☆ サイクリングロードの嵐山起点 えぇなぁ〜(*^-^*)
四季折々、この眺めはいつも・・・月が渡るの如く・・・えぇなぁ〜(*^-^*)
月が渡るの如く・・・渡月橋 嵐山 清涼寺

夕霧大夫墓所、嵯峨野屈指の紅葉の名所・常寂光寺(じょうじゃっこうじ)

夕霧大夫墓所・・・夕霧の名は、てると言い当地に生まれ、京都島原扇屋の遊女となった後に、遊女屋主人と共に大坂新町の遊郭に移りました。夕霧の墓は大阪市天王寺区下寺町の浄国寺にありますが、生家が清涼寺塔頭・地蔵院の檀家であった事から地蔵院墓地にも墓が築かれましたが、地蔵院は廃寺になり清涼寺境外墓地になっています。常寂光寺(じょうじゃっこうじ)・・・小倉山と号し日蓮宗本圀寺派の寺で寛永年間に本圀寺の日槇上人の退穏所を寺に改めたもので天台四土の一つ常寂光土を思わせるところから寺名となりました。茅葺きの仁王門には運慶作と伝える仁王像が立っている。檜皮葺きの多宝塔(重要文化財:桃山期)は、天和年間の建築ながら華麗な桃山様式を伝えています。豊臣秀吉、小早川秀秋との所縁も深く、仁王門は本圀寺の南北朝時代のものです。藤原定家が小倉山百人一首を編集した場所の時雨亭趾もあります。特に仁王門〜本堂迄の石段脇の紅葉は見事で嵯峨野屈指の紅葉の名所とされます。

夕霧太夫墓所 常寂光寺 Deep Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?!
仁王門

南北朝時代の貞和年間(1345年〜1350年)に本圀寺客殿の南門として建立され元和2年(1616年)に現在地に移築されたました。仁王像は丈七尺、若狭(福井県)小浜の長源寺から移されたもの寺伝では、運慶の作と伝えます。

常寂光寺のシンボル的な茅葺の仁王門 えぇなぁ〜(*^-^*) 嵯峨野俯瞰o(*^▽^*)o
日槇上人に隠棲地を提供したのは角倉了以と伝える角倉家の墓所 日禎(にっしん)上人を祀る開山堂
藤原定家・家隆の木像を祀る謌僊祠(かせんし:歌仙祠)」 常寂光寺俯瞰 Deep Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?!
えぇなぁ〜 (*^-^*) 高さ12m、檜皮葺の多宝塔(重要文化財:江戸期)
藤原定家の時雨亭跡 Deep Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?!
妙見堂 えぇなぁ〜 (*^-^*)
本堂(伏見城遺構:客殿) 時の鐘と呼ばれる鐘楼
鐘楼からの眺め・・・えぇなぁ〜 (*^-^*) お滝場
Deep Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?!
「女ひとり生き ここに平和を希う」・・・『女の碑』 Deep Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?!
常寂光寺のシンボル的な茅葺の仁王門 えぇなぁ〜 (*^-^*) 定家山荘跡、歌碑
小倉百人一首編纂の地碑 定家山荘跡碑 以前はこの辺りに時雨亭跡があった・・
阿吽 えぇなぁ〜 (*^-^*)
二尊院

小倉山と号し明治以降、天台宗延暦寺に属する寺院で正しくは、小倉山二尊教院華台寺(けだいじ)といいます。寺名の由来は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像によります。平安時代初期の承和年間(834〜847年)に嵯峨天皇が慈覚大師に勅して建立した華台寺跡と伝え、久しく荒廃していたのを鎌倉時代に法然上人の高弟・正信房湛空(たんくう)によって再興されました。湛空は土御門、後嵯峨二帝の戒師となり大いに堂宇を再建したが、応仁・文明の乱によって堂宇伽藍が全焼しましたが、その後、三条西家実隆父子の帰依により再興され、豊臣、徳川二氏も寺禄を寄せ寺運も栄えました。本堂の「二尊院」の勅額は後奈良天皇の宸筆ですが、初めの額は小野道風が書いたとも伝え、元、四脚門に揚げてあった。ところが、門前の池から夜な々一匹の霊蛇が現れ額の文字を舐めるのでこれを防ぐ為に額の傍に不動明王像を描かせたが効果がなく、正信上人という偉僧が蛇の執念を救わん為、自ら円頓戒の血脈を書いて池に沈めたところ、間もなく池中に千葉の城蓮花が一もと生じました。竜女成仏の印しで、この花を取り、寺の什宝にしたと伝えます。唐門前の池中にある弁財天社は、この竜女を祀ったものです。境内の墓地には、角倉了以、三条実美、阪東妻三郎(田村正和、亮の父)の墓所があります。紅葉の馬場と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られ境内ま奥には、藤原定家が百人一首を選定したと伝える時雨亭跡もあります

落柿舎 二尊院(伏見城の薬医門) キララくん(*^-^*)
駒札 二尊院案内図 西行法師庵古跡
紅葉の馬場といわれる参道は時代劇の撮影でお馴染みのロケーション 高浜虚子の句碑
えぇなぁ〜 (*^-^*) 石仏群 八社宮(重文:室町期)
本尊・発遣(ほっけん)の釈迦、来迎(らいごう)の阿弥陀立像(重文:鎌倉期)と法然上人足曳き(あしびき)の御影(重文:鎌倉期)

釈迦如来は、人が誕生し人生の旅路に出発する時に送り出してくださる仏で「発遣の釈迦」といわれ、阿弥陀如来は、人が寿命をまっとうした時に極楽浄土よりお迎えくださる仏で、「来迎の阿弥陀」といいます。二尊は現世から来世への道を、示しているとも伝えます。傍らに「法然上人足曳きの御影」(重要文化財)を掲げます。

本堂(京都市指定文化財) 本尊・発遣の釈迦(右)、来迎の阿弥陀立像 法然上人の高弟・湛空(たんくう)上人廟への石段 (^◇^;)
法然上人の高弟・湛空(たんくう)上人廟 藤原定家の時雨亭跡へ・・・ 藤原定家が百人一首を選定した時雨亭跡
三条西家、三条実美墓所 嵯峨家墓所 角倉了以墓所
三帝陵 儒学者・伊藤仁斎墓所 坂東妻三郎(田村正和、亮の父)墓所
えぇなぁ〜 (*^-^*) 小倉餡発祥碑とモニュメント「真」 三つの感謝の心で三つ撞く・・・しあわせの鐘
扇塚 九頭龍弁財天 えぇなぁ〜 (*^-^*)
Deep Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?! えぇなぁ〜 (*^-^*)
厭離庵(えんりあん)

もと愛宕の中院があったところで藤原定家が百人一首を編纂した山荘跡があった所と伝えます。久しく荒廃していたが近年に再興して臨済宗天龍寺派の尼寺となりました。西南の竹林は善光寺山と言われ時雨亭があったと伝え、境内には茶室・時雨亭、藤原定家塚、定家が小倉百人一首を染筆する時に筆洗いに使った柳の井があります。定家が書き記した「名月記」に彼の嵯峨山荘は、常寂光寺の北方、小倉山麓にあったものと思われ、この地は定家の嫡子・為家の妻父・宇都宮入道頼綱(蓮生入道)が定家の嵯峨山荘近くの当地に中院に別荘を建てるにあたり、障子に貼る色紙を定家に依頼した。早速、定家が多くの勅撰和歌集の中から百人一首ずつを編纂したが、この時、後鳥羽、順徳両帝の歌がなく、その代わりに百人一首にない三人の歌が入って合計百一人であったと伝え、後日、為家によって補訂されたのが現在の百人一首です。紅葉の名所として知られ、紅葉の時期(11月〜12月)のみ拝観が出来ます。

えぇなぁ〜 (*^-^*) 厭離庵(えんりあん)・・・紅葉の時期(11月〜12月)のみ拝観が出来ます。
4時で閉門?! (+。+) ご無体な〜 (T▽T)

嵯峨野豆腐で知られる森嘉

Deep Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?!

Torist2008.11.03(M)

 

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