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美豆町は京街道が通った所で旅籠や木津川旧河道に面した納屋(浜納屋)や蔵がありました。 |
涼森神社 |
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美豆城跡 |
解説 |
美豆城のように見える涼森神社 |
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京阪電車・淀車庫 |
男山と御幸橋 |
御幸橋 |
男山合戦 |
石清水八幡宮の歴史中で特筆すべきは、「男山合戦」といわれる南北朝時代最大の決戦が男山を中心に60日間もあった事で、この戦いを契機に南朝は急速に勢力を失いました。正平7年(1352年)春、南朝の後村上天皇は楠正義らと男山に立てこもり、対して足利尊氏の嫡子・義詮(よしあき)は東寺を本陣とし男山を四方から取り巻きました。戦いは激烈を極めたが楠正義の守備する洞ヶ(ほらが)峠が落ちると、後村上天皇はここを見限り大和大路を東大寺へと落ち、足利(室町)幕府は始めて基礎固めができたと伝えます。
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洛南屈指の桜並木で有名な背割堤 |
男山 |
京阪・八幡市駅 |
航海記念塔(石清水八幡宮五輪塔/重要文化財:鎌倉期) |
日本最大(高さ6m)の五輪石塔(鎌倉時代作)で重要文化財に指定されています。石塔部分は下から地・水・火・風・空の五大要素を表しています。摂津・尼崎の商人が宋(中国)との貿易の帰途、石清水八幡宮に祈って海難を逃れ、その恩に報いる為に建立されたと伝え、航海の安全を祈って参拝され「航海記念塔」とも称されています。一説には、石清水八幡宮を創祀した行教律師の墓とも伝える。
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駅前のしだれ桜 |
神応寺 |
大きさ日本一の五輪石塔!(@_@)
(航海記念塔) |
石清水八幡宮(男山) |
応神天皇、神功皇后、比(ひめ)神を祭神とする旧官幣大社で男山八幡宮とも呼ばれ伏見稲荷大社と共に京都南郊屈指の大社として崇敬されています。初め男山々中に湧き出る清泉を神社化したとされますが平安時代初期、貞観元年(859年)、奈良・大安寺の行教という僧が豊前国(今の大分県)の宇佐宮に篭られた時、八幡大神の御託宣(お告げ)を蒙り、同年男山の峯に八幡三所の神霊を奉安し、この年、清和天皇の御命令を承けた木工寮権・允橘良基は、当地に本殿三宇・礼殿三宇から成る六宇(ろくう)の宝殿を造営した事から始まります。翌年の貞観2年(860年)4月3日、八幡三所大神が正式に鎮座されました。創建以来、朝野の崇敬が篤く伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟と崇められ天元2年(979年)、円融天皇の行幸以来、歴代天皇の行幸数多く特に源氏は、この神を氏神と仰いだので武家間で大いに広まりました、「延喜式」にその名を見ないのは神社としてよりも寺院として栄えていたからで往時は山上、中、下に多くの堂舎僧坊が瓦を並べ江戸末期においても尚23坊を数えましたが明治の神仏分離によって神社一色に改されました。往時を物語る石灯籠は320余基を数え奈良の春日大社の1800余基、大阪の住吉大社の560余基に次いで多いですが江戸時代以降のものが多く関心を持たれませんでしたが近年、鎌倉後期の石灯籠(永仁(えいにん)の石灯篭(重文:鎌倉期)が見つかりました。社殿(重文:江戸期)は山上と山下の二ヶ所に分かれていますが、主なる社殿は山上にあり上院とも言います。何れも創建以来、度々兵火によって焼失したが寛永11年(1634年)、徳川家光の造営によるもので廻廊に囲まれた中に楼門、幣殿、本殿、神庫などが複雑に入り混じっています。本殿は外陣(外殿)と内陣(本殿)に分かれ両方の屋根が接する所に織田信長寄進の黄金の雨樋を架けその下を合の間とし三間社を一間づつ開けて一棟とする八幡造りの形式になっています。山腹にある石清水社(末社)は当社発祥の所以となった清泉が今も湧き出しています。
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石清水八幡宮一の鳥居 |
八幡五水の一「筒井」と頓宮北門 |
頓宮の回廊 |
石清水八幡宮頓宮(お旅所) |
「徒然草」に、仁和寺の法師が石清水詣でにやって来て、本社と間違えて参拝者で賑わう頓宮、高良神社を参拝しただけで帰ってしまい「さすが八幡様は立派であったが、参拝者がぞろぞろと山へ登っていくのには合点がいかぬが・・・」と言って笑い者になったいう一説があります。「あらまほしきは先達(案内人)也」と話を結んでいますが、頓宮だけでも満足できる事は事実です。
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頓宮殿 |
高良神社(石清水八幡宮) |
源頼朝手植と伝える松と二の鳥居 |
影清塚 |
石清水の下流にあたり参拝者が、この流れに影を映し不浄を洗い清めた所と伝えます。 |
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大扉稲荷社 |
影清塚 |
・・・ |
一ツ石 |
社伝によれば当宮鎮座の当初、南北に延びる男山の尾根筋に整えられた山上の参道は石畳の道ではなく踏み固められた土道で、そこは馬を走らせる為の馬場として造成されました。北端に位置するのが、かって存在した「五ツ石」(南総門下付近)で、そこから現在の社務所前あたりにかけてを南側から見て「馬場先(ばばさき)(前)」と呼び、現在も存在する「一ツ石」(三ノ鳥居北側)は馬場の末端(起点)に位置していましたから、その辺りを北側から見て「馬場末(ばばすえ)」と呼んでいたと伝えます。 |
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ほどなく上院o(*^▽^*)o |
三の鳥居 |
今は、お百度参りの起点石?「一ツ石」 |
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320余基の灯籠が並ぶ参道 |
永仁(えいにん)の石灯篭(重文:鎌倉期) |
南総門 |
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本殿へ・・・ |
拝殿・本殿・・・平成の大修造で改修中!(>_<) |
仮本殿(若宮社)に参拝(^-^) |
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展望台からの京都市内〜八幡市〜宇治市の絶景・・・o(*^▽^*)o |
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桜の頃が美しい展望場所 |
谷崎潤一郎文学碑 |
八幡五水の一「供御井」 |
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涌峯塔(ゆうほうとう:シンボルタワー) |
エジソン記念碑 |
解説 |
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下山開始o(*^▽^*)o |
石清水社(石清水井) |
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泉殿(八幡宮創建所縁の石清水井) |
今も湧き出ている八幡五水の一「石清水井」 |
泉坊
松花堂跡 |
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泉坊
松花堂跡碑と松花堂跡 |
松花堂茶室の路地庭跡 |
山ノ井戸 |