善峯寺道、釈迦岳、ポンポン山散策

 

春は花 秋はもみじの むすび木は この世の幸 めでたかりけり 桂昌院

 

「善峯寺〜釈迦岳(三等三角点/標高:631m)〜ポンポン山(加茂勢山、二等三角点/標高:678.9m)〜善峯寺探訪」

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一文橋

説明碑によると、京と摂津(西宮)をむすぶ西国街道に架かるこの橋は室町時代頃に造られた有料の橋でした。大雨の度に小畑川が氾濫し橋が流され、架け替え費用の負担金としてを通行人から銭一文を取り始めたのが橋名の由来と伝えます。

目指す西山の眺め@羽束師橋(桂川) 釈迦岳の支峰、善峰にある善峯寺方面(ズーム撮影) 一文橋(小畑川)
小畑川沿いをチャリチャリ・・・阪急電車が通過中! 善峯道をチャリチャリ・・・ のどかな田園風景
十輪寺(じゅうりんじ)

天台宗延暦寺派の寺で小塩(おじお)山と号し一に業平(なりひら)寺とも呼ばれます。寺伝によると創建は嘉祥3年(850年)、文徳天皇の染殿(そめどの)皇后(藤原明子:あきらのけいこ)の世継ぎ誕生を祈願し、めでたく皇子を生まれ、後に清和天皇になられた事から文徳天皇勅願所となり後に藤原北家(花山院家)が帰依され一統の菩提寺とされました。創建当時の伽藍は応仁の乱の兵火によって焼失、寛延3年(1750年)の再建で本堂の屋根は鳳輦形(ほうれんがた)という神輿を模った非常に珍しいもので内部天井の彫刻も独特の意匠が施され文化財に指定されています。平安時代の歌人で「伊勢物語」の主人公とされる在原業平(ありわらのなりひら)が晩成に隠棲し塩焼きの風情を楽しんだと伝え当地を小塩というのは、これに因んだ地名とされ境内裏山に業平墓(恋愛、結婚成就の神)、塩釜の跡、門前手前の街道脇に潮汲池があります。これらの伝説により毎年の5月28日、業平を偲んで業平忌が行われ導師の長素絹を纏った住職が三弦を弾きつつ読経し「祈請:きじょう」、「般若心経」などの法曲を披露し献茶、献歌、献句、小唄、山城舞楽などが奉納されます。

在原業平(ありわらのなりひら)ゆかりの潮汲池(十輪寺の飛び地境内) 十輪寺(業平寺)
十輪寺(業平寺) 小塩山(標高:642m/山頂@淳和天皇陵)
善峯寺々領域でつ。 観音さまが、お出迎え・・・合掌 善峯寺参道(一の橋)
キララちゃん、オスワリの場?(爆) 釈迦岳から下山してきた一小隊(機動隊?) 小隊々長に釈迦岳ルートを確認し、ここを左へ
いきなりかい!(@_@;)・・・せせらぎを渡ります!(>_<) 山道から善峯寺俯瞰 風が強く不気味な木々のざわめきが・・・(@_@;)
テチテチと標高を上げてきました・・・ お〜伏見方面の絶景じゃ〜 o(^o^)o ふぉ〜 尾根道から滑落しないよう慎重にテチテチ
釈迦岳(標高:631m)

島本町の最高峰です。かつて、源算上人作の石仏釈迦如来像が安置させていたのが山名の由来で、信者の崇敬が篤く明治13年(1880年)に善峰寺に移されています。山頂から善峯寺へ移すのは、大変でお釈迦様も汗をかいて下山したと伝え、この時の霊汗が由来となり「善峯寺の薬湯」が始まったと伝えます。

ベンチにうっすらと積雪している釈迦岳山頂 釈迦岳三等三角点(標高:631m) ポンポン山を目指して尾根道をテチテチ・・・
尾根道は、うっすらと積雪しています・・・(>_<) 落ち葉を踏みしめてテチテチ・・・σ(^◇^;) ポンポン山々頂 o(^o^)o ふぉ〜〜
ポンポン山(加茂勢山 標高:678.9m)

正しくは加茂勢山と言い標高:678.9mの頂上に近付くにつれて足音がポンポンと響く事から俗にポンポン山と呼ばれています。京都市の西端にあり東の地域には善峯寺、三鈷寺、光明寺などの古刹が多く平安中期以来、仏教の地として重要とされています。

テーブルには小雪ダルマ・・・寒〜 ポンポン山二等三角点(標高:678.9m) 吹雪いてきました!(>_<) 寒〜
山頂はうっすらと積雪し吹雪いているので景色が霞んでいます!・・・初雪じゃ〜!でも無っ茶、寒いでつ!!! (>_<) ハックション?!σ(^◇^;)
亀岡方面 愛宕山方面 おっ!晴れてきまつた!!伏見方面
善峯寺へテチテチ・・・やたらと、熊さん、出没注意!の立て札が!(@_@;) 伏見方面 o(^o^)o ふぉ〜〜
スリップに気をつけてテチテチ・・・σ(^◇^;) 無事、下山してきまつた・・・o(^o^)o ふぉ〜 山麓の田畑
杉谷地区に入りました・・・善峯寺へ、もう少しのようです。(東海自然歩道)
椿と柿の実 三鈷寺分岐・・・右(善峯寺)へテチテチ 陽が射して明るくなりました・・・下方に善峯寺
西山宮門跡「善峯寺」

釈迦岳支峰の善峰の中腹にある西山(せいざん)と号する天台宗延暦寺派の寺院で伽藍は険しい山崖に建っていて山麓から仁王門迄の山道の途中に座禅石と称する大石があり源算上人が座禅修法中、一老翁から仏寺の建立を頼まれ地形の険しさに困窮していると野猪の群れが現れ土地を均したので伽藍を建立できたと伝わります。寺伝によると平安中期の長元2年(1029年)、源算上人によって開かれました。源算上人は「往生要集」を著した恵心僧都の高弟で、因幡(鳥取)に生まれ横川(比叡山)の恵心僧都に従い顕密の蘊奥を極め47歳の時、当山に入り小堂を結び、十一面千手観音像を刻み本尊とし仏法を興隆しました。長元7年(1034年)9月、後一条天皇より鎮護国家の勅願所に定められ「善峯寺」の寺号を賜り歴代天皇の崇敬篤く、長久3年(1042年)、後朱雀天皇の時、洛東鷲尾寺の仁弘法師作・十一面千手観世音菩薩像を当山に遷して本尊となし先の十一面千手観音像を脇壇とし白河天皇が諸堂を建立しました。中世には「西山宮」と号する門跡寺院となり、室町時代には後花園天皇が伽藍を改築され僧房52の多きを有する大寺院となりましたが応仁の乱(1467〜77年)の兵火で焼失し現在の諸堂の多くは江戸時代に徳川5代将軍・綱吉の生母である桂昌院によって再建されました。元和7年(1621年)、再建の多宝塔は山内最古のもので「大元帥明王軸(鎌倉時代)」と共に重要文化財に指定されています。京都府指定の文化財としては「善峯寺曼荼羅」二幅があります。日本一の松とも称される樹齢約600年の五葉松は「遊龍の松」と呼ばれ、国の天然記念物に指定されています。西国三十三所観音霊場の第二十番札所、洛西一番札所でもあります。

紅葉 善峯寺に戻って来まつた! o(^o^)o ふぉ〜〜 仁王門
遊龍の松(天然記念物)

樹齢600年と伝える五葉松で安政4年(1857年)、花山前右大臣・家厚公が「遊龍」と言われたと伝えます。元は全長54mありましたが、平成6年括(1995年)、松喰い虫の被害に遭った為、15mに切られて現在に至ります。

参道 観音堂(本堂) 樹齢600年と伝える「遊龍の松(天然記念物)」
市内の絶景(比叡山〜伏見方面) o(^o^)o ふぉ〜
薬湯場

源算上人作の釈迦如来像(石仏)を釈迦岳山頂に安置されていたのを、明治13年(1880年)に善峰寺に移され山頂から善峯寺へ移すのは、大変でお釈迦様も汗をかいて下山したと伝え、この時の霊汗が由来となり「善峯寺の薬湯」が始まった伝えます。薬湯場は、当山で採れる百日湯で神経痛、腰痛は勿論、諸病に特効があるとされ年2回(5月、10月)の第2日曜日の午前8時〜午後3時まで随時入浴できます。

病気平癒、長寿、健康に霊験あり「お香水(閼伽水)」 神経痛、腰痛、諸病に特効あり「薬湯場 幸福地蔵
桂昌院廟、宝篋印塔(ほうきょういんとう)

桂昌院廟は宝永2年(1705年)6月22日、79歳で逝去した徳川5代将軍・綱吉の生母である桂昌院の遺髪を納めています。宝篋印塔には鎌倉時代に慈円大僧正により伝教大師筆の法華経が納められました。

桂昌院廟 宝篋印塔 十三仏堂(桂昌院建立)
紅葉 市内の絶景 美しい紅葉 o(^o^)o ふぉ〜
釈迦堂

明治18年(1885年)に建立され本尊・石仏釈迦如来像は、源算上人作で明治初年まで釈迦岳(標高:631m)に安置されていましたが信者の崇敬が篤く明治13年(1880年)に当山へ下山されたと伝えます。

釈迦堂

市内の絶景(西山〜愛宕山〜鞍馬山方面)

青蓮院宮墓

善峯寺の住職を務めた宮様の廟所です。覚快(鳥羽皇子)、道覚(後鳥羽皇子)の両法親王墓は五輪塔、慈道(亀山皇子)、尊円(伏見皇子)、尊道(後伏見皇子)の三親王墓は宝塔をもって標しとされています。

市内の絶景(比叡山〜伏見方面) 青蓮院宮御廟
徳川5代将軍・綱吉の生母・・・桂昌院

寺伝によると寛永4年(1627年)、京都堀川の八百屋仁右衛門の次女として生まれ名をお玉と言った。父・仁右衛門は、二条関白の家司である本庄家と交流があり、後にお玉は徳川家光の愛妾・お万の方と二条家に所縁があった為に3代将軍・家光の側妾・お万の方の侍女として江戸へ下りました。18歳のお玉は、家光の寵愛を受け側室に加えられお玉の方と呼ばれました。20歳の時に徳松(5代将軍・綱吉)を生み慶安4年(1661年)4月20日、26歳の時、家光の死に際し落飾(尼)して桂昌院と称し綱吉と共に江戸藩邸に住みました。延宝8年(1681年)8月、54歳の時に綱吉が5代将軍に就任し江戸城の三之丸に居を移し三之丸様と呼ばれ大奥での力は絶大となり元緑15年(1702年)3月、76歳の時に従一位という最高位に叙せられました。宝永2年(1706年)6月22日、江戸城中にて79歳で逝去し芝増上寺に葬られ善峯寺にも遺髮、歯が納められたと伝えます。

けいしょう堂・・・桂昌院を祀り傍らに仔犬が・・・桂昌院さま〜、再会しとうございました〜!!! (;^_^A  市内の絶景(鞍馬山〜比叡山方面)
市内の絶景(比叡山〜伏見方面)
薬師堂 蓮華寿院庭
市内の絶景(比叡山〜伏見〜宇治方面:ズーム撮影) o(^o^)o ふぉ〜〜
市内の絶景(伏見〜宇治〜山城方面:ズーム撮影) o(^o^)o ふぉ〜〜
善峯寺(伽藍)俯瞰 南天が美しい・・・ 阿弥陀堂
阿弥陀堂 参道 桂昌院手植えの「しだれ桜」
径堂(絵馬堂) 山内最古の多宝塔(重要文化財:江戸期)
桂昌院手植えの「遊龍の松(天然記念物)」 参道・・・さぁ、伏見へ帰ろう! o(^o^)o ふぉ〜 仁王門

善峯寺を下山 源算上人座禅石 キララちゃん、お待ち〜 σ(^◇^;)

Tourist  2005.12.05(M)

 

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