春の名残桜をいかにとやせん・・・。

 

散る桜 残る桜も 散る桜 良寛

 

三栖公園グランド〜高瀬川〜濠川〜宇治川派流〜長建寺〜大阪枚方市・牧野公園

 

北国の雄・伝 阿弖流為(アテルイ) 母禮(モレ)之塚 地図

傍らの説明板には、「延暦21年(802年)4月、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷首長・アテルイと副将・モレが同族500人を引き連れて投降したことを朝廷に報告し、7月に2人を伴い帰京した。田村麻呂は2人の助命を朝廷に嘆願したが聞き入られず、2人は河内国で処刑された。」とあり、この地がそのゆかりの地としている。『日本紀略』には河内国植山で処刑されたとあり、この植山は、現在の宇山に比定されるとのことである。(宇山は江戸時代の初め、旧名上山から宇山に地名が変更されている。)アテルイは、8世紀末〜9世紀初めにかけて、東北地方で活躍した蝦夷のリーダーで、長期抗戦で何度も朝廷軍を打ち破ったアテルイとモレの墓と伝える。

伏見城外堀を利用した濠川 伏見三栖公園グランドの桜も見事でござる〜!\(●⌒∇⌒●)/
えぇなぁ〜(^^♪
とあるマンションの桜も見事な桜花繚乱!!! ☆⌒(*^∇゜)v
日本の春と言えば・・・やっぱ桜でござるな〜\(●⌒∇⌒●)/
見事な桜の天幕でござる〜\(●⌒∇⌒●)/
角倉了以水利功碑 であい橋(濠川・宇治川派流合流?分水?地点)
十石舟、三十石船が遊覧する宇治川派流は伏見有数の桜並木になってきました〜(*゜▽゜)/
宇治川派流沿いの桜も柳も見事でござるよ〜!\(●⌒∇⌒●)/
Beautiful! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
三十石船乗船場@寺田浜 紅しだれ桜も綺麗でござる!(*゜▽゜)/
坂本龍馬とお龍@寺田屋浜 桜と雪柳と柳のハーモニー\(●⌒∇⌒●)/
宇治川派流の桜と柳と三十石船も、えぇなぁ〜(@^▽^@)
十石舟弁天橋乗り場界隈の桜、ユキヤナギも満開や〜\(●⌒∇⌒●)/
伏見五福の一・長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神) ☆地図

真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年(1698年)、時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊弁才天は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は「伏見の弁天祭」と言われます

島の弁天さんと親しまれる長建寺
境内には、四季折々の花が美しく咲く花の寺でもあります・・・(*゜▽゜)/
伏見らしい酒蔵のある風景!\(●⌒∇⌒●)/
十石舟に乗船しようと乗り場へ来たら・・・なななんと、夕方まで予約で満席なんやと。。。(>_<)おろろ〜
枚方八景・牧野の桜も満開で繚乱でござる〜 \(●⌒∇⌒●)/
山桜と樫の大木の根元にある伝 阿弖流為(アテルイ) 母禮(モレ)之塚・・地元の方が綺麗に清掃され献花されて祀られています。合掌
阿弖流為(アテルイ)、母禮(モレ)も見事な桜を愛でながら酒杯を傾けているはず・・・(^^♪
おろっ、、、鶴がとんできたでござる?。。。(^▽^;) 花より・・・だんごかっ?!(^^ゞおろろっ。。。
あっちこっちで花見の宴が開かれています!\(●⌒∇⌒●)/
えぇなぁ〜(^^♪
豊臣秀吉が大阪城鬼門鎮護の社と定められた方除けの社・片埜(かたの)神社 地図

河内国一宮を称する式内社で、旧社格は郷社。社伝によれば、垂仁天皇の時代に、出雲国の豪族である野見宿禰が、当麻蹴速との相撲に勝った恩賞として当地を拝領し、出雲の祖神である素盞嗚尊を祀って一族の鎮守とした事に始まる。片埜(かたの/片野、交野)は、この辺一帯の古名で、交野市の地名の由来でもある。平安中期、野見宿禰の後裔である菅原道真が天神として祀られるようになると、天徳4年に当社でも菅原道真が配祀された。社家の岡田家は野見宿禰の後裔である。『延喜式神名帳』では「片野神社二座 鍬靫」と記されて、小社に列している。かつては広大な社地を有し、「交野の御野」、「牧野の桜」と呼ばれる桜の名所として歌枕ともなっていた。戦国時代の戦乱で荒廃したが、天正11年(1583年)に豊臣秀吉によって復興され、大坂城の鬼門の方角にあることから鬼門鎮護社とされた。大坂城天守の北東の石垣に鬼面を刻み(現存しない)、当社と対面させたと伝える。慶長7年(1602年)には、子の秀頼によって本殿、拝殿などの社殿が大造営された。そのうち本殿と南門が現存し、本殿は国の重要文化財に指定されている。大坂城の鬼門除けの神社とされたことから、現在でも方除・厄除の神として信仰されている。またこれらのことにより、鬼は片埜神社の象徴・守り神とされている。絵馬や御朱印には鬼面が描かれており、節分の豆まきでは「鬼は内」と唱える。江戸時代までは「一宮牛頭天王」を正式名称としていたが、明治時代にかつての片埜神社に復した。明治時代に旧牧野村内の以下の神社を合祀した。

片埜(かたの)神社 鬼門の鬼? 参拝しました!
花見の人たちで賑わってます!(^^♪
淀川河川公園背割堤(剣先/淀川三川合流域) ☆地図

背割堤は京都府八幡市の北辺に位置し宇治川と木津川を分ける細長い桜堤の堤防です。明治初期、木津川の付け替え工事に伴ってできた宇治川左岸、木津川右岸の堤防の一部です。明治30年(1897年)から宇治川の改修工事が始まり日露戦争による中断もあったものの明治43年(1910年)に完成し現在の姿となり「背割堤」と呼ばれるようになりました。両河が合流(淀川)する先端が剣の様な形をしている事から「剣先」とも呼ばれています。平成元年(1989年)4月、「淀川河川公園背割堤地区」が開園され毎年、この辺り一帯において八幡市、八幡商工会議所などが後援して『背割堤「やわた桜まつり」』を開催しています。この辺り一帯の河川敷にはヨシなどが茂り多種の野鳥や昆虫を見る事ができる都市近郊では貴重なエリアになっています。

牧野公園をあとに・・・ 洛南随一!背割堤の桜並木と天王山 遠く霊峰・比叡山
木津川に架かる御幸橋 背割堤 濠川

Tourist.2014.04.07(M)

 

関連コラム

洛南の春爛漫

洛南の桜花繚乱

洛南の春爛漫

洛南の春爛漫
洛南の桜めぐり 洛南の桜めぐり

洛南の桜名所めぐり

洛南の桜名所めぐり

散る桜 残る桜も 散 る桜・・・洛南の名残桜めぐり

散る桜 残る桜も 散 る桜・・・洛南の名残桜めぐり

伏見水郷、前川堤、背割堤(剣先)・・・洛南屈指の桜めぐり

伏見水郷、前川堤、背割堤(剣先)・・・洛南屈指の桜めぐり

伏見水郷、前川堤、背割堤(剣先)・・・洛南屈指の桜めぐり

伏見水郷、前川堤、背割堤(剣先)・・・洛南屈指の桜めぐり

伏見水郷、前川堤、背割堤(剣先)・・・洛南桜花めぐり

伏見水郷、前川堤、背割堤(剣先)・・・洛南桜花めぐり

洛雅記

桜花つれづれ・・・背割堤(剣先)、伏見水郷めぐり

伏見、久御山、八幡の洛南名残り桜めぐり

伏見、久御山、八幡の洛南名残り桜めぐり

桜花繚乱・・・背割堤、石清水八幡宮散策(Pちゃんズ)

桜花繚乱・・・背割堤、石清水八幡宮散策

流れ橋、八幡散策

流れ橋、八幡散策

山城散策

山城散策

浪漫ちっく華街道

浪漫ちっく華街道

 

Pちゃんズの古都珍道中記 Pちゃんズの古都珍道中記

 

戻る 洛雅記2014年探訪コラム

 

inserted by FC2 system