普賢寺谷チャリ探訪
手束弓(たずかゆみ) 手に取り持ちて 朝猟に 君は立たしぬ 棚倉の野に 「万葉集」第十九
伏見港・三栖閘門〜久御山町〜サイクリングロード〜流れ橋〜棚倉孫神社〜観音寺(普賢寺大御堂)〜サイクリングロード〜流れ橋
京田辺市 |
元、綴喜郡の大巴で背後に甘南備山(かんなびやま)の丘陵を控え前面は木津川沖積平野を隔てて井出町と相対します。『万葉集』巻19に「手束(たずか)弓 手に取り持ちて 朝狩に 君は立たしぬ 棚倉(たなくら)の野に」とあるごとく、往古は棚倉野と呼ばれる広濶(こうかつ)たる原野でした。棚倉とは穀物を収蔵する倉を言ったもので、これを神格化したのが棚倉孫(たなくらひこ)神社です。田辺地方屈指の古社で一に天神社とも言われ同社に因んで昔は天神ノ森村と呼びました。中世に至って田辺氏が当地に居城を構えた事から地名になったと伝えます。明治39年(1906年)、付近の薪(たきぎ)、興戸(こうど)、河原の三ヶ村と合併して田辺町となり昭和26年(1951年)4月、更に草内(くさじ)、三山木、普賢寺、大住の4ヶ村と合併し現在の市域になりました。平成9年(1997年)4月1日、市制を施行して京田辺市になりました。西は大阪府枚方市、北は八幡市及び城陽市に接し南は精華町に隣する極めて広い地域を称し、多くの伝説や古文化財を有する城南屈指の市町となっています。 |