4年連続21回目の流出した流れ橋〜嵐山・奥嵯峨を走る
嵯峨の山 千代のふる道 あととめて また露わくる 望月の駒 藤原定家
台風11号の影響で4年連続21回目の流出した流れ橋〜嵐山・奥嵯峨野をちゃり探訪! ☆⌒(*^∇゜)v
伏見九郷の総鎮守社・御香宮一の鳥居 | おっ!黒田節誕生の地 | |
御香宮(開運・安産・厄除けの神) ☆地図 | ||
縁起には諸説があり社伝によれば貞観4年(862年)9月9日、境内に清泉が湧き出し水が芳しく四方に香り病者がこの水を服用すれば病気がたちどころに癒ゆるといわれ、これに因んで御香宮と称し地名も石井郡(紀伊郡)と称したと伝えています。又、御香宮は、旧伏見町の産土神(うぶずながみ)として古来から最も信仰されている洛南屈指の大社です。筑前国糟屋郡(福岡市香椎(かしい)町)にある香椎宮(祭神・神功皇后・仲哀天皇)を勧進し御香椎の椎を略し御香宮となったという説が、あります。"延喜式に記す御諸(みもろ)神社"であると言う説もあります。御諸(みもろ)とは、森と同義で神の鎮座する森をいい神の降臨する山や森を神格化したものを御諸(みもろ)神社と言います。豊臣秀吉は、征韓の役に際し肥前長光(重要文化財)の名刀を戦勝祈願時に奉納し今も社宝とされています。伏見城築城に際し深草大亀谷に移され城惶神(伏見城の鬼門除けの守護神)とし社領300石を寄進されました。その後、慶長10年(1605年)に徳川家康によって現在地に移され、徳川御三家(尾張・紀伊・水戸藩)藩祖と2代将軍・秀忠の娘(千姫)らが伏見で誕生し、御香宮を産土神(うぶずながみ)として社領も豊臣秀吉同様の深草地方など300石が、与えられました。豊臣秀吉、徳川家康を始めとし特に徳川御三家藩祖らが特別の崇敬を払った洛南最大社です。 |
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表門は伏見城大手門(重要文化財) | 境内 | |
菅原道真公を祭神とする桃山天満宮 | 伏見城の車寄せとも伝える拝殿 | 本殿 |
日本名水百選の一・御香水 | 神鑒(かん)静井(石井)と御香水碑 | 伏見戦石碑 |
JR奈良線・桃山駅を発車した現役最古参級車両のウグイス(103系)京都行き普通車 | 明治天皇桃山御陵参道 | |
桓武天皇柏原御陵参道 | ・・・ | 御陵階段上(伏見城四の丸跡) |
明治天皇桃山御陵、昭憲皇太后桃山東陵 ☆地図 | ||
山丘陵の頂に明治天皇陵、昭憲皇太后陵がある。伏見桃山陵は、明治天皇が生前からこの土地(指月丘陵)を大変に気に入られていたとの事で御陵地となりました。当地は、伏見城本丸跡を陵墓としたものと言われ少し離れて名護屋丸跡には昭憲皇太后御陵がある。明治天皇陵への230段もある石段ですが、登りきると眺望絶景のポイントです。 |
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御陵大階段上(伏見城四の丸跡) | 明治天皇桃山御陵(伏見城本丸跡)・・豊臣秀吉が築城した伏見城跡に設営された。 | |
御陵大階段上(伏見城四の丸跡)からの眺め | ・・・ | 昭憲皇太后伏見桃山東陵(ひがしのみささぎ) |
昭憲皇太后伏見桃山東陵(ひがしのみささぎ) | 明治天皇桃山御陵への230段の大階段 | |
・・・ | ・・・ | 乃木神社(勝運、勉学の神) |
乃木神社(勝運、勉学の神) | 国家・君が代にも登場するさざれ石 | |
狛犬ならぬ狛馬と本殿 | 乃木の名水・勝水 | |
山城えびす神社 | ||
こま札 | 濠川と酒蔵 | |
濠川縁にある歴史遺産に登録されている酒造会社の北酒蔵が商業地域開発のために取り壊されます。 | ||
酒蔵は伏見らしい風情やけど・・・ | 後日訪ねたら・・・もー随分と取り壊されていました・・・(>▽<;; おろろっ | |
酒蔵!こわんさんといて!! | 伏見区羽束師にあるハス畑 | |
羽束師にこれだけの規模のハス畑があるとは・・・(@_@)おろろっ。。。伏見では一番大きい規模のハス畑だと思います・・・ | ||
・・・ | 昨年に続き、時代劇などによく登場する日本最長級・流れ橋が流れた橋に・・・ | |
安産祈願の岩田帯(いわたおび)・・・石田(いわた)神社 ☆地図 | ||
岩田村の産土神で神社は東岩田、西岩田、上津屋(こうづや)の三ヶ所に分祀されています。石田君(いわたぎみ)の始祖・五十日足彦命(垂仁帝皇子)を祀る石田氏の氏神です。石田氏に関しては不詳ですが当社が延喜の制に大社に列せられ月次・新書に預かっている事から有力な氏族であったと推察されます。上津屋の石田神社境内には吉野時代作の十三重石塔が一基あります。昔、岩田地域は綿産地でした。ある時、村人達が綿の収穫をしていた時、都から姫様の一行が、当地を通りかかりました。姫様が急に産気づき、一行が騒いでいるとそれに気付いた村人達が近くの小屋に収穫した綿を敷き詰めて姫様を寝かせ無事に出産できました。それに因んで岩田地区では綿で布を織り毎年の正月に厄除けを祈願して石田神社に奉納し、拝殿の鈴に結わえ妊婦が5か月目になると、その鈴に結わえた布を分けてもらい安産を願ってお腹に巻きました。これが岩田帯の発祥だと伝えます。 |
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石田(いわた)神社 | こま札 | |
十三重石塔(吉野期) | 茶畑 | 毎年見る閉鎖で通行止めの流れ橋 |
流れ橋(上津屋橋) ☆地図 | ||
木津川に掛かる木造の橋で正しくは上津屋(こうづや)橋と言います。木津川の増水時に渡板まで水が浸かると渡板が流されますが、渡板がワイヤーで繋がれている為に水位が下がればワイヤーを引張って修復出来る橋構造になっている事から流れ橋と呼ばれています。時代劇の撮影にも利用されている橋でTV、映画で見た事があるかと思います。昨年秋の台風18号の豪雨で昭和28年(1953年)の架設以来、20回目の流出。平成23年(2011年)から3年連続の流出となり、4月末に約3,500万円をかけて修復したばかりの5ヶ月後に台風18号の豪雨増水で再び流出し通行不能となっていた。今回も復旧されたが前回と同額の修復費用を要し「府民の税金を木津川に流しているようなものだ!」との厳しい声も上がっていますが復旧を待ち望む声があるのも事実。 |
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俳優・藤田まことが寄贈した流れ橋碑 | 流れ橋と言えども・・・流れ過ぎ橋では世間を渡るのは難しい木造橋??(>▽<;; おろろっ | |
八幡市と久御山町を結ぶ上津屋(こうづや)橋(通称・流れ橋、全長約356m)は、台風11号の影響による木津川の増水で8月9日夜に流出。昭和28年(1953年)に完成した流れ橋の流出はこれで21回目で、2011年から4年連続。昨年9月、台風18号による増水で流され、総工費3,600万円をかけて今年4月に復旧したばかり。管理する府山城北土木事務所によると、詳しい被害状況調査は不詳、橋脚にワイヤでつながれている橋げたや橋板はすべて回収できそうという。国はこの秋ごろ、約500m下流に架かる新木津川大橋の歩道に堤防道路から上がることができるよう、階段の設置工事を始める予定で、流れ橋が通行できなくなった際も、大きく迂回(うかい)する必要がなくなる。 |
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普段は水位も低く穏やかな川姿を見せる木津川も牙をむいた時は激流と化して4年連続21回目の流出・・(>▽<;;おろろっ | ||
場所によっては、何ヶ所も橋脚が流出しています。(>▽<;; | ||
橋脚部分を残すのみの見るも無残な姿の流れ橋??(>▽<;; おろろっ | ||
流れ橋は、4年連続で流出し税金を木津川に垂れ流していると批判され、元通りに再建ができるか未定・・・ | ||
淀城石垣と堀 | ||
城堀のハス群 | 竹田街道を北上中・・・ | |
城南宮道 | 鳥羽天皇・近衛天皇他道標石 | ・・・ |
裏鬼門の結界・エンザサンザ | 表鬼門の結界・エンザサンザ | |
エンザサンザは道切、結界を意味します。 | 山王権現大宮社の跡碑 | |
安楽寿院 | 近衛天皇安楽寿院南陵(多宝塔) | |
安楽寿院 | 三尊石仏(薬師三尊、釈迦三尊石像) | 薬師三尊石仏 |
釈迦三尊石仏 | 鳥羽、白河法皇院政之地碑 | 都の朱雀大路の基点石とも伝える冠石 |
鳥羽天皇陵(安楽寿院陵) ☆地図 | 五輪石塔(重文:鎌倉期) | 石仏 |
白河天皇陵 | 浄菩提院御陵参考地 | 方除けの社・城南宮 |
・・・ | 方除けの社・城南宮 | 鳥羽・伏見戦(戊辰戦)が勃発した小枝橋 |
嵐山サイクリングロード(京都・八幡・木津自転車道線) | ||
嵐山サイクリングロードは、桂川・渡月橋右岸(嵐山公園)〜木津川・泉大橋左岸間の全線約45kmにも及ぶ「自転車と歩行者の専用道」で正しくは、「京都・八幡・木津自転車道線」と言います。道中は舗装整備された道で走りやすく、四季折々の自然を満喫しながらファミリーでも安心してサイクリングを楽しめます。※嵐山の起点(終点)地が以前の場所より中ノ島橋まで延長されました。 |
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鴨川と名神高速道路 | 桂川左岸堤防道と堤防下を走る嵐山サイクリングロード | |
向かい風が強烈でござるよ〜(>▽<;; おろろっ、、、おっ!前方にバイク発見!直ちに迎撃せよ?!ヾ(´Д`;●) ォィォィ | ||
バイク、ロックオン?!(^▽^;)おろろっ | 久世橋下へ・・・ | ・・・ |
JR新幹線・京都線(東海道本線) | 堤外人道橋(天神川)を渡ります・・・ | 空が高くなってきました・・・ |
・・・ | 嵐山まで6.4km・・・約15分足らず | ・・・ |
サイクリングロードは、桂川左岸から西大橋(五条通り)を渡り桂川右岸へ・・・ | ||
桂川 | 西大橋を渡ってすぐに堤防下へ・・・ | 田園風景が広がります・・・ |
天高く秋の空・・・ | 古式の墓 | |
愛宕山の稜線が大きくなってきました・・・(*゜▽゜)/ | 間もなく松尾橋でござる・・・ | |
間もなく嵐山でござるよ・・・\(●⌒∇⌒●)/ | ||
この先、延長された新サイロ嵐山起点(終点) | 旧嵐山基点地から延長されたサイクリングロード新嵐山起点(終点) | |
サイクリングロードの新嵐山起点(終点) | 中ノ島橋 | ・・・ |
・・・ | まずは・・・これっしょ?!(^▽^;)おろっ | 嵐山・嵯峨野案内図 |
月が渡るのごとく・・渡月橋 | 嵐山上流 | |
霊峰・愛宕山遠望 | 琴聴橋@車折神社屯宮 | 嵐山 |
渡月橋 | 大堰川(桂川) | 嵐山羅漢 |
嵐山羅漢・・・嵐山にイースター島のモアイ石像出現か???(≧▽≦)ぷっ | ||
嵐山羅漢 | 天龍寺塔頭・宝厳院 | |
世界文化遺産・天龍寺 ☆地図 | ||
世界文化遺産にも登録されている臨済宗天龍寺派の大本山です。後嵯峨天皇の亀山離宮を暦応2年(1339年)、足利尊氏が吉野で崩御された後醍醐天皇の菩提を弔う為に夢窓疎石(むそうそせき)を開山として創建した禅寺です。天龍寺造営資金に困窮し、天龍寺船による対元貿易での利益を造営資金に充てたと伝わります。創建以来650余年、その間に8度の兵火にかかり、殆ど古建築を見る事が出来ません。現在の諸堂は明治時代に再建されました。特別名勝に指定されている曹源池庭園は夢窓国師の作庭で嵐山、小倉山、亀山などの借景を見事に取り入れた回遊式庭園は独特の優美さがあります。 |
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雲龍図で知られる天龍寺・法堂(はっとう) | こま札 | ・・・ |
天龍寺塔頭・松厳寺 | 福禄寿天 | |
坂本龍馬先生遺徳之像、顕彰碑、船中八策宣言碑 | 船中八策宣言碑 | |
ほんの少し色づき始め・・・ | 切支丹?マリア??十字架を着けている飛雲観音 | 解説 |
八幡大菩薩社 | ||
天龍寺境内 | 秋の空(*゜▽゜)/ | キララくん、お待ち〜でござった! |
臨済宗の禅刹、世界文化遺産・天龍寺をあとに・・・ | ||
清涼寺(嵯峨釈迦堂) | 嵯峨野豆腐で知られる豆腐店 | 大覚寺道 |
広沢池の西側に広がるのどかな嵯峨野田園地帯で減反政策の妙案!伏見の酒造メーカーと酒米オーナーを募って酒米を栽培されている。 | ||
おぉ〜耳を澄ませばのバロン?くまモン?案山子や〜?! \(●⌒∇⌒●)/ | ||
刈り取られた酒米 | 嵯峨野の風情 | 広沢池 |
広沢池の遍照寺観音堂(観音島)辺りはザリガニ釣りのメッカでござる!(*゜▽゜)/ | ||
こま札 | 嵯峨野の森林と農業の解説パネル | 嵯峨野富士とも称される遍照寺山(朝原山) |
えぇなぁ〜(*゜▽゜)/ | 広沢池観音石仏 | 壹美白弁財天社 |
広沢池は周囲約1.3kmにも及ぶ大池・・・池と山の風情が、ええ感じや〜(*^-^*) | ||
えぇなぁ〜(*゜▽゜)/ | ||
Deep Impact?! (・_・)ヾ(^o^;) 欧米か? | ||
・・・ | 千代の古道で大覚寺へ・・・ | |
田畑の間を走る千代の古道 | ||
のどかな嵯峨野の風情 | ||
えぇなぁ〜(*゜▽゜)/ | ||
えぇ感じやな〜(⌒▽⌒) | ||
後宇多天皇蓮華峯寺陵は後宇多天皇とその母である亀山天皇皇后洞院佶子の他、亀山天皇、後宇多天皇皇后子内親王、後二條天皇分骨所にもなっています。 | ||
後宇多天皇蓮華峯寺陵 | 奥嵯峨野の風情・・・ええなぁ〜(*゜▽゜)/ | |
絵地図と解説パネル | のどかやな〜(*^-^*) | |
野菜などの自販機で嵯峨野産の新米3kgとサツマイモを買いました!(^-^)v | ||
名称・大沢池 | ||
嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたり中国の洞庭湖(どうていこ)を模して造られたところから、庭湖とも呼ばれる日本最古の池泉舟遊式庭園(林や泉水などのある庭園)です。天皇在世の頃は池中に龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の舟を浮かべ詩歌管弦遊びが行われました。池中には天神島・菊ケ島と庭湖石があり、この二島一石の配置が華道嵯峨御流の基本型に通じているとされます。池畔には茶室・望雲亭、心経宝塔、石仏、名古曽(なこそ)ノ滝跡などがあり周囲約800mで国指定の名勝地になっています。 |
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・・・ | 名勝・大沢池(平安期) | 大沢池解説パネル |
周囲約800mの大沢池(大覚寺) 中国の「洞庭湖」を模して造られたところから庭湖とも呼ぶ。 | ||
大覚寺の境内も時代劇の撮影ロケによく使われます・・・ | ||
・・・ | 大沢池のハス | |
名勝・大沢池 | 歌碑 | |
望遠レンズのカメラで大沢池の鳥を撮影する大勢のカメラマン (@_@;) | ||
大沢池石仏群(鎌倉中期) | ||
樹木を背にして二十体ばかりの大小の石仏がズラリと並び中央のに一列に並ぶ七体の石仏が大きく高さ約1.2m前後、花崗岩の自然石を光背形に荒く作り上げ前面に肉厚彫りされている様は壮観です。石仏は向かって右から薬壺を持った薬師、右手を上げた施無畏印、左手を膝上にのべた与願印の釈迦、宝冠を戴き両手を膝上に重ねて法界定印を結ぶ胎蔵界大日、上品上生の定印の弥陀(二体)、少し離れて左手に蓮華を持つ菩薩像が並びます。この内、二つ目の弥陀を除く五体は真言密教の曼荼羅にみる胎蔵界五仏として作られたとされます。左端の菩薩像は観音にも見えますが弥勒像とされます。これらの石仏はいずれも堂々とし顔は平安期の系統を引き継ぎ700余年の星霜を経てかなり風化していますが満月相が残っています。 |
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大沢池畔石仏 | ||
大沢池畔石仏・・・二十基を越える石仏は平安時代に遡ると伝えます。 | ||
・・・ | 菊が島と庭湖石 | 名古曽ノ滝跡へ・・・ |
名古曽(なこそ)ノ滝跡 | ||
藤原公任が滝跡を訪ねて「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」と詠んで歌の名所となった名古曽の滝跡は旧滝殿(嵯峨院)の邸内に設けられた滝でしたが水は早くに涸れ石組みの一部が残っています。 |
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中世の鑓水解説パネル | 名古曽ノ滝跡 | |
こま札 | 中御所築地塀跡開設 | ・・・ |
大沢池 | 大沢池、名古曽ノ滝解説パネル | |
名古曽ノ滝解説パネル | ・・・ | 心経宝塔 |
旧嵯峨御所 大覚寺門跡 | ||
嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の大本山で正しくは旧嵯峨御所大覚寺門跡と称します。元、嵯峨天皇の離宮でしたが貞観18年(876年)、離宮を改め寺となし淳和(じゅんな)天皇の第二皇子の恒寂法親王(ごうじゃくほっしんのう)を開祖として大覚寺と号したのが当寺の起こりです。鎌倉時代に後嵯峨、亀山両天皇も譲位後に当寺に入られたが後宇多法皇が第二十二代門跡となるに及び大いに伽藍造営に務め中興開山され、院政を当寺で執られたので嵯峨御所と呼ばれました。これより後宇多上皇の皇統は大覚寺統(後の南朝)と呼ばれ皇位継承などを巡って後深草上皇の持明院統(後の北朝)と対立、南北朝分立の原因となりました。明徳3年(1392年)南北朝講和となるや亀山天皇は当寺で北朝の後小松天皇に譲位されました。その後も皇室の帰依と武門の信仰により時運変る事なく明治初年に至るまで皇族の法親王が法脈を継がれ今も市中の大寺院とは違った貴族的な雰囲気が境内に漂っています。嵯峨天皇の「般若心経」書写に因んで写経の本山、道場としても知られます。生け花「嵯峨御流」の総司所も大覚寺に設立されています。 |
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旧嵯峨御所 大覚寺門跡 | ||
式台玄関 | ご朱印を頂戴しました!(^-^)v | |
式台玄関と緑の山々を表している見事な五葉松 | ||
江戸時代初期の木造切妻造本瓦葺の総門 | 亀山城から移築された明智門 | ・・・ |
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら) ☆地図 | ||
天台宗の古刹で奈良時代以前に東山の地に建立されました。当時は東山を愛宕(おたぎ)郡と言い、聖武天皇の娘・称徳天皇が愛宕の地に寺を建てたので愛宕寺と号しました。その後、平安時代初期に洪水で堂宇が流失しましたが、醍醐天皇の命で天台宗の僧・千観によって六波羅蜜寺の近くに再興されました。千観はいつも念仏を唱えていたので、民衆から念仏聖人とよばれたことから愛宕念仏寺とよばれるようになりました。大正時代に現在地に移されました。鎌倉時代に造られた本堂(重要文化財)周辺の境内には、参詣者の手で彫られた表情豊かな1200体もの羅漢石像が並んでいます。 |
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かつて愛宕鉄道が走っていた清滝街道 | 愛宕鉄道遺構の清滝隧道と試峠(右) | 愛宕(おたぎ)念仏寺 |
ユーモラスな羅漢石仏めぐり | あたご本地仏火除地蔵尊を祀る地蔵堂 | |
心が和む千二百羅漢石(*´ο`*)=3ホッ | ふれ愛観音堂 | Pちゃん背比べ観音だった、ふれ愛観音 |
釈迦の弟子となり仏教を広め伝えた僧達を阿羅漢といい親しく羅漢さんと呼びます。 | 鎌倉中期に再建された本堂(重文) | |
一般人が彫って奉納された千二百羅漢石仏 | ||
苔むしている千二百羅漢石仏もいい味出してます・・・ | 鎌倉中期に再建された本堂(重文) | |
三宝の鐘(三鐘)を撞く! (@^▽^@)/シャリ〜ン | 心が和むユーモラスな表情の千二百羅漢石(*´ο`*)=3ホッ | |
十八羅漢さん | 千二百羅漢石仏 | |
幻の右っす?!ガッツか?!ヾ(´Д`;●) | ご朱印と千社札なども頂きました!(^-^)v | 愛宕鉄道遺構の清滝隧道と試峠(右) |
愛宕街道(町並み保全地区) | 風情がある奥嵯峨・鳥居本 ☆地図 | |
奥嵯峨・鳥居本 ☆地図 | ||
愛宕街道(町並み保全地区) | ||
清涼寺(嵯峨釈迦堂) ☆地図 | ||
嵯峨野でも有数の古刹で五台山清涼寺と号し源氏物語・光源氏のモデルとされる嵯峨天皇皇子で左大臣・源融(みなもとのとおる)所縁の寺。当地は、元、左大臣・源融の別荘・栖霞観(せいかかん)があった所で寛平8年(896年)、源融の一周忌に融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置する阿弥陀堂を建てて寺に改め棲霞寺(せいかじ)と号した。天慶8年(945年)、源融と血縁深い式部卿宮重明親王が亡室の為に新堂を建立し金色等身の釈迦如来一体を安置。42年後の永延元年(987年)、南都東大寺の僧・「念(ちょうねん)は宋より帰朝後、請来した等身大の釈迦如来像と摺本一切径を当寺に安置しました。一説に釈迦堂の名起はこの時であるとも伝える。本尊の三国伝来の釈迦仏は有名で嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)として、今も多くの人々に崇拝されています。「念は愛宕山を中国の五台山に擬えて、その麓に大清涼寺を建立しようと考えました。長和5年(1016年)、「念没後、弟子の盛算は師の遺志を継ぎ棲霞寺内に一宇を営み釈迦像を安置し五台山清涼寺と号し都下万民の信仰を集め隆盛したが、軒を貸した棲霞寺は衰徴し、今は境内の阿弥陀堂に名を留めるに過ぎません。本尊・釈迦如来立像(国宝:宋)は、体内に五色の絹で作った五臓六腑(ごぞうろっぷ)とお経を持ち、生身(いきみ)のお釈迦様と称されています。近年、大阪城発掘時に見つかった豊臣秀頼の首塚が本堂横に祀られています。 |
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敬老の日のプレゼント?(^-^)v | 清涼寺塔頭・薬師寺(三地蔵尊) | 左から夕霧地蔵、六道地蔵、るり光地蔵 |
薬師堂(生の六道:小野篁遺蹟) | 大坂の陣戦没者供養碑(左)、豊臣秀頼首塚 | 清々しい境内 |
源氏物語、光源氏のモデルと伝える左大臣・源融(みなもとのとおる)墓所 | 多宝塔(府指定文化財:江戸期) | |
聖徳太子殿(夢殿) | 隠元筆「栴壇瑞像」の扁額を掲げる本堂 | |
清涼な境内 | 仁王門(府指定文化財:江戸期) | ・・・ |
渡月橋 | 空が高くなってきたでござる。 | |
渡月橋 | サイクリングロードの新嵐山起点(終点) | サイクリングロード |
間もなく久我橋@桂川左岸 | 久我橋サイロ取り付き口〜鴨川へ | 桂川〜鴨川を走るサイクリングロード |
敬老の日のケーキなどゲット!(^-^)v | 大手筋 | 風呂屋はないけど風呂屋町?!(≧▽≦)ぷっ |
Tourist.2014.0 |
関連サイト |
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G-京都一周トレイル北山西部〜西山コース(高雄・栂ノ尾高山寺〜嵐山)を歩く | |||
F-京都一周トレイル北山西部コース(鞍馬〜氷室〜京見峠〜沢の池〜栂ノ尾・高雄)を歩く | |||
E-京都一周トレイル北山東部コース(大原戸寺〜静原〜鞍馬)を歩くU | |||
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C-秋の東山三十六峰(哲学の道・鹿ケ谷〜瓜生山〜比叡山)を歩くW | |||
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