浪漫ちっく華街道
Pちゃんズの嵐山・嵯峨野界隈散策その四
化野念仏寺(あだしのねんぶつでら)〜化野の繭人形店「まゆ村」〜檀林寺〜祗王寺(ぎおうじ)〜滝口寺〜二尊院〜落柿舎(らくししゃ)〜野宮神社
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約8000体の無縁仏、石仏、石像、石塔 |
献灯、献香して合掌 O(-人-)O |
化野(あだしの)念仏寺編
化野念仏寺(あだしのねんぶつでら) |
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大同5年(弘仁元年:810年)頃に弘法大師が五智山如来寺を建立しました。後に法然上人の常念仏道場となり現在は浄土宗・華西山東漸院念仏寺と称します。本尊は阿弥陀如来で、湛慶の作と伝わります。本堂は江戸時代に再興されました。お盆の千灯供養は有名です。又、「あだし」とは、はかない、虚しいという意味で「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化ける事や極楽浄土に往生する願いなどを意味しています。化野は古来より、鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)と並ぶ都の葬送地でした。始めは風葬であった為に遺骸が野ざらし状態でしたが、後に土葬となり人々が石や石仏を奉り、その有様を「西院の河原:さいのかわら」と称して永遠の別れを悲しんだ所です。時が長く経ってしまい、殆どが無縁仏となっています。 |
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愛宕山街道(町並み保全地区) |
化野念仏寺参道 |
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化野念仏寺参道 |
境内 |
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境内 |
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枝垂れ桜 |
みず子地蔵尊 |
境内 |
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延命地蔵尊 |
約8000体の無縁仏、石仏、石像、石塔 |
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寺務所 |
本堂 |
本尊の阿弥陀如来像(湛慶の作) |
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阿弥陀如来像に向かって無縁仏様のご冥福を祈って焼香をして合掌 O(-人-)O |
竹林の道 |
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竹林の道(六面六体地蔵尊への参道) |
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六面六体地蔵尊 |
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地蔵尊はあらゆる場所に祀られ一番身近に拝む事の出来る仏様です。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人道、天道の六つの世界を六道と言います。六面六体地蔵尊は、それぞれに地蔵尊がおられ人々を救われる姿を現したもので、天道から人道へ時計の針が回る方向で六面六体地蔵尊に水を掛けながら罪罰を洗い流すという意味があるそうです。 |
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六面六体地蔵尊 |
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六面六体地蔵 |
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境内の参道 |
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約8000体の無縁仏、石仏、石像、石塔 |
山門 |
参道 |
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化野の繭人形店「まゆ村」 |
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日本、世界で此処だけの繭人形Only 1!という拘りのお店「まゆ村」・・・当地、あだしので創業26年だそうです。かわいい繭人形始め、癒しの空間がステキなお店と共にスタッフさん達のお持て成しにも感激しました。嵯峨野散策で疲れた時に気軽に立ち寄れる気さくなお店です。因みに村長夫人さんは、熱烈なHTファンだそうでPちゃんズのユニフォームに感激して頂けました?!☆⌒(*^∇゜)v |
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初めて寄せて頂いたPちゃんズでしたが、かわいい繭人形達や心温まる歓待に感激しました!ヾ(≧▽≦)ノ |
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檀林寺 |
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橘嘉智子(嵯峨天皇皇后)が建立しました。皇后として絶大な権力を握っていました。内親王(嘉智子の娘)の息子(嘉智子の孫親王)の王位継承を支持せずに他の親王を支持したと伝えます。 |
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門前と山門 |
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境内 |
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祗王寺(ぎおうじ) |
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平清盛の寵愛を受けていた白拍子の祗王が、推薦した白拍子の佛御前に清盛の寵愛を奪われてしまい世を悲しみ母、妹と共に尼になりこの庵に移り住みました。後に寵愛を受けた佛御前も尼となって、4人で念仏三昧に暮らしたと伝えます。 |
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祗王寺の参道、山門、本堂 |
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滝口寺 |
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「平家物語」の滝口入道と横笛の悲恋から寺名が由来しました。 本堂には二人の像と門前には横笛が詠んだ云う歌碑があります。 |
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祗王寺の境内 |
滝口寺山門 |
嵯峨野の駄菓子屋さん |
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二尊院(にそんいん) |
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浄土宗の寺院で、本堂には鎌倉時代に制作された「発遣(ほっけん)釈迦如来像」と「来迎(らいごう)阿弥陀如来像」の二体の本尊ある事から寺名が由来しています。裏山々腹には三条西実隆や角倉了以らの墓所があります。二尊院の紅葉の美しさは嵯峨随一と称されていますが、桜花も見事に咲き誇っています。 |
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門前 |
山門 |
境内と参道 |
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俳人・向井去来塚と歌碑 |
西行井戸 |
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西行井戸 |
町並み保全地区碑 |
有智子内親王(うちこないしんのう)陵 |
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落柿舎(らくししゃ) |
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松尾芭蕉の門下生であった俳人・向井去来が晩年を過ごした茅葺きの質素な草庵です。松尾芭蕉もこの草庵で「嵯峨日記」を記したと伝わります。ある時、この庭の柿の実が一夜の風で全部落ちてしまい、この家を買い取る約束をしていた商人をがっかりさせたところから、去来自らが「落柿舎の主」と名乗ったという逸話があります。主が在宅しているかの様に玄関脇の壁に笠と蓑が掛けられているのも風情があります。 |
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質素で侘びな門構えと草庵 |
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嵯峨野の里と嵐山 |
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涼やかな空間・・・竹林道を走り抜けます。(*^-^*) |
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竹林道 |
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野宮神社 |
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伊勢神宮に仕える伊勢斎宮(さいぐう/いせのいつきのみや)が身を清める為に建立された神社で皇大神宮の奉仕に赴く前に長からぬ間、篭られた斎(いつき)の跡と伝え天照大神を祀る旧村社です。伊勢斎宮は崇神天皇の御代、皇女・豊鋤入姫命(とよすきひめのみこと)に勅して天照大神を大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀られ垂仁天皇の御代に倭姫命(やまとのみこと)が天照大神を奉じて諸国を巡り遂に伊勢の五十鈴川の畔に皇大神宮を営み仕えたのが起こりとされ歴代天皇は斎宮を置かれ後醍醐天皇の皇女・祥子内親王まで続いたが中世の兵乱によって根絶しました。斎宮は天皇即位の時、未婚の皇女、女王から選ばれ一に斎王と言います。今の野宮神社は何時の野宮か明らかではないが簡素な黒木の丸太組の鳥居、小柴垣は往時の野宮を偲ばせています。源氏物語の舞台にもなり、恋の清算に訪れた源氏を忘れえぬ六条御息所の煩悶が描かれています。縁結びの社です。 |
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鳥居 |
本殿 |
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Tourist 2004.4.05(M) |
化野(あだしの)念仏寺は古の時代より、亡くなられた方達を葬送した地でした。殆どが無縁仏になっています。 約8000体の無縁仏、石仏、石像、石塔などが人の世の虚しさ、儚さ、悲しさを物語っています。 今回の散策では、色々と感じたり、学んだりできました。嵐山・嵯峨野界隈の素晴らしさも改めて満喫できました。 そして、素晴らしい桜花を楽しませて頂きました。次回は、紅葉の時期に続編コラムを必ず企画したいと思います。☆⌒(*^∇゜)v |