嵐山、奥嵯峨チャリ探訪

 

音にきく 蓬が島の 跡とめて 亀の尾山に われ家寄せり (亀山院御集)亀山上皇

 

城南宮〜嵐山サイクリングロード〜駅の足湯〜天龍寺(世界文化遺産)〜清涼寺〜愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら)

 

嵐山、嵯峨野

嵐山は平安貴族が紅葉狩り、船遊びに興じた景勝の地でした。今も桜、鵜飼い、紅葉、雪景色と四季折々に楽しませてくれる風景が広がり古刹、名刹も多く竹林の嵯峨野やしっとり赴き深い奥嵯峨へ続く辺りは人気の高い観光スポットです。一方、「源氏物語」、「平家物語」などの文学作品の舞台となった名所も点在し大堰川(桂川)上流の保津峡から渡月橋辺りにかけてはトロッコ列車、保津川下りを楽しめます。

城南宮(方除、鬼門除の神)

城南宮の由緒は、上古の時代、神功皇后は出陣に当たり、軍船の御旗に八千矛神を招き寄せて戦勝を祈願され、戦が終わると御旗は宮中で大切に保管されていました。桓武天皇が平安京に都を定めた時、御旗を城南の当地に御神体として納め、八千矛神(やちほこのかみ=大国主命:おおくにぬしのみこと)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后:じんぐうこうごう)の三柱、伊勢、石清水神社など七社が合祀され、都の南を擁護する神として祀られた。御旗の日月星の紋章が城南宮の三光の神紋の由来とされます。

Pちゃんズ、初チャリチャリでつ! (^_^)v 2006 初詣の参拝者で賑わっている城南宮
拝殿 本殿・・・参拝を済ませまつた! (^_^)
嵐山サイクリングロード(京都・八幡・木津自転車道線)

嵐山サイクリングロードは、桂川・渡月橋右岸(嵐山公園)〜木津川・泉大橋左岸間の全線約45kmにも及ぶ「自転車と歩行者の専用道」で正しくは、「京都・八幡・木津自転車道線」と言います。道中は舗装整備された道で走りやすく、四季折々の自然を満喫しながらファミリーでも安心して自転車散策を楽しめます。

Pちゃんズの愛車、キララとラッキー2号 嵐山サイクリングロード・・・無っ〜茶、強烈な向い風! (@_@;) 頑張れ!Pちゃん!!
久世橋の下へ・・・ 嵐山・渡月橋まで9km 新幹線でつ
JR京都線桂川橋梁 向い風が強烈なので休憩でつ σ(^◇^;) 桂大橋の下へ・・・
桂川と愛宕山 阪急電車が通過していまつ・・・ 西大橋(五条通り)を渡りまつ
向い風が強烈なのでサイクリングロードを離脱 松尾橋が見えてきました・・・愛宕山が霞んで見えないとです・・・
比叡山、比良山系が見えます サイクリングロードと亀山、小倉山、愛宕山 間もなく嵐山に到着!
渡月橋 さくら丸 もみじ丸
渡月橋を渡ります・・・人力車が走っているとです・・・ 下車しました・・・
嵐電(京福電車)・嵐山駅の嵐山温泉(駅の足湯) 足だけを浸けるから足湯でつ!アシカラズ?(^◇^;)
世界文化遺産・天龍寺

世界文化遺産にも登録されている臨済宗天龍寺派の大本山です。後嵯峨天皇の亀山離宮を暦応2年(1339年)、足利尊氏が吉野で崩御された後醍醐天皇の菩提を弔う為に夢窓疎石(むそうそせき)を開山として創建した禅寺です。天龍寺造営資金に困窮し、天龍寺船による対元貿易での利益を造営資金に充てたと伝わります。創建以来650余年、その間に8度の兵火にかかり、殆ど古建築を見る事が出来ません。現在の諸堂は明治時代に再建されました。特別名勝に指定されている曹源池庭園は夢窓国師の作庭で嵐山、小倉山、亀山などの借景を見事に取り入れた回遊式庭園は独特の優美さがあります。

えぇ〜湯じゃった〜 σ(^◇^;) 天龍寺総門 法堂(はっとう)
大方丈(おおほうじょう)

明治32年(1899年)に建造されました。桟瓦葺(さんかわらぶき)・入母屋造(いりもやづくり)で、天龍寺最大の建物です。曹源池の東側に位置し曹源池庭園は、この大方丈の回廊からの観賞目的として作られ、内部中央には釈迦如来坐像を安置しています。襖絵「龍之図」は若狭物外(わかさぶつがい)の筆だと伝えます。

下車場・・・後で移動されてまつた!σ(^◇^;) 大方丈(おおほうじょう) 庫裏(庫裡:くり)
 玄関(庫裏)の達磨之図と子ダルマ?σ(^◇^;) 大方丈(左)〜書院への回廊 大方丈(本堂)
木造釈迦如来座像(重文:平安期)が祀られる大方丈 法堂(はっとう) 若狭物外(わかさぶつがい)筆の襖絵「龍之図」
大方丈の回廊からゆっくりと観賞中・・・夢窓国師が作庭したと伝える池泉回遊式庭園の曹源池庭園(国史跡・特別名勝第一号)
不動明王之図@大方丈 大方丈の回廊 達磨之図@書院
嵐山を表した庭 多宝殿への回廊 吉野朝時代の紫宸殿造りの多宝殿
後醍醐天皇像が祀られる多宝殿 百花苑@多宝殿 書院
風格のある庫裏(くり)の内観と外観
デカ〜イ!鬼瓦 天龍寺最大建物の大方丈(本堂)
曹源池 吉野朝時代の紫宸殿造りの多宝殿 天龍寺俯瞰@望京の丘
望京の丘参道 曹源池庭園と書院 曹源池と大方丈
伏見城遺構と伝える勅使門 このお店、嵐山で有名らしいでつ・・・ 特製ハヤシライス、パスタセット・・・美味しそう
清涼寺(せいりょうじ)

清涼寺は嵯峨野でも有数の古刹で五台山清涼寺と号し源氏物語の光源氏のモデルとされる平安貴族の源融(みなもとのとおる)所縁の寺です。本尊の三国伝来の釈迦仏は有名で嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)として、人々に崇拝されています。左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘(棲霞観:せいかかん)を源融没後、寺に改め棲霞寺(せいかじ)と号し天慶8年(945年)、源融と血縁深い式部卿宮重明親王が亡室の為に新堂を建立し金色等身の釈迦如来一体を安置し42年後の永延元年(987年)、南都東大寺の僧・「念(ちょうねん)は宋より帰朝後、請来した釈迦如来像と摺本一切径を当寺に安置しました。「念は愛宕山を中国の五台山に擬えてその麓に大清涼字寺を建立しようと考えましたが長和5年(1016年)「念没後、弟子の盛算は師の遺志を継ぎ棲霞寺内に一宇を営み釈迦像を安置し五台山清涼寺と号し都下万民の信仰を集め隆盛し軒を貸した棲霞寺は衰徴し今は境内の阿弥陀堂に名を留めるに過ぎません。本尊の釈迦如来立像(国宝:宋)は、体内に五色の絹で作った五臓六腑(ごぞうろっぷ)とお経を持ち、生身(いきみ)のお釈迦様と称されています。近年、大阪城発掘時に見つかった豊臣秀頼の首塚が本堂横に祀られています。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 多宝塔 本堂@境内
隠元筆「栴壇瑞像」の大額を掲げる本堂 薬師堂(生の六道:小野篁遺蹟)
大坂の陣戦没者供養碑(左)、豊臣秀頼公首塚 嵯峨天皇、檀林皇后塔(右) 源融(みなもとのとおる)公供養塔
釈迦多宝塔石仏 境内からの仁王門 愛宕山街道(町並み保全地区)
愛宕山街道(町並み保全地区)・・・しっとり赴き深い風情の町並み
Pちゃん、坂道を頑張ってチャリチャリしていまつ・・・愛宕山街道(町並み保全地区) 一の鳥居(奥嵯峨・鳥居本)
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら)

天台宗の古刹で奈良時代以前に東山の地に建立されました。平安時代初期に洪水で堂宇が流失しましたが、醍醐天皇の命で六波羅蜜寺の近くに再興され、大正時代に現在地に移されました。鎌倉時代に造られた本堂(重要文化財)周辺の境内には、参詣者の手で彫られた表情豊かな1200体もの羅漢石像が並んでいます。

愛宕山街道(町並み保全地区) 仁王門(愛宕念仏寺山門) 千二百羅漢石像+子羅漢石像? σ(^◇^;)
千二百羅漢石像 参道 境内俯瞰
千二百羅漢石像 ふれ愛観音像・・・どっち???分からん?!(爆) よく触れられる箇所の色が変ってます!
苔むした千二百羅漢石像 本堂
千二百羅漢石像・・・真中の羅漢石像は「どもども」?! (^_^;)ゞ
多宝塔と伝教大師像 先代住職が彫られた釈迦像は、どっち?(^◇^;) 金色の虚空蔵菩薩像
境内にある千二百羅漢石像は一体々、表情が違いとってもユーモラス 地蔵堂
鐘(三宝の鐘:三鐘)を撞くPちゃん、変った鐘音が境内に響き何回も撞きました!(・_・)ヾ(^^; オイオイ 千二百羅漢石像
シャガの群生と千二百羅漢石像 Pちゃんズの愛車、キララとラッキー2号 愛宕山街道(町並み保全地区)
愛宕山街道(町並み保全地区) 繭人形Only1!!!「まゆ村」の美人おねーさんズ 愛宕山@渡月橋
嵐山@渡月橋 愛宕山@サイクリングロード 日が暮れまつた!走れ!メロス?!ん??Pちゃん!!!
 PちゃんのパナソニックNL841P(LEDライト)は強力! 阪急電車の踏み切りを通過(桂川右岸堤防) 久世橋を桂川左岸へ渡りまつ。。。
久世橋 暗闇のサイクルロードを走る子ダルマ?(^◇^;) 無事、帰還しまつた! (^_^)v

Tourist  2006.01.03(Tue)

 

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