徒然なるままに・・・山水散策

 

雪降りて 花かと見ゆる あらしやま 松と桜ぞ さすが変はれる   夢窓

 

久御山〜八幡〜淀〜サイクリングロード〜嵐山〜奥嵯峨野散策

 

宇治川のススキ河原

見事な臥竜の様な松(華台寺)

天王山(淀大橋/宇治川)

男山(淀大橋/宇治川)

石垣(淀城跡公園)

渡月橋と亀山、小倉山、愛宕山

大堰川と嵐山

多宝殿(天龍寺庭園)

落柿舎

愛宕街道(町並み保全地区/まゆ村)

野宮神社

黄昏の渡月橋

 

平安朝御牧馬寮跡(へいあんちょうみまきばりょうあと)

御牧とは牛馬を放牧する事で当地は早くから皇室御領地となり雑草の生い茂る沼沢地に多くの馬を放牧しました。延喜式に見える美豆厩(みずのうまや)とは当地の牧場を言い一に美豆ノ御牧とも言います。豊臣秀吉も朝鮮から持ち帰った馬を放し飼いにしたと伝わります。御牧は淀を経て大和河内に至る水陸交通の要所だったので往来した王朝歌人によって「刈りて干す 美豆(みず)の御牧の 夏草は しげりにけりな 駒もすさめず」など平安の古歌に詠まれました。美豆の御牧は、厩畠(うまやはた)11町、野地50町余りもあったとされる広大な御領牧場でした。美豆は宇治川を隔てて現在は伏見区淀町に属していますが昔は御牧の西北方にあってその間を木津川が北流し淀に至って宇治、桂川の二川と合流する水郷地だったと伝わります。現在は、水田と畑などが広がっています。

ススキ河原(国道1号線宇治川大橋)

平安朝御牧場寮跡

華台寺(けだいじ)

華台寺は寛仁3年(1019年)に開基されたと伝え、九品山往生院(くほんざんおうじょういん)と号し、中世末から近世初期にかけて天台宗寺院として皇室の帰依も深かったとされます。現在は、浄土宗に改宗し観音信仰の寺となり、西国三十三ヵ所の本尊の模刻像と霊場の砂が置かれ、居ながらにして功徳が得られる寺とされます。中島の釘貫(くぎぬき)から移築された地蔵堂があり、この地蔵堂の本尊である地蔵菩薩立像は、「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれて諸々の苦しみを抜き取ってくれるというありがたい地蔵です。境内には樹齢数百年という臥竜の様な見事な松がある。

華台寺

山門

本堂

樹齢数百年という臥竜の様な見事な松

大藤神社

拝殿

本殿

天王山(淀大橋)

与杼(淀:よど)神社

豊玉姫命・高皇産霊(たかみむすび)神・速秋津姫(はやあきつ)命を祀る旧郷社で淀界隈における唯一の式内社です。社伝によれば応和年中(961年〜63年)僧・千観内供(せんかんないぐ)が肥前国(佐賀県)佐賀郡河上神(与度日女(よどひめ)神)を勧進したと伝えます。

男山(淀大橋)

淀城跡公園の石垣

一の鳥居(与杼()神社)

二の鳥居

拝殿

本殿

淀城

淀城は、享保8年(1723年)5月、春日の局の子孫である稲葉丹後守正知が城主となってから明治維新迄の百数十年間、稲葉家10万2000石の居城となりました。天正17年(1589年)、豊臣秀吉は、側室・茶々(淀殿)の産所として弟・豊臣秀長の淀城を修築させました。4ヶ月後に長男・鶴丸を出産したが、鶴丸は3歳で病死しました。文禄4年(1595年)、秀吉は淀城を廃して築城中の伏見城へ建物を移し元和9年(1622年)、徳川幕府2代将軍・徳川秀忠は、伏見城を廃城とし、松平定綱が淀に新しく築城しました。伏見城天守閣を淀城に移す計画(二条城へ移築)で広大な天守台を築いたが、二条城の天守閣を移築した為に天守台が大き過ぎて天守の四隅に小櫓が急遽設けられました。宝暦6年(1756年)、落雷で天守閣は焼失しました。慶応4年(1868年)1月3日、鳥羽伏見の戦いが始まった時、淀城主・稲葉正邦は板倉勝静と共に老中職で、淀城は幕府軍の重要拠点の一つでした。この時、正邦は江戸にあり城の留守は家老・田辺権太夫が守っていました。1月5日、富ノ森、千両松の戦いで敗走した幕府軍(新撰組、会津、桑名藩など)は体勢を立て直すべく淀城に入ろうとしましたが、家老は薩長軍の要請を受け幕府軍に対して門を閉ざし彼らを城内に入れませんでした。幕府軍(新撰組、会津、桑名藩など)は仕方なく淀小橋、淀大橋を焼き払い橋本へ敗走します。藤堂藩、淀藩の背信が鳥羽伏見の戦敗を決定づけた一要因とされる所以です。淀城は薩長軍に開城しますが、家老・田辺権田夫は幕府軍兵数人が城内に入った責任を取って弟と共に切腹しました。淀君ゆかりの淀城は、この淀城跡公園から北東へ約500m行った妙教寺辺りで淀古城と言われています。

淀城跡碑

明治天皇御車駐処碑

本丸跡石垣

淀川瀬水車跡碑

淀には昔から水車が設けられ12世紀末の梁塵秘抄に「淀の川瀬の水車誰を待つやらくるくると」と和歌にも詠われ江戸時代には淀城の西南と北側(宇治川、桂川合流付近)の2ヵ所に設けられ大水車は直径8間、小水車は6間で淀城内に川水を汲み上げました。この水車は天正14年(1586年)、淀水運支配・河村与三右衛門が作ったとされ、元々は農業灌漑用水に利用されていました

淀川瀬水車跡碑

唐人雁木旧跡

戊辰役戦場跡碑(元・愛宕茶屋碑)

雁木とは、雁行形の階段の事で唐人雁木は、江戸時代に李氏朝鮮王から幕府へ派遣した朝鮮通信使が、上陸した船着場の石の階段でしたが道路舗装にあたって撤廃されました。

山門(妙教寺)

鳥羽伏見の戦いの慰霊碑

淀古城跡碑

近世の淀城址から北東に500m程行った所に納所(のうそ)という所に妙教寺があります。この付近が淀古城で天正15年(1587年)、豊臣秀吉が、淀城を修築しその妾・浅井氏を住まわせた事で「淀の君」、「淀の女房」とよばれ後に「淀君」ともよばれた為に淀は、一躍有名になったとか・・・鳥羽伏見の戦いでは、淀の妙教寺界隈(桂川・淀宮前橋界隈)は、桑名藩砲兵隊が陣取っていた為、薩長軍双方の砲弾が飛び交い本堂に命中し貫徹した跡や慰霊碑があります。千両松の戦いで戦死した新撰組副長助勤六番隊々長・井上源三郎の首を甥の井上泰助が埋めたとされる寺院の門前とは当寺ではないかと推察されています。傍らに太平洋戦争の敗戦直後、南方で逃亡した上官の身代わりに処刑された学徒出陣した20歳の青年(木村久夫)の時世の歌碑もあります。

歌碑(木村久夫)

本堂

戊辰役東軍戦死者埋骨地(愛宕茶屋跡)

桂川堤防沿いにあった愛宕茶屋は、当時戊辰戦争の激戦地でした。桂川堤防下にある銀杏の木の下に「戊辰役東軍戦死者埋骨地」の慰霊碑が建っています。

鳥羽伏見の戦慰霊碑(法伝寺)

嵐山サイクリングロードで・・・渡月橋、嵐山と愛宕山

慶応4年(1868年)1月3日、小枝橋辺りから戊辰戦争の開戦となった「鳥羽伏見の戦い」の火ぶたが切られこの付近は東西両軍の激戦地となり、「堤上、死骸粉粉、路を塞ぎ、行くべからざるなり」と当時の悲惨な記録が法伝寺に残っています。山門の北側に鳥羽伏見の戦(慶応4年1月3日)の東軍戦死者の慰霊塔がある。

琴聴橋跡

嵐山

平家物語所縁の小督(こごう)塚

天龍寺(世界遺産)

世界遺産にも登録されている臨済宗天龍寺派の大本山です。後嵯峨天皇の亀山離宮を暦応2年(1339年)、足利尊氏が吉野で崩御された後醍醐天皇の菩提を弔う為に夢窓疎石(むそうそせき)を開山として創建した禅寺です。天龍寺造営資金に困窮し、天龍寺船による対元貿易での利益を造営資金に充てたと伝わります。創建以来650余年、その間に8度の兵火にかかり殆ど古建築を見る事が出来ません。現在の諸堂は明治時代に再建されました。特別名勝に指定されている曹源池庭園は夢窓国師の作庭で嵐山、小倉山、亀山などの借景を見事に取り入れた回遊式庭園は独特の優美さがあります。。

法堂(はっとう)

庫裏(くり)

大方丈(おおほうじょう)

曹源池庭園(特別名勝:鎌倉期)

我が国で始めて特別名勝に指定されている曹源池庭園は夢窓国師の作庭で嵐山と亀山(小倉山)の借景を巧みにとりいれた回遊式庭園は優美で、独特の美しさをみせています。

大方丈(おおほうじょう)

曹源池庭園

野宮神社

伊勢神宮に仕える斎宮が身を清める為に建立された神社です。黒木の鳥居は丸太を組み合わせた簡素なものですが風情があります。源氏物語の舞台にもなり、恋の清算に訪れた源氏を忘れえぬ六条御息所の煩悶が描かれています。縁結びの社です。

多宝殿(希望の丘)

野宮神社

落柿舎(らくししゃ)

ひなびた茅葺き屋根の庵は、松尾芭蕉の弟子である向井去来(むかいきょらい)が晩年を過ごした所。ある秋、去来が商人に庭の柿の木になっている実を売る約束をしたが、その夜のうちに嵐ですべて落ちてしまい買約中の商人が驚き破談にした事から落柿舎と名付けたとされます。松尾芭蕉は元禄4年(1691年)4月18日に去来を訪ねて5月5日までの17日間滞在しその間に名所古跡を訪ね随想を書き留めたのが世にも有名な「嵯峨日記」です。落柿舎は去来の没後に荒廃しましたが明治になって有志の人達によって再興され舎中の庭からの嵐山、嵯峨野を望んで景観は良く俳望の隠棲に相応しい庵です。

竹林道

落柿舎

二尊院

浄土宗の寺院で、本堂には鎌倉時代に制作された「発遣(ほっけん)釈迦如来像」と「来迎(らいごう)阿弥陀如来像」の二体の本尊ある事から寺名が由来しています。裏山々腹には三条西実隆や角倉了以らの墓所があります。二尊院の紅葉の美しさは嵯峨随一と称されています。

風情ある愛宕街道(町並み保全地区/奥嵯峨野)

ほっこり、はんなり・・・まゆ人形「まゆ村」

比叡山と桂川

渡月橋と小倉山、愛宕山

さぁ〜!急いで帰ろう!!日が暮れました〜!!(@_@)

Tourist  2004.12.13(M)

 

あとがき

今回は2004年、ラスト探訪として「叡山・延暦寺」予定していましたが、私用など時間の都合がつかずに中止としました。

私用も一段落したので・・・さて?さて??さて???どーしよう???そーだ、映画の前売り券を買いに行こう!と気軽に出立!(;^_^A

久御山へ自転車で・・・o(*^▽^*)o 風が強いものの、天気もよく暖かだったので久御山〜八幡方面へ・・・淀大橋に遭遇!

エッ!こんな橋あったんか〜?!(いつも御幸橋を渡る)・・・そうだ!淀へ行こう!!淀城跡公園でノラ猫さんズとランチタイム!(^▽^;)

鳥羽伏見戦跡を巡りながら嵐山サイクリングロードへ進入!・・・そうだ嵐山へ行こう!!!・・・天龍寺の名庭園など散策して来ました!

まさしく、徒然なるままに・・・チャリぽたリングして来ました。本にも載っていないような社寺にも遭遇し満喫できました!

ラスト探訪コラムになると思いますが・・・1200年の歴史ある古都・京都はチャリで走れば史跡にあたる!でっす!!!(^-^)v

私的感覚重視でサイト運営していますが皆様方にも楽しんで頂ければ管理人冥利に尽きるというものです!(^_-)

お付き合い頂いた皆様方、ありがとうございました。どうか皆様方も良き2005年をお迎え下さい・・・m(_ _)m 管理人・Syo

 

関連サイト

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