菟道うじ源氏物語「宇治十帖」古跡散策その壱

 

水まさる おちの里人 いかならん 晴れぬ眺めに かきくらすころ 源氏物語「浮舟巻」

 

源氏物語「宇治十帖」古跡探訪など・・・萬福寺〜三室戸寺〜宇治十帖古跡など

 

源氏物語「宇治十帖」遺蹟など・・・萬福寺〜三室戸寺〜宇治川右岸〜左岸〜浮島(塔ノ島、橘島)などをOちゃんのバケラッタ号で探訪しました。

源氏物語「宇治十帖」

紫式部像

源氏物語[宇治十帖]モニュメント

紫式部が著した世界的に有名な古典文学「源氏物語」は全編五十四帖からなり最後の十帖は宇治を舞台にしている事から、通称「宇治十帖」と呼ばれ、そのゆかりの古跡が後世、好事家達により定められ、宇治橋を中心とした宇治川の両岸に10ヶ所点在しています。

宇治十帖古跡全体を象徴するモニュメントで、ヒロイン「浮舟」と「匂宮」が小舟で宇治川に漕ぎ出す場面をモチーフとしています。宇治神社前、朝霧橋西畔にあります。

源氏物語・第四十五帖〜第五十四帖「宇治十帖」古遺

[第四十五帖・橋姫(はしひめ)]之古跡

[第四十六帖・椎本(しいがもと)]之古跡

「橋姫の 心を汲みて 高瀬さす 棹のしづくに 袖ぞぬれぬる」

「立ち寄らん 蔭と頼みし 椎が下 むなしき床(とこ)に なりにけるかな」

宇治橋西詰にある橋姫神社が橋姫の古跡です。

京阪宇治駅東南にある彼方(おちかた)神社が椎本の古跡です。

[第四十七帖・総角(あげまき)]之古跡

[第四十八帖・早蕨(さわらび)]之古跡

「あげまきに 長き契りを 結びこめ 同じところに よりもあはらん」

「この春は 誰にか見せん なき人の 形見に摘める 峰のさわらび」

宇治上神社の北側、大吉山の登り口にあります。

宇治神社の北側、宇治上神社南側の散策道沿いにあります。

[第四十九帖・宿木(やどりぎ)]之古跡

[第五十帖・東屋(あづまや)]之古跡

「やどり木と 思ひだすは 木の下の 旅寝もいかに 淋しからまし」

「さしとむる 葎(むぐら)やしげき 東屋の あまり程ふる 雨そそぎかな」

喜撰橋から宇治川左岸を上流に行った所にあります。

京阪宇治駅の東南にある東屋観音石像が東屋の古跡です。

[第五十一帖・浮舟(うきふね)]之古跡

[第五十二帖・蜻蛉(かげろう)]之古跡

「橘の 小島は色も 変らじを この浮舟ぞ ゆくへ知られぬ」

「ありと見て 手には取られず 見ればまた 行くへも知らず 消えしかげろふ」

三室戸寺の境内、鐘楼のとなりにあります。

京阪宇治駅から三室戸寺に向かう小道の途中にある蜻蛉石が蜻蛉の古跡です。

[第五十三帖・手習(てならい)]之古跡

[第五十四帖・夢浮橋(ゆめのうきはし)]之古跡

「身を投げし 涙の川の 早き瀬を しがらみかけて 誰かととどめし」

「法のりの師と 尋ねる道を しるべにて 思はぬ山に ふみまどふかな」

三室戸の府道京都宇治線沿いにあります。

宇治橋西詰の南側にあります。

番外編

蛍ヶ淵「蛍塚」

喜撰橋から宇治川左岸を上流へ行くと宿木の古跡、蛍塚の碑があります。

 

長建寺

真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年〔1698年〕時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊弁才天は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は、"伏見の弁天祭"と言われています。境内には伏見七名水の閼伽(あか)水が湧き出ています。

酒蔵(宇治川派流)

竜宮造りの朱門が特徴の山門

手水:閼伽(あか)水

本堂

鉄橋(宇治川)

明治天皇御駐車処碑(観月橋)

三十石船(宇治川)

京阪電車・宇治線

山科川、宇治川合流地点

萬福寺

萬福寺は江戸時代(1654年)、中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍・家綱の崇敬を得て万治4年(4寛文元年:1661年)に開創された中国風寺院。日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つ、隠元禅師、木庵禅師、即非禅師など中国の名僧を原点とする黄檗宗の大本山です。萬福寺は創建後、兵火や大きな火災に遭わなかったので当時の伽藍状態で現在に至ります。強いて言えば門前の馬駐が無いくらいです。

墓参りへ@萬福寺塔頭・宝蔵院)

竜目井

竜目井駒の蹄影あしかげ園碑

竜目井・・・萬福寺門前左右にあり隠元禅師が掘らしめたと伝わり萬福寺を竜に例えて竜の目としたので天下の竜衆(僧侶)が挙げて萬福寺に集まる事を象徴したものと云います。駒の蹄影あしかげ園碑・・・昔、宇治の里人が茶樹を植える距離が分からず栂尾(とがお)の明恵上人に教えを乞うた時、上人が馬に乗り畑地を駆け巡りその蹄跡に茶樹を植える様にと教えました。当碑は同上人への感謝と功績を讃えて建てられました。

駒の蹄影園碑

総門(万福寺)

菊舎句碑

 三門

天王殿

 参道(三室戸寺)

三室戸みむろど

西国観音霊場十番の札所で、本山修験宗の別格本山です。宝亀年間(770〜80年)、光仁天皇の勅願により、三室戸寺の奥、岩淵で一体の黄金の千手観音菩薩を得て本尊として創建されたと伝わります。開創以来、天皇・貴族の崇拝を集め、堂塔伽藍が整い、霊像の霊験を求める庶民の参詣で賑わうこととなりました。宝蔵庫には平安の昔を偲ぶ五体の重要文化財の仏像が安置されております。現在の本堂は文化2年(1805年)に建立された重層入母屋造りの重厚な建築で、その背景には室町時代の十八神社社殿、東には鐘楼、三重塔があります。

山門(三室戸寺)

紫陽花苑(与楽苑)

参道

十三重石塔

階段からの参道

本堂と境内

芭蕉句碑、浮舟の古跡

芭蕉句碑・・・鎮守社の前にあり自然石に「山吹や宇治の焙炉(ほいろ)の匂う頃」と記されています。浮舟の古跡・・・浮舟は「源氏物語・宇治十帖」の主人公です。昔は奈良街道沿いに浮舟社という社があり水上交通の守り神でした。幾度かの移転をへて、現在地に置かれました。

芭蕉句碑

本堂(重層入母屋造り)

[第五十一帖・浮舟(うきふね)]之古跡

三重塔

元禄17年(宝永元年:1704年)に建てられたものですが、もとは兵庫県三日月町の高蔵寺にあったもので、明治43年(1910年)に移建されました。

三重塔

阿弥陀堂

鐘楼

宝勝牛(牛玉)

三室戸寺に観音詣でをした富右衛門という百姓が飼っていた弱々しい牛が、観音様のご利益で立派な牛になり、地域一番の権兵衛の牛に戦い勝ち、その時の報奨金で牛の仲買人として成功したという故事により、この宝勝牛がくわえている牛玉の観音様に触れると、勝運に恵まれると伝わり。当方もしこたま触りまくりました。(^_^;)どもども 宝勝牛の傍に元横綱・貴乃花と若乃花運勝祈願の手形があります。

宝勝牛(牛玉)

宝蔵庫

本殿(十八神社:重文:室町期)

十八神社境内

三室戸寺境内の蓮花

手水:不動水

本堂への階段

与楽苑入り口

枯山水

池泉

一万株の紫陽花苑(与楽苑)

一万株の紫陽花苑(与楽苑)

[第五十二帖・蜻蛉(かげろう)]之古跡

蜻蛉石

蜻蛉かげろう石(蜻蛉かげろう之古跡)、総角あげまき之古跡

蜻蛉かげろう石(蜻蛉かげろう之古跡)・・・蜻蛉石は高さ2m程の自然石に線刻された石仏で覆屋もなく古来、風雨に冒され表面はよく見えません。両手を膝の上に合わせて定印を結ぶ阿弥陀如来坐像、右側面に蓮台をもった観音菩薩、左側面に合掌する勢至菩薩坐像を線彫りに刻まれています。この石仏は藤原期(平安期)に流行した阿弥陀三尊来迎図を表した古い遺品とされ平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像(国宝)に匹敵する程の貴重な文化財です。総角あげまき之古跡・・・蜻蛉石は源氏物語「宇治十帖:蜻蛉の巻」に因んで[第五十二帖・蜻蛉(かげろう)]之古跡に付会されました。付近の宇治神社、宇治上神社には八の宮のモデルと推定されている莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)が祀られ、平等院の対岸でもある事など、この付近一帯が八宮邸跡と想定され、総角の古跡とされました。

蜻蛉石碑

源氏物語ミュージアム

[第四十七帖・総角(あげまき)]之古跡

与謝野晶子「宇治十帖歌碑」

幼い頃から古典文学に親しんだ与謝野晶子は、紫式部を終生の師と仰ぎ、源氏物語の現代語訳にあたりました。昭和13年(1938年)61歳の時、「新新訳源氏物語」全6巻を完成させ、加えて源氏物語五十四帖を五十四首の歌で再編成した「源氏物語礼讃」を著しました。歌碑には、宇治十帖の十首が与謝野晶子の真筆で刻まれています。

与謝野晶子「宇治十帖歌碑」

山門(宇治上神社)

拝殿(国宝)

宇治上神社(世界遺産)

元は下社の宇治神社と一体で平等院の鎮守社ともいわれ明治維新までは、「離宮上社」と呼ばれていました。本殿は平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築です。祭神は応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、兄の仁徳天皇とされています。境内正面の拝殿は鎌倉初期のもので、寝殿造りの様相を伝えています。特に縋破風(すがるはふ)といわれる手法を用いた屋根の美しさは格別です。三棟の内殿を一列に並べて、共通の覆い屋で覆った特殊な形式の建物で、左右の社殿にある蟇股(かえるまた)も建築年代を示すものです。

神木・楠

桐原水(きりはらすい)

桐原水(きりはらすい)

室町時代に「宇治七名園」が作られ、それに伴いお茶に欠かせない水にも「宇治七名水」が定められ、桐原水一つに数えられました。現在他の六名水は失われましたが、桐原水だけが、今もなお枯れる事なく涌き出していますが残念ながら生での飲料水としては不可のようです。

天降石と春日社

厳島社

稲荷社

春日社、本殿(国宝)

春日社・・・平等院の鎮守社であった離宮社に、藤原氏が一族の繁栄を願って建てたものと伝わります。鎌倉時代の建築で重要文化財に指定されています。本殿(国宝)・・・覆屋(おおいや)のある本殿には、三社が収められ、祭神は向かって右が「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)(弟)」真中が「応神天皇(父)」、左が「仁徳天皇(兄)」とされています。それぞれ神殿としては小規模ですが、その造りは大変優雅で、神社築としては日本最古のものと伝わり、建築年代は平安時代後期と推定され国宝に指定されています。

稲荷社

本殿

鳥居

早蕨さわらび之古跡

早蕨の巻も、大半は八宮(はちのみや)邸が舞台となっています。現在の古跡碑地は、そばの宇治神社、宇治上神社が八宮のモデルではないかと推定されています。莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)が祭られている事、宇治川を挟んで平等院の対岸である事などから付近一帯が八宮邸跡と推定され早蕨の古跡とされています。

[第四十八帖・早蕨(さわらび)]之古跡

宇治神社

鳥居と狛犬

宇治神社

地域の産土神(うぶずながみ)であった離宮社は、対岸に平等院が建立されると、その鎮守社としての地位も与えられました。江戸時代迄は宇治神社と宇治上神社は一対でした。この一帯は応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡と考えられ、皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが両神社の縁起と伝わります。応神天皇の離宮とも関わりがあったと思われ、「離宮社」、「離宮八幡」などと称されました。

句碑

本殿(重文:鎌倉期)

宇治十帖モニュメント

宇治川右岸の朝霧橋の手前にあります。源氏物語「宇治十帖」では、浮舟(女性)は薫に連れられて宇治に移りますが、匂宮(男性)は浮舟の居場所を探して宇治を訪れ、二人は小舟で橘島へ渡りました。モニュメントはその場面をモチーフされました。

拝殿

宇治十帖モニュメントと朝霧橋

鳥居と狛犬(宇治神社)

Tourist  2004.06.28(M)

 

今回のコラム菟道うじ:源氏物語「宇治十帖」古跡散策も二部構成となります。

 

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