宇治テクテク探訪

 

山吹や 宇治の焙炉(ほいろ)の にほふ時  芭蕉

 

西岸寺(油懸地蔵尊)〜三室戸寺〜蜻蛉石(蜻蛉之古跡)〜総角之古跡〜大吉山(仏徳山)〜興聖寺〜宇治神社〜宇治上神社

 

宇治

京都と奈良を結ぶ交通の要衝で古来、歴史に登場した地です。水と緑豊かな美しい景観が今も残り、宇治川両岸に世界文化遺産の平等院、宇治上神社などの古社寺が佇みます。五十四帖からなる『源氏物語』の「橋姫」、「浮舟」など、最後の十帖は宇治が舞台です。宇治橋〜三室戸寺にかけて、これに因んだ石碑や石仏が建てられ古蹟を訪ね歩く人も多く、『源氏物語』の世界を体感できる源氏物語ミュージアムもあり、味わい豊かな宇治茶でも知られます。

西岸寺(油懸地蔵尊)

昔、大山崎から一人の油商人が油桶を荷って西岸寺の門前にさしかかった時に転んでしまい、油桶がひっくりかえって油は、ほとんど流れ出てしまいました。大切な油を失った商人が、これも災難と諦めて気を取り直し、桶の底に僅かに残った油を地蔵尊にかけて帰りました。その後、商人の商売が繁盛して大金持ちになった事に因んで、地蔵尊は「油懸地蔵尊」と呼ばれ、この辺りの地名の由来になっています。この地蔵尊は、鎌倉期に作られたと伝えます。

芭蕉句碑 西岸寺 油掛地蔵尊
三十石船@寺田屋浜 京阪中書島駅 「宇治行き」おけいはん2600系
三室戸(みむろど)

西国三十三所第十番の観音霊場(札所)として古来、寺名は世に名高く、明星山と号し元は天台宗寺門派(三井寺)に属したが今は、本山修験宗の別格本山です。寺伝によると光仁天皇の宝亀年間(770〜80年)、禁中に奇端があり右少弁・藤原犬養は勅命によって当地を探ったところ菟道(うじ)山の奥、志津川上流(岩淵)において一体の黄金の仏像(千手観音菩薩)を得ました。光仁天皇は叡感のあまり御室を移して尊像を安置し御室戸(みむろど)寺と名付けたのが当寺の起こりと伝えます。開創以来、天皇、貴族の崇拝を集め、堂塔伽藍が整い、霊像の霊験を求める庶民の参詣で賑わう事となりました。宝蔵庫には平安の昔を偲ぶ五体の重要文化財の仏像が安置されます。現在の本堂は文化2年(1805年)に建立された重層入母屋造りの重厚な建築で、その背景には室町時代の十八神社、東には鐘楼、三重塔があります。

京阪三室戸駅 三室戸寺 寺号碑
句碑 参道 紫陽花苑(与楽苑)
雨に濡れ色鮮やかな一万株の紫陽花苑(与楽苑)
一万株の紫陽花苑(与楽苑)
一万株の紫陽花苑(与楽苑) テマリアジサイ
ガクアジサイ(額紫陽花)は、周辺の花びらだけ(装飾花)が開き、額縁のように見えます。
ガクアジサイ(額紫陽花) ハナショウブ?!多分(;^◇^ゞ 池泉回遊式庭園
枯山水石庭 本堂への階段 境内
芭蕉句碑

鎮守社の前にあり自然石に「山吹や宇治の焙炉(ほいろ)の匂う頃」と記されています。

芭蕉句碑 7月が見頃・・・ハスの花
7月が見頃・・・ハスの花
宝勝牛(牛玉)

三室戸寺に観音詣でをした富右衛門という百姓が飼っていた弱々しい牛が、観音様のご利益で立派な牛になり、地域一番の権兵衛の牛に戦い勝ち、その時の報奨金で牛の仲買人として成功したという故事により、この宝勝牛がくわえている牛玉の観音様に触れると、勝運に恵まれると伝わり。当方もしこたま触りまくりました。(^_^;)どもども 宝勝牛の傍に元横綱・貴乃花と若乃花運勝祈願の手形があります。

若貴兄弟(若乃花、貴乃花)の手形 勝運祈願の宝勝牛(牛玉)
祈願太い線香を3本、供えて合掌・・・本堂 十八神社(本殿:重文:室町期)
三重塔

元禄17年(宝永元年:1704年)に建てられたものですが、元は兵庫県三日月町の高蔵寺にあったもので、明治43年(1910年)に移建されました。

お願い地蔵尊 鐘楼と三重塔
浮舟の古跡

浮舟は「源氏物語・宇治十帖」の主人公です。昔は奈良街道沿いに浮舟社という社があり水上交通の守り神でした。幾度かの移転をへて、現在地に置かれました。

[第五十一帖・浮舟(うきふね)]之古跡 境内 十三重石塔
一万株の紫陽花苑(与楽苑)
蜻蛉(かげろう)石(蜻蛉かげろう之古跡)

蜻蛉石は高さ2m程の自然石に線刻された石仏で覆屋もなく古来、風雨に冒され表面はよく見えません。両手を膝の上に合わせて定印を結ぶ阿弥陀如来坐像、右側面に蓮台をもった観音菩薩、左側面に合掌する勢至菩薩坐像を線彫りに刻まれています。この石仏は藤原期(平安期)に流行した阿弥陀三尊来迎図を表した古い遺品とされ平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像(国宝)に匹敵する程の貴重な文化財です。蜻蛉石は源氏物語「宇治十帖:蜻蛉の巻」に因んで[第五十二帖・蜻蛉(かげろう)]之古跡に付会されました。

一万株の紫陽花苑(与楽苑) [第五十二帖・蜻蛉(かげろう)]之古跡 蜻蛉石(線刻阿弥陀三尊仏)
阿弥陀三尊仏が線刻されていますが、風化していて分かり辛い?!(>_<) 線刻阿弥陀三尊仏駒札
さわらびの道 イロハモミジのトンネル「源氏の小径(こみち)」 大吉山(仏徳山)分岐
総角(あげまき)之古跡

付近の宇治神社、宇治上神社には八の宮のモデルと推定されている莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)が祀られ、平等院の対岸でもある事など、この付近一帯が八宮邸跡と想定され、総角の古跡とされました。

[第四十七帖・総角(あげまき)]之古跡 総角(あげまき)之古跡駒札 大吉山(仏徳山)山頂へ・・・
宇治市街地俯瞰@大吉山(仏徳山)展望台 世界文化遺産「平等院」俯瞰
宇治橋俯瞰 大吉山(仏徳山)三等三角点(点名:旭山/標高:131.80m)
東海自然歩道案内図 興聖寺へテチテチ・・・ 発電所は立ち入り禁止!(>_<)
興聖寺

仏徳山と号する曹洞宗永平寺派の寺で道元禅師を開山とします。道元禅師は当初、深草極楽寺の境域に一宇を建て興聖寺と号したが寺は廃絶しました。慶安元年(1648年)、淀城主・永井信濃守尚政によってこの地に再興されました。 山吹、桜、ツツジやサツキなどが多く対岸の平等院に匹敵する名所で宇治十二景の一つとされます。法堂(はっとう:本堂)にある平安時代中期の木像聖観音立像は、源氏物語「宇治十帖」古跡(手習の社)に祀られている事から手習観音とも呼ばれます。本堂は、伏見城から移築したもので血の手形が残る天井や鴬張りの廊下などがあります。

興聖寺へテチテチ・・・ 興聖寺 中国風の三門
参道@境内 鐘楼 伏見城遺構と伝える本堂(法堂:はっとう)
三面大黒尊天 境内 鎮守社「秋葉大明神」
琴坂(興聖寺:こうしょうじ)

桜や楓が茂る興聖寺の入口〜三門に至る参道は、両脇を流れるせせらぎの音が琴の音色のように聞こえる事から琴坂と呼ばれています。

不動明王像 琴坂 石門(興聖寺)
浮島十三重石塔(重文:鎌倉期)

塔ノ島中央にあり花崗岩製で高さ15m、我が国現存中最大の十三重石塔です。弘安9年(1286年)、奈良西大寺の僧・叡尊(興正菩薩)が宇治橋の架け替えに際して建立したもので上人は橋の流失は乱獲される魚霊の祟りであるとし殺生の罪を戒め網代を捨ててこの地に経巻共に埋め供養塔としたものと伝わります。石塔は宝暦6年(1756年)の大洪水で倒れ、約150年間埋没していたものを明治41年(1908年)に発掘されて再建されました。一説に上から五番目の塔芯を石川五右衛門が盗み出し伏見の藤森神社の手水の水鉢であるとされます。

日本最大の浮島十三重石塔 浮島(塔ノ島、橘島)と朝霧橋@
宇治神社、宇治十帖モニュメント

宇治神社・・・地域の産土神(うぶずながみ)であった離宮社は、対岸に平等院が建立されると、その鎮守社としての地位も与えられました。江戸時代迄は宇治神社と宇治上神社は一対でした。この一帯は応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡と考えられ、皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが両神社の縁起と伝わります。応神天皇の離宮とも関わりがあったと思われ、「離宮社」、「離宮八幡」などと称されました。宇治十帖モニュメント・・・宇治川右岸の朝霧橋の手前にあります。源氏物語「宇治十帖」では、浮舟(女性)は薫に連れられて宇治に移りますが、匂宮(男性)は浮舟の居場所を探して宇治を訪れ、二人は小舟で橘島へ渡りました。モニュメントはその場面をモチーフされました。

宇治十帖モニュメントと朝霧橋 宇治神社 拝殿
早蕨(さわらび)之古跡

早蕨の巻も、大半は八宮(はちのみや)邸が舞台となっています。現在の古跡碑地は、そばの宇治神社、宇治上神社が八宮のモデルではないかと推定されています。莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)が祭られている事、宇治川を挟んで平等院の対岸である事などから付近一帯が八宮邸跡と推定され早蕨の古跡とされています。

本殿(重文:鎌倉期) [第四十八帖・早蕨(さわらび)]之古跡 早蕨(さわらび)]之古跡駒札
宇治上神社(世界遺産)

元は下社の宇治神社と一体で平等院の鎮守社ともいわれ明治維新までは、「離宮上社」と呼ばれていました。本殿は平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築です。祭神は応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、兄の仁徳天皇とされています。境内正面の拝殿は鎌倉初期のもので、寝殿造りの様相を伝えています。特に縋破風(すがるはふ)といわれる手法を用いた屋根の美しさは格別です。三棟の内殿を一列に並べて、共通の覆い屋で覆った特殊な形式の建物で、左右の社殿にある蟇股(かえるまた)も建築年代を示すものです。

宇治上神社 拝殿(国宝:鎌倉期)
又振(またふり:末多武利)社

又振(またふり)社は宇治の民部卿(みんぶきょう)と称された藤原忠文を祀る小さな鳥居と祠の神社です。辺りの地名も「又振」と言い、源氏物語「宇治十帖」の中で浮舟が詠んだ歌中の「またふり」という詞で、匂宮は浮舟が宇治にいる事を見破りました。

又振(またふり:末多武利)社 又振(またふり:末多武利)社駒札 京都府茶業会館
橋寺放生院

雨宝山と号する真言律宗の寺で一に常光寺として地蔵尊を祀り道路交通の安全を祈る寺として古くから知られます。寺伝によれば大化2年(646年)、僧道登が宇治橋を架けた時に宇治橋の守り寺として併せて建立したとされるが弘安9年(1286年)西大寺の僧叡尊が宇治橋の架け替えにあたり橋供養をした時だとされます。断碑は、上下二つに割れたものを一つに繋ぎ合せ碑文は大化2年(646年)、僧道登によって宇治橋が初架橋されたと記します。元橋畔にあったのがいつの世にか流出し行方不明でしたが寛政3年(1791年)、たまたま付近土中から断片が発見され、失った部分を補ったのが現在の石碑で日本最古の石碑とされますが近年、古さを誇示する為に平安初期頃に偽作されたという説もあります。

開運不動尊 山門(橋寺放生院) 日本最古?の石碑「断碑」
本堂 宇治橋 彼方(おちかた)神社
[第四十六帖・椎本(しいがもと)]之古跡 [第五十帖・東屋(あづまや)]之古跡・・・東屋観音と宝篋印塔(ほうきょういんとう)
東屋観音移転之記碑 JR宇治川鉄橋 京阪宇治駅
「中書島行き」おけいはん10000系 運転席@おけいはん10000系

次は六地蔵駅でつ。。。(;^◇^ゞどもども

間もなく中書島駅でつ。。。(;^◇^ゞどもども

京阪中書島駅

 Tourist  2006.06.26(M)

 

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