源氏物語とお茶の町・宇治
法のりの師と 尋ねる道を しるべにて 思はぬ山に ふみまどふかな 源氏物語第五十四帖・夢浮橋(ゆめのうきはし)
西国三十三所第十番札所 宇治・三室戸寺〜大吉山〜朝日山、朝日山観音〜興聖寺〜恵心院〜中村藤吉平等院店
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仏徳山(大吉山)と朝日山、応神天皇の皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ) ☆地図 |
仏徳山(大吉山)・・・興聖寺の山号に因んで近年に名付けられたもので、宇治上神社や興聖寺の背後にある山で朝日山の支峰とします。「万葉集」に挽歌としてかかげる菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の歌に因んで今木の嶺ともいい、また宇治離宮桐原日桁宮址(きりはらのひけたのみやあと)に因んで離宮山、桐原山とも言われます。山頂の展望台から南を望むと却下に平等院、宇治の街々を隔てて栗子山が前方に横たわります。朝日山・・・大吉山(仏徳山)の東に聳える円錐形の優婉な山で宇治の東にあり朝日を受けるのでこの名が生じたと伝える。宇治名山の一として古来、歌に謡曲に歌われ、観月の地としても知られる。山頂には、朝日観音堂があり菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓と伝える経塚があります。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)・・・父・応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたが、異母兄・大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、後の仁徳天皇)に皇位を譲るべく自ら果てたという美談で知られる。『山城国風土記』逸文に桐原日桁宮に住まい、応神天皇が崩じた後、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと:仁徳天皇)と皇位を譲り合うこと3年。永らくの空位が天下の煩いになると思い悩んだ太子は互譲に決着を期すべく、自ら果てた。尊は驚き悲しんで、難波から菟道宮に至り、遺体に招魂の術を施したところ、太子は蘇生し、妹の八田皇女を献ずる旨の遺言をして、再び薨じたと伝える。菟道山上(『延喜式』諸陵寮に宇治墓)に葬られた。同墓は現在、宇治市莵道丸山の丸山古墳(前方後円墳・全長約80m)に比定され、宮内庁の管理下にあるが、この地は宇治川右岸に近接して「山上」と呼ぶには相応しくない。 |
納屋町商店街 | 竜馬通り商店街 | 宇治川派流上流(寺田屋浜) |
宇治川派流下流 | 朝ドラ・カーネーションでロケされていた酒蔵 | |
長建寺 | ||
真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年(1698年)、時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊弁才天は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は、"伏見の弁天祭"と言われています。境内には伏見七名水の閼伽(あか)水が湧き出ています。 |
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十石舟弁天橋乗り場 | 島の弁天さんと呼ばれる長建寺・・境内の緑が美しい!(*゜▽゜)/ | |
レトロチックな銭湯 | 京阪中書島駅前商店街 | |
京阪中書島駅 | 伏見は幕末の町・名酒の町 | 解説 |
伏見の清酒 | 2600系、宇治行き普通車に乗車します!(*゜▽゜)/ | |
西国三十三所第十番札所 宇治・三室戸寺 ☆地図 | ||
西国三十三所第十番の観音霊場(札所)として古来、寺名は世に名高く、明星山と号し元は天台宗寺門派(三井寺)に属したが今は、本山修験宗の別格本山です。寺伝によると光仁天皇の宝亀年間(770〜80年)、禁中に奇端があり右少弁・藤原犬養は勅命によって当地を探ったところ菟道(うじ)山の奥、志津川上流(岩淵)において一体の黄金の仏像(千手観音菩薩)を得ました。光仁天皇は叡感のあまり御室を移して尊像を安置し御室戸(みむろど)寺と名付けたのが当寺の起こりと伝えます。開創以来、天皇、貴族の崇拝を集め、堂塔伽藍が整い、霊像の霊験を求める庶民の参詣で賑わう事となりました。宝蔵庫には平安の昔を偲ぶ五体の重要文化財の仏像が安置されます。現在の本堂は文化2年(1805年)に建立された重層入母屋造りの重厚な建築で、その背景には室町時代の十八神社、東には鐘楼、三重塔があります。 |
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三室戸駅で下車 | 三室戸寺へ・・テチテチ | 西国三十三所第十番札所 宇治・三室戸寺 |
蛇体橋(三室戸寺) | ||
むかし、むかし、ある所のある日、男が畑に行くと蛇が蛙(かえる)を飲み込もうとしていた。 |
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雨が降る日には蛇影が現れるという蛇体橋 | ・・・ | 山アジサイの一種・武蔵野? |
日本最古のテマリ花・ホンアジサイ | 一万株の紫陽花苑(三室戸寺 与楽苑)・・今年は満開には少し早かったな ブルー系が多い?! | |
山門 | ・・・ | 霊泉・不動水 |
宇賀神、財運・金運の蛇神、頭は老翁、体は蛇 | 芭蕉句碑 | 7月上旬〜8月中旬にハスの花が見ごろを |
モリアオガエルの卵が(@_@) | 親鸞の父・日野有範の墓と伝える阿弥陀堂 | |
境内 | 可愛いお願い地蔵さん? | [第五十一帖・浮舟(うきふね)]之古跡 |
鐘があるから鐘を撞く?!(^-^)v | 兵庫県三日月町の高蔵寺にあったもので、明治43年(1910年)に移建された三重塔 | |
本堂(府文化財:江戸期)・・・祈願線香を3本献香して3つの願掛けと感謝して合掌 | ||
狛牛さん?なでると勝運がつくといわれる宝勝牛 | 狛兎?玉中に卵型石があり立てば願いが叶うとか・・見事に立ってるだろっ!ワイルドだぜ?!(^^ゞ爆 | |
元横綱の若貴兄弟(若乃花、貴乃花)の手形 | 境内 | 一万株の紫陽花苑(与楽苑) |
・・・ | ホワイティーなカシワバアジサイ ? | ハート?ミッキー??o(*^▽^*)oあはっ♪ |
Wonderful! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | コバルトブルーが美しいテマリエゾアジサイ | |
Beautiful! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | ||
X'masぽっい、ドイツ産改良種のグリュンヘルツ | 綺麗だろっ?! (・_・)☆ヾ(^^ ) スギちゃんか?! | |
紫陽花苑(与楽苑)・・・ぺっぴんさんに声かけられて?いっぷく〜!!( ^-^)o旦~~ 爆 わらび餅と冷やしアメを美味しく、いただきました〜!(^^♪ | ||
伝統工芸師の清水焼きの酒器を買いました・・ | [第五十二帖・蜻蛉(かげろう)]之古跡 | 定印を結んで座する阿弥陀如来 |
合掌して座する勢至菩薩 | 両手で蓮台を捧げて座する観音菩薩 | さわらぴの道 |
[第四十七帖・総角(あげまき)]之古跡 | 菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の歌碑 | 解説 |
案内図 | 大吉山展望台からの眺め・・眼下に平等院が俯瞰できる!(^-^)v ☆地図 | |
天気がよければ、写真右奥のビル影の後ろ辺りに薄っすらと六甲山系が見えますが・・・ | 朝日山山頂にある立派な五重石塔(供養塔) | |
朝日山展望台 ☆地図 | 天気がよければ、写真右奥のビル影の後ろ辺りに六甲山系が見えます・・・ | |
朝日山山頂にある朝日山観音堂 | 見事な朝日山観音 | 立派な五輪石塔(供養塔) |
興聖寺(こうしょうじ) ☆地図 | ||
仏徳山と号する曹洞宗永平寺派の寺で道元禅師を開山とします。道元禅師は当初、深草極楽寺の境域に一宇を建て興聖寺と号したが寺は廃絶しました。慶安元年(1648年)、淀城主・永井信濃守尚政によってこの地に再興されました。 山吹、桜、ツツジやサツキなどが多く対岸の平等院に匹敵する名所で宇治十二景の一つとされます。法堂(はっとう:本堂)にある平安時代中期の木像聖観音立像は、源氏物語「宇治十帖」古跡(手習の社)に祀られている事から手習観音ともよばれてます。本堂には伏見城の遺構を移築したもので血の手形が残る天井や鴬張りの廊下などがあります。 |
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応神天皇の皇子・菟道稚郎子の墓 | ・・・ | 曹洞宗・興聖寺 |
いつ訪ねても清楚に手入れされている境内が気持ちいい!(*^-^*) | ||
伏見城の血天井 | 三面大黒天 | 美しい・・ただ、ため息がれる(*´ο`*)=3ホッ |
琴坂 | ||
桜やカエデが茂る興聖寺の入り口〜三門に至る参道は、両脇を流れるせせらぎの音が琴の音色のように聞こえる事から琴坂と呼ばれています。 | ||
山門が額縁のように見える琴坂・・せせらぎの音が琴の音色のように聞こえるらしい(^▽^;) | ロータスだぜっ!睡蓮だろっ?!(^^ゞ | |
興聖寺 | 悠々と流れる宇治川 | |
関西電力・宇治(水力)発電所 ☆地図 | ||
大正2年(1913年)、宇治川電気株式会社が建設した発電所です。宇治川電気は、明治39年(1906年)に創立された会社で、京都電灯、大阪電気とならぶ関西の電力会社のひとつでした。これら3社が現在の関西電力の前身です。発電の水は、大津市南郷からトンネルを掘り、琵琶湖から運ばれています。この水を山上から落としてタービンを回転させています。宇治発電所への導水路取水口は瀬田川洗堰の北360mの地点で、発電所まで11kmの水路が通されている。琵琶湖と宇治の標高差を利用したもので、水路の掘削工事は明治41年(1908年)に着工。当時はかなりの難工事であったという。 |
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宇治(水力)発電所からの放水路と逆調整池 | 浮島(塔ノ島) | 弘法大師がお出迎え (*^▽^*)/ |
恵心院(えいしんいん) ☆地図 | ||
真言宗智山派の寺で平安時代の第52代・嵯峨天皇の弘仁13年(822年)、弘法大師(空海)によって開基されました。当地が大師入唐時に修行された唐の青龍寺の地形に似ていたので「龍泉寺」と号されました。中世以降の度々兵火を浴び堂宇破却したるを、寛弘2年(1005年)、比叡山横川の恵心僧都源信によって再興され、寺号を「朝日山恵心院」と改めました。江戸時代、淀藩主・永井氏の庇護を受けて伽藍の整備がなされたが、兵火を浴び寺運は哀徴しましたが真言宗の一沙門によって中興され現在に至ります。什宝(じゅうほう)に春日局が幼君・竹千代(徳川家光)の安穏祈願をした時の感謝状などを有しています。 |
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山門 | な〜る!φ(..)メモメモ | アメリカ種のアジサイ・ヤエカシワバ |
芭蕉の木は実のならないパナナの木 | ツリガネ草 | |
コイさん48か?綺麗だろっ?!ワイルドだぜ?!(^^ゞスギちゃんかっ?! | 本堂 | |
参拝します・・合掌 | 朝霧橋を挟んだ宇治川対岸辺り一帯が源氏物語・宇治十帖の舞台となっている・・・ | |
宇治川先陣之碑 | ||
古来より水陸交通の要衝地であった宇治は、幾多の合戦の舞台となり、寿永3年(1184年)の木曽義仲と朝廷から義仲追討の任を受けた源義経の戦いで宇治川の激流を挟んで対峙した両軍の決戦は、義経軍の名馬「するすみ」に乗った梶原景季と名馬「いけづき」に乗った佐々木高綱の「先陣争い」で幕を切って落としました。先陣は策にたけた高綱がとり、義経軍は一斉に渡河して義仲軍を打ち破りました。この碑は、その故事に因んで、昭和6年(1931年)に建立された。 | ||
源氏物語・宇治十帖モニュメントと朝霧橋 | 宇治川先陣之碑 | 世界文化遺産・平等院(国宝:藤原期) |
源氏物語・宇治十帖モニュメントは宇治川右岸の朝霧橋畔にある。匂宮が浮舟を抱いて小舟で漕ぎ出す、有名な場面をモチーフにしています。 | ||
テレビで紹介されているのを見て以来、一度は訪ねたかった中村藤吉平等院店を訪れました!\(●⌒∇⌒●)/ | ||
店内の様子・・窓際に座れば宇治川や大吉山を眺めながらスイーツを頂けます!(^^♪ | 買った清水焼の杯・・いいだろっ?(^▽^;)爆 | |
せっかくなので、宇治らしく抹茶尽くしのスイーツを賞味!美味そうだろっ?美味いぜっ!!(^^♪ おやつな時間のランチタイム〜?? どんだけ〜?!(^^ゞ爆 | ||
紫式部と源氏物語・宇治十帖之古跡 | ||
天延元年(973年)頃、高名な漢詩文家であり、受領(ずりょう)であった、藤原為時(ためとき)の娘として誕生。曾祖父は平安時代中期の歌人として有名な、堤中納言兼輔(つつみちゅうなごんかねすけ)にあたる。幼くして母を亡くし、為時の影響を受けて育ちました。結婚3年後に夫が病死し、悲しみを紛らせるために書き始めた物語が『源氏物語』だと伝える。これが評判を呼び、当時最大の権力者・藤原道長の娘にあたる一条天皇の中宮(ちゅうぐう)彰子(しょうし)の女房として仕えることになりました。式部は彰子の家庭教師のような役割だったと同時に道長の愛人だったとも伝える。本名は不明で、『源氏物語』の別名『紫の物語』を書いた人であり、父・為時が「式部の丞」を勤めたこともあるということから「紫式部」と呼ばれたと考えられます。・・・千年の間、人々に愛されてきた 『 源氏物語 』 はフィクションであるにもかかわらず、その古蹟が宇治に点在しています。江戸時代、好事家たちによって、物語最後の十帖にちなんだ古蹟が各々定められました。これが「宇治十帖」の古蹟で、変遷を経ながらも、今日に伝えられています。その中には、洛北小野の地が相応しいと思われる「手習」、「夢浮橋」の古蹟も含まれますが、宇治の地に建てられています。 |
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お土産に抹茶団子と水無月を買いました!(^^♪ | 世界最古の長編恋愛小説『源氏物語』作者・紫式部と宇治橋 | |
第五十四帖・夢浮橋(ゆめのうきはし)之古跡 | 大吉山(仏徳山) | 宇治川を渡る221系・みやこ路快速 |
京阪・宇治駅 | 京阪・中書島駅 | |
中書島駅前通り | 幕末維新のステージ・寺田屋 | 竜馬通り |
黄桜カッパカントリー記念館(お酒の資料館) | あらら〜、伏水が撤去されてる!( ̄□||||!! | |
黄桜お酒の資料館 | 酒蔵 | 竜馬通り商店街 |
納屋町商店街 |
大手筋商店街 |
風呂屋はないけど風呂屋町?!(^▽^;) |
Torist.2012.06.11(M) |
★ 源氏物語と宇治茶のまち・宇治を映像でも訪ねておくれやす〜(^_-)-☆! | |
源氏物語と宇治茶のまち 宇治(前編) | 源氏物語と宇治茶のまち 宇治(後編) |