山背やましろ古道チャリチャリ散策(山城町〜木津町編)

 

夏ちかく なりにけらしな 山城の 泉の里に かはず鳴くなり (現存六帖) 従一位良教

 

宮本水車旧蹟〜弥勒磨崖仏〜橘諸兄(たちばなのもろえ)公旧跡〜綺原(かにはら)神社〜蟹満寺〜和泉式部墓所(式部邸苑池跡/屋敷跡)

 

山城町に伝わる民話「蟹の恩返し」(蟹満寺縁起)

「今昔物語」巻16、「元享釈書:げんこうしゃくしょ」巻28によると・・・むかし、この村に篤信家があって七つになる娘も常に観音を信仰していたが、ある日、村人が食料として蟹を捕まえるのを見た娘が蟹を買い取り逃がしてやりました。その後、父は田圃で蛙を呑み込まんとする蛇を見て蛙を離すなら娘の婿にしようと言ったところ、蛇は呑みかけていた蛙を吐き出し姿を消しました。その夜、人間と化した蛇が訪ね来て昼間の約束の実行を迫った。父は驚き三日の猶予を乞い、その間に堅固な部屋を作り娘を閉じ込め隠れさせました。三日後に訪ねてきた男は、この有様を見て大いに怒り、たちまち本性を表し室を這い廻り尾で戸を叩き破らんとした。ところが、夜中に多数の蟹が来襲し蛇を散々に挟み斬って娘の危難を救った。これは娘が常に信仰するところの観音の加護によるものと言われた。退治された蛇は蟹と共に一ヶ所に埋葬し一宇の堂を建てて供養されました。

宮本水車旧蹟

水車は、ありませんが宮本水車旧蹟碑が建っています。玉川沿いには日照りが続いても枯れる事のなかった豊富な水を利用して終戦後も、精米や穀物などの製粉に水車が使われていましたが昭和28年(1953年)8月15日、この地方を襲った大水害により水車小屋諸共が跡形もなく流され現在は水車に利用されていた水路と石臼が往時を偲ばせています。

宮本水車旧蹟碑

水車跡・・・今も清流が流れています・・・

水車に利用されていた石臼

弥勒磨崖仏(みろくまがきぶつ)

口伝によると花崗岩に腺刻された三体の石仏は奈良時代、橘諸兄の館建立に際し鬼門除けとして刻まれたものと云われていますが説明碑によると実際には鎌倉〜室町時代、戦乱に明け暮れた武士の支配体制に苦しみ、その日暮らしがやっとだった農民達が心のよりどころとして刻んだものとされます。

山背古道

弥勒磨崖仏(井手の弥勒岩:みろくさん)

橘諸兄(たちばなのもろえ)公旧跡

本名は葛城王と言い後に母の氏を賜り橘諸兄と称しました。天平10年(738年)に右大臣、天平15年(743年)に左大臣になり井手に住して井堤寺や玉井頓宮(たまいとんぐう)などを建立し井手を拠点とし井手左大臣と称した橘諸兄の旧跡です。

橘諸兄公旧跡

高倉神社、以仁親王御墓(もちひとしんのうぎょぼ)

後白河天皇の第二皇子・高倉以仁親王を祀った神社で傍に以仁親王の御墓があります。「平家物語」によると治承4年(1180年)5月15日、以仁親王は源三位頼政に奉戴され平清盛とその一族の平家追討の令旨(りょうし)を諸国の源氏に出したが宇治川の合戦に破れて平家方に追われ南都に赴く途中、光明山寺の鳥居前で流れ矢により落命しました。後世、人は、これを哀れみ落命の地に塚を築き神として崇めたのが当社の興りと伝えます。

天井川「渋川」 高倉神社

拝殿、本殿

以仁親王御墓

筒井浄妙塚(つついじょうみょうづか)

筒井浄妙(つついじょうみょう)墓と伝えます。筒井浄妙は以仁親王に従って宇治川の合戦に参加し敗走の途中、当地で落命した三井寺の堂衆の一人でした。祇園祭の山鉾「浄妙山」は浄妙の、この時の合戦振りを模したものです。「山城志」には一乗法師(いちらいほうし:源平宇治川の戦いに参加した三井寺の僧兵)の墓とも言われますが定かでありません。

筒井浄妙塚

天神川沿いをチャリチャリ・・・

綺原神社

綺原(かにはら)神社

綺田(かばた)の産土神で延喜式内の綺坐健伊那太比売(かむはらにいますたけいなだひめ)にあたります。この地は古くは蟹幡(かむはた)郷と言い、後に綺田(かばた)、綺原(かにはら)に転訛、又、樺井(かばい)、樺田(かばた)、樺原(かむはら)の字にあてられました。祭神は素戔鳴命(すさのうのみこと)の妃・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)とされますが、これは蟹を助けて観音の利益にあずかった蟹満寺縁起が素戔鳴命のヤマタノオロチを斬り奇稲田姫を救われた神話と結びついたからで正しくは神織⇒神に奉る衣服を織る養蚕機織の守護神を祀った神社です。当社は綺氏一族の創祀とされますが一説には蟹満寺は太秦・広隆寺の支寺院であったとされ後に秦氏が奉祀した神社とも推察されています。

拝殿、本殿

蟹満寺に到着・・・

満寺縁起の蟹さんと蛇さんとです・・・

蟹満寺

太秦・広隆寺の「末寺別院紀」によると当寺は秦川勝(はたかわかつ)の弟・和賀(阿津見長者)の建立と記され奈良朝以前に秦氏一族によって建立されたと伝えます。江戸時代の正徳元年(1711年)、智積院の亮範法師によって再興され今は真言宗智山派に属しています。『今昔物語』の「蟹の恩返し」で知られます。蟹を助けた娘を蛇が騙そうとすると観音菩薩が現れ蟹に蛇退治を命じました。本尊の釈迦如来像は指の間に水かきを持つ白鳳期の傑作とされ国宝に指定されています。

境内

本堂

山背古道・・・蟹満寺界隈ののどかな風情・・・

のどかな水田の風景

山背古道

トトロの世界?!・・・水田の中を電車が通過・・・

天井川「不動川」

天井川「不動川」・・・水がないとです!(@_@)

山城町にまつわる民話「蟹の恩返し」の説明碑

和伎神社

和伎神社(湧出ノ宮)

湧出ノ宮(わきいでのみや)とも言われ農耕神として信仰されます。弥生時代の出土品、南北朝時代の石灯篭があります。2月には南山城で最古とされる「いごもり祭」行われています。

二の鳥居

神門

拝殿

本殿

春日神社

椿井(つばい)大塚山古墳

昭和28年(1953年)の発掘調査で卑弥呼の鏡という三角縁神獣鏡が33面も発見された。全長約180mの前方後円墳で埋葬者は現在も不詳です。

椿井大塚山古墳

阿弥陀寺

泉大橋

京都〜奈良を結ぶ国道24号線の木津川に架けられた橋で天平年間(729〜48年)、僧・行基によって泉橋寺の門前に架けられたが流れが早く洪水の度に流失し朝廷は貞観18年(1893年)、大船二艘、小船一艘を寺家に施入し人馬の渡しに使わせました。明治26年(1893年)12月、泉橋寺より西方300mの河岸に架橋されましたが国道24号線の開通によって現在地に架け直されました。橋長383.6m、幅7.5m鋼ゲルバートラス橋です。

山城町・・・茶問屋が軒を連ねています・・・

泉大橋(木津川右岸堤防)

旧泉橋の橋脚遺構

泉橋寺(せんきょうじ)

玉竜山と号する浄土宗の寺で俗に橋寺と言います。天平13年(741年)3月、僧行基が泉川(木津川)に橋を架けた時、供養の為に建立した寺です。当時、聖武天皇が当寺に行幸し終日清遊され左大臣・橘諸兄(もろえ)は琴を弾じ歌を詠んだと伝わります。天皇は食封一百戸を下賜、諸兄も食封五十戸を施入しました。当寺は行基が五畿内に建立した四十九院中の一とされ永く橋の管理にあたりました。往時の寺領は広く本堂、五重塔、鐘楼、経堂、方丈などの伽藍があったが治承4年(1180年)の兵火にかかり灰燼しました。元弘元年(1331年)、後醍醐天皇は南都潜幸時に立ち寄り朝食を摂ったと「太平記」に記され境内には立ち寄られた時に御袖が摺れたという一株の古松(袖摺りの松)があります。当寺より東北100mの畑中に大きな花崗岩でできた五重塔の中心礎石(天平期)があるとの事で探したのですが見つかりませんでした。一説に売却されたとも・・・

旧泉橋の橋脚遺構

泉橋寺

地蔵石仏(山城大仏)、五輪石塔(重文:鎌倉期)

地蔵石仏(山城大仏)は花崗岩からなる巨大な丈六(じょうろく:4.8m)の石仏で俗に山城大仏と称されます。徳治3年(1307年)に地蔵堂が完成し堂中に安置されていましたが文明3年(1471年)の「応仁・文明の乱」時に大内政弘軍の木津・上狛攻めで地蔵堂も焼失し地蔵石仏の周りに堂宇の礎石が残るだけの露仏で日本一大きい地蔵石仏です。兵火を浴びた為に黒ずんでいますが鎌倉期の様式を留めています。顔と両手は元禄3年(1690年)に後補されました。五輪石塔は鎌倉時代の作で高さが2.4mの花崗岩製で光明皇后の遺髪塔とされましたが移転に際し多くの遺骨が発掘され、平重衡の南都焼討ちの犠牲者の供養塔であると断定されました。

地蔵石仏(山城大仏)

境内

五輪石塔(重文:鎌倉期)

嵐山、木津サイクリングロード(京都八幡木津自転車道線)

「嵐山サイクリングロード」は、桂川「渡月橋」右岸(嵐山公園)〜木津川「泉大橋」左岸間の全線45kmにも及ぶ<自転車と歩行者の専用道で「京都八幡木津自転車道線」と言います。道中は舗装整備された道で走りやすく、四季折々の自然を満喫しながらファミリーでも安心して自転車散策を楽しめます。嵐山サイクリングロード(全線45km)は、流れ橋を基点に北部(嵐山方面)と南部(木津・泉大橋方面)の歴史蹟、風景も一変し平安、平城京の歴史街道と感じました。参考までに羽束師橋〜嵐山まで約14km、木津・泉大橋まで約31kmの全線45kmです。

泉大橋を渡ると木津

嵐山、木津サイクリングロードの南起点(泉大橋)

大智寺

和泉式部墓所(式部邸苑池跡/屋敷跡)

焼けただれた高さ約1mの五輪石塔で、中世に建立されたと伝わります。口碑によれば和泉式部の誕生地で晩年を木津で過ごしたと言われ因んで町名も泉町と言い付近の梅ヶ辻には石灯篭、木津川べりにはナンテン塚、竹塚があり和泉式部の屋敷跡と伝えます。それを裏付ける資料がなく古来、木津の地を泉郷と称したのを和泉式部に付会した伝説に過ぎない。京都市中京区の誠心院を始め各地にある和泉式部の墓と言われるものも全てが決め手を欠いています。

境内(大智寺)

和泉式部邸苑池跡(屋敷跡)

和泉式部墓所

山背古道

正覚寺

天王社

岡田国神社を通過・・・

文廻池

山背古道

現在、山背古道最南端に位置する宇賀魂神社に到着・・・周囲が宅地大造成中?!(@_@)

丘上にある宇賀魂神社の小祠から奈良〜京都方面(右)の眺望・・・しかし、あっちち〜(;^_^A 

御霊(ごりょう)神社

政治的策略による犠牲者の祟りを鎮護する為に藤原広嗣、早良親王、伊豫親王を祭神として創立されたようですが「勧請記」によると清和天皇御代の貞観18年(876年)、天下太平悪気防護(厄難除け)の神として創立されたと伝えます。その後、度々の兵火にかかり江戸時代の享保年間(1716〜36年)に再建され御霊神社と称され岡田国神社、田中神社と共に木津三社の一です。

山背古道は将来、宇賀魂神社〜上人ヶ平遺蹟まで延びる予定・・・さぁ〜伏見へ帰るとです・・・

御霊神社

平重衡(たいらのしげひら)の墓所

平清盛の五子で従三位左近衛中将。源頼政を宇治川の戦いで破り、治承4年(1180年)12月28日、清盛の命を受け、東大寺、興福寺を焼き払いました。寿永3年(1184年)、一の谷の戦で敗れ、鎌倉に送還されたが東大寺、興福寺僧徒の要請で、奈良に送還され木津川の河原で処刑されました。安福寺に重衡の墓所とされる十三重石塔(重美:鎌倉期)があり塔高は約4.5mの花崗岩製で初重塔身に輪郭を巻いた地方色があります。

本殿

安福寺

平重衡(たいらのしげひら)供養塔(墓所)

上津遺跡(こうづいせき)

奈良時代、材木を主とする物資調達などの水路、陸路交通の木津における重要な港(津)の役所が置かれていた遺蹟です。

上津遺蹟

泉大橋を通過中・・・

木津川下流の眺め(泉大橋)

白馬!目が合ったとです!そなたは♀?(*≧m≦)プッ

伊勢志摩ライナーが過ぎ去って行くとです・・・

木津川右岸堤防をチャリチャリ・・・

夕暮れの流れ橋(木津川右岸)

第2京阪国道の側道をチャリチャリ・・・

予期せぬ出会い・・・

          

今回、山背古道を完走しました。自然と古跡が豊富でのどかな古道の風情を満喫しましたが真夏日という大変に暑い一日でした。水分補給も3Lを越えたと思います。今回のチャリチャリで予期せぬ動物と出会いました。写真の仔猫ちゃんは山背古道の現在の南端でもある市坂(中山辺り?)の宅地造成をされている近くで写真を撮っていると何処からともなく・・・「ニャ〜ニャ〜ニャ〜」と聞えるではありませぬか?!近付くと泣き声がし離れると静かに・・・何処にいるのか?と探してみるとご覧のように側溝の中にいました。捨て猫?連れて帰ろうか??としばらく思案しましたがキララにはカゴもなくリュックに入れてこの暑いさなかを伏見まで自転車で帰るというのは仔猫には過酷と判断しました。側溝には蓋があるのですが幸い途切れているのと水も全く流れておらず民家も近いので飼い猫かも??・・・そのままにしておいた方が良いと判断して帰路につきました。帰る時は分かるのか?「ニャ〜ニャ〜ニャ〜」と鳴き続けていたので後ろ髪をひかれました。更に帰路で今度は「ヒヒヒ〜ン」?「ヒヒヒ〜ン」って??・・・なななんと!白馬にも出会いました。今日は予期せぬ動物との出会いもあった1日でした・・・

Tourist  2005.06.06(M)

 

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