京の散歩道『淀〜八幡〜橋本ポタリング』

 

新月や いつをむかしの 男山 基角(きかく)

沓音(くつおと)も しずかにかざす 桜かな 荷兮(かけい)

 

三栖のキリシタン灯篭(マリア観音)〜背割堤〜橋本〜淀〜田中神社

 

京(大坂)街道の宿場町だった橋本 地図

かつて京(大坂)街道の宿場町として栄え地名の由来は、僧・行基が淀川の対岸・山崎に架した橋のタモトに由来します。行基が架橋した山崎橋は宇治橋、瀬田の唐橋と並んで日本三大橋の一つに数えられました。その後、何度も流出と架橋を繰り返し橋が無い期間は渡船で代用されました。やがて元禄年間に再び架橋されたのが現在の観音寺前辺りと伝えますがこの橋も流された後は、再び架橋される事はありませんでした。以後の橋本は渡船場として賑わい、橋本の渡しは昭和33年(1958年)4月1日、売防法が施行されるまで続いていたと伝えます。また旧街道沿いには、かっての傾城町(遊郭)の名残の建築意匠の建物が現存しています。近年、そんな家屋も徐々に取り壊されて姿を消し空き地が目立つようになってきました。橋本は、かつての宿場町の面影が色濃く残っている数少ない町並みです。

竹田街道大手筋交差点 ・・・ 婦人警官による交通整理中
三栖の祠でひっそりと祀られているキリシタン灯篭(マリア観音) ・・・
京街道(大坂街道)

大坂(大坂)の京橋(高麗橋)〜淀川左岸に沿って淀〜京都に向かう街道である。文禄3年(1594年)、豊臣秀吉が伏見城築城に着手し文禄5年(1596年)2月に毛利家に命じて淀川左岸に築かせた文禄堤が起源である。淀〜京都間は2つのルートが造られた。1つは桂川左岸を進む鳥羽街道であり、もう1つは現在の宇治川右岸の淀堤を経て伏見に至り、伏見から伏見街道あるいは竹田街道を経て京都中心部に達する。伏見〜大阪までの道のりは、五街道の一つである東海道の延長として道中奉行の管轄下に置かれ、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4宿場が設けられた。東海道の大津宿から髭茶屋追分で京都・三条大橋へ向かう道と分かれ、京都を通らず大津街道を通りこれら4宿場を経て大坂に至る道のりは、参勤交代の経路としても用いられこの道程を東海道五十七次と呼ぶこともある。また、淀宿と枚方宿の間に橋本という遊郭を持った間の宿も設けられていた。伏見・大坂間は淀川を利用した舟運が盛んであり、陸路の利用は大坂からの上り客が多かった。明治時代に入ると、鳥羽街道を経るルートが大阪街道とされ、京都・大阪間の国道(旧京阪国道)も伏見を通らないこちらのルートが選択された。 伏見を含む4つの宿場に沿っては、京阪電鉄本線が通っている。

・・・ 鳥羽街道(旧大阪(京)街道) 桂川左岸堤防を走るサイクリングロード
桂川堤防にあった愛宕茶屋は、戊辰戦争の激戦地で桂川堤防下の銀杏の大木下に戊辰役東軍戦死者埋骨地(愛宕茶屋碑)があります。
・・・ 宮前橋通過・・・
・・・ ・・・ サイクリングロードは。。。(;´д`)ゞあちぃ
男山 宇治川に架かる御幸橋
洛南随一の桜並木・背割堤 ☆地図

宇治川と木津川の合流地点迄、約1.4kmの堤に約250本の桜並木(ソメイヨシノ:バラ科)が続きます。京阪電車の車窓からも美しい桜並木を見る事ができます。目の前に広がる桜のトンネルは格別で桜花とホトトギスなど野鳥のさえずりに包まれた桜の花繚乱の見事さは、洛南随一だと思います。昭和50年代始めまで松並木で「山城の橋立」と称されていましたが害虫被害で松が枯れ昭和53年(1978年)3月、当時の建設省が桜(ソメイヨシノ)に植え替えて今日に至っています。府道・京都守口線(旧国道1号線)の御幸橋(ごこうばし)から下流方向に1.4kmの桜並木になっています。ソメイヨシノ約250本、ハナミズキ52本が植栽されています。

宇治川に架かる御幸橋 春は洛南随一の桜並木になる背割堤
男山 俳人・荷兮(かけい)、基角(きかく)の歌碑 グリーンシャワーを浴びながら・・・
・・・ 天下分け目の天王山 ・・・
くわの実は美味しいですよ〜!お蚕さんか?(^^ゞ 三川(宇治川・木津川・桂川)合流前の宇治川の悠々な流れ
背割地区案内図 ・・・ 木津川に架かる御幸橋
木津川に架かる御幸橋 この先の下流で宇治川に合流する木津川 旧大阪(京)街道
旧大阪(京)街道 旧大阪(京)街道筋にある樹齢800年とも1000年とも伝える楠木の大木 
傾城町(けいせいまち)として栄えた橋本宿

遊郭、郭(くるわ)、遊里、色街のこと。有名所では京・島原、伏見・柳町、八幡・橋本、江戸・山谷(吉原)等、かつて全国に傾城町が点在していました。歴史を重ねた町には、その表通りがあれば裏通りもある。すべてに表裏、陰陽、光と影が存在するように大和郡山は郡山城を中心とした城下町が築かれたが、その一角に傾城町が存在していたのも事実である。今も強烈に異彩を放つ木造建築は見るからに傾城町特有の建物であるが建築意匠の素晴らしさに目を惹かれます。

橋本は、京(大坂)街道の宿場として賑わい、歌舞伎『双蝶々曲輪日記』の六段目「橋本の段」の舞台になった遊郭街だった。
京阪・橋本駅西側の旧街道筋には当時を偲ばせる古い家並みが今も残っている。
橋本の傾城町のロケーションは、夏目雅子の主演映画『鬼龍院花子の生涯』でのロケ地としても知られる。
昭和チックな銭湯・橋本湯 橋本駅を出発した京阪本線 橋本の町を見守る火の見櫓
妓楼と呼べない異様に巨大な木造建築は橋本検番跡?後に集合住宅に転用された天寿荘??・・・詳細は不明`s(・'・;)
京阪橋本駅前にある道標「湯澤山茶久蓮寺(ゆたくさんちゃくれんじ)跡」

道標石正面に「橋本渡舟場三丁」、「山崎停車所十丁」の碑文がある。当時、対岸の山崎間に渡し船が運航(昭和37年/1962年まで存続)されており、対岸にある鉄道停車場(現JR東海道本線・大山崎駅)の道案内石碑。また道標石側面には「湯澤山茶久蓮寺(ゆだくさんちゃくれんじ)跡」と記されている。これは、羽柴秀吉が山崎の合戦で明智光秀と戦った時、当地の寺に立ち寄りお茶を所望した。寺の住職は、秀吉が茶人であることから、下手にお茶を差し出したら文句を言われるだけと苦慮して白湯(さゆ)のみを差し出した。秀吉は、住職が聞き間違えたのか・・と今一度お茶を所望するが、同じように白湯が差し出された。秀吉は、立て続けに白湯のみを差し出された事の次第を察し「この寺は、お湯ばかりでお茶をくれなくてもよい、今後は寺の名を『湯たくさん茶くれん寺』とするがよい」と洒落(しゃれ)たとの伝承による。現在、湯澤山茶久蓮寺跡には浄土宗・西遊寺があるが、この湯澤山茶久蓮寺とは、妙見宮旧常徳寺の話と伝えられており常徳寺は曹洞宗の禅寺で、元は石清水八幡宮の麓にありました。その後、橋本の当地に移されたが、文化10年(1813年)正月に焼失したと伝えます。

橋本渡舟場三丁(橋本〜山崎渡舟)道標 浄土宗・西遊寺 京阪電車・橋本駅前
昭和39年(1964年)発売のアサヒ瓶ビールのアサヒスタイニーとは超レトロな看板!(@_@;) 洋食の店 やをりき 役目を終えた?(^▽^;) 珍しい防火用水槽
かって、橋本宿は京都〜大坂を結んだ京街道(大阪街道)が通り、宿駅にも指定され多くの人々が往来し栄華を極めていました・・・
当時は80軒以上の妓楼(ぎろう)、30軒の飲食店があって、大変賑わっていたようです・・。
旧街道沿いの橋本は、かつての宿場町の面影が色濃く残り、時間が止まっているような別世界の趣がある町並みを今に伝える・・・
モダンなステンドグラスの窓や二階の欄間飾りや手すりの装飾、三〜四間一面のガラス窓など建築意匠が面白い。
かって、橋本宿は京都〜大坂を結んだ京街道(大阪街道)が通り、宿駅にも指定され多くの人々が往来し栄華を極めていました・・・
旧街道筋にある樹齢800年とも1000年とも伝える楠木の大木 御幸橋(木津川)
御幸橋(木津川) 木津川 御幸橋(宇治川)
宇治川 ・・・ 旧京(大阪)街道
・・・ かつては京阪本線に沿って宇治川が流れていた・・・
新撰組隊士の幽霊伝説がある千両松慰霊碑「戊辰役東軍戦死者埋骨地」 ・・・
薩長軍と新撰組(旧幕府軍)が激戦を展開した千両松(淀堤)を今は京阪電車が疾走します・・
田中神社地図

下鳥羽、横大路の産土神として、冶暦年間(1065年)、八坂神社より、牛頭天王を勧請し、当初は、上流の鳥羽郷田中に社殿があったが、天正年間(1573〜1591年)、この地に大洪水が発生し、現在地に神社の本殿のみが、無傷のまま流れ着き村人達は、この奇跡に驚きお祀りしたと伝えられている。一説に田んぼのまん中にあったので田中神社という社名になったと伝える。

下鳥羽、横大路の産土神(うぶずながみ)は馬と疳の虫の神様!田中神社 牛頭水(ごずすい) 飲用は自己責任
鎮守の杜の様相を呈している境内に鎮座する疳の虫封じに霊験あらたかな北向虫八幡宮 本殿

Tourist.2013.6.10(M)

 

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