坂本龍馬ゆかり船宿・寺田屋 |
伏見の船宿・寺田屋は薩摩藩の定宿でした。文久2年(1862年)、討幕急進派が寺田屋に集まり決起を企てた「寺田屋騒動」は有名です。又、坂本龍馬の定宿で、お龍さんとの恋宿としても知られています。寺田屋の女将・お登勢は大津の船宿・大本重兵衛の次女で、18歳の時に寺田屋伊助に嫁した。伊助は放蕩者で店は女将お登勢が切り盛りし、二人の娘に加え五人の孤児まで養育した。義侠心が強く志士達にも援助を惜しまなかったと伝えます。 |
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幕末維新のステージ・旅籠
寺田屋 寺田屋騒動、坂本龍馬とお龍さんの恋宿としても知られます・・・ |
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当時を今に伝える井戸 |
龍馬像と薩摩九烈士碑 |
龍馬曰く・・・ |
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三十石船駒札 |
寺田屋浜 |
三十石船と酒蔵 |
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十石舟 |
島の弁天さんと呼ばれる長建寺 |
酒蔵 |
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伏見奉行所跡碑 |
伏見工兵第十六大隊跡碑 |
平成11年(1999年)9月3日、再建の大鳥居 |
徳川御三家の産土神・御香宮(開運・安産・厄除けの神)
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縁起には諸説があり社伝によれば貞観4年(862年)9月9日、境内に清泉が湧き出し水が芳しく四方に香り病者がこの水を服用すれば病気がたちどころに癒ゆるといわれ、これに因んで御香宮と称し地名も石井郡(紀伊郡)と称したと伝えています。又、御香宮は、旧伏見町の産土神(うぶずながみ)として古来から最も信仰されている洛南屈指の大社です。筑前国糟屋郡(福岡市香椎(かしい)町)にある香椎宮(祭神・神功皇后・仲哀天皇)を勧進し御香椎の椎を略し御香宮となったという説が、あります。"延喜式に記す御諸(みもろ)神社"であると言う説もあります。御諸(みもろ)とは、森と同義で神の鎮座する森をいい神の降臨する山や森を神格化したものを御諸(みもろ)神社と言います。豊臣秀吉は、征韓の役に際し肥前長光(重要文化財)の名刀を戦勝祈願時に奉納し今も社宝とされています。伏見城築城に際し深草大亀谷に移され城惶神(伏見城の鬼門除けの守護神)とし社領300石を寄進されました。その後、慶長10年(1605年)に徳川家康によって現在地に移され、徳川御三家(尾張・紀伊・水戸藩)藩祖と2代将軍・秀忠の娘(千姫)らが伏見で誕生し、御香宮を産土神(うぶずながみ)として社領も豊臣秀吉同様の深草地方など300石が、与えられました。豊臣秀吉、徳川家康を始めとし特に徳川御三家藩祖らが特別の崇敬を払った洛南最大社です。
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徳川頼房(水戸藩祖)が寄進した表門(重文:桃山期) |
祭り(10/4〜12日まで)の期間中は、普段とは違った様相を呈する境内 |
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出店がいっぱい出ます!(*^-^*) |
懐かしい飴細工の店 |
オヨヨ・・・ポニョでつ!(*^-^*) |
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拝殿 |
千姫神輿 |
駒札(解説) |
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桃山様式の豪華絢爛な拝殿 |
三基の神輿(拝殿・東の間) |
雌雄の獅子(拝殿・西の間) |
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「名水百選」に選ばれた石井(いわい:御香水) |
神鑒(かん)静井(石井)と御香水碑 |
参拝します・・・ |
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東神門の石鳥居 |
さっ、次行こっか
(^_-) |
おけいはん(京阪電車)丹波橋駅 |
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キンシ正宗 |
地下105mから汲み上げられる伏水「常盤井」 |
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名水の流れ図 |
昭和40年〜50年頃にあった井戸 |
近衛天皇陵(安楽寿院多宝塔) |
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安楽寿院 |
駒札(解説) |
鳥羽離宮 |
今の城南宮を中心とし、東は竹田〜西は小枝(鴨川畔)まで、北は名神高速道路〜南は久我橋筋に至る東西1km、南北1.2kmにも及ぶ広大な離宮であったと伝えます。白河上皇(法皇)が平安時代後期の寛治元年(1087年)2月、後院として造営した離宮で都の正南にあたるので一に城南(せいなん)離宮とも言い、地名によって鳥羽殿とも城南寺離宮とも言われました。離宮には、仏殿と寝殿を兼ねた壮麗な建物が「南北八丁、東西六丁、水深八尺」と伝える広大な苑池の畔に造られました。鳥羽天皇も譲位後にここを御座所とされ引き続き多くの仏殿や仏塔を建立されたので池水に映じた有様は、さながら極楽浄土をこの世に現したものだったと伝えます。広大な敷地に南殿、
北殿、泉殿、馬場殿、田中殿などが造られました。その光景は広大な池を有する
庭園、舟が行き交う遊園の地、浄土の地とも言われました。 |
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鳥羽離宮跡 |
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鳥羽離宮のイメージ、遺跡図 |
弘法大師を祀る大師堂 |
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三尊石仏(左・薬師三尊石像、釈迦三尊石像) |
調査で出土した石で再現された本御塔庭園 |
白河・鳥羽法皇院政之地碑 |
冠石(かんむりいし)、鳥羽天皇陵 |
冠石・・・鳥羽天皇は譲位後、白河上皇が創建した鳥羽離宮に入り、殿舎や仏殿を増築した際、この石の上に冠を置き、これを中心に造営したとも鳥羽上皇が法皇になられた時に、冠を納めた所とも伝えます。鳥羽天皇陵・・・籠妃・美福門院が、生み奉った近衛天皇を3歳で位につけ、後白河天皇を擁立するなど保元の乱因を作った事で史上有名な天皇で保元元年(1156年)、鳥羽殿にて崩御されました。 |
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冠石 |
鳥羽天皇陵(安楽寿院陵) |
五輪石塔(重文:鎌倉期) |
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地蔵石仏(鎌倉期?) |
ランプランサス(松葉菊) |
えぇなぁ〜(⌒▽⌒) |
北向山不動院 |
鳥羽上皇により大治5年(1130年)に建立された。不動明王像を建立し、王城鎮護(平安京鎮護)を祈願し、北向きに安置したと伝わる。応仁の乱ので焼失し、現在の本堂は、正徳2年(1712年)、東山天皇の旧殿が、移築され、ご本尊は、伝教大師作・不動明王坐像が、都の南にあたる為に北向きの都を守る寺として播磨国大国庄に寺領千石を賜り、北向きに安置したと伝えます。山門を潜ると東側に千手観音、虚空蔵(こくうぞう)、文殊、普賢菩薩が鎮座しています。 |
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北向山不動院 |
右〜普賢、文殊、虚空蔵、千手観音菩薩 |
鳥羽上皇寵愛の松 |
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洗心井(手水) |
解説 |
大日如来、不動明王 |
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洗心井 |
お滝場(行場) |
本堂 |
白河天皇成菩提院陵、西行寺跡碑(火消地蔵堂)、鳥羽離宮田中殿跡碑 |
白河天皇成菩提院陵・・・当地は藤原季綱(すえつな)の領地でしたが応徳3年(1086年)、季綱が白河天皇に献上し白河天皇が退位後の院として鳥羽離宮を造営しました。白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇の院政の地となりました。平清盛が後白河上皇を鳥羽殿に幽閉し院政は一旦中断しました。源平の争乱、南北朝の争乱など兵火に遭う事が多く急速に衰退したと伝えます。西行寺跡碑(火消地蔵堂)・・・口碑によれば西行法師が佐藤義清(のりきよ)と称し鳥羽殿の北面の武士であった頃の宅跡と伝えます。江戸時代、一宇の草庵があり境内には月見ノ池や剃髪塔などがありました。明治11年(1878年)、東竹田の観音寺に併合されました。観音寺に西行法師坐像が安置されています。鳥羽離宮田中殿・・・白河上皇没後、鳥羽上皇も継承し28年間に亘り院政を執りました。当時に建てられたのが田中殿でした。田中殿は皇女・八条院の御所として鳥羽上皇が造営し殿内には御堂(金剛心院・阿弥陀堂)などが附属していました。 |
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白河天皇成菩提院陵 |
西行寺跡碑(火消地蔵堂) |
鳥羽離宮田中殿跡碑 |
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鳥羽離宮遺跡の成菩提院塚 |
城南宮 |
清々しい参道 |
南の守護神・朱雀・・・城南宮【方除け、鬼門除け、旅行安全】 |
上古の時代、神功皇后は出陣に当たり、軍船の御旗に八千矛神を招き寄せて戦勝を祈願され、戦が終わると御旗は宮中で大切に保管されていました。桓武天皇が平安京に都を定めた時、御旗を城南の当地に御神体として納め、八千矛神(やちほこのかみ=大国主命:おおくにぬしのみこと)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后:じんぐうこうごう)の三柱、伊勢、石清水神社など七社が合祀されました。創祀については不詳で平安遷都に際し、王城の守護神として創祀されたとも城南寺の鎮守として創祀されたとも伝えます。応徳3年(1086年)、鳥羽離宮が造営されると社寺は域内となり競馬は離宮の年中行事となり、祭礼に日に行われる競馬がいかに盛大なものであったかは承久の変の時、後鳥羽上皇が城南寺の流鏑馬(やぶさめ)に託して、密に鎌倉幕府打倒の兵を集めた事に想像されます。応仁の乱後、離宮は荒廃し城南寺も退転したが神社だけが残りました。中世以降、上鳥羽、下鳥羽、竹田の産土神として崇敬され特に方除けの神として信仰を集めています。御旗の日月星の紋章が城南宮の三光の神紋の由来と伝えます。 |
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城南宮境内 |
伏見名水「菊水若水」 |
春の山@楽水苑 |
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鳥羽離宮パノラマ(全景) |
当地から出土した瓦 |
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鳥羽離宮の採掘調査の折に次々と出土した瓦 |
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鳥居には、御旗の日月星の紋章が城南宮の三光の神紋が輝きます・・・ |
明治天皇行在所真幡寸(まはたぎ)神社碑 |
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駒札 |
いつ訪ねても・・・清々しい境内
ヾ(≧▽≦)ノ |
鳥羽伏見の戦い |
慶応4年(1868年)1月3日、東軍(幕府軍)は小枝橋に陣取る西軍(薩摩軍)に通行を迫るが通さない。その場で朝廷工作の成果報告を待つが、使者は、戻らない。夕刻、東軍は武力突破を宣言した時、秋の山から薩摩軍のアームストロング砲が、火を噴きました。薩摩軍が発砲した一発の砲弾で戊辰戦争の開戦となった「鳥羽伏見の戦い」勃発の地です。 |
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鳥羽・伏見戦〜淀、橋本、樟葉、枚方方面の戦況を伝えている当時の貴重なかわら版 |
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本殿 |
鳥羽伏見の戦い勃発地 |
鳥羽伏見戦跡碑(旧小枝橋) |
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解説 |
鳥羽離宮跡公園 |
鳥羽伏見の戦勃発の地小枝橋碑 |
鳥羽伏見戦跡碑 |
鳥羽伏見戦跡碑(鳥羽離宮跡公園:秋の山)は、戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦いを記念し、明治45年(1912年)2月、有志によって建立され小牧昌業の撰文、小田得多の筆による碑です。 |
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鳥羽・伏見方面戦闘図 |
秋の山と鳥羽伏見戦跡碑(鳥羽離宮跡公園) |
飛鳥田(あすかだ)神社 |
創建等の由緒が一切不明の荷田竜頭之遠祖霊(かたりゅうとうのえんそのれい)を祭神とする式内社(旧無格社)です。 |
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鳥羽離宮南殿跡碑 |
飛鳥田神社 |
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ガーベラ |
ジュリアンキャンディー |
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姫りんご・・・甘酸っぱ〜い
(^▽^;) |
カキ |
タッチミー
(^_-)-☆ |
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安曇野(あずみの)のコスモス
(*^-^*) |
大好きなシクラメン
(*^。^*)
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目を奪われた可憐な秋のアスティー |
夕焼けに照らされる酒蔵 |
Tourist
2008.10.06(M) |